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白銀月夜の狼  作者: 露草緋織
1章 白銀との邂逅
3/15

1-2

 枯れ果てた木々。辺りを白に染め変える雪。

 この余りにも寒々しい森の中に、その少女はいた。


 ―――顔は人形の如く端整。筋が通っている高い鼻。小さな薄い唇。まさに十全十美という言葉が相応しい。肌は色が無いのかと疑うほど白い。少女が身に着けているのはあまりにも簡素な衣服だ。真っ白なワンピースのようなもので、膝丈ほどしかなく細い腕や脚が晒されている。

 髪は真っ直ぐで長く、小柄な少女を覆い隠すほどだ。

 すべてが『白銀』で統一されている身体に、唯一の『色』がある。

 瞳だ。濃蒼色で、獲物を捜しているかの如く爛々と危険な輝きを放っている。右眼がやけに。それはまるで、―――肉食獣。

 普通の生物なら一瞬で凍えてしまいそうなこの雪。しかし少女は無表情で雪の上に座り込んでいる。

 

 少女は、鈴が鳴るような涼やかな声で、


「探し物はこれか……? 朝早くからご苦労なことだな……」


 今にも折れてしまいそうな華奢な腕。指に何か光るような物を持って掲げていた。恐らくティファニーのブローチだろう。

 カーティスは暫らく言葉を失っていたが、ようやく声を喉から絞り出した。


「……ああ、そう、それだよ。無くして困ってたんだ。ありがとう、助かったよ……」

 カーティスは、少女の方へ震えながら手を伸ばした。震えているのは寒さからか、驚きからかは彼には分からなかった。

 カーティスと少女の指先が触れる。カーティスはぎょっとして眼を瞠った。

 手袋ごしだが、あまりにも冷たいのだ。雪と同等かそれ未満の冷たさ。氷でも触っているかのようだ。

 何だこの子は。人間なのか?

 カーティスにブローチを手渡すと、少女はもう用は終わったと言わんばかりに踵を返した。更にカーティスはその姿を見て驚いた。

 靴を穿いていなかった。裸足だったのだ。直で雪を踏みしめて大丈夫なのかと思ったが、赤くなっているわけでもなく、手足の色と変わらない。

 彼はとっさに、背を向けた少女に声を掛けた。


「ね、ねぇ! ブローチを拾ってくれたお礼がしたいんだけど! 時間、あるかな?」

 少女はぴたりと足を止めた。

 そして、ゆっくり、実にゆっくり首をこちらに向けた。


「……礼、時間。……構わぬ」


 と、単語だけを発した。

 その声の裏側に何やらありそうで、カーティスは身震いしたが少女の手を握った。

 やはり冷たく、放しそうになったが何とか持ちこたえた。彼はこの少女が孤児で森に放置されたのだと思い、少女が了承すればエアルドレッドの屋敷に置くつもりだった。

 手を繋いで歩いていたが、少女は何も喋らない。先程、少女の衣服が余りにも寒すぎると思ったので、首に巻いていたマフラーを差し出そうとした。しかし少女に「要らぬ」と一蹴された。それきりお互い一言も発しない。時間が立つのと比例して、どんどん沈黙が重くなってきたのでカーティスは思い切って少女に尋ねた。

「ねぇ君。……名前は?」

 やや沈黙が流れる。

 やがて少女は、完璧に整った顔の一部分の唇を動かした。


「……フェリシア、だ」




***



 

 3分ほど歩くと、待たせていた馬車が見えてきた。

 馬も流石に寒いのか微妙に身体を震わせている。御者もブルブルと震えながら外套をかき寄せている。

 カーティスは長い時間待たせていたことを非常に申し訳なく思い、小走りになって馬車に近づいた。

 

「遅くなってごめんなさい、グレアム!」

 大声で御者のグレアムに謝罪する。するとグレアムは顔にパッと赤みを散らせて微笑んだ。

「おお! カーティスぼっちゃま! なかなか戻られないので遭難でもなされたのかと……。もしそうなれば私は腹を切らねばならぬと……。ああ、ご無事で何よりでございます!」

 大袈裟だな。グレアムは感涙に咽んでいる。カーティスはポケットからハンカチを取り出すと、グレアムに手渡した。

「ありがとうございます、後で洗って必ずお返しいたします」

「いいよ、ハンカチならいつでも用意してもらえるし。ねぇ、お願いがあるんだけど、いいかな?」

「はい、何なりと」

 グレアムは目元を拭き終わると、ハンカチを丁寧に畳んだ。その間にカーティスは自分の後ろに隠れていた、少女フェリシアを前に連れ出した。フェリシアを目線を上にあげるように促す。

「おや、この子は一体……? それにしてもそのような粗末な衣服とは。乞食ですかな」

 グレアムもカーティスと同じことを考えたようだ。しかしその明け透けな言い方がフェリシアを傷つけないかと、カーティスは内心ヒヤヒヤしながら返事をした。

「いや、よくは分からないんだけど……。さっき森で出会ったんだよ。この子も屋敷に連れて帰ってもいいかな」

「はぁ……、それは私の権限ではありませんので何とも……。旦那さまに伺うしか……」

 言われてみれば確かにそうだ。父上のお考えを拝聴するか。

 カーティスはフェリシアを押し上げて先に馬車に乗らせる。自分も乗った後、扉を閉めた。

「あ、そうだグレアム。このままエアルドレッドの屋敷に帰らずに、ベックフォードの屋敷に寄ってくれる? ティファニーに渡すものがあるんだ」

 すぐさま「承知しましたぁ!」と上げ調子な了解の声が聞こえた。きっと鞭を振り下ろす直前だったのだろう。

 パシィッ、と馬を叩く音が辺りに響く。それを合図に馬車が走り出す。

 ふとカーティスは隣りの少女の横顔を伺う。すると彼女は美しい顔を、苦虫を噛み潰したかの如く酷く歪ませていた。




***



 ベックフォード家の呼び鈴を鳴らすと、少し時間がかかったが執事が応答した。

 ブローチをティファニーに渡してくれるように、と言付けてカーティスは巻き髪少女の屋敷を後にした。

 再び馬車に乗り込むとグレアムが「今日はやけに寒いですな」と声を掛けた。

 確かに。カーティスも、この馬車の中に居るよりも外に出ていた方が、まだマシだったような気がしていた。

 フェリシアが乗っているからだろうか。

 初対面のときから感じていること。それは、この銀髪少女が「冷気」という見えないオーラを纏っているようだ、ということ。まじまじと彼女を見つめていると、フェリシアは不機嫌になったらしい。ふん、と鼻をならせてそっぽを向いてしまった。

 カーティスはフェリシアに嫌われてしまったのかと、若干気を落としながら黙って馬の蹄の音に耳を傾けた。


「着いたよ、フェリシア。ここが僕の家さ。降りようか」

 立派な大邸宅の前に馬車が止まる。カーティスを出迎えようと、数人の侍女が門先で待っていた。カーティスは先に降りると、フェリシアに手を貸そうとした。しかし彼女が裸足だったということに気づき、傍に控えていた侍女に貴婦人用の靴を持ってくるように指示した。

 数分後、侍女が淡い桃色のセミ・パンプを抱えて戻ってきた。

「フェリシア。裸足のままじゃ寒いし、怪我するから靴を履いて。1人で出来るかい?」

 貧乏孤児なら、ヒールがある靴など履いたことがないだろうと気遣う。と、フェリシアはまたもや、ふんと鼻を鳴らして眉間に皺を寄せた。

 気遣われたのが気に障ったのか、とカーティスはこの少女をどう扱えばいいのか分からなくなった。

「…………ぬ」

「え?」

「私は靴など履かぬ。人間が作ったという物なら尚更な」

「そんなこと……。君も人間なんだろう?」

 人間なんだろう?

 途端フェリシアは、くっつきそうなほど眉根をぎゅっと寄せた。眼も鋭くなり、厳しい険のある表情になった。

「……やはり礼や詫びなどろくでもないな。人間など信用ならぬ」

 馬車の上から冷たい視線で冷たい声を投げる。

 フェリシアが口を開いたとき、カーティスは吃驚した。

 歯が尖っている―――牙が見えたような気がしたのだ。

 いやいや。流石に違うよな。瞳も体温も言動もおおよそ人間らしくないが、姿は人間そのもの。しかも怪物や妖怪などいるはずがない。カーティスは架空の生物は信じない性質(たち)なのだ。

 気を取り直してもう一度、フェリシアに話しかける。

「そんなこと言わないで。外は寒かっただろう? 屋敷の中なら暖かいから」

 すると彼女は、怒ったような哀しくて泣き出しそうな―――。何ともいえない表情をした。


「―――私はあの森を離れられない。私は厳寒の地でないと生きられないのだ」


 フェリシアは目の前にある靴を無視して、馬車を飛び降りようとした。

 しかし辺りがよく見えなかったのか、馬車の扉部分にぶつかって悲鳴を上げた。余りに痛かったのか、その場に蹲ってしまう。カーティスは慌てて彼女の顔を覗き込んだ。

「ちょっ、大丈夫!? どこ打ったの!?」

 真っ白い顔の額部分が、すこぉし赤くなっていた。カーティスがフェリシアの額部分に手を当てようとすると、彼女は細い腕で振り払った。

 そして呆気にとられているカーティスをはじめ、周りの侍女たちを尻目に自力で立ち上がる。今度こそ馬車から飛び降りると、侍女たちの静止も聞かずに走り出した。華奢な脚だが、恐ろしく速い。あっという間に視界から消えた。あの方向だと、今来た道だからあの極寒の森だろう。

 

「何なんだ……。フェリシア、君は一体……?」

 カーティスはフェリシアが走り去った方向を凝視しながらつぶやく。

 刹那、ゴオォッと強い吹雪が辺りを飲み込んだ。侍女たちが、キャアッと甲高い悲鳴を上げる。

 フェリシアの白銀の髪と同じ色の雪が、更に寒々しい冬へと誘う。

「さぁ、カーティスさま。お部屋に入りましょう。遅くなりましたが朝食もご用意してございます」

 侍女の一人が雪から眼を守るために、眼を窄めながらカーティスの背中を押した。

 カーティスは促されるまま、暖かい屋敷へと戻ったのだった。




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