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レポート26

「てめえが蟲使いか……?」


 ディッツの額を一筋の汗が流れ落ちていく。しかしその目に畏れはなかった。出血による疲労が作る薄い膜の奥に見えるものは激しい怒りの閃光だ。


 この計画を建てた時、ハンターの中でも精鋭揃いと言われている流星ハンターたちに出くわす事を考えなかった訳ではない。勿論出会わなければそれに越した事はなかったが、出会ったのであればもう後悔している場合ではなかった。


 犯罪者としての道を歩き始めた時から、幾度も立ち塞がる壁を乗り越えてきた。この手で。この力で。強い奴が上に立つ。一度でも退けば負け犬になる世界で、己の力だけでのし上がって来た。


 これまで自分よりも強い奴は何人も居た。なのに自分が勝利し、ここまで這い上がってこれたのは何故だ。


 ディッツは己自身にそう問い掛ける。

 心臓が燃え盛る炎で焼き尽くされた様に熱くなっていく。血液が沸騰寸前にまで熱くたぎっている。

 それは怒りだ。強い奴に出くわした時に、自分の中に芽生える怯えに対する怒り。そして自分より強い奴が存在すると言う嫉妬。その感情に呑まれそうになると必ず思い出す幼少時代の記憶。


 親に捨てられ、食い物を奪い奪われ、銃声と血と叫び声の毎日―― 妬み、怒り、貧困、飢え、暴力、裏切り、絶望。それらを思い出すと血液が全身の毛穴から噴出しそうになるほどに、熱いマグマとなって全身を駆け抜けていく。


 その瞬間、胸の一番奥深くにある心が燃え盛る太陽へと変貌し全ての細胞が臨戦態勢へと切り替わっていく。


 ディッツは突進した。

 地面を蹴り上げて、蝶々を目掛けて弾丸のように一直線に――

 彼の頭上に群がっていた蟲たちがその驚異的なスピードに追いつけずに振り放される。


 しかし蝶々は突進してくるディッツを見ても顔色一つ変えず、ただ赤いコートの前を広げるだけだ。するとその中から待っていましたと言わんばかりの蟲の大群が一斉に飛び出していく。

 その数は500……1000……2000と一気に膨れ上がっていき、モーター音の様な羽音が重低音の咆哮を上げて、黒い壁となってディッツの前に立ちふさがった。


 しかしディッツはひるまない。

 彼は蟲の盾の直前まで接近すると、左足のつま先を力強く地面に突き刺した。そして車一台程の大きさをした土の塊を地面からえぐり出して、それを蟲で出来た壁に向かって蹴り上げた。


 と同時にディッツも跳躍して、土の塊の死角に身を隠して正面突破を試みる。

 そしてまさに蟲の壁に接触しようとした瞬間に、土の塊に渾身の右拳を叩き込んだ。圧倒的な破壊力で粉砕された土の塊がまるで爆発でもしたかのように、四方八方へ飛び散って蟲の大群を弾き飛ばした。


 いや、弾き飛んだのは一部だけで残りの蟲たちは自らの意思で霧散していたようだ。それを証明するかのように、蟲たちは即座に幾つかの集団を形成し、それぞれの群れが一列隊形を組んでまるで触手のようにディッツへと襲い掛かった。


「ぐはっ!」


 ディッツは激痛に思わず声を上げた。

 前後左右から襲い掛かってきたおよそ1500匹近い蟲たちが一斉に全身の皮膚に食らいついてきたからだ。体中のあちこちが食い破られて体内に蟲たちが侵入してくるおぞましさと激痛にディッツは堪らずに地面を転がりまわった。

 獰猛な勢いは止まる事を知らず、ディッツは自分の体の輪郭が目にも止まらない速さで変形しつつ、体表面積を失いつつあることをまさに肌身で感じていた。


 こ、これが蟲使いの力……


 ディッツは自分という存在が抉り取られていく激痛と朦朧とする意識の中で泣いていた。いや泣き笑いしていた。

 あと数分もすれば自分の肉体はこの蟲どもに食い散らかされて跡形も無くなってしまうだろう。

 この圧倒的な力量の差に絶望すると同時に何故か堪らなく嬉しかった。

 宇宙は広く、世界は深い。

 だからこそ全身全霊をかけて戦う甲斐がある。

 ディッツは叫んだ。


「クレトーッ!」 


 と。その名を叫ぶと同時にグラウンドのスプリンクラーが一斉に放水を始めたかと思うと、宙に舞った水滴がまるで意思があるかの様に、ありえない動きでディッツの元へ集まっていく。


 そしてその水のスフィアは一度大きく空中へジャンプすると、滝のように降り注いでディッツの全身に群がっていた蟲の大群を洗い落とした。蟲たちは即座に体勢を立て直してもう一度ディッツに襲い掛かるが、奇妙な水はまた再集結してスフィアになるとその内部にディッツを取り込んでしまう。しかもスフィアの表面は高速で回転しており、蟲たちの侵入を許さない。


「クレト……!? では森の死体はいったい……?」


 蝶々は顔に珍しく動揺の色を滲ませて、目の前のスフィアを睨んでいた。そのスフィアの中で全身の皮膚の80パーセント以上を失い、筋肉と骨を露出させて血塗れになっているディッツが不敵に微笑んでいた。


「蟲使い、まだ勝負はついてねえぜ! てめえだけは絶対に跪かせねえと気が済まねえんだよ!」


 ディッツを内包したスフィアが高速回転しながら突進を開始する。

 蟲たちが蝶々の前に集結して壁を作るが、その回転に次々と弾き飛ばされていく。

 しかし蝶々は間合いを詰めさせまいと後退しながら、コートの下から更に1000匹近い蟲たちを繰り出した。

 その直後、蝶々が突然崩れるようにして片膝をついた。

 それと同時にディッツを含んだスフィアが突然進路を変えて、一気に蝶々から離れていく。


「ひはー、今日はこれで勘弁しといてやるぜ蟲使い! 今度会ったときは容赦しねえからな!」


 と捨て台詞を残して、ディッツを乗せたスフィアは客席を滑るようにして上がっていくと、そのまま一気に跳躍してスタジアムの外へと消えていった。

 




 蝶々は片膝をついた状態で自分の左肩の後ろを見た。

 そこには細長い物体が深々と突き刺さっており、右手で一気に抜き取って確認するとそれは明らかに肋骨の一部と思われた。


 先ほどあのスフィアが接近して来た時に、一瞬の隙をついて投げてきたものだった。

 恐らくスフィアに突撃した蟲たちの影を死角として利用し肋骨を投げる姿を悟らせず、さらにこちらが第二波の蟲たちを繰り出す時のわすがな動きの停止を狙っていたに違いない。


 蝶々と蟲たちは常にテレパシーで交信していたが、背後から思いもかけない攻撃を食らってしまったことで宿主の一瞬の心の乱れが蟲たちにも伝わり、蟲たちはディッツとスフィアの追跡よりも宿主の護衛を優先してしまったために、結局あの二人を取り逃がしてしまった。


 蝶々の瞳に怒りの色が走り抜けると、握り締めていた肋骨が拳の中で折れた。それは自分自身の甘さへの怒りだった。未熟すぎるが故に沢山の蟲たちを失い、自らも傷を負ってしまった事が許せない。


 蝶々は気を取り直してグラウンドに残された女王の元へ歩み寄ろうとして、崩れる様に片膝をついた。


「お蝶さん――!?」


 今まで遠くの物陰で見守っていた本田が異変を察して、蝶々の元へと駆け寄ってくる。

 その姿が霞んで見えて、蝶々は軽く頭を振った。

 どうやら骨には毒が塗ってあったらしい。

 敵はこちらが思った以上に狡猾で手強いようだ。

 蝶々は自分の甘さを呪う様に舌打ちをした。


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