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レポート29


 私が教室の中へ飛び込むと、黒コートを着たトカゲ人間は弾かれた様に宙を飛んで、引力を無視するかの様に四つん這いの格好で天井にしがみついた。

 私に向けた顔からは白い片足が垂れ下がっているのが見えた。

 しかもタッキーにもらった資料の中のCG画像とは似ても似つかない程に、頬や腹部全体が張り裂けそうなほどに膨らんでいる。

 そしてバタバタともがいていた白い足がスルリと口の中へ飲み込まれていき、上履きが無残に床に転がった。


「動くな!」


 私は怒りまかせに銃口を向ける。

 しかしピッパークは怯える素振りもむなく、むしろ満足そうな顔でペロリと細長い下を出して唇を舐めた。異常に膨らんだ腹部が呼吸の度に波打っている。その中で消化されている少女たちの事を思うと、胸糞が悪くなった。


「もう遅いんだな……」


 ピックパークがゲップをしながらそう言った。

 私は何の事かわからず一瞬思案をめぐらしていると、いつの間にか一つの人影が私の前を歩いていた。


 まるで時間と空間の感覚が奇妙に歪んだような違和感を覚える。

 しかし確かにそいつは私の後ろから迫り、すぐ横を通り過ぎて行ったはずだったが、全く気配を感じなかった。

 しかも銃を持つ私など存在していないと言う風に、堂々と背中を見せつけながらピックパークの元へ歩み寄っていく。

 

「う、動くな! 本気で撃つわよ!」


 私の声は震えていたかもしれない。しかし目の前のディッツと思われる男は瀕死の重傷だった。全身は皮膚を失って筋肉と一部の骨が露出していて血だらけで、さらに右腕は肘の辺りから欠損していて腹部に負った裂傷を庇うかの様に体をくの字に曲げて、今にも倒れそうな頼りない足取りだ。


 落ち着いて対処すれば、敵が二人に増えようが私一人でもやれる筈。


 緊張は一気にピークへと達して真っ白になりかけた思考の中で、ただ目を離さない事だけを心掛けていた。銃口を外さなければ主導権は私のものだ。

 しかし、その一瞬後にはそれはただの間違いだったと思い知らされた。

 目の前の人影が振り向いた瞬間、何かが飛んで来るのだけは辛うじて確認できた。だけど私は引き金を引く事も避ける事も出来ず、ただ立ち尽くしていただけだったのだ。


 飛んできた物体はヘルメットを掠めて背後の壁に激しくぶつかると、跳ね返って私の足下に転がってくる。

 視線を落とすと、それはレオパルドの引きちぎられた頭部だった。


「ちっ、まただ!。このケガのせいで手元が狂っちまった。悪いな。あんたのオモチャ壊しちまったよ」

 

「あ、あなたがベニラ団のディッツね……?」


 言葉が喉の内側に張り付いていた。まるで教室の温度が一気に冷たくなったように感じる。


「光栄だねえ、こんなお嬢ちゃんにまで名前を知ってもらえているなんてな」


 ディッツの口許は笑っていたが、瞳には今すぐにでも暴発しそうな危ない光が宿っていた。身に纏う空気はまるで氷で出来た蛇の様で、床を静かにこちらまで這ってくるのがわかった。


 腹部の傷から流れ出た血液が足下に大きな染みを作り上げていて、どこから見ても瀕死の重傷の筈なのに、彼が発するその空気のせいで、私の体は凍り付いた様に動かない。


するとピックパークは音も無く、ディッツの横へ着地した。

 そしてディッツが片手でピックパークの後頭部を小突くと、ピックパークの膨れた腹部が大きくうねり、口からあの肉玉を一つ吐き出した。


 ディッツはまるで世界に一つだけしかない宝石でも見るように恍惚とした表情でその肉玉を見つめた後、一気に丸呑みをする。女生徒で出来た肉玉を……


「ああ、そうだよ、この味だ…… たまんねえ、体中に力がみなぎるぜ……」


 ディッツはとろんとした目で体中を痙攣させて身悶えている。

 私はその隙をついて、足下のレオパルドの頭部を爪先ですくい上げると耳元に囁いた。


「聞こえる……? AIは生きてる?」


「ナントカ無事ミタイデース」


「オッケー。体はどこ? 私がディッツを引きつけるから、その隙にピックパークを確保して。出来る?」


「体ハリモートコントロール出来キマスガ、蝶々ニ助ケヲ求メタ方ガ良イノデハ?」


「うるさ……い……」


 私の視線は目の前の出来事に釘付けになっていた。

 何故ならば今まで瀕死の重傷だった筈のディッツの怪我が、肉玉を口にした途端に回復し始めたからだ。みるみるうちに全身の皮膚が再生されて腹部の傷が塞がって出血が止まると、今度は右腕の切断面から新しい腕がボキボキと骨を軋ませながら生えてくる。


 潰れていた筈の左目も今では真新しい眼球が生まれ、眼窩の中で白目を剥いていた眼球がクルンと転がって縦長の瞳が現れた。

 ディッツは満足そうな顔で右拳を開いたり閉じたりしている。

 その視線がゆっくりと私に向けられる。

 その瞬間、背筋に冷たいものが駆け抜けた。

 目の前の人間の内部で、一気にある種の感情が高まっていくのが手に取る様にわかった。

 それは殺意だ。冷酷で暴力的な感情が空気に触れてスパークしている。


「てめー、あの蟲使いの仲間か……?」


 その言葉に私の心臓がとくん、と波打つ。


「あ、姉貴に会ったの……!?」


「姉妹か! こりゃ、ちょうどいい。あの蟲使いに良い置き土産になりそうだ……」


 私の中でなにかが震えていた。


「あ、姉貴は……?」


「あの野郎なら今頃毒で苦しんでる筈だ。もっともアルモビッツ星の砂クジラから採取した毒を食らって一時間以上持ち堪えられて、更に都合よく血清が手に入るとも思えないがな。さすがに手強かったが、どっちにしろ勝負は俺の勝ちみてえだ。なんせ目の前に妹が居るんだからな……」


 胸の奥底で凍り付いた心臓がガタガタと音をたてて震えていた。血管がわなないて、肉や骨を揺らして全身に震えが伝播していく。


 恐怖を前にして、私は初めて現実を認識したのかもしれない。

 姉貴はいわゆるバロメーターだった。一番身近に居る歳の近いプロのハンターが姉貴だった。その姉貴との能力の差は痛い程にわかっている。


 目の前の男がその姉貴と互角に戦って手傷を負わせた相手と知り、五感の全てが現実を認識していた。長年空想の中で戦った賞金首なんかとは違う。目の前の威圧感も、緊張からくる喉の渇きも、血生臭い匂いも、緊迫感のある静寂も、恐怖と重圧からくる震えも、全てが現実だった。


「――で、おめえは強いのか? 姉貴より」


 ディッツが全てを見透かした様にニヤリと笑った。

 殺気が一気に膨張して弾けたのがわかった。

 刹那、私はベランダへと飛び出していた。手摺を乗り越えて体を反転させると、すぐ背後に迫っていたディッツに銃口を向ける。


 しかしディッツの左手が銃身を掴み、右手が喉元に伸びてくる。私は上体を反らして、厚い胸元に左足を叩き込む。その反動を利用して落下に加速をつける。

 

「今よ! ピックパークを確保して!」


 落下しながら私は抱えていたレオパルドの頭に向って叫んだ。

 すると私とディッツと入れ替わるようにして、タンクローリーの傍らに待機していた首なしのレオパルドが教室へ飛び込んでいく。

 それを視界の隅に捉えながら、ディッツよりも一足先に着地した私は校舎から離れるようにしてグラウンドを全力で疾走したのだった。

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