6 犬、舎弟となる (1)
舞台袖兼楽屋から舞踏会の会場へ戻ると、マイエさんがいない。私はアヤノーさんとマイエさんに続いて戻ったはずだ。
「マイエさんはどちらへ?」
「よくあることですから、気にしないで下さい」
気にしないでと言われても、前を歩いていた人が消えるのは気になる。
「トイレへ行ったことを口にさせようとするとは、悪役令嬢どころか、ただの失礼な令嬢だ」
えっ、トイレなの? 私が質問攻めしていたせいで、トイレへ行くのを妨げてしまったのか。申し訳ない。アヤノーさんから気にしないでと言われても、次に舞台袖に行った時に本人に直接謝らなければ。
そう思っていたら、暗くされた。何? 私がマイエさんの行先を聞いた場面だけピックアップされて、次の場面なの? 今のは演劇として見せなくていい場面だろう。
「アヤノーと仲が良い貴族令嬢リナシアことリナシア・ソジャリエットが到着した。リナシアは、アケモンよりも身分が低く、しかも初対面で、不安しかない。アケモンとは関わらないで欲しいものだ」
リナシアは、私の親友の惣社里那だ。配役表で確認済みである。初対面という設定か。里那なら、よく知っているから、遠慮せずに悪役令嬢として演じられる。アヤノーさんとマイエさんに悪態をつく前に練習相手になってもらおう。
手始めに跪かせるか。もちろん、私は普段そのような行為を強要する人間ではない。あくまでも悪役令嬢がやりそうな行為として思い浮かんだだけだ。悪役令嬢と聞いてこの程度しか思い付かないことから考えても、私が悪役令嬢に不向きだと自負できる。
「リナシア様、お待ちしておりました。舞踏会の会場へご案内します」
「はい。ありがとう」
あれ? これはマイエさんの声だ。今はメイド役として玄関に迎えに出たのか。それなら、トイレではないではないか! アヤノーさんが「よくあること」と言ったのは、その場面に飛ばされることか。ナレーションは「ただの失礼な令嬢」と言っていたが、失礼なのはどちらだ。
私の台詞に台本がないのだから、ナレーションにも台本がないだろう。ナレーションが悪いのではなく、ナレーターが悪いのだな。ただ、いい演技をすると何か1つ貰え、貰えるものはナレーターが決めるとアヤノーさんから聞いた。貰いたければナレーターを怒らせない方が良いだろう。逆に貰いたいと思わなければ何でもありかもしれない。ただ、他の人が貰いたいと思っているかもしれないから、妨害する行為は控えよう。
扉が開き、リナシアが登場した。
リナシアのドレスは、深いロイヤルブルーを基調に、白銀の光を帯びた刺繍が星屑のように散りばめられた清冽なドレスだ。胸元は控えめなスウィートハートネックで、上から薄いシルバーのチュールが重ねられているため、露出はほとんどなく、むしろ透明感のある上品さが際立つ。
肩は小さなキャップスリーブで、白銀の糸で縫い込まれた雪の結晶のようなレースが縁を飾る。動くたびに光を受けてきらりと反射し、リナシアの不慣れな動きさえも可憐に見せる。胸元からウエストにかけては、細いシルバーの糸で描かれた流線形の刺繍が控えめに広がり、まるで冬の夜空の流れ星の軌跡のように、視線を自然に下へ導く。
スカートはロイヤルブルーのサテン地をベースに、上から白銀の細かなラメを散らしたチュールが二重に重ねられている。歩くたびにチュールがふわりと揺れ、青の深さと銀の光が重なって、月明かりに照らされた湖面のような揺らぎを生む。裾に向かうほど青が濃くなるグラデーションが、リナシアの慎ましい雰囲気とよく合っていた。
アクセサリーは、胸元に下がる白銀のチェーンに、透明度の高いアイスブルーのしずく型トパーズが一粒。縁には極細の銀細工で雪の結晶を模した意匠が施され、ドレスの刺繍と呼応するように冷たい輝きを放っている。耳元には小さなシルバーのスタッドピアスが控えめに光り、髪には白銀の小さな星型のヘアピンがひとつだけ差されている。飾りは少ないが、その控えめさが逆に彼女の真面目さと純粋さを引き立てている。
靴は白銀のサテン地のローヒールパンプス。つま先には細いロイヤルブルーのリボンが一筋だけ添えられ、全体の色調をさりげなくまとめている。ヒールは低めで安定感があり、慣れないドレスでも歩きやすいように配慮されている。下級貴族という設定に相応しく、控えめでありながら凛とした美しさを備えている。
里那、すごい・・。どこぞのお嬢様という感じだ。付き合いは長いが、ドレス姿を見たことは一度もない。
舞踏会と言っても、会場にいるのは、アヤノーさん、メイド、リナシア、私の4人だけだ。リナシアは私たちの方に案内された。ナレーションは「アケモンとは関わらないで欲しいものだ」と言っていたけれど、招待者のアヤノーさんに挨拶に来ずにはいられない。アヤノーさんと一緒にいる私を避けようがない。
リナシアは、アヤノーさんに小さく頭を下げた。
「アヤノー様、このたびはお招きいただき、誠にありがとうございます。こんな素敵な舞踏会に参加させていただけるとは、夢のようです」
リナシアが楽しそうにお礼を言うと、アヤノーさんが微笑んだ。私は「アヤノーさん」と呼んだのに、リナシアは「アヤノー様」か。位の違いがあるから、こうなるか。
「こちらこそリナシアさんが来てくれて嬉しいです。どうぞ、遠慮なく楽しんで下さい」
リナシアは、その言葉にさらに深く頭を下げ、胸元のトパーズがかすかに光った。
「リナシアさん、こちらの御令嬢を紹介しましょう。レティア・アケモンさんです」
「初めましてアケモン様。リナシア・ソジャリエットと申します。本日はよろしくお願いいたします」
2人が役柄に忠実に演技をしているのはわかる。でも、私の親友を紹介してくれる先輩、初対面のふりをする親友というのは滑稽だ。
リナシア・ソジャリエット。舌を噛みそうな名前を覚えたことに感心する。
リナシアは私と握手をしようと一歩前に・・。でも、今の私は悪役令嬢だ。里那がリナシア役に徹するように、私もアケモン役に徹する。
「リナシア、ひれ伏しなさい。アヤノーさんから招待されたからと言って、調子に乗って私に握手を求めるなど10年早いわ!」
いつもの里那なら、「ひれ伏すわけないよ」と笑顔でツッコんでくれる。でも、今はアケモンがリナシアよりも身分が上だから礼儀として跪くかもしれない。里那の行動は読めないけれど、何か上手につなげてくれるはずだ。それこそ旧知の友の為せる業。
「あっ・・」
リナシアは慣れないドレスでも、低くて安定したヒールのおかげで歩いて来られたのに、私の前で気が緩んだのか裾を踏んだ。そして、足元がふらつき、そのままスローモーションのように跪いた。
奇妙なことに、その倒れ方が「ひれ伏す」動作に見えた。堂々と命じたアケモンの台詞と、リナシアの不器用な転倒が、偶然にも一つの絵になったのだ。床に手をつき、額を下げるリナシアの姿は、まるで忠誠を誓う儀式のように見えた。
「アケモン様に忠誠を誓います」
「忠犬ではないのだから忠誠は誓わなくていいわよ」
「そう。アケモン様、それは名案です。私は忠犬のように忠誠を誓います」
「それはいいから、もう立って」
「かしこまりました」
「リナシア、かしこまらなくていいから」
「アケモン様のおかげで私が転倒しそうになったのを大勢の方々に悟られずに済みました。心より感謝申し上げます」
リナシアは囁くように私に伝えた。しかし、ここにはアヤノーさん、マイエさん、リナシア、私の4人だけだ。そして、3人ともリナシアの失態は目撃した。リナシアは他に招待客がいるものとして演技をしているのか。
私には悪役令嬢らしき振る舞いをアドバイスしてくれる人がいた方がいい。それが親友の里那であれば都合がいい。
「リナシア、今後は忠義に励みなさい」
「はい」
「ということで、アヤノーさん、リナシアは私の舎弟にします」
「舎弟って・・。貴族社会では『舎弟』ではなく、『配下』でしょう。舎弟などと言うと品位のない令嬢だと思われますよ」
そうだった。「従者」は家臣や使用人だから、貴族には使えないと思い、ピンと思いついたのが舎弟であった。貴族は舎弟も使わない。
アヤノーさんに訂正のお礼を言おうとした時、ナレーションが始まった。
「アケモンが『ひれ伏せ』と言った直後にリナシアが転倒したことで、結果的に忠誠を誓わせてしまうとは。実に悪運が強い悪役令嬢だ。いや、舎弟という発言は悪役令嬢ではなく、単なる不良令嬢だ」
悪役令嬢に悪運が強いというのは誉め言葉だろう。初めて褒められたと喜ぶべきか。
「配下、配下、配下・・」
リナシアが新しい呪文を覚えた魔法使いのように呟いている。リナシアを見ると、目がキラキラとしていて、完全に忠誠心のスイッチが入っている。
「いや、それは反復しなくていいから!」
思わず、素でツッコんでしまった。
リナシアは胸に手を当て、感極まったように言う。
「アケモン様の配下になれたのが嬉しくて・・つい・・」
純度100%の忠誠心を向けられる予定ではなかったのだけれど。
親友の里那を引き込むのは得策だと思ったが、嬉々として役になりきっているリナシアを味方にするのは失敗だったのか~っ!




