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雲の切れ端まで隅々みえる。草木がかすかに揺れる程度に風が吹く。鳥たちが木や空で大合唱。
そして、最近灰色一色だった空に、色鮮やかな青が戻った。そう、今日はこの寒い地方じゃ滅多にない、晴天の日だ。
雲や霧に邪魔されず、本領発揮の太陽から光が溢れ漏れだしている。それは、カーテンを切り裂く勢いで、窓から差し込む。
本来なら踊り子ならば、舞の一つや二つ舞うところなのだ。
が。……カーティスはそれのおかげで目が覚めた。
カーティスの場合、一度目が覚めるとスイッチが入ってしまうのか、二度寝は出来ない。侍女や教師は褒め称えてくれるが、ティファニー曰く「二度寝より心地よいものはないよ~。カーティスはしないの? えっ、できないのぉ? ……へー、すごいね。―――ねぇそれって嫌味?」らしい。このティファニーの後者のひねくれ具合は、後ろにブライスが立っていたからだろう。
自分の体温ですっかり温かくなった布団を剥いで、もそもそと寝台から下りる。枕は寝るときと変わっていない。寝相は良すぎるくらいだ。……とティファニーに言ってみたら睨まれた。
ああ、今日は正直ゆっくり寝ていたかったなぁ。昨日はあんなに遅かったんだから。
というのは、昨日ブローチの礼で、ティファニーが訪ねてきたからである。
「カーティスさま。先日は寒い中御手を煩わせてしまい、大変申し訳ありませんでした。……ほら、お嬢さまからもきちんとお礼と謝罪をなさい。カーティスさまにご迷惑をたぁーっぷり掛けたのですからね」
『たっぷり』をかなり強調する背景には自分の失態を巻き髪少女に理解させるためだろう。
黒縁メガネでティファニーを叱る様は、家庭教師そのものだ(実際そうである)。
ブライスさんって……、役にハマりすぎ。
カーティスは、苦笑いで子爵令嬢と家庭教師を眺める。
「お嬢さま。前にしっかりお立ちになって。……何をなさっておいでなのですか」
ティファニーはブライスの後ろで、何やら指をごにょごにょと動かしていた。ブライスの背中に垂れた黒髪を指に巻きつけているようである。呆れ顔になったブライスはティファニーの腕を、強引に引っ張ってブライスの前に立たせた。
ティファニーは顔を上げず、床を睨み付けている。
「……お嬢さま」
これで何度目なのか分かっているのか、と言わんばかりのため息で、ブライスはティファニーの肩に手を置いた。
それでもティファニーは視線を上げない。よく見れば、大理石の床に雫の粒が。
上げられなかったのだ。ティファニーの小さな身体は小刻みに震え、小さな嗚咽が漏れていた。
カーティスはそんな従兄妹を見て、腰を落とした。目線を合わせるために。
「ティファニー。もう泣かないで。……ブローチなら戻ってきたじゃないか。ね?」
優しくあやすように声を掛けてやると、ティファニーの堰は切れたようである。本格的に泣き声を上げ始めた。
カーティスは巻き髪少女の濡れた目元を拭ってやる。しかし拭いても拭いてもその目元は乾かない。
「どうしたの、何か傷ついているのかい?」
「……ウゥッ、だってぇ……ヒッ、ぅ、カーティス、怒ってたじゃない。……フッぅ、あの食事したときぃ……。すっごく、すっごく怒ってたじゃない。……ティファニー、……どうあやまっていいのか、……分かんない、の……」
食事のとき? ああ、そうか。ティファニーは、
「勘違いしちゃったのか。違うよ、ティファニー。あのときはね、怒ってたんじゃないよ。君のブローチのことが心配だったから……」
ティファニーのブローチをカイルが外で失くしてしまった夜の食事のとき(ジュリアナの誕生日)。ブローチはティファニーの祖母の遺品で、大変高価な物である。だが、それ以前にベックフォード家、おばあちゃん子だったティファニーの大切な物だと知っていた。だからもし、誰かに盗られてしまったら。あのまま見つからなかったら。とカーティスは心配していたのである。それでつい、難しい顔をしてしまっていた。それを見たティファニーが「怒ってる」と、思い間違えたのだろう。
普段温和なカーティスが怒るなど、ティファニーには信じられなかった。だから、どう謝ればいいのか、分からなくなってしまった。と、涙ながらで話すティファニーの言葉からカーティスは繋ぎ合わせた。
ブライスはそっとティファニーの肩から手を外した。
「バカだねティファニー。僕はそんなことで怒ったりしないよ。……怒ってないから泣き止んで」
「……本当に?」
ティファニーは目を潤ませながら、小さな声で問い返した。
「ああ、本当さ」
微笑みながら抱きしめてやると、ようやくティファニーは落ち着き始めた。
腕を解いて立ち上げると、ブライスがそっとカーティスに囁いた。
「……流石ですね。素晴らしい。このお嬢さまの憤懣を爆発せずに慰撫できるとは。屋敷中を探しても、貴方様に勝る方はいらっしゃいません。素晴らしい、実に素晴らしい。私も見習わせていただきます」
素晴らしい、素晴らしいと連呼するさまは、日頃巻き髪少女にどれだけ手を焼いているかをよく表していた。
ブライスさん、必死になりすぎると駄目ですよ。押しちゃだめです、引くんですよ。
と余計だろうが(ブライスはプライドが高い。ことに教育に関しては)つけたしてやると、ブライスは意外に、
「非常に参考になります。ありがとうございます」
と一礼してみせた。
……その後ティファニーはベックフォード家に戻るのかと思いきや、
「ティファニー、今日はカーティスの屋敷にいたい! だってベックフォードに帰っても誰もティファニーの話聞いてくれる人いないんだもん……。ねぇ、ブライスいいでしょ?」
来たときとは打って変わって、ティファニーは笑顔全開だ。
しかし、ブライスは顔面にレンガをくらったような顔をして、動かなくなっていた。これは恐らくショックを受けている顔だ。「話を聞いてくれる人がいない……? おかしい、私は毎日聴いて差し上げているのに……」とブツブツ呟いていたので、カーティスは必死に執り成した。
「そんなわけないだろう、ティファニー。ブライスさんだってちゃんと……」
「ううん。ブライスはすぐ『消灯の時間です。おやすみなさいませ』だけ言ってすぐ電気消しちゃうんだもん」
言葉を用意していたかのように、カーティスの言葉を途中でぶった切った。
ブライスは完全に固まっているのを見て、カーティスはまた苦笑い。
……ベックフォード家からもエアルドレッド家からも了承を得て、ティファニーはエアルドレッド家で一夜を過ごすこととなった。
しかし、結局はティファニーはベックフォード家に戻ることになった。
それは深夜のこと。
年が離れているとはいえ、カーティスとティファニーは異性なので同じ部屋で寝るわけにはいかない。そこで、ティファニーはジュリアナと一緒に就寝することになったのだが……。
カーティスが夢の真っただ中にいる中、扉を遠慮がちに叩く音がした。寝ぼけながらでも何となくわかった。この叩き方はジュリアナだ。で、ジュリアナがカーティスに用があるとすれば……。
「……ティファニーか」
予感は見事的中。ジュリアナが部屋に入ってきたとき伴われていたのは。
「夜分遅くに申し訳ないわね。……でもティファニーが」
「……ティファニー。何があったんだよ……」
ティファニーは何故か泣きじゃくっていた。目元は腫れているような気がする。
ティファニーが泣いて答えないので、ジュリアナが代わりに答える。
「……家が恋しいみたい。ブライス、ブライス、って呟いていたから……」
何だかんだ言って、やっぱり頼りになるのはブライスさんじゃないか。
「どうする? ティファニー、ブライスに迎えに来てもらう?」
ジュリアナが訊くと、ティファニーは僅かながら首を縦に動かした。
ジュリアナは執事を起こし、ティファニーの迎えを寄越すようにとベックフォード家に連絡を入れさせた。
ティファニーが馬車で帰るのを見届けると、カーティスもジュリアナも倦怠感が襲ってきた。それもそのはず、今は真夜中なのだ。しかもジュリアナはティファニーがグズっているのにも付き合っていたため、疲労は甚だしい。
「カーティス、もう寝ましょう。おやすみなさい」
「おやすみなさい、姉さま」
こうして2人はそれぞれの自室に引き上げて行った。
……というわけで、今日はぐっすり眠って朝寝坊していたかった。執事がその旨伝えてくれているはずなので、カーティスもジュリアナも今日は朝食は遅くても構わない。
「……とはいえ、二度寝は出来ないからなぁ……。よし、起きるか」
朝食を食べに食堂へ降りると、ジュリアナはもう食事を開始していた。
「おはようございます、姉さま。お早いですね」
「あら、おはよう、カーティス。実は私も寝られなくってね」
ジュリアナは微笑むと、カーティスに向かいの席に座るように促した。カーティスは素直にそれに従って椅子に腰かける。
ナイフとフォークを握って、食物を口に運ぶ。
今日の朝食は、朝遅いこともあって少なめに摂った(昼食が食べられなくなるので)。
「昨日はお互い大変だったわね。今日はゆっくり休んでちょうだい。……あら」
「どうかなさいました?」
「ええ、今日は雪が溶けてるな、と思って」
ジュリアナが窓の外に視線を向けたので、カーティスもそちらを伺う。
白銀の雪はほとんど溶けかけていて、新緑の草がちらほら見える……。って、
カーティスはまだ朝食途中なのに、ナイフとフォークを叩きつけるようにして食堂を飛び出した。
「え!? ちょっと、カーティス!?」
ジュリアナの絶叫が後ろで響いていた。
「グレアム! グレアム! 急で悪いけど馬車出してくれ!」
馬小屋で馬の毛並の手入れをしていたグレアムは、カーティスの声に振り返った。
「はぁ、いかがなされたのですかな」
「いいから、今すぐ! 行先は前の森で!」
急いでいるというのに、このグレアムの鈍感さは若干じれったい。
が、従順なグレアムはカーティスの顔色に気づき、弾かれたように慌てて馬車を出してきた。
カーティスはそれに乗り込むと、森へ急いだ。
白銀髪の少女―――フェリシアがいる森へ向かって。
急いで書いたので、誤字・脱字があるかもしれませんが、大目に見て下さい。