レポート13
こけし人形が屋上から飛び立ってもう三十分が過ぎようとしていた。
その間、柊葉月は胡坐をかいてずっと目を閉じたまま一言も発せず瞑想状態のままで、私は話しかけて集中力を乱すわけにもいかずじっと息を潜めて様子を伺っていた。
そんな彼女に異変が起きたのは五分くらい前からだった。
胸の前で合わせていた両手が小刻みに震え始めて、眼球が激しく動いているのが閉じた瞼の上からでもわかった。
時折、眉根を寄せて掠れた短い声を漏らしている。
同姓の私が見ても色っぽいと感じるその表情を見ていると、つい恥ずかしさで居心地の悪さを感じてしまう。
しかし苦しそうな表情を浮かべている彼女を見ていると居ても立ってもいられなくて、声をかけようかどうしようか迷っていると――
「ひゃん……っ!」
突然、柊葉月の身体が床に額をぶつけそうな程にくの字に折れ曲がったかと思うと、今度は弾かれた様に後ろ側にのけ反った。その反動でスカートがめくれ上がって黒いパンティーが露になる。
「ち、ちょっと――!? パンツ丸見えよ、どうしたのいったい!?」
パンティーが丸見えな上に、色が黒色で、透け透けな感じのセクシーなデザインということでトリプルショックだったが、さらにこけしのワンポイントが入っているのを見つけてショックが加算される。
しかし彼女はまるで究極のブリッジに挑戦でもしようとするみたいに、身体をこれでもかとえび反りにして苦しみだす。白く長い足に筋肉の線が浮かび上がって、全力で上体を押しているので、私は彼女が首を痛めてしまわないように両手でしっかりと頭を肩を押さえつけていた。
厚い唇からは絞り出す様な呻き声と間隔が短くて激しい息遣いが漏れている。
そこで、ようやく私はただ事ではない事が起きたと理解する。
「ねえ、なにか私に出来ることはないの!? こんな状況じゃなにか言ってくれないとどうしていいのかわかんないよ……!」
「――逃げて!」
と、柊葉月は白目を剥いて絶叫した。
「え――!?」
刹那、上空から一筋の影が物凄い勢いで私たちの真横へと落下してきた。
振り向くと、そこには傾きかけた墓標の様に細長い物体がコンクリートに突き刺さっていて、それはつい先程ここから飛び立ったはずのからくりこけしだった。
しかし飛び立つ時は新品同様に新しいこけしだったのに、今では見るも無残に何かに引っ掻かれた様な傷が無数に走り所々塗装が剥がれ落ちていて、その為かまるでこけしの顔は何だか泣いている様にも見える。
そしてそのこけしの姿を見届ける様にして、柊葉月はぐったりと意識を失ってしまう。
「ち、ちょっと、何なの!? 一体ぜんたい何がどうなっているのよ!?」
私は柊葉月の両肩を揺すっていると、ふと何かの気配を感じて上空を見上げて息を呑んだ。
いつの間にかビルの上空一面にはスモッグの様な黒い塵が広がっていたからだ。
しかも黒い塵はまるで意思があるかの様に、屋上の面積とほぼ同じ広さの真四角のままでとどまっていた。状況から見てからくりこけしを追ってきた事は明白だった。
脳裏で黒い塵とこけしについていた無数の傷がリンクする。
瞬間、私の全身の血が液体窒素に触れたように凍りついていく。
黒い塵の中心部分がゆっくりと回転を始めて竜巻の様に目の前に降りてくると、それは除々にこけしの形へと変わっていった。
絶えずモーターが回る様な低周波の羽音が屋上一面を支配していた。その耳障りな音が私の心臓にきりきりと突き刺さり、冷や汗が頬を伝っていく。
私はその音に聞き覚えがあった。
こんな状況では宇宙広しと言えど一番会いたくない相手。同じ遺伝子を持つこと自体、私が神様を恨むべき根拠となりうる存在。
いや、それよりも何故、姉貴が柊葉月を……?
私のやわな脳ミソはパンク寸前だった。
それを察してか、目の前で寄り合ってこけしを形作っていた無数の蟲たちが今度は一軒の洋館へと姿を変えた。荒削りなモノトーンの彫刻のようなシルエットながらも玄関や窓まで再現していて、その病的な調教具合につい蟲たちに同情をしてしまう。
「わかった。家に戻ればいいのね……?」
私がそう呟くと、蟲たちは洋館からまた黒い塵となって、今度は床に突き刺さっているからくりこけしに一斉に群がり、そして再び黒い塵が上空へ舞い上がった時には、こけしの姿はもうそこにはなかった。多分何らかの理由でこけしを回収する様に指示があったのだ。
と、言う事は柊葉月も自宅に連れて行った方が良さそうだ。
「なに……? あなたの知り合いなわけ……?」
振り向くと、柊葉月が身体を半分起こして青冷めた顔でこちらを見ていた。
「ごめん、私の姉貴なんだ……」
「お姉さん……か、たく……」
と、彼女はまた地面に倒れ込む。
「大丈夫?」
「ダメみたい……。カラクリこけしを操ってる時は、私の思考とリンクしてるから、こけしが受けたダメージはほとんどが跳ね返ってくるの。実際に私の身体が傷つく訳じゃないけど……。ほら、怪物に襲われたり、高い所から落ちた夢を見た事がない? 例えるならあの感じの100万倍よ。こけしが無数の蟲に囲まれた時、悍ましさが全身を駆け抜けたわ。で、気絶しちゃった訳ね……」
柊葉月は血の気のない唇を歪める。
「でも、私は見たわよ……」
「え? なにを?」
「森の奥深くで、あなたのお姉さんらしい人に抱き上げられていた女の子……。あなたと同じ制服を着ていた……」
「――琴乃ちゃん!? なんで琴乃ちゃんが姉貴と!?」
私は思わず立上がり駆け出そうとしていた。その手を柊葉月の冷たい手が握る。
「こらこら、私を置いてくな。気持ちはわかるけれど、私もこけしを持っていかれたうえに蟲の大群にマインドレイプされかかっているんだからね。しかもあなたのお姉さんに……!」
と、静かな闘志を秘めた目で言うと、ケータイを取り出してどこかにかけ始める。
「あ、私よ。今どこ? 家? 30分後に迎えに来て。だめ、いいわ、そんなの放っておいて。こっちが優先よ。場所は――」
私はその高飛車な話し方に半ば呆然として聞き耳を立てていると、通話を終えた彼女が安心した様に大きく息を吐いた。
「さ、これで30分は休憩できるわ。ちょっと膝貸して。もう限界なの……」
「え?」
私は柊葉月に腕を引っ張られるまま地べたに正座をする。すると、彼女は私の膝の上に頭を乗せて、ものの数秒としないうちに静かな寝息をたてて眠り始めたのだった。




