観察37:決断の日。分岐点
「という訳で雪奈。デートに行くぞ」
「…………ぇ?」
ある日の事。オレは雪奈をデートに誘った。
「なんだよ? 嫌なのか?」
だったら別に無理して行かなくてもいいんだが。
「いやいや! 行くけど!……でも何でいきなり? いつもは私が誘ってもなんだかんだで断るのに……」
「お前さ……今日が何の日か覚えてるか?」
「ぇ?……うん。今日はお兄ちゃんの――」
「その事を覚えてて何で忘れたとか言わせないからな?」
「?……何のこと?」
本当に忘れてるのか。普通、同じ日の事は関連付けて覚えるもんだと思うんだが……。
「はぁ……今日はお前の誕生日だろ?」
「へ?……ぁ、そうか。そう言えばそうだね」
まぁ、忘れたい日だろうけどな。
「とにかく、そういう訳だ。デートに行くぞ」
「うん。分かったけど……どこに行くの?」
「……そう言えば決めてなかった」
デートに行けば雪奈が喜びだろうと思って、具体的な事は何も考えてなかった。
「あはっ……お兄ちゃんってこういう所で抜けてるというか、可愛いというか」
「うるさいよ」
男に可愛いとか言うな。
「じゃあ、私が行きたい所でいいのかな?」
「いいけど……どこか行きたい所でもあるのか?」
「あるよ」
「ふーん……どこだよ?」
「そこはついてからのお楽しみなんだよ」
「はぁ……まぁいいけど……」
雪奈が行きたいと言うのであれば。
「それで……さ……」
「ん? なんだ?」
「今日だけでいいから……」
「いいから?」
「私の恋人になってください。ごっこじゃなくて本当の」
「……………………」
「1日……1日だけでいいから……ダメ……かな?」
「1日だけって……それはごっこと何が違うんだ?」
「違うよ……ぜんぜん違う」
「はぁ……分かったよ。雪奈は今日だけオレの恋人だ」
今日だけは。今日だけは特別だ。
「うん」
頷く雪奈と一緒に家をでる。少しだけ長い1日になりそうだ。
「それで? 結局来たのは公園かよ」
雪奈に連れられてきた場所は、近くの公園だった。
「うん。だって熟練のカップルは節約の為に公園で愛を確かめるものだってお姉ちゃんが」
アイツの知識、微妙にかたよってないか?
「というか、オレ達熟練じゃないし。金はあるから節約する必要ないし」
バイト代と小遣いで今日遊ぶくらいは余裕だ。……プレゼントの為にその半分以上は消えたけど。
「んー……でも公園でラブラブするのがけっこう夢だったんだよ」
安い夢だな。
「という訳でお兄ちゃん。とりあえずベンチに座ろう?」
「ん……ああ。分かった」
ベンチに座って何をするのか気になるけど。
「ねぇお兄ちゃん。膝枕だよ」
ベンチに座ってすぐ。雪奈がなんだか太ももの辺りを叩きながらそんなことを言う。
「膝枕? なんだよ。お前も相変わらず甘えん坊だな」
膝枕されたいなんて。
「違うよ!? ここはお兄ちゃんが私に膝枕される場面だよ!」
「……………は?」
「ここはお兄ちゃんが私に甘えて、私が『しょうがないなぁお兄ちゃんは……』って言う場面だよ」
「なぁ雪奈……ここは公園だぞ?」
「うん」
「周りには普通に人がいるんだぞ?」
「うん」
「そんなことできるわけないだろ?」
「出来るよ」
……恥ずかしいんだけど。
「……今日だけだからな?」
「えへへ……お兄ちゃんに膝枕。された事はあったけど、してあげた事はなかったよね?」
「そう……だな」
オレはそう言いながら恐る恐る頭を太ももにのせる。
(……やっぱり柔らかい)
というか、普通に気持ちいい。
「このまま眠ってもいいよ?」
「そう……だな」
本当に眠りそうだ。
「おやすみ。お兄ちゃん」
「あぁ……」
オレはそのまま目を閉じた。
「ん……あれ?」
目を開けると、夕暮れを背景にした雪奈の顔があった。
「お兄ちゃん? 起きたの?」
「雪……奈? 何で……って、ぁ……」
マジで眠ったのか。
「悪い……本気で眠ってた」
「もう夕方だもんね」
「……昼飯も食べてないよな?」
「一食分くらい大丈夫だよ」
それもそうだが……。せっかくのデートがそんなので雪奈はいいんだろうか。
「てか、足、痺れただろ?」
「えへへ……うん。少し……」
少しじゃないだろうに……。
「じゃああれだな……膝枕だな」
オレは太ももを叩き、くるようにうながす。
「……いいの?」
「今日はお前のすることは何でも許す」
「えへへ……お兄ちゃんが優しい」
「オレはいつも優しいだろ?」
オレは冗談のようにそう言う。
「うん……知ってるよ」
「…………はぁ」
オレは太ももにのせられた雪奈の頭を髪をすくように撫でながらため息をつく。どうやら雪奈は冗談ですませるつもりはないらしい。
「だって……お兄ちゃんと一番長く過ごしてきたのは私だもん」
「……そうだな」
「だから……私がお兄ちゃんのこと一番好きなんだよ」
「……………………」
オレは答えない。応えることは出来ない。
「だから……キスして欲しいんだよ」
「……またか」
「またなんだよ」
「……またデコチューでいいか?」
「そこはお兄ちゃんに任せようかな」
キス。雪奈はその行為に大きな意味を求めている。それはオレがなくしてしまったものだ。
(……だからオレは応えられない)
雪奈の事が好きだから。今のオレがは雪奈の想いに応えるには汚れすぎている。
(……こころはくだらないって言うだろうな)
あいつもまたくだらないことに囚われているから。
「……今日だけだからな」
だけど……今日だけは。今日だけは特別だから。雪奈の願いを叶えてあげる日だから。
(……特別の特別の日だから)
応えるべきじゃない。分かっているのにオレは自分に言い訳をする。
「……目を閉じろ」
オレの言葉に雪奈がゆっくりと目を閉じた。
(……ごめん)
それは誰に対しての謝罪だったのか。オレは罪悪感と共に雪奈に悲しいキスをした。
「それで? 次はどうする? もう帰るか?
キスの後。オレは雪奈にそう聞く。
「……お兄ちゃんてばあっさりしすぎなんだよ」
「なれてるからな」
嫌なくらいに。
「……次に行きたい所なのかな?」
何か言いたそうな顔をしながらも、雪奈は話を進める。
「あぁ。どこか行きたい所あるか?」
「んー……じゃあ一ヶ所だけ」
だったら、そこで渡せばいいかな。プレゼントは。
「んじゃ、暗くなるし行くか」
オレ達は公園を出た。
「……やっぱりここだったか」
雪奈に連れてこられた場所。そこはオレが想像していた場所だった。
「うん。だって今日は――」
ここは墓地。
「――お兄ちゃんの両親の命日だもん」
オレの両親が眠る場所。
(……七年か)
オレと雪奈の人生が大きく変わって。それだけの年月がたった。
「あれから七年もたったんだね」
「あぁ」
「おじさんとおばさん優しかったよね」
「そうだな」
うちの両親は本当に雪奈に甘かった。
「……いいのかな?」
「何がだ?」
「私が笑ってて」
「……何でだよ?」
「だって私のせいで……」
「お前、まだ心奈さんの……」
何度も言い聞かせたはずなのに。
「でも私の誕生日の日におじさん達……お母さんも……」
確かにあの日は偶然だとしてもいろいろ不幸な事が重なった。でも……。
「だからといって、お前が悪いわけないだろ」
いろいろ不幸が重なった日。それがただ雪奈の誕生日だった。ただそれだけだ。
「……うん。分かってるんだけどね」
言葉は人の心を縛る。あの日の心奈さんの言葉は今も雪奈の心を縛っていた。
「……百歩譲ってお前が悪いとしてもな」
縛られた心を解き放つ事はオレには出来ない。だから今は縛られたままの雪奈を救う言葉をやらないといけない。
「お前は笑ってていい。いや……笑ってなきゃいけないんだ」
「……どうして?」
「母さんと父さん。お前の笑顔が好きだったから。……お前が笑ってなきゃ悲しむんだよ」
だからオレは今日という日だけは雪奈の願いをなんでも聞いてあげる特別の日。雪奈と両親の為に全てを捧げる日。
(そして今年は……)
今年の今日という日は……。
「だからお兄ちゃんって私の誕生日の日はなんでも言うことを聞いてくれるんだね」
「そうだな」
「いいのかな?」
「オレの両親の事を思うんだったら笑え」
「あはは……」
「お前は瑞菜か」
「あはは…………っ……うぅ……」
「?……雪奈?」
泣いて……るのか?
「ご…めん……っ……笑えない……っ……よぉ……」
(……結局泣かしたな)
例年、この日は最後にここに来る。そして最後の最後で――母さん達の墓前で――雪奈は泣いてしまう。
「……だったら思いっきり泣け。そのかわり明日からは笑顔だ」
もはや定められいるようにオレは今年もこの言葉をかける。
(……結局オレじゃ救えないんだよ)
胸の中でなき続ける雪奈の頭を撫でながら、オレは思っていた。
もしも雪菜を救うことができたならオレは免罪符を手に入れることができるのにと。
「落ち着いたか?」
「……うん」
目が少し赤くなっているが、落ち着いてはいるようだ。
「じゃあ線香を上げるか」
「うん」
オレは何本かの線香に火をつけ、半分を雪奈に渡す。
(……やっぱり無理だったよ)
オレを墓前でそう母さん達に話しかける。
(もし今日雪奈を泣かさなければ……ずっと笑わす事ができたなら……)
考えても仕方ない事。オレには雪奈を救う事なんて出来ない。だからオレは覚悟を決めた。
(……またな。父さん、母さん)
母さん達に一時のお別れを告げ、オレは雪奈に振り向く。
「じゃあ帰るか」
「うん。分かった」
そう言って雪奈は家に向かって歩き始める。
「あー……雪奈。ちょっと待て」
「?……どうしたの?」
「ちょっと目を閉じてくれ」
「?……分かったけど」
不思議そうな顔をしながらも雪奈は目を閉じた。
「もしかして……キス?」
「残念ながら違う」
オレは用意していたペンダントを雪奈にかける。
「開けていいぞ」
「うん。……これって?」
「プレゼントだよ」
「ほ、本当に? お兄ちゃんが私にこんなプレゼントを?」
……確かに今まではそういうプレゼントは避けてたけどな。
「いらなかったら返せよ」
「それはありえないんだけど……本当にいいの? この真中にある宝石ってエメラルドだよね?」
「らしいな」
買う時に店員さんに説明された。
(……本当に高かった)
オレが雪奈のために買ったペンダント。それはひし形の枠に二つの宝石がはまっている物だった。エメラルドを中心にして、もう一つの宝石が周りを包んでいる。
「この周りにある宝石はなんて言うの?」
「確か……ホワイトトパーズだったかな?」
詳しくは知らないけど。
「よく分かんないけど綺麗だね」
「それはよかった」
「でも……どうしてこんなのを私に?」
「誕生日プレゼント……ただそれだけだよ」
「……本当に?」
「本当だよ。なんどもなんども疑うな」
「むぅ……なんだか怪しい」
「いいから。とっとと帰るぞ?」
あいつらが待ってんだから。
「うん。納得してないけど帰るよ」
オレ達は帰路についた。
「というわけで……雪奈、誕生日おめでとう!」
「おめでとう雪奈ちゃん」
家に帰り着き、オレ達がリビングに入ったところで、クラッカーの音と一緒に雪奈に祝いの言葉がかけられる。
「ぇ?……ぇと……ぇ?」
雪奈はいきなりの事に目を丸くしている。
「とりあえずありがとうって言っとけ」
「ぁ……うん。ありがとうお姉ちゃん。昔の人」
「どういたしまして」
「あはは……未だに私って昔の人なんだ……」
いや、落ち込むなよ瑞菜。気持ちは分かるけど今更だろ。
「でも驚いたよ……」
まぁ、それが目的だからな。
「とりあえず、サプライズパーティーは成功かな?」
「普通にね」
「あはは……大成功ではないんだね」
だって雪奈の反応が微妙だし。
「とにかく……後は思いっきり楽しむぞ」
これが最後だから。オレは、オレ達は夜遅くまで楽しんだ。
「……ねぇ、俊行」
「なんだよ? こころ」
宴も終わり、雪奈も瑞菜も帰ったころ。片付けも終わり、一段落ついた所で、こころに話しかけられた。
「なんで、あんなプレゼントを雪奈にしたの?」
「なんだよ? 今更。おかしかったか?」
「今までの俊行の雪奈に対する態度を見てたらね」
「まぁ……そうだな」
「どうしたの? 雪奈の気持ちを受け入れる事にしたの?」
「違う。その逆だ」
「逆って……」
「明日からオレは雪奈から距離をおくって事だ」
「なっ……本気で言ってんの!?」
「本気だよ。ずっと前からそうしようと思ってた」
オレじゃ、雪奈を救う事はできない。幸せにはできない。今日、改めて実感した。
「だから、お前に雪奈の事を頼むよ」
あいつが一人にならないように。
「なんでよ……なんでそう言う事になるのよ?」
「なぁ、こころ。お前は雪奈の涙を見たことがあるのか?」
「涙?……あんた、雪奈が泣いてるとこ見たことあるの?」
「ああ」
「だったら、なんでそんな事に……」
「?……だから、オレじゃあいつを幸せにできないって、そう思ったんだよ」
「……はぁ。やっぱ、あんた馬鹿だわ」
「分かってるよ」
こころの言いたいことは。でも……。
「いいえ。全然分かってない」
「なんだよ……いったい……」
「まぁ、いいわ。俊行がそう言うなら。雪奈の事頼まれてあげる」
「ん……あぁ」
なんか、納得いかないけど。
「せいぜい、雪奈に王子様が現れるのを祈っとくことね」
「ああ。そうする」
あいつを幸せにしてくれるような、そんな奴が。
「はぁ……」
ため息の後、こころが何か呟いたが、オレには聞こえなかった。