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ラピスラズリの手記  作者: 蜂矢ミツ
第一章 はじまりの楽園
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2. 冬の主と暖炉の乙女_後編

 その人は、ひどく凍えているように見えた。

 身なりはちゃんとしているし、震えているわけでもなかったけれど。

 目にしたもの、手に触れたものがすべて冷たいものであったかのような、まるで暖かさを知らない深く青い瞳をしていた。



「どうぞ、お入りになってくださいな」



 初めて見る人ではあったけれど、そのまま立ちつくさせてはいけないように思ったし、ほとんど躊躇もせずに声をかけた。


 私の家には立ち寄る人は多い。暇な時、ちょっと疲れた時、顔が見たくなったらしい時。

 この暖炉のある部屋でくつろぐのが大好きなお客様方は、各々のタイミングでひょっこりとやってくる。

 だから人を迎えられる、ちょっとしたおもてなしもできる準備はいつもしてあった。



「……よいのでしょうか?」



 突然やってきた自覚はあったのだろう。

 彼は招待にひどく戸惑ったようで、もしかしたら自分は何故ノックしてしまったのだろう、と不可解にすら思っていたのかもしれない。


 その様子がなんだか可愛いらしくて、私は少し笑ってしまった。

 ……彼にはそれが、ただ優しく微笑まれたように見えたようで、結果的にはよかったけれど。



「もちろん。さ、こちらへどうぞ」



 おそるおそる部屋の中に入ってきた彼をテーブルに案内して、作ってあったスープを暖炉の火で温める。

 暖炉、というかこのような家が珍しかったのだろう。

 彼は物珍しそうに周囲や暖炉を眺めていた。



「よかったらスープをどうぞ。温まりますよ」



 出してからしばらくは、彼はじっとスープを見つめたまま動かなかった。

 もしかしたら食事は取らない主義の方だったかしら?と少し心配になったけれど。

 無理しないで、と声をかけるすんでのところで、彼はスープをスプーンで掬った。

 けれど掬った後もしばらく口に運ばなくて……私は少し緊張しながら、その様子を見守っていた。


 ゆっくりと綺麗な所作で、スプーンが口まで運ばれる。

 ひとくち。

 ああよかった、飲んでくれた。

 そうほっと胸をなでおろす間もなく、次なる驚きに見舞われる。


 スープをこくりと飲み込んだ後、一筋、彼の目から涙がこぼれたから。




 その後は、何事もなかったように(あえてそう振舞って)他愛もない話をした。

 彼の名前を聞いたら教えてくれたけど、直接は呼ばないでほしいそうなこと。

 私の名前はヘスティアで、兄弟姉妹からはティアという愛称で呼ばれることが多いことなんかも。


 どこから来たのか、この辺にはしばらく滞在するのか。

 何か目的があるの?と聞いたら、彼は答えずにじっとこちらを見つめて。



「また、こちらに伺ってもよろしいでしょうか?」



 そんなかしこまった質問をした。



「ぜひ、またいらしてくださいな」



 そう答えると、少し安心したような顔をしていた。






 それ以来彼は、ちょくちょく家を訪れるようになった。

 その度に珍しい手土産を持ってきてくれたり、ぽつりぽつりと彼が旅した色んな場所の話を聞かせてくれたりした。


 そんな交流を嗅ぎつけて、私のちょっと元気すぎて面倒な兄弟たちが彼に喧嘩を吹っ掛ける……なんてトラブルもあったのだけれど。

 何度彼にかかっていっても、どうやったら分からないうちに転がされてしまって。

 しまいには「ご兄弟に手荒なことはしたくないのですが……」なんて彼は神妙な顔をしているのに、兄弟たちは面白がって何度も挑みかかっていくようになり。


 そんなきっかけですっかり彼を気に入って、気付けば彼が私の家に来た時はたびたび乱入してくるし、お酒の席に彼を連れまわそうとまでする始末。

 たぶん、色恋沙汰には関わらないと誓いを立てた私をからかう目的もあったんでしょうね。まったく意地のわるいこと。


 彼と過ごす時間が増えるにつれ……どうしてそんなことを誓ってしまったんだろう、なんて後悔がじわじわと大きくなっていった。

 お喋りな兄弟姉妹たちから彼もそのことは聞いていたのでしょうけれど、無理に踏み込んでくることはなく、けれども去っていくこともなかった。



 そんな付かず離れずな関係が、しばらく続いた頃。

 私は彼に贈り物をしたくて、何枚か絵を描いた。


 数ある私の趣味の中でも、特に好きなこと。

 それは、風景や生き物たちの絵を空想して描くことだった。


 見たことがないものは、聞いた話から想像して分からないなりに描いてしまう。

 もしくは、誰も話していない、実在しないものでも、自分で考えてストーリーをつけてみたっていい。


 私は外に興味はあっても、怖くてあまり家から出ることはなかったけれど。

 想像の中では、どこまでも自由だった。


 そういうものを見せるのは少し気恥しくもあったけど、彼ならきっと気に入ってくれるのではないかしら。

 そう思えたから、描いたものを冊子にまとめ、綺麗に包んで手渡した。



 彼の反応は、大分面白かった。

 贈り物をもらうという経験があまりなかったのか、驚いたように目を丸くして、しばらく包みをしげしげと眺めていた。



「……どうしよう、開けるのがもったいない」



 そんなことまで言っていた。

 喜んでくれているのは間違いないようだけど、中身が分からないのにそこまでの反応を見せてくれるとは。



「ねえ、開けてみて」



 少し苦笑しながら、放っておいたらいつまでもそのまま抱えていそうな彼に、そう促した。

 渡す前には、どう思われるだろう?なんて少し緊張していたはずだけど、彼の様子を見ていたらそんなことはすっかり忘れてしまっていた。


 彼は器用に包みを開けてそれらを折りたたんだ後、壊れ物を扱うかのように慎重に冊子を開いた。

 はっと息をのんだようだったけれど、そのまま身じろぎもせずじっと絵を眺めている。

 一枚一枚、ゆっくりとページがめくられていく。


 長い時間だったと思うけれど、あっという間だったような気もした。

 彼の表情があまり見たことがないくらいに明るかったから、もしかしたらそれに見惚れてしまっていたのかもしれない。


 すべての絵を見終えた彼が、顔を上げてこちらを見た。



「ありがとう。とても美しい絵ばかりだ――これはすべて、あなたが描いたもの?」


「そうなの。ささやかな趣味で……気に入ってもらえたならよかった」



 緊張は解けていたけど、喜んでもらえたことが嬉しくて、ほっと胸をなでおろす。



「ほとんど想像の産物なんだけどね。ねえ、あなたは色んなところを旅してきたんでしょう?こんな風景の場所もあった?」



 少し饒舌になってしまった。

 絵を見せるというのは、やっぱり少し気恥ずかしい。



「こんなに綺麗な場所はなかったよ。けど……」



 彼は珍しく言い淀んで、顎に手をあてながら何かを考えこむようなそぶりを見せる。

 私と同じようにどこか気恥ずかしそうな表情をしていたけれど、咳払いを一つして意を決したように、次の言葉を告げた。



「創ることはできる、かもしれない」


くう。あまずっぺぇ。

スープは具無しです。どんな味だったんでしょうね。


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