2-5
意識が朦朧とする中、うっすらと聴こえてきたのは。
澄んだ少女の歌声だった。
それはこの国の古くから伝わる愛をテーマにした歌で、祖母から母、またその娘という風に身分問わず歌い継がれていく。「幼いときは意味が全く分からなかった」と、どの婦女子も口を揃えて言うらしい。
月よ、星よ、歩んできた道を照らして。
輪郭や色がはっきりと浮かび上がるように。
私のもとへ、愛しいあの人を導いて。
雪よ、花よ、美しい色は何ですか。
純白でも真紅でも濃蒼でもない。
私を、美しいあの人の色に染めかえて。
純潔よ、愛よ、優しく包み込んで下さい。
光を全て吸い込まれてしまってもいい。
私は、私の全てを貴方に捧げましょう。
透き通るような歌声が白銀の雪に映えていた。
耳が覚めていくと、徐々に身体全体が目覚め始めた。
意識が戻り始めて目を少し見開いたとき、一番最初に眼に入ったのは、こちらを哀しそうに見つめている濃蒼色の瞳だった。
次に手足、頭というような順序で自分の元の感触が治っていく。
あれ、頭が何か柔らかいものに乗っている……?
冷え切った指で、それが何なのか確かめるように探る。そのとき「うひゃあっ」と甲高い悲鳴が聞こえた。その後「……起きてるのか?」顔を覗き込まれるように、別の顔の陰が近づいてきたので慌てて開けかけた目を閉じる。
細長い指が顔に触れる。
内心びくついたものの、身体の反応は出さずに堪えた。
そこでようやく確信した。
フェリシアだ。
堂々としながらも時々透き通るこの声も、印象深い濃蒼色の瞳も、この触れ方も、この森に住む不思議な少女に重なった。
確信して起きて礼を言うべきだと思ったが、この前突き返された借りがある。『嫌いなのだ』と冷たく突き放されたときの。我ながらしつこいとは思うが、かなり傷ついたのだ。
フェリシアの膝に乗っている。即ちこれは男のほとんどが羨望の「膝枕」だ。
フェリシアは警戒し終わったのか、はふ、とため息をひとつだけ吐いて背筋をしゃんと伸ばした。動いた弾みで長い白銀の髪が顔にかかる。カーティスはその質感の良さに驚いた。貴族なら当たり前の絹よりも、滑らかで肌触りが良い。寝ている(ふり)を継続していながらも、カーティスは思わず手を伸ばした。指先がフェリシアの髪に触れる。フェリシアが、カーティスの突然の行動に驚いて身を引いた。が咎めることなく、大人しくカーティスの成すがままになっていた。
そこでやめておけばよいものを、カーティスはあまりの上質な髪が気に入り、調子に乗って長い髪を指に巻きつけたり放したりと遊び始めた。はじめこそは緘黙していたフェリシアだったが、だんだん我慢できなくなってきたのか、華奢な身体をわなつかせた。そしてまだ弄んでいる少年の指を、憎たらしく爪を立て思い切りつねった。
「うぎゃあ!!」
カーティスは痛さのあまり、勢いよく上体を起こした。そのとき、
ゴチン、と派手な音が辺りに響いた。
「いったぁ……、何するんだよ! フェ、リシ……」
カーティスはファリシアを睨もうとしたが、逆に吊り上った濃蒼色の瞳に睨まれてしまった。
ただごとではない雰囲気に焦りを覚える。
彼女は右手で顎を押さえてきた。
細い指の間から垣間見える。いつもなら白いはずの顔の顎が、赤くなっていた。どうやらカーティスが起き上がったとき、彼の頭がフェリシアの顎を打ちつけてしまったようであった。
フェリシアが短刀より鋭い瞳でカーティスの顔を捉える。それだけでカーティスは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
「……えっと、その……ごめんね」
「ごめんですむなら世の中はどこもかしこも安泰だな」
瞳と同じく鋭く明瞭な声を聞き、カーティスはとりあえず閉口した。余計なことを言わないためにだ。かつて兄に「女を怒らせたときはひたすら沈黙しているのが一番だ。何とか弁解しようとするな、火に油だ。己ではなく時間に任せろ」と言われたのを思い出したからだ。
「黙っているつもりか。いい度胸だな。私に膝枕までさせておいた分際で」
兄の言いつけを守ろうとしたが、この少女の場合黙っていた方が火に油のようなので、カーティスは開口した。
「膝枕してくれてありがとう。とても気持ちよかった……、ごふっ」
カーティスは眩暈がした。フェリシアがカーティスの頭を思い切りはたいたからである。
「未婚女性に対して『気持ちよかった』か。それは充分変態発言と取れるな。変態は撲滅すべきなのだ」
――華奢な手のくせに力は想像以上だった。
「だから、本当にごめんなさいって。どうすれば許してくれるのさ……」
あれから頬をふくらませたままのフェリシアに、カーティスは必死で許しを乞うていた。
いろいろと機嫌をとるように言ってみたが、彼女には通じなかった。こりゃ、なかなか手ごわいな。苦笑しながら、グレアムがここに来る直前に言っていたことを思い出す。
抱きしめます。
彼女が『嫌い』なら、もう一度私を『好き』になってくれないか、と頼みます。
今こそ実行するときが来た、とカーティスは実践に移した。
今だむっつりと怒っているフェリシアの華奢な上体に腕を回す。
そして紙一枚挟めないような密着した体勢になった。
「何をする!」
フェリシアは爪を立てて抵抗した。しかしカーティスも男である。必死で彼女の抵抗に抵抗した。フェリシアはしばらくカーティスの腕の中で暴れていたが、離れないと理解すると大人しくなった。カーティスは勝者のつもりでちらりとフェリシアの顔を一瞥する。すると彼女はこころなしか、顔がほんのり赤くなっていた。
……可愛い。
カーティスはグレアムの過去を真似ることにした。
「ねぇ、フェリシア。僕のこと、嫌い?」
しばらく沈黙が続いたが、
「……ああ嫌いだとも。変態野郎だからな」
そっぽを向いて口を尖らせた少女は小さな声で呟くように言った。
それって本当の本当に君の本心なの。さっき頬を染めていたくせに。
「変態行為をしたことは認めるよ。だから謝る。本当にごめんなさい」
でも、と彼は続ける。
「『嫌い』じゃなくて『好き』になってくれないかな。僕は今、心の底からそう望んでいる」
紳士らしく真摯に伝えたはずだったが、フェリシアの反応がないので駄目だったのか、と慌てる。そして抱きしめた少女を伺って、更に驚いた。
彼女は泣いていた。前見たときと同じ、右眼からだけ雫を滴らせている。
「えっ、どうしたの? ……やっぱり『好き』には、なれない……?」
もし本当だったら当分立ち直れないかもなぁ、と落胆しながら訊く。しばらく応答がなかったが、小さく白銀の髪が左右にゆらゆらと揺れた。
肯定ではないかもしれないが、否定の返事ではない。
「……私に変態行為をはたらいた罰として、しばらく私を抱きしめていろ」
素直ではない返事なのに、これほど嬉しい答えはなかった。
「うん」
出来る事なら、ずっとこのままでいたいと思う自分はやっぱり変態なのだろうか――……?
「……ありがとう」
相手が感謝の言葉を口にしたことは、お互い分からなかった。
二人の関係は進展…したでしょうか。
作者は恋愛小説というものを書いたことがないので、
不安だらけであります(恋愛だけじゃないけど)。
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