レポート10
街から十数キロ離れた人気のない森の中を一人の少女が歩いていた。
セーラー服を着た黒髪の少女で、肩まで伸びたロングヘアが緩やかな風を受けて静かに揺れている。
その少女は桜木琴乃だった。
琴乃は聡明さが顔に滲み出ている美少女で、どちらかと言えば丸い顔の輪郭が温みを抱かせる。足場の悪い森の中を長時間歩いていたせいか、少し大きめの額には薄らと汗が滲んでいる。
もしも今誰かがこの森の中で彼女と出くわしたとしても、その細く華奢な体の中にもう一つの人格が存在するなどとは夢にも思わないだろう。
ただ何故平日の正午を少し過ぎた時間に、こんな所に居るのだろうと疑問を持つだけかもしれない。
しかし恐らく黒ぶちメガネの奥の瞳を見た瞬間に、そんな質問は出来ないと悟り言葉は喉を通って発せられる事はない筈だ。
何故ならその二つの目には他人を寄せ付けない力で漲っていたから。自信と信念に満ちあふれ、更に怒りを含んだような光はとても十代の少女の瞳とは思えない威圧感を発していた。当然それは琴乃自信による物ではなく、琴乃の中に居る何者かの意志の力の表れだ。
突然琴乃が立ち止まった。
樹齢百年は悠に越える太さのある杉の木の前だった。
その根元にもたれかかる様にして一つの人影が座り込んでいたが、人影は琴乃に気付かないのか、うなだれたまま顔を上げようとはしなかった。
「――ふん」
琴乃は人影に近付いて行くと、肩の辺りを右足で軽く蹴り飛ばした。
すると人影は崩れ落ちる様に倒れ込み、その顔が露になった。
最初に目を引いたのは顔の3分の2を占める大きな二つの赤い瞳だった。大きく見開かれた目は空を睨み付けていて、その赤い眼球の表面を数匹の蟻が這いずり回っている。
さらに赤い瞳の下には横に三つ並んだ楕円形の鼻孔があり、そのすぐ下にあるアヒルの様な嘴からは鋸の様な牙が覗いて見えた。そしてその異形の生物は人間に似た胴体と四肢を持ち、皮製品に似た材質のつなぎの様な黒い服を着ていて、琴乃の足下で仰向けのまま虚ろな視線で空を見つめている。
琴乃は無表情のままその死体を見下ろしていたが、その表情が怪物の左手に握られていた物体に気付いた瞬間、激情にかられた険しい顔つきに変わった。
「――やはりお前が……この裏切り者めっ……! 親子代々に渡って築いてきた名誉と信用を一時の気の迷いでフイにしおって、なんと愚かなことを……!」
そう吐き捨てると、しばしの沈黙の後でゆっくりと周囲を見回して、
「……遺体を埋葬してやれ。故郷へ連れて帰るわけには行かないが、この辺境の地で弔ってやるのがせめてもの情け……」
琴乃のその言葉に反応するかの様に、背後の木陰や草陰がざわめき出す。
そこには確かに何かが居る気配があったが姿は一切見えず、ただ草木が揺れて葉が擦れる音に混じって、あちこちで落ち葉を踏み締める音が沸き起こるだけだ。それも数えきれない程の数で――
すると、その姿の見えない大群の移動する気配が一斉に止まり、森は一気に静寂に包まれた。
その周囲の気配に気付いて、琴乃は訝しむ顔つきで辺りを見渡した。
ふと視線が止まる。と同時に姿の見えない大群が再度動きだして、大勢の足音が琴乃を守るかの様に取り囲んだ。
「貴様は何者だ。なぜそこに居る!」
琴乃が投げ掛けたその言葉の先には一人の少女が立っていた。
いつからそこに居たのか、緩やかな傾斜が続く斜面を上りきった所にいつの間にか立っていて、琴乃を無表情で見下ろしていたのだ。
その女は赤かった。
腰まで伸びた髪も、着ているレザーコートも赤かく、それらが木漏れ日を反射しているために光の粒子がきらきらと舞っていて、まるで女の全身が赤い光の膜に包まれている様だった。
そしてその少女の顔は透き通る様に白く、美しい。ただ一つ額の中央にある縦一文字の傷を除いて――
「そういうあなたこそこんな所でなにを……? 随分と可愛いお供をたくさん引き連れているみたいだけれど?」
赤い女が微笑んで言う。血の様に赤いルージュを塗った唇には薄らと微笑みが浮かんでいたが、切れ長の二つの目からは温度が感じられない。まるで氷で出来た瞳のようだ。
「貴様もこの星の者ではないのか!? だがちょうどいい。我々は時間が惜しい。少し手荒い手段で尋問させてもらうぞ!」
と、琴乃が左手を上げると、周囲の木陰から射撃音とともに一筋の青い光が伸びた。
赤い少女を気絶させて捕獲するために出力を下げて放出されたレーザー光だったが、何故か少女の手前で霧散してしまう。
琴乃が目を凝らしてよく見てみると、いつの間にか赤い少女の周囲に黒い塵のようなものが無数に漂っていて、どうやらレーザーはその塵によって遮られたらしい。
「残念だったわね。私は誰にも従わないし従わせさせない。だから答えなさい、ここで何をしていたのかを――」
しかし琴乃は少女の問いを無視して、もう一度手を上げる。周囲の草むらからまた青いレーザーが今度は数発発射されるが、先ほどと同じように黒い塵に遮られてしまう。
それどころか黒い塵の密度はどんどん増していき、やがて少女の全身をすっぽりと覆いこむように広がっていき、さならがらそれは黒い繭のようにも見えた。
そこで初めて琴乃の顔に動揺の色が浮かんだ。
「――まさか貴様、蟲使いか!」
「……私の命運を握るのはこの蟲たちだけで十分。――誰にも私の意志を、行動を束縛はさせない。私を怒らせた代償は高くつくわよ……!」
黒い繭の中で赤い少女はそう呟きながら両手を広げると、赤いコートの袖口からは全長3センチ程の黒い蟲が何十匹も這いずり出てきては、黒い四枚羽を広げて女の周りを飛び始めている。
そう、黒い塵に見えたのはこの蟲の大群だったのだ。しかも蟲は袖口だけでなく、裾から見えている女の足を伝って地面にまで広がって黒い染みを作り上げていたのだ。
一体この数百匹もの蟲たちはどこに潜んでいたと言うのか。まさか女の体自体が黒い蟲たちを生み落としているとでも言うのか。
「まさか、こんな辺境の星で呪われた種族に出会うとは……!」
琴乃の顔から血の気が消え失せて、絶望的な眼差しで眼前に広がる蟲の大群を見ていた。




