1-5
『行くな、何処へも。……お前だけは』
『ああ、いるとも。私たちは、2人でひとつなのだから』
『……私たちにとって、幸せとは何なのだろう』
『はたして幸せはあるのだろうか』
『―――……いつまでも……共に』
***
「ああ、もうここでいい、降ろしてくれ!」
森まではまだ少しあるが、カーティス自身の疼きが声を作っていた。
えっ、ここで? とグレアムが言うより早くカーティスは馬車から転がり出た。その弾みで、靴先を扉付近で思い切りぶつけてしまったが、痛みを知覚野にのぼらせる時間を与えている暇はない。
今日より澄みわたった空を、カーティスは生まれてから見たことが無い。いつもは寒くて凍えてしまいそうなのを防ぐために着こんだ服は暑くてしょうがないくらい。走りながら、身体中が汗を吹きだしているのが分かる。
数日前まで雪しかなかったくせに、あんなに積もっていたのに。快晴だからとはいえ、何でたった半日程度で溶けかけようとしてるんだ。
『私は厳寒の地でないければ生きられないのだ』
哀愁を漂わせながら、そう呟いた少女の顔が忘れられない。頭からこびり付いて離れない。
その姿を脳裏に思い浮かべると、不安で心配で。
雪の彫刻で創られたかの如き少女は、―――溶けていないだろうか、と。
「フェリシア! 君はどこにいるんだ!?」
カーティスの悲痛な叫びは、木々が空気を吸うかのように吸い取ってしまった。
***
銃身から飛び出た弾丸は、真っ赤な血を引きずり出した。
一瞬だった。
生まれ持った素質と、鍛えぬいた反射を持ってしても視界に捉えることは出来なかった。
何がどうなったのかは理解できなかった。
片手で片眼にそっと手を当てる。その手に染みついたものをもう片方の眼で見つめる。
そのとき初めて何が起こったのかが分かった。脳が、そして身体中が全てを理解した。しばらくの間沈黙していた痛みは、患部に集中する。
『フェリシアッ!』
甲高い悲鳴が辺りに響くが、そんなことにまで精神を割けるほど、この身体が頑丈でないことを思い知る。
なんだ、所詮やはり寿命ある生物だったのか。それでは生み出された意味が。
『おのれ、よくも―――! 思い知れ、下劣で下等な者よ!』
駄目だ、そんなことをしては。
薄れゆく意識の中で、感情に任せて暴れまわるもう一人の自分をみた。
そこにいたのは人々が魔界の住人と恐れ、蔑んできた獣の姿であった。
感情を制御する機能が備わっていない獣は、暴れ狂い己の全てを出し尽くすまで止まることはない。たとえ、同胞であったとしてもくい止めることは不可能だ。
誰であっても暴走を止められない。それ故に、獣と畏怖されるのだ。姿だけでなく、中身までも狂暴な血と細胞で埋め尽くされているのだと。
しかし、それではいけないのだ。
それでは、我らはこれからもずっと誰からも信用されない。
助かるために、生きるために、折れることは必要なのだ。怒りや憎しみといった感情を手放さなければならないのだ。
『……何ということを。やはりお前らには無理なことであったか。……咎人は消え去るほか道はない―――!』
やめてくれ。そいつを私からとらないでくれ。
私にはもう何もない。何も、誰かのぬくもりでさえも。
二人でずっとずっと共に寄り添い、生きると約束したのだ。だから……。
「私たちを離れさせないでくれ、孤独は嫌だ、独りにしないで……!」
***
森を走り回ってようやく見つけた。
自らをフェリシア、と名乗り、雪のように冷たい少女を。
彼女のそばに慌てて駆け寄ると、白銀の髪の少女はカーティスに抱き着いた。というより縋り付いた。
「孤独は嫌だ、独りにしないで……!」
彼女は泣いていた。水が氷を溶かしてしまうかの如く、大粒の涙が頬を伝う。普段は真っ白な顔を真っ赤に染め、声を押し殺しながら泣く少女は、どこにでもいる普通の少女と変わらない。しかし、カーティスはあることに気付いた。
右眼からしか涙が出ていないのだ。左眼からは涙の一滴、いや液体の前兆すらない。
すると、カーティスに抱き着いていた重さが更に一段と軽くなった。ファリシアの身体の力が抜けたようである。
「フェリシア……?」
彼女は気を失っていた。右の睫毛に雫を残して。カーティスはそっとそれを拭ってやった。
どのくらい二人はそうしていただろう。
ふとフェリシアは自分の近くに温かいぬくもりを感じて目をそぅっと開けた。どうやら泣いていたようで右の目元が腫れて少し痛い。
隣りにいたのは、
ああ、きてくれたのか。待ち焦がれた、再会の日。もう孤独に震えることはないのだな。
か細い指で、目を閉じている彼の顔にそっと触れる。壊れて消えてしまわないように、優しく。
自然と涙が零れてとまらなかった。ずっと逢いたかった。逢いたくて逢いたくて。でも、これからはずっと一緒に。もうこれからは。
「………離れないからな」
「随分と大胆だね、フェリシア」
? 声が違……?
「!!??」
フェリシアは目を瞠った。何故だ。さきほどまでここにいたのは……。
「あっはは、女性にこんなに思い切り抱き着かれたことないからねぇ。とりあえず離れる? このままでいる?」
みると、身を乗り出して自分がカーティスに馬乗り状態に近くなっていた。フェリシアは慌てて飛びのいて、目の前の少年から素早く距離をとった。
「なななな、何で貴様がここに……!?」
顔を林檎色に染めて、パニックを起こしているフェリシアにカーティスは笑って答える。
「いやぁ、今日は晴天だから雪ごと君が溶けちゃわないかって心配になって飛んできたんだけど。いきなり飛びついてきたからビックリしたよ。そのまま君が寝ちゃうから、僕も君が目覚めるまで一緒に寝てたってわけ」
「………」
フェリシアはどう反応していいかさっぱり分からず、ただただ閉口した。
「結構寝心地良かったよ、柔らかかったし。まさに白いクリームみたいにさ」
「だだだだ黙れっ! 私は断じてそんな破廉恥なことは……!」
フェリシアは反駁する力を取り戻し、手近にあった、雪玉をカーティスに思い切り投げつけた。しかし、彼はそれをいとも簡単に避けてしまう。
「してないっていうの? 自分から抱き着いてきたくせに?」
そこを突かれると痛い。しかし途中からの記憶が、誰かに封じられてしまったかのようで全くない。
フェリシアが撃沈すると、カーティスは笑って彼女を引き寄せた。抵抗してみたが、上手く力が入らない。
カーティスの腕にすっぽり収まると、フェリシアは途端に大人しくなった。剥き出しの華奢な肩が小さく震えている。
カーティスは雲が珍しく少ない澄んだ空を見上げながら、問うた。
「……つらいことがあったの……?」
フェリシアは、肩を震わせるだけで何も言わない。右眼から転がり落ちた涙が、ポト、と地に落ちる。
瞬間、雪が刃のように堅く鋭く凍りついた。それは線が走るように伝線し、辺りを雪ではなく氷に造り変えていく。
スケートリンクになった場を、カーティスはしばらく瞠目していた。しかし少し時間が立つと、シュウッと音が鳴り初め―――水は地に吸い込まれて、辺りは完全に元の雪景色に戻った。
「………フェリシア、そういえばまだ君にブローチのお礼をしていなかったよね。何か欲しいものとかない?」
フェリシアが落ち着き始めるのを見計らって、カーティスは小さく声を掛けた。
フェリシアが腕の中で動かず喋らずなので、カーティスは何か外しただろうか、と少し心配になってきた。
「…………い」
「え?」
余りにも突然で消えそうな小さな声だったので、カーティスはフェリシアの声を聴きそびれた。
もう一度言って、と頼むとフェリシアは少々不機嫌になったようで、カーティスの胸を思い切り押して彼の腕から逃れた。
濃蒼色の瞳は真っ直ぐに見据える。そして、先程のべそとは打って変わって居丈高に声を張り上げた。
「私の願いはただ一つ! 探してほしいことがあるのだ。お前、私と共に探してくれないか」
白銀の髪が、一本一本獣のように逆立ってみえた。
更新のろまですみません。
期末やっとこさ終わりました!
もう勉強なんてしたくないっ!