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人間など絶対に信用しない。できるはずがない。
何故なら自分から大切なものを奪ったから。人間がに足を踏み入れたせいで、彼の森から生物は消えてしまった。我ら種族を残して。
白銀は我らの象徴であり、誇りである。それを失わされた。愚劣な奴らにだ。しかも奴らは、あいつまで。あいつにまで傷を負わせたのだ。
あいつは今もきっと何処かで、独りで耐えているのだろう。あの時交わした、実現しない約束を守るために。
「……さま。お客さま。ご注文の品をお持ちいたしました」
ハッと顔を上げると、盆に飲み物を乗せた女性店員が立っていた。
肘をついて考えごとをしていたので店員が来たことに気付かなかったようだ。女性は職業柄上、終始にこやかな表情を保っていたが、眼が笑っていなかった。どうやら相当イライラしたらしい。
すみません、と小さく首を下げると店員は勝ち誇ったような笑みを浮かべて去って行った。サービスが命の喫茶店のくせに。どんな躾けされてんだ、と店員が去った方向を睨み付ける。その時目が合った小さな女の子が、ビクッと顔を引き攣らせて泣き出した。母親らしき人が「どうしたのエメリン。何怖いものでも見たの?」
癒されるために来たっつーのに、何でこんな胸クソ悪い目に。
気分を害し、運ばれてきた熱い紅茶を一気に飲み干す。バン、とカップをテーブルに叩きおくと、周りの客が一斉に静まり返った。好奇心のある者は何事か、とチラチラとこちらを伺う。
見るんだったらこそこそしないで、凝視すりゃあいいじゃねーか。とささくれながら大股で店を出る。ちょっとした気まぐれでガラスドアごしに店内を見回すと、皆安堵したかのように笑顔で談笑を再開していた。
人間はこれだから嫌なんだ。度胸もないくせに、安心と平和だけを貪り求めやがる。しかも『自分さえよければいい』としか考えてないから余計に性質が悪い。
眉根を寄せながら街を歩くと(この街は人々で賑わって、酷いときには身動きがとれなくなると有名)、一瞬で自分の周りから人だかりが消えた。男女問わず道の端で立ち止まり、こちらを凝視しながらヒソヒソと囁きあっている。そいつらの顔の醜さといったら! こんな奴らの顔がよく劇や店のポスターにのれるな。人間社会の『美』の基準は、全くもって理解不明である。
舌打ちをしながら歩き続けると、やがて目当ての店についていた。
相変わらず陰気くさい店だな。
明るく賑わう店たちから弾きだされたように、ひっそりと開店看板を掲げているこの店。
日陰に建設されているためか、湿って苔や蔦が群がるように蔓延っている。掃除していないのかと不潔に思われがちだが(思う人はいるのだろうか)、『幽霊屋敷』と噂されるこの店にはこの程度の方が、適格な雰囲気を醸し出していると思う。
帽子の上に落ちてきた埃を払い落しながら、腐りかけている木のドアを押した。するとギギギ……、と不吉な音を立ててドアは珍しい客人を招き入れた。
「おお、旦那ぁ。遅かったですねぇ、待ってたんですよ」
滅多にない来客に顔を綻ばせるは、この店の亭主と思しき男。中年で中肉中背。眼は萌黄色の若干つり目。笑うと出来るえくぼが、彼を狐に近づけさせる。
「あれは終わったか」
声のトーンを落として喋るとたいてい怖がられるのだが、この狐亭主は全く恐れない。
「ええ、終わりましたよ。今お返しいたしますね」
使い古した木の香りがする木製の棚がある。その棚には、怪しげな雰囲気の薬品や鉱物が無造作に収納されている。いや、無造作ではないようだ。その証拠に狐亭主はそこにひっこむと、迷わずひとつの置き場から何かを手に取った。
それを丁寧に大事そうに、血管が浮かび出たごつごつした手に包む。
狐亭主が歩くと同時に、所々苔が生えた木の床がギイギイと音を立てた。
「どうだ」
すると狐亭主は、指に鉱物のような物を挟んで透かしながら、
「はぁ、鑑定はしてみたんですがねぇ。何せここの機械も古いですし、何より俺も見たことがねぇんでねぇ。店中の図鑑を漁ったんですが、判別がつきませんでした」
客人がギロッと睨んだが、狐亭主は意に介する風もなくのんびりと笑って見せた。
「まぁ俺にはよく分かりません。鉱物学者の女房なら分かったかもしれないですがね。残念なことに15年ほど前に死に別れてしまいましたが」
全く表情を変えずに、ニコニコ顔の狐亭主。客人に雪で創られたように白く染まった鉱物を手渡す。客人はそれを受け取る。
そのとき、狐亭主は瞠目した。
穢れのない純白の鉱物が、客人の細長い指に触れた途端、血のような濃い赤に染め上げられていったからだ。
普段は驚きを顔に出すことはないのだが、流石に今回ばかりはそうはいかなかった。
息をのむ気配が伝わったのだろう、客人は美麗な顔を酷く歪ませた。
狐亭主は場を執り成そうと、努めて明るい表情と声で、
「いやはや、素晴らしい鉱石ですな。貴方さまを主人と認めているんでしょうな。それにその色は旦那の赤い髪とお揃いで……」
その時、狐亭主は目の前で確かに見た。
幼い子供のころ、母にいって聞かされ恐れ震えあがった『悪魔』を。
もう近頃は全く無縁だった焦りと汗が大量に噴き出た。
「………赤髪とお揃い、か。途中で口を噤んで正解だったな。……もし『似合っている』とでも言っていようものなら………」
お前は今、屍と化していたぞ。
赤髪が逆立ち、かぶっていた黒い帽子が床に落ちた。
切れ味最恐の眼のナイフで屠られたように、狐亭主は己の内臓から血が噴き出してきたかのように思えて、思わず片手を腹に当てた。
燃え盛る火の髪と夜の月のような冷淡な濃蒼色の瞳が、こちらを噛み殺さんとばかりに激しい憎悪を丸出しにしている。
狐亭主は恐ろしさのあまり、しばらく沈黙していた。しかし悪魔だったとしても客は客。汗をさり気無くふき取ると、軽く会釈した。
やがて赤毛の客人は、あけすけの憎悪を引っ込めると平常の顔に戻った。
狐亭主は少年のようだと思った。客人は背の高さと体格の良さで歳が読みにくかったが、顔には少年の香が残っている。『悪魔』を見た後だったので、落差が大きかったためだろう。
客人が帽子を拾い上げて、目深にかぶる。そのまま踵を返して木の(腐りかけ)ドアを押したので、狐亭主は慌てて声を掛けた。
「ありがとうございました。またのご来店お待ちしております」
頭を下げ、眼でちらりと客人を見遣る。
すると客人はもう既に店を去ったあとだった。
三脚テーブルに、鉱物鑑定代を置いて。銀のコインが何かを伝えるように、眩しく光っていた。
***
「何なんだよ、フェリシアの奴っ!」
家路につき屋敷の自室に戻ったカーティスは、珍しく荒れた仕草で扉を閉めた。
誰に対して愚痴かといえば―――言わずもがなの白銀の髪の少女、フェリシアだ。
あのあと―――フェリシアに抱き着かれ、「探してほしいことがあるので、一緒に探してくれないか」と言われたあと。
フェリシアにはこっぴどい態度ばかり受けていたので、カーティスは心が寄ってくれたのかと正直嬉しかった。
しかし彼女は突然地面にうずくまった。左眼を強く押さえていた。詳しいことは不明だが、どうやら左眼が急に痛み出したらしい。
カーティスは慌てて抱き寄せて顔色をみようとしたが、フェリシアはぐったりしていた。意識がなかったようであった。カーティスは驚いて、飛びつくようにフェリシアの脈を調べた。首はあまりにも冷たかったので、手首に触れて脈を計った。何処が脈打つ血管なのかいまいち分からなくて、しばらくあたふたしたが、指先に伝わる鼓動を感じると、ほぅっと息を吐いて安堵した。
それからしばらく、フェリシアは目を覚まさなかった。カーティスはフェリシアの長い睫毛を眺めながら、複雑な想いで彼女が目覚めるのを待った。
カーティスは退屈になったので、フェリシアの長い白銀の髪を弄んでいると、
『……何をやっている』
フェリシアが、不機嫌そうに非常に不機嫌そうに低い声を出した。
閉じていた瞳は両方ともぱっちり開いていて、カーティスをぎろりと睨んだ。
カーティスは苦笑いしながら、『あんまり綺麗だったから、つい。ごめんね』と謝った。
すると、フェリシアは力のない細い手でカーティスの腕を振り払った。全く痛くなかったが、カーティスは思わず腕を引っ込めた。フェリシアのその手は、はっきりとカーティスを拒絶していた。
フェリシアは立ち上がると、カーティスに背を向けた。そして小さく、
『……去れ』
カーティスは聞き間違いかと思った。だってさっきまであんなに僕に、心を許してくれていたじゃないか。なのに、何故急に手の平を返すようなことを言うの?
愕然とするカーティスにフェリシアはさらに追い打ちをかけた。
『去れ、と言ったのが聞こえなかったのか? ……私はお前が』
そこでいったんフェリシアは言葉を切った。
ファリシアはくるりと半回転して、カーティスに向き直った。
『嫌いなのだ』
声の軸を微動だにせず、はっきり彼女は言い切った。
その瞳は、何かを強く激しく恨んでいるような、もう二度と取り戻せない何かを悼むような、複雑な色を帯びていた。
大変遅くなりました。
理由は沢山あるのですが……。
一つの大きな要因としては、校内駅伝・マラソン大会があったからです。
寒い中の長距離は大嫌いです。
来年もあるなんて、嫌だあぁぁあぁぁあぁ――――!!