レポート16
目覚めると、油蝉の鳴き声とゆっくりと流れていく入道雲が見えた。
私はその日、朝から胸を高鳴らせて窓際で両親の乗る宇宙船を探していた。そしていつの間にか、ロッキングチェアの静かな揺れと温かな日差しのせいで居眠りしてしまったらしい。
今日は姉と初めて対面をする日。私は9歳になるまで一度も姉の顔を見た事がなかった。家の中には一枚の写真も無く、それが当たり前なんだと思っていた。
姉は特殊な病気の為に地球を離れて遥か遠くの惑星へ療養に行っていたのだ。その姉が今日久し振りに我が家へ帰ってくる。明日から何をして遊ぼうか。
その時、ドアが開いた。私は弾かれた様に振り向いた。そして心臓を鷲掴みにされた。
立っていたのは全身を包帯に巻かれた少女だったからだ。
少女とわかったのは赤いワンピースと赤いロングヘアのせいだった。背は私より頭一つ分大きいくらいだろうか。
少女の顔は包帯に巻かれている為わからない。ただ右目だけ露出していて、赤い瞳が私を冷たく睨んでいる。
「……あなたが玉子……?」
少女が籠った声で聞いてくる。私はただ頷くだけだった。
「そう…… 私はテティラ。地球名が蝶々。あなたのお姉さんなんだって……」
姉はゆっくりと近付いてきて、顔の包帯をほどき始めた。切れ長の瞳が探る様な視線で私を覗き込んでいる。包帯が全てほどけると、額の縦一文字の傷があらわになった。私はその傷を見て思わず短い悲鳴をもらした。
「見て…… 玉子には無いの、傷が……? 私には一杯あるのに……体中に次から次へと浮かんでくるんだよ。この傷は誰にも直せないんだって……」
私は怖くなって部屋を飛び出そうとしていた。姉を名乗る少女が私の腕を掴む。恐ろしい程の力で。包帯を通じて伝わる少女の体温と肉体の質感に、私は悲鳴を上げていた。
「ふふ、パパとママはまだ宇宙船の中だから聞こえないわ。ねえ、何故玉子じゃなくて私なの……?」
「知らない! 私は何も知らないよ、離して! 離してよ!」
「だまりなさい!」
姉は私の頬をぶつと、鬼の様な形相で私の両肩を掴んで激しく揺さぶる。
「――さっき悲鳴をあげたでしょ!? 私が怖いの?この傷を見たから? 私のこと何も知らないくせに。ねえ、全然怖くないんだよ。友達だって一杯できるんだから――玉子にも紹介してあげるから仲良くしてね。皆で一緒に遊ぼうよ」
私の目の前で、姉の額の傷がぱかりと開く。そしてその傷口から貧毛類に似た全長20センチ程の生物が、次から次へと這いずり出てきて床に落ちていく。
私は絶叫していた。ありったけの力を込めて、喉がつぶれても構わないくらいに。
「玉子なんか嫌いなんだから……」
姉が悲しそうな顔を浮かべて、そう呟いた様な気がした。
蟲使い――
その言葉を初めて聞いたのは、姉と会った次の日に母親の口からだった。
姉貴は生後まもなく体中に無数の傷が自然発生した為、蟲使いの兆候だと察知した祖父が、古いつてを頼りに蟲使いの元へ預けたのだと言う。
母親は私を抱き締めて今まで黙っていた事を謝った。蟲使いの力の発現はランダムであり能力の制御もとても難しいのだと言う。宿主――この言葉が適切かどうか知らないが――と蟲の愛称が悪い場合、全身の傷は拡大し続けて、最終的に傷に喰われてしまう事もあるらしい。
その傷がどこに繋がり、蟲たちがどこからやって来るのかいまだ解明されていない。蟲使いたちさえもわからないのだと言う。
ただ古来より傷が現われた者は傷に喰われて消え去るか、蟲たちを使いこなして特異な能力を発揮するかのどちらかで、人々に忌み嫌われた存在だったらしい。
母親も初めての子供に蟲使いの力が発現して困惑していたはずだ。黙っていた事に私は怒りを感じるなんて事はなかった。
ただ姉が恐ろしかっただけだ。
姉は運命に対する憎悪の矛先を全て私に向けてきた。部屋に鍵をかけて私と二人きりになった後で、傷口から延々と吐き出される蟲たちを見せつけられた事が何度もあった。部屋の中が胸の辺りまで蟲で埋もれ、いつも父親か母親が壁を突き破って助けに来てくれた。
またある時は自宅の裏にある崖から突き落とされた事もあった。
姉は私を殺そうとしていた。私にも同じ傷を作ってあげると言って、包丁を手に追い回された事もあった。いつも不安定で憎悪と殺意の塊だった。氷の様に冷たくて炎の様に熱く、ナイフみたいに鋭く尖ってガラスの様に脆くて壊れやすい、そんな姉が怖かった。
いつも息を潜めて、彼女の影に怯える地獄の様な毎日は、ある日突然幕を閉じた。
私が発病したのだ。突然、激しい動機と息切れに襲われて、ひどい時には気を失ってしまう。カンナニラ銀河から呼び寄せた医師も原因がわからないとサジを投げ、とにかく激しい運動は控えなさいとだけ言い残して帰っていった。その日私の夢は終わったのだ。
ベッドで寝ていると姉がやって来て、いつもの感情の凍りついた顔で私を見下ろしていた。
「玉子は愚図で弱虫で泣いてばかりいるから、どうせハンターになんてなれっこないわ……」
その呟きを最後に姉のイジメはピタリと止んだ。私への単なる同情なのか、運命に対する憎悪が消えたのかはわからない。姉の中でどういった心境の変化があったのか知るよしはなかったが、私たちは普通に仲の悪い姉妹として平穏な日々を過ごした。
それからの姉は成長と共に蟲使いの能力に磨きをかけて、十四歳でハンターライセンスを取得した。
それに引き換え、私はただのコンプレックスの塊に成り果てていた……




