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白銀月夜の狼  作者: 露草緋織
2章 葛藤
8/15

2-1

 その日、彼女は階段を上っていた。両手に二冊の本を抱えて。

 長い長い階段をようやく登り終えると、ジュリアナは軽く肩で息を吐きながら、部屋の扉を細い腕で開けた。

 途端、視界には沢山の本たちが飛び込んでくる。

 そう、ここはエアルドレッド屋敷の図書室。図書室にしては広すぎる気もするが、隙間は全くなく本棚が部屋の空間すべてを埋め尽くしている。

「同じ年頃の子弟なら遊びほうけているのに。あの子が無駄に時間を潰しているのは見たことが無いわ」

 上までびっしりと本が詰まった、高い本棚を見上げながらジュリアナはほうっと息をついた。彼女が気に病んでいるのは、弟・カーティスのことである。カーティスはずっと勉学に励み(まくって)、最近よく図書室に通っているというのを、弟専属の侍女に聞いたのである。図書室に来るたび、弟の熱心さを想いだし、頭が下がる。

 ジュリアナは借りている本があったので、図書室へ返しに来た。別に期限などはないし、気に入った本ならば返さなくても支障はないが、ジュリアナは「もし、私のほかにも読みたい人がいるかもしれない」と考え、毎回毎回返しにくるのだ。兄たちによく「あれだけ膨大な本があるのだし、使用するのも我が屋敷の人間だけで興味は皆違うのだから、そういう心配はしなくていい」と笑うが、ジュリアナはそういう問題ではないと思っている。

 大きく広い、寂寥感溢れるこの図書室。静まりすぎて怖いくらい。

 ジュリアナは舞踏に関する書籍を、元の本棚に戻そうとする。しかしジュリアナの背丈より高い位置なので手どころか指先すら届かない。前は背がおそろしく高い侍女に取ってもらったのだが、今日は一人で来たのだ。踏み台があれば、問題は解決するのに。と執事たちに提案してみたのだが「足を踏み外されて、御怪我でもなされては危険です。ただでさえ、貴婦人の靴は不安定ですのに」と一蹴された。

「……ん~っ。……え、あっ」

 ジュリアナの呻きは途中で驚きに変わった。


「兄さま!」

 ジュリアナの後ろに兄がいた。一歳年上の次兄のスタンレーだ。ジュリアナが届かなかった本を元の位置に戻してくれたのだ。

「え、あら、ランスロット兄さまも?」

 スタンレーの後ろに長兄・ランスロット(ジュリアナとは三歳離れている)の姿もあり、ジュリアナは驚いた。次兄のスタンレーは背が高く体格がいい。ランスロットは、その背に隠れるような格好になっていたので見えなかったのだ。

 しかしこの二人が共に図書室を訪れるとは珍しい。ランスロットは次期当主ということで、それに恥じぬよう研鑽を積んでいる。スタンレーは軍人になるべく、過去の戦記で戦術を学び、最近は剣や乗馬に勤しんでいる。聞いたところによると、二か月後に行われる軍学校の受験を受けるらしい。

 そんな忙しい二人が揃って図書室を訪れるとはどういう意図であろう。まさかジュリアナを助けに来たわけではあるまい。

「どうしましたの、お二人揃って。何かお探しですか?」

 ジュリアナが尋ねると、ランスロットが一歩を踏み出した。エアルドレッド家遺伝の金色の髪が踊る。背こそ弟のスタンレーに劣るが、その威厳に満ちた顔つきと態度は周りの者が安易に近づけない、堂々とした雰囲気がある。スタンレーとはまた違う風格である。これこそ伯爵家当主に相応しいといえよう。

「いや、別にたいしたことではないのだがな。スタンレーと意見が分裂してしまって」

 分裂? 何か揉めるようなことがあったのだろうか。

 ジュリアナが心配そうな怪訝な表情を兄たちに向けると、ランスロットが大仰に胸の前で手を振った。

「違うぞジュリアナ。そんなたいそうなことではない。スタンレーがぐちぐちしつこいから、兄としてこいつの間違いを正してやろうと思ってな。書物で白黒はっきりつけるためにここに来たんだ」

「そうなのですか。では私はお邪魔にならないよう、これで失礼致します」

 一礼して踵を返そうとしたジュリアナを、ランスロットは素早く引き留めた。

「ジュリアナがいたのならわざわざ調べるまでもない。ジュリアナ、聡明な妹としてスタンレーの無知をなおしてやってくれ」

「はぁ……。私がお答えできることであれば」

 兄さまに指摘できるところなんかこれっぽっちも見当たらないのに。ジュリアナは二人の兄を交互に見やりながら、困惑した。

「それで、どのようなことでしょうか?」

 ジュリアナが不安げに訊くと、二人の兄は声を揃えた。

「月さ!」


「つきぃ?」

 思いもしなかった単語に、ジュリアナは思いっきり怪訝な声を出してしまった。それから、はたと気づいて片手で自分の口を塞いだ。

 もう成人近い二人の兄が何故そのようなことで揉めるのかと、ジュリアナは首を傾げた。

「ジュリアナ、月は東か西か、どちらから昇る?」

 訊いてからランスロットは勝ち誇ったような笑みを、スタンレーは真摯に硬い表情を浮かべた。

 迫られた華奢な妹は、今だ事態がうまく把握できず当惑しながら己の知識を探った。

「東から昇り、西へ沈む……というのが常識ではないかと……」

 敢えて直接的な断言は避けたが、ランスロットは勝利者めいた口調で、後ろに突っ立っていた弟を振り返った。

「ほらみろ! 俺が正しかったじゃないか」

 スタンレーは味方がいなくなったことにないしてか、自分の意見が違っていたことにたいしてか、ギリリと頑丈そうな歯で歯ぎしりした。

 しかしすぐに悔しそうな態度を捨て、お門違いにジュリアナに反駁した。

「でも太陽は東から西に沈むんだろ? だったら月は西から東に沈まないとおかしい」

 ? 何でそうなるの?

 ジュリアナはどう返答してよいものかと詰まった。ランスロットも弟の主張を聴いていただろうに、理解できん、と苦笑い。

 しばらく考え込んだジュリアナは、試しにスタンレーに訊いてみた。

「もしかして兄さまは、太陽と月を同一の存在だと思っていらっしゃらない?」

 流石に違うわよね。と自分が愚問をしたことに申し訳なさを感じたが、

「えっ、同じじゃないのか!?」

 ……この兄は、実に面白い人であることが分かった。


「……~ですから、月は東から西へ昇るのです。正しくは私たちがそう見えているだけですけど」

 説明だけでは分からぬだろうと、ジュリアナは懇切丁寧に手振りまでつけて結論づけてやった。

 スタンレーはどうやら太陽と月が同じだと勘違いしていたようであった。昼間は太陽、夜間には月に変化し地上を照らしている、という具合に。

 始めこそは腑に落ちない、という雰囲気が素で出ていたスタンレーであったが、ジュリアナの説明を聴いてようやく納得したらしい。ふむふむ、と頷いて「説明ご苦労!」と大声で自分が理解できたことを告げた。もしかすれば、羞恥心を隠すためだったかもしれないが。

 二人の呆れた苦笑いに、しばらくしてだんだんスタンレーは萎れてきた。ランスロットは苦笑いをやめ、兄としてやんわりと、しかし厳しく叱った。

「お前は軍人になるのだろう。この程度のことを知らなかったといことは勉強不足ということだ」

 しかし、軍人にはそのような知識を得る必要がありません。

 兄の喝に完全に俯いてしまったスタンレーは、いつもの威厳を忘れてきてしまったかのようだ。しかし、口調ははっきり険を帯びていた。

「何を言う。もし月や星の知識もなく、方角を示す磁針も無かった場合、孤軍と化したときどうするつもりなのだ。例え一人になったとしてもお前は自分の位置が掴めるのか」

 諭すランスロットにも険がある。ジュリアナは兄弟喧嘩でも始める気なのか、とハラハラした。

「だいたいお前は甘い。自分が貴族出身だと舐めているのではないか? 確かに今、貴族は士官の地位をおおかた約束されている。しかしそれも今だけだ。何故なら最近農民の受験者も増えている。無能な貴族を優遇するほど、この国は腐ってはいないはずだ」

 それに、と彼は続ける。

「お前もよく分かっているだろう。無能な将が軍を率いればどうなるか。たった一人の一つの判断が、何万人もの尊い命を奪うことだってあるのだ」

 命の話を持ち出されて、スタンレーはぐっと言葉を失った。過去の戦記を調べ、頭に置いているだけに鋭く刺さったにちがいない。

 しかしただ萎れているだけの人物ではない。すぐに立ち直り、顔を上げランスロットに宣言した。

「兄上の仰られた通り、俺は油断していました。これから武学だけでなく、他の学問にも尽力します!」

 スタンレーはさっと腰を下り、軍人の鑑のような一礼をすると図書室を大股に去って行った。


「あいつは素直でいいな。軍人だけに限らないが、他の意見を聞き入れられる奴は立派だ」

 ランスロットは弟が去って行った方向を見ながら、表情を緩めた。

 それを見て、びくびくしていたジュリアナは安堵の息を吐いた。

「もう、兄さまたちったら。一時はどうなることかと思いましたわ。隅っこの妹の存在を忘れて怒気丸出しにしないでください」

 半べそ状態のジュリアナは、ランスロットを軽く睨んだ。

「ああ、すまない。つい熱が入ってしまってな。だがあいつには判ってもらわなければならないことだったのだ」

 妙に寂しそうに話すランスロットに、ジュリアナは思わず口を開いた。

「でもスタンレー兄さまはよく御存知だったと思いますわ」

 あれだけ戦術を勉強している方ですもの。

「……だろうな。あいつはいずれ、部下や幕僚の意見も大事にする良い上官になるだろう。それが良い指揮官となるかどうかは別だが」

 すこしの沈黙をおき、遥か頭上の天井を見上げる。

「……我が国の軍は、新鮮な血を欲している」

 突然の兄の発言に、ジュリアナは意味を掴み損ねた。

「それは、どういう」

 意味ですか、と訊く前に聡いジュリアナは理解した。

「戦争に、なるのですか」

 知らずに声が震えた。

 戦争になれば、この国は、兄は……?

「そうだ。それもそう遠い未来のことではない。だから貴族であろうと農民であろうと、とにかく若い兵を必要としているのだ」

 否定してくれ、とジュリアナの願いもむなしく、ランスロットはきっぱり言い切った。

 ランスロット曰く、戦争になったときの為にいち早く優秀な兵を生み出さねばならない。そのために軍学校は官費になったという。毎日食うことすら危ぶまれる農民は、ただで衣食住が保障されている軍学校に入学を決意するらしい。

 しかし畑を耕していただけの農民は、国や王への忠誠が薄い。中にはまったくない者もいる。

 その農民たちの訓練や士気をあげるためには、多くの時間を必要とする。

 だから兵への教育は一日でも早い方がよいのだ、とランスロットは言う。

『国を護るのは、この国に住んでいる者だ』

 ランスロットは厳かに呟くと、図書室を出て行った。


 図書室に一人残されたジュリアナ。

 想像もしていなかった事実に打ちのめされた。

 図書室に返しに来た二冊の本。

 一冊は舞踏の本。そしてもう一冊は勉強の合間に休憩するための、恋愛小説だった。

 自分がいかに世の中の出来事に無関心なのかが、証明されたようだった。

 次兄が月のことを詳しく知らなかったことに対して、ジュリアナは心のどこかで小馬鹿にしたわけではないが「そんなことも知らなかったの?」と思っていた。

 が、違った。二人は目指しているところはそれぞれ違うが、自分たちなりに国について思案していて、そしてそれに自分がどう関わっていくのかを明確にしようとしている。

 ランスロットはスタンレーを無知だと叱った。そしてスタンレーは屈辱だろうが、無知を認め、今以上に勉学に励むと言った。

 じゃあ、私は?

 私は何をしていた?

 兄さまたちは多忙に追われても思案を続けていた。でも私は自分のことだけ考えて、何も考えていなかった。

 あまつさえ、空いた時間に娯楽なんて。

 

 考えることをしない人間が娯楽を嗜むと、『楽』だけを追求するようになるんです。

 

 かつて、あまりに勉強をしすぎなカーティスに訊いたことがあった。「たまには頭を休めて、楽しい物語でも読めばいいんじゃない?」

 その時カーティスはそう答えたのだった。

 今考えれば自分の発言がどれだけ幼稚だったのか。

 カーティスは別にジュリアナのことを指したのではないだろうが、「考えない」人間はまさに自分のことだ。

 時間は人を待ってはくれないのだ。

 その貴重な時間の間にどれだけ成長するのか。

 きっとそれは、その人間がどれだけ思考したかを表す。

 ジュリアナは、兄が戻してくれた一冊を四苦八苦しながら抜き取った。そして「娯楽」を一番奥の本棚になおした。




***



「白銀は私たちの誇り。それ以外の色はどれほど華美であろうと、美しくはないのだ……」

 

 きっと、きっとまた逢える。

 もう何色でもいいから―――……。

 

これでエアルドレッド4兄弟、全員が書けましたー。

皆可愛いです。

大人になっても子供でいてほしい。

 

ちなみに上から、

長男・ランスロット(19)次期伯爵家当主。

二男・スタンレー(17)軍人志望。

長女・ジュリアナ(16)もうすぐ社交界デビュー。

三男・カーティス(13)ガリ勉少年。


……カーティスだけなんか酷いですね。

でもそれもまた愛情(?)。


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