観察11:予感
「はぁー眠い……」
寝ぼけ眼で船を漕ぎながらオレは洗面所へ向かう。始業式があってから数日。新学期が始始まってから初の休日だ。
「ん……とひゆきおひゃよ」
ふらふらと歩いて洗面所につく。そこには髪を下ろしパジャマ姿で歯磨きしている美少女がいた。
「……とりあえず口のもの吐き出してから喋ってくれ」
ぼーっとしていた頭が一瞬で覚醒する。良くも悪くも美人というのは刺激が強い。
「ん……ごめんごめん。じゃあらためて。おはよう俊行」
「おはよう。こころ」
「どうだ?ここでの生活に慣れたか?」
休日の朝は雪奈がくるのが遅い。オレたちは自分で作った朝食を食べながら話をする。
「んー……慣れたというか思い出したというか……」
山野こころ。オレの同居人。雪奈のような中途半端な感じじゃなく、寝食を一緒に過ごす正真正銘の居候。
「部屋、そのままにしてくれてたから。すぐ馴染んだ」
こころがオレの家に住みこむのはこれが初めてじゃない。7年前にも同じように転がり込んできていた。
「なんで片付けなかったの?ずっと連絡なんてとってなかったし、また来るなんて確証なかったでしょうに」
「別に。これといって理由はないけど。まぁ片付けようとしたら雪奈がうるさいだろうしな」
「ふーん……じゃあ雪奈がいなかったら片付けてたんだ」
「いや、雪奈がいなければそもそもお前はここに住み込んだりしなかっただろうが」
オレとこころ。二人の間には絶対不変の共通項がある。それは雪奈の幸せを望んでいるということ。雪奈がいたからオレとこころは今の関係を築けた。そして同時にこころがいたからオレと雪奈は今の関係へとつながれた。
「……まぁありえない仮定だが、雪奈がいなくてもわざわざ片付けたりはしなかっただろうよ」
「ふふっ、やっぱり美少女との同居生活の痕跡をなくしたくないのね」
「あほ……片付けるのが面倒なだけだ」
軽口を叩き合う。気兼ねない関係が心地いい。
「そういえば休日って雪奈いつくらいにくるの?」
平日の雪奈は誰よりも早く起きてオレの家にくる。そして朝食を作りオレを起こす。最近はこれにこころが加わり、3人分の食事と2人の寝坊助を起こしていた。
「休日はまちまちだな。朝食食べてる途中だったり昼前だったり。まぁどんなに早くても朝食作ってる途中だな」
平日は頑張ってる分、休日の雪奈は結構だらける。一応雪奈の分の朝食も作っているんだがそれが昼食に回ることも少なくない。
「まぁ今日はお前が帰ってきて初めての休日だ。もうそろそろくるんじゃないか?……っとごちそうさま」
食事を終え食器を片付ける。こころも食べ終え、一緒に食器洗いまでささっと済ませた。
「ところで俊行。なんかいいアルバイト知らない?」
雪奈がくるまで手持ち無沙汰で適当にテレビを眺めていると、こころが話の種にとそう聞いてくる。
「アルバイト?知ってることには知ってるけど、何に必要なんだ?」
こころの境遇を考えると貯金等はできるだけしたほうがいいのかもしれないが、ここでの生活が始まってまだそんなに経ってない状況を押してまでする必要があるとは思えない。
「一応世話になってるからね。少しは食費とか渡そうと思ってね」
「食費? 要らないぞ別に。お前から貰うなら雪奈からも貰わないと」
朝昼晩の食費に光熱費。寝るとき以外いるからな。あの猫娘。中途半端だがかかるお金は普通の同居人と変わらない。
「雪奈から貰わないのは当たり前。兄妹なんだから。アタシは居候だから気分的に払わないと済まないのよ」
「気にしなくていいのに……」
「気にするの。それに少しは遊ぶ金も欲しいしね」
「ふーん……そう言えば学費とかどうなってんだ?」
「学費の方は口座引き落としだからアタシは感知してない」
だとしたらほんとに遊ぶための資金を稼げればいいか。
「けどバイトか……なんかこころがやれそうなやつあったかな」
「俊行はバイトしないの?」
「してるぞ。不定期だけど」
「……不定期で金稼げるの?」
「まぁ普通のバイトじゃないしな」
「なんだか気になるわね」
「機会があったら教えるよ。とりあえずこころのバイトについては知り合いに当たってみる」
「よろしく」
「お前くらい美人だったら飲食店系はほぼ受かるだろうし」
「当然よ」
自信満々に胸をはるこころ。恐ろしいのはそれが自信過剰じゃないこととその胸の大きさか。
「……目がいやらしいわよ俊行」
「心配するな。雪奈にも瑞菜にもないから珍しいだけだ」
雪奈は微妙だし、瑞菜はまな板だし。
「それ聞いたら雪奈は怒りそうね」
「瑞菜は泣きそうだな」
別にオレは胸が大きくても小さくてもどっちでもいいんだけど。
「けど、どうなの? 雪奈となんか最近進展あった?」
「進展って何だよ?お前がいなくなってからもずっと兄妹してるぞ」
「いや……そういうことじゃなくてね?……まぁ雪奈があの様子じゃ進展なんてあるわけないか」
「ああ。雪奈に恋愛なんてまだ早いって」
「私もそう思うけど……でも雪奈ももう高校生よ?例え雪奈が愛情に疎いとしても、恋愛してもおかしくないと思うんだけど」
「そうだとしても少なくとも今のオレに応える気はないぞ」
「なんで?好きなんでしょ?雪奈のこと。妹としてじゃなくて一人の女の子として」
「……黙秘」
「それって好きだって言ってるようなものよ?」
「うるさいよ」
分かってんだよ。自分の気持ちは誰よりも。それでも兄としての役目を終えない限り応えることはできない。それに……。
(瑞菜と再会して、こころまで帰ってきて……)
オレはどうしようもなく揺れてる。選ばないと決めた選択肢と選べないと思っていた選択肢の中で。
「まぁ別にアタシはあんたがどうしようと何も言わないけど」
「いいのか? 雪奈のことも関係あるだろ」
「あんたが雪奈の兄貴をやるのは変わらないだろうし、今はアタシもいる。雪奈が一人にならないならアタシは何も言わない」
どうしてこころは雪奈のことをこんなに大事にするんだろう? そこだけはずっと分からない。
「ただ……あんたは雪奈があんた以外の人を好きになっても耐えられるの?」
「……耐えてみせるさ」
雪奈の為に。それだったらきっと耐えられる。
「その強がりがいつまで続くか楽しみね」
「うるさいよ」
これは強がりであると同時に迷いだから。答えがでるまで捨てることはできない
「ところで俊行。雪奈はまだ来ないの?」
「おかしいな。もう昼前なのに」
少しだけ心配になるオレだった。