第三話「測定不能――それは、強すぎるという意味でした」
足が重い。
公爵邸の長い廊下を歩きながら、私の心臓はばくばくと暴れ続けていた。
隣にはフィオナが付き添ってくれている。
その少し前を、レイナルドとヴァルターが歩いている。
向かう先は、公爵邸の地下にあるという魔力測定室。
――また、あの瞬間を味わうの?
あの日と同じ結果だったら。
この国でも「無能」だと証明されたら。
――レイナルドさまも、あの人たちと同じ目で私を見るのだろうか。
それが、何より怖かった。
「リーゼルさま、顔色が悪いですよ」
フィオナが心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫……ちょっと、緊張してるだけ」
嘘だった。
緊張なんて生やさしいものじゃない。
怖い。
また「反応なし」と言われるのが、怖い。
ここでも無能だと証明されたら、今度こそ、私には何もなくなる。
測定室の前で、レイナルドが足を止めた。
重い鉄の扉。その向こうに、私の「答え」がある。
「……リーゼル」
レイナルドが振り返った。
蒼い瞳が、真っ直ぐに私を見ている。
「怖いですか」
「……はい」
正直に答えた。見栄を張る余裕なんてなかった。
「怖い、です。また……無能だって、言われるのかなって」
声が震えた。
情けない。こんなところで泣きそうになるなんて。
レイナルドは少しだけ間を置いて、静かに言った。
「大丈夫。あなたの価値は、石ころ一つで決まるものじゃない」
その声は穏やかで、けれどどこか揺るぎない確信が混じっていた。
「結果がどうであれ、あなたがこの国にいていいことは変わらない。それは、俺が保証します」
――ああ、この人はまた、こういうことを言う。
簡単に信じちゃいけないのに。裏切られるのが怖いのに。
なのに、この声を聞くと、足が動いてしまう。
「……わかりました」
深呼吸をひとつ。
鉄の扉を、くぐった。
測定室は思ったより広かった。
石造りの円形の部屋。
中央に台座があり、その上に拳大の透明な石が据えられている。
エルステッドの聖石より、ずっと小さい。
周囲には計器のようなものがいくつも並び、白衣の研究者たちが忙しく準備を進めていた。
「閣下、準備が整いました」
眼鏡をかけた初老の研究者が頭を下げる。
「うむ。――リーゼル、中央の聖石に手をかざしてください。触れるだけで構いません」
レイナルドが促す。
一歩、また一歩。台座に近づく。足が震えている。
聖石が、目の前にある。
透明で、何の変哲もない石。
三年前もこうだった。
何の変哲もない石の前に立って――何も起こらなかった。
――どうせ、また。
手を伸ばす。指先が、聖石に触れた。
瞬間。
ドォォォンッ!!
轟音が測定室を揺るがした。
聖石が、爆ぜるように光った。
金色の――いや、金色なんてものじゃない。
太陽を手のひらに掴んだような、圧倒的な光の奔流。
「なっ――!?」
研究者の一人が悲鳴を上げた。
バリバリバリッ!!
計器の針が一斉に振り切れる。
ガラスの文字盤にヒビが走り、一台、二台と計器が弾け飛んだ。
光は止まらない。
聖石を中心に、金色の光が波紋のように広がっていく。
壁を、天井を、床を、すべてを呑み込んで。
「け、計器が! 全部振り切れてます!」
「数値が出ない! 上限を超えている!」
研究者たちが叫びながら走り回る。
ミシッ、と嫌な音がした。
聖石にヒビが入っている。
あの小さな石が、光を放ちながら、内側から砕けようとしていた。
「聖石が――聖石が耐えきれていない! 測定中止を!」
誰かが叫んだ。
レイナルドが素早く私の腕を掴み、聖石から引き離した。
光が収まるまで、数秒かかった。
静寂が落ちた。
いや――三年前の、あの沈黙とは違う。
研究者たちは目をそらしていなかった。
全員が、目を見開いて、私を凝視していた。
「……測定、不能」
初老の研究者が、かすれた声で呟いた。
「いや、違う。これは……上限を超えているんだ」
震える手で割れた計器の記録紙を掴み、何度も目を擦る。
「歴代聖女の最高記録が基準値の五十倍。それがこの国の聖石の上限です。ですがこの反応は――聖石そのものが耐えきれず破損した。つまり、最低でも……歴代聖女の数百倍の魔力反応……!」
「あ、ありえない……!」
若い研究者が、へたり込んだ。
「そ、それだけではありません!」
別の研究者が、書類の束を抱えて駆け寄った。
「聖女さまが滞在されている部屋の周辺で、浄化反応が確認されているんです! 植物の異常活性化、水質の自然浄化――聖女さまは無意識に、ただそこにいるだけで周囲を浄化していたとしか考えられません!」
――え?
あの花。
枯れかけていたのに元気になった、あの白い花。
窓辺の花瓶の、やけに澄んでいた水。
気のせいじゃ、なかった?
「なんてこった……」
ヴァルターが、信じられないという顔で私を見ていた。
「こりゃとんでもねえぞ。数百倍って……嬢ちゃん、あんた……」
騒然とする測定室の中で、一人だけ、静かに微笑んでいる人がいた。
レイナルド。
驚いていなかった。最初から知っていたかのように、穏やかな表情で私を見ていた。
「やはり、そうでしたか」
その声は、確信に満ちていた。
「閣下……まさか、ご存じだったのですか?」
初老の研究者が問う。
レイナルドは静かに頷いた。
「エルステッド王国の聖石は建国期のもの――八百年前の旧式です。当時の技術では、測定の上限が極めて低い。上限を超える魔力が注がれた場合、計器はどう反応しますか?」
研究者が息を呑んだ。
「……反応しない。振り切れるのではなく、検知そのものができず、反応なしと――」
「ええ。規格外の魔力を、旧式の聖石が――」
研究者が、震える声で続けた。
「『反応なし』と誤判定していた……! この方は無能なのではない。強すぎたのです……!」
レイナルドは静かに微笑んだ。何も付け加えなかった。
強すぎた。
その言葉が、頭の中で何度も反響する。
三年間、「無能」だと言われ続けた。
魔力反応なし。
聖女失格。
役立たず。
いらない子。
「この国に無能な聖女は不要だ」――あの日、謁見の間で言い放たれた言葉。
「どこにも要らない子なのよ?」と城壁の上から投げつけられた声。
全部、嘘だった。
無能だったのは私じゃない。私を測れなかった石のほうだ。
――なんだ、そういうことだったんだ。
おかしくて、悔しくて、嬉しくて。
全部ごちゃまぜで、何の感情かわからない。口元が、震えた。
私は、自分の両手を見つめた。
何度も何度も聖石にかざして、何も起こらなかった手。
スープをこぼされて火傷した手。洗濯で荒れて、掃除でひび割れた手。
この手に、ずっと力があった。
「私、無能じゃ……なかったの?」
声が、震えた。
こらえきれなくて、ぽろぽろと涙がこぼれた。
嬉しいんじゃない。悔しいんでもない。
ただ、三年分の何かが、一気に溢れ出して止まらなかった。
「ええ」
レイナルドが、柔らかく答えた。
「あなたは無能などではなかった。最初から――歴代最強の聖女だった」
膝の力が抜けて、崩れ落ちそうになった。
その体を、大きな手が支えた。
「――よく、耐えましたね。三年間も」
そして、ほとんど聞き取れないほど小さな声で。
「……ようやく、見つけた」
――え? 今、なんて……?
聞き返す前に、レイナルドはもう何事もなかったように微笑んでいた。
その声が、優しすぎて。
私は声を殺すことすらできず、子供みたいに泣いた。
測定室に、私の泣き声だけが響いていた。
三年前とは違う。
あの日は沈黙と、目をそらす人たちだけだった。
今は、誰も目をそらしていない。
涙で滲む視界の中で、レイナルドが微笑んでいた。
研究者たちが感嘆のまなざしを向けていた。
ヴァルターが鼻をすすっていた。
フィオナが扉の陰で、もらい泣きしていた。
――私、ここにいていいんだ。
この手は、無能なんかじゃなかった。
この三年間は、無駄なんかじゃなかった。
私の人生が、今、ようやく始まろうとしていた。
涙が止まりかけた頃、レイナルドが静かに言った。
「落ち着いたら、一つ――相談したいことがあります」
その蒼い瞳の奥に、穏やかさとは別の光が宿っていた。
――この人は、私に何を求めているんだろう。
「見つけた」。さっきの呟きが、耳の奥でまだ響いている。




