1. 冬の主と暖炉の乙女_前編
「世界も命も、誰かの心でできている」
目覚めた時、というか意識や意思と呼べるものを持ちえた時には、すべてが終わっていた。
そこは世界の残骸のような場所で、自分の他に存在するものといえば、よく喋る両手のひらのサイズくらいの人形だけ。
しかもそれも段々と縮んでいって、その内に消えてしまうという。
「今ここに生きているのは[======]だけ」
自分の親が遺したらしいその人形は、いわゆる親の写し身のようなもので、自分が独りで生きていけるだけの知識と技術を渡すために在るらしい。
「私は取り返しのつかない失敗をして、大事な人を失ってしまった」
何故、どんな失敗を、などと聞いても仔細は語られない。
人形は”もう終わってしまったことだから”と繰り返すのみだった。
「だからこの世界もこの命も、放棄することにした」
人形が消えると同時にこの世界もなくなるから、教材代わりにいじくり倒していいという。
「ただ消えるのは虚しくて侘しいから、[======]にすべてを託したい」
身勝手ともいえる願いだが、自分に拒否権はないのだろう。
元より、生まれたばかりで右も左もわからない。
得られるものは得ようと、特に抵抗することもなく受け入れることにした。
最初に教わったのは、砂や岩の成り立ち、光の在り方、多くを含みうる水たまり―――。
そこは、ほとんどが海でできた世界だった。
その砂一粒水一滴を生み出し積み重ね組み合わせていく。
基本的な方法を学んだあとは、ひたすらそれらを反復して嵩を増やしていった。
「駄目だね。それでは美しくない」
人形はどこまでも”美”にこだわった。
親当人がそういう信条だったのだろう。
手本を見せてアドバイスをしては”ではもう一度”と言い、人形が納得のいく出来になるまでは何度でも繰り返させた。
ひたすら繰り返しているうちに、限界が来ると意識が飛ぶ。
目を覚ますと、どれくらい時間が経ったのかも分からない状態のまま、人形は何事もなかったように指導を再開した。
狼狽えている自分を前にしながらも、意識が飛んでいたことには、ついぞ触れられることもなかった。
自分が消えるまでの間に『できる限り多くを託す』という使命のみを優先するからか、そもそもそれらの知識は組み込まなかったのか。
人形は休息を促すという行動を一切取らなかった。
最初のうちは動揺したものの、そのうち『そういうものなのだ』と飲み込んで、限界が来る前に自ら休息をとることにして落ち着けた。
同時に、かつて親だったものにどんなに似ていたとしても、写し身というものは『命』ではないのだということを、改めて突き付けられたような気持ちになった。
今ここで”生きている”ものは、自分ただ一人だけなのだ、と。
どのくらいそこにいたのかはもう、定かではない。
もはや暦という概念すら放棄されており、昼も夜もない世界であったし、当時の自分は計るということすら考えなかったからだ。
けれども、終わりが来た時のことは、よく覚えている。
「お前にできる限りの、最も美しい海を見せてみなさい」
もう随分縮んでしまい、親指ほどのサイズになった人形がそう告げた。
ひたすらに創り続けた海はもはや、見渡す限りに広がっている。
目覚めた時に在った赤い海はもう見当たらない。
視界に収まる範囲にあるのは、自分が創った、自分の目と同じ色の青い海だけだった。
こだわった分、それだけでも十分に美しいといえるのでは、と思いもしたが。
もはや見慣れすぎて驚きはない。それこそ、親が見たこともなかったような装飾が求められているのだろう。
―――冬を呼ぶ。
温度を変えることで環境そのものを一変させる”季節”という概念。
教わったもののうち特に印象的だったそれらの中で、最も自分が得意としたもの。
それを装飾に用いてみたならば、どうなるか。
結果はおおよそ見当がついていた。
ただ水を凍らせるだけの真っ白な景色も美しくはあるが、それをあえて割る。
ほどよく光をあて、白と青のコントラストを際立たせた。
風に揺られてゆっくりと流れていく氷は、時間の経過とともにその表情を変化させていく。
いわゆる”流氷”を創ったのだ。
「……うん。美しいね」
随分と長い時間、黙したまま眺めていた人形が、ぽつりとこぼすように言った。
「さあ、もう時間がないよ。お行きなさい」
あらゆる知と財を圧縮した荷を抱え、外套を羽織った。
時間がないことは、もう随分前から繰り返し聞かされていたから、驚きはない。
どこへ行くべきかは分からないが、ここを出ることだけはずっと前から決まっていたし、その方法を繰り返し試しもしていた。
「……いつか大事な人を見つけたら、しかと守りなさい。
[======]には、”心を見誤らない目”を与えたから。その目であらゆるものを、まっすぐ見据えておくれ」
「私のようになるなよ」と最後に付け足した声は、小さく震えていた。
けして振り返らないことと、戻ろうとしないこと。
その二つを固く約束して、生まれ故郷といえる世界を後にした。
だから、あの世界がどのように終わっていったのかは、誰にも分からない。
それから、あらゆる世界を渡り歩いた。
その世界に辿りついたのは、どこに行っても理不尽で散々な目にばかり遭い、疲弊しきった頃だった。
とかく疲れていて、できれば生き物のいない場所に行けたら―――そんなことを考えていたように思う。
「―――……あれは、灯り?」
とにかく生き物の気配が薄そうな場所を目指して歩いていたところ、
なだらかな丘の上にぽつんと家が建っており、ただ灯りがともっていた。
それだけのことなのに、どうしてかそこは、この上なく暖かそうな場所のように思えた。
ぼんやりとした頭で深く考えることもできず、吸い寄せられるようにその扉に近づいて、少しばかり躊躇ったが結局、おそるおそるノックをした。
キィ、と慎ましやかな音を立てて、扉が外に開かれる。
「あら、どなた?」
出迎えてくれたその人は、家の灯りとよく似た、暖かそうな声音をしていた。
彼は唯一親から直接もらったものである名前を滅多に人に教えず、また教えても直接呼ばせることはしない。そのためこの話ではすべて[======]表記です。
基本的に直接名は呼ばれない(呼ばせない)ので、次の話からはあなたとかお前とか父とか師とか名隠しさんとかじーさまとか色んな形で呼ばれます。




