第10話「内側の遅れ」(後半)
石を持ったまま、しばらく立っていた
理由はない
動き出すきっかけが、どこにも引っかからない
⸻
「行くか」
そいつが言う
どこへ、とは言わない
言わなくても通じるはずの場所がある
はずなのに、
一瞬だけ、思い浮かばない
⸻
「ああ」
頷く
それで足が動く
先にそいつが歩き出す
半歩遅れてついていく
⸻
距離が一定のまま変わらない
詰めようと思えば詰められる
でも、
そうする理由が見つからない
⸻
「なあ」
歩きながら、声が来る
「さっきの話」
どの話かはわかる
わかるのに、
どこから始まったのかは曖昧になる
⸻
「遅れてるってやつ」
「ああ」
⸻
「今も、そう思うか」
⸻
考える
足音
風
遠くの声
全部を一度に意識しようとして、
途中でやめる
⸻
「……わからない」
それが一番近い
⸻
「俺はな」
少しだけ笑う気配
「さっきよりはっきりしてきた」
⸻
その言い方に、引っかかる
“はっきりする”方向がおかしい
普通は逆だ
慣れて、気にしなくなる
⸻
「何が」
「全部」
即答
迷いがない
⸻
「足音も、声も」
一歩踏み出す
その音が、
ほんのわずかに後から届く
気がする
⸻
「今の、聞こえたか」
立ち止まる
振り返る
⸻
「聞こえた」
そう答える
答えた瞬間、
“何を聞いたのか”が曖昧になる
⸻
「遅れてたろ」
⸻
言い切る
断定
逃げ道がない
⸻
「……わからない」
同じ言葉が出る
さっきよりも、少しだけ軽い
⸻
「だよな」
笑う
その笑いは、
もう合わせようとしていない
⸻
「でもさ」
続ける
「わからないままの方が、危ない気がするんだよ」
⸻
その言葉は、少しだけ重い
理由は説明されない
でも、
どこかで理解してしまう
⸻
また歩き出す
今度は並ぶ
距離が縮まる
ほんの少しだけ
⸻
「お前さ」
横目で見る
「数、数えてるんだろ」
⸻
足が止まりかける
止まらない
でも、
一歩だけ乱れる
⸻
「……何の話だ」
自然に聞き返す
知らないふりはできている
はず
⸻
「村のやつ」
あっさり言う
隠す気がない
「八十七ってやつ」
⸻
空気が、少しだけ沈む
⸻
「なんで知ってる」
聞く
問いの形にすることで、
自分の中の違和感を押し込める
⸻
「なんとなく」
即答
「前に聞いた気がする」
⸻
聞かせた記憶はない
でも、
“ない”と断言する材料もない
⸻
「……言っていない」
そう答える
少し遅れて
⸻
「じゃあ、俺が勝手に思ったのか」
笑う
軽く
でも、
その笑いはどこか歪んでいる
⸻
「でも、合ってるんだろ」
⸻
その問いに、
一瞬だけ詰まる
⸻
八十七
いつもの数
変わらない数
変わっていないはずの数
⸻
「……合っている」
答える
⸻
「だよな」
頷く
納得したように見える
でも、
その目は少しだけ遠い
⸻
「変だよな」
ぽつりと言う
⸻
「何が」
⸻
「なんで、ずっと同じなんだろうな」
⸻
風が止まる
音が一瞬だけ消える
⸻
その沈黙の中で、
言葉だけが浮いている
⸻
「減ってもいいし、増えてもいいだろ」
続ける
「でも、ずっと同じって」
⸻
そこまで言って、
少しだけ間が空く
⸻
「……逆に、不自然じゃないか」
⸻
その言葉は、
逃げない
消えない
曖昧にならない
⸻
答えようとする
理由を探す
でも、
どれも後付けになる
⸻
「……数えているからだ」
口から出る
考える前に
⸻
「数えてるから、同じに見える」
⸻
言ってから、
意味を考える
少しだけ遅れて
⸻
「なるほどな」
そいつは頷く
「じゃあ、数えなかったら変わるのか」
⸻
その問いに、
答えはない
⸻
「……わからない」
⸻
「試してみるか」
⸻
軽く言う
冗談みたいに
⸻
でも、
その言葉だけは、
やけに重く残る
⸻
足を止める
無意識に
⸻
「やめた方がいい」
口に出ている
⸻
「なんで」
⸻
理由はない
説明できない
でも、
確実に何かが引っかかる
⸻
「……わからない」
⸻
「そっか」
あっさり引く
引きすぎるくらいに
⸻
また歩き出す
今度は少しだけ速い
⸻
ついていく
距離がまた開く
⸻
その背中を見ながら、
思う
⸻
こいつは、
気づきすぎている
⸻
そして、
気づいたものは、
たぶん――
⸻
長く残らない
⸻
理由はわからない
でも、
その予感だけは、
はっきりしている
⸻
視界の端で、
白い布が揺れる
⸻
そこに、
何かがいた気がする
⸻
でも、
見ようとした瞬間、
もう何もない
⸻
最初から、
何もなかったみたいに
⸻
歩き続ける
⸻
足音が、
少し遅れてついてくる気がした




