3 悪役令嬢の苦悩 (1)
どうなっているのだろうか。女子演劇部の部室が舞台袖で、その舞台袖の隣の明るい方が舞台? でも、舞台と言うには広過ぎる。隣りの部室とつながっているという程度ではない。あの部室との境が別世界の出入り口になっているようだ。
服装をチラッと確認して周囲を見回したが、改めて自分の服装を確かめてみるか。ドレスは上がラベンダーで下に行くほどディープパープルになるグラデーションドレスだ。首元はハイネックのレース、胸元にはピンクゴールドのバラの刺繍が施され、腕は長袖で、肩部分が膨らんでいるパフスリープ、腰より少し下からは薄地のチュールが付いて、グラデーションドレスが透ける。手にはレース素材のグローブ。
首にかかっているものを手にして見ると、細いローズゴールドのチェーンの先に淡紫色の小さなアメジストの雫型ペンダントが付いている。ペンダントの縁には、極細の金細工でバラの模様が彫られていて、胸元のバラの刺繍に合わせたかのようだ。
靴は、ディープパープルのサテン地で作られたパンプスか。つま先はパールが控えめに1粒添えられたラウンドトゥで、ヒールは5cm前後。これなら慣れなくても歩きにくいことはない。足首にはローズゴールドのストラップがある。
服装と言い、アクセサリーと言い、いたれりつくせりか。ピアノを習っている友人の発表会に行った時には、女性演者のドレスに驚いたけれど、まさか自分が着る日が来るとは思っていなかった。いや、まったく着ないとは思っていない。結婚式で親戚が着ているのを見たから、いつか着る日もあるとは思っていた。それでも、高校生で着られる日が来ると思っていなかったのだ。
「今日の舞踏会のためだけに丹念に仕立てられたドレスを不満そうな瞳で見つめる。完璧な衣装でさえ、彼女の気難しさを満たすことはできないらしい。彼女こそ、この物語の主人公であり、悪役令嬢のレティア・アケモンである」
またナレーションが聞こえた。不満そうな瞳って何? 私は満足しているよ。物語の主人公というのもおかしい。女子演劇部の部室に見学に来ただけで、勝手に悪役令嬢にされても困る。そもそも台本すら受け取っていないのに何が主人公だ。それに極めつけがレティア・アケモン。私は桜丘朱萌。小学校で男子からつけられた「あけぼ」というニックネームもどうかと思ったが、「アケモン」とは・・。有名なアレではないのだから。
外に出ると制服に戻るのだろう。少し惜しい気がするけれど、今は身の安全が最優先事項だ。一旦部室の外に出て、里那を待とうかな。そう思って振り返ったら、舞台袖が消えていた。そんなことあるの? 数歩歩いただけだから、見えないだけで出られるかもしれない。そう思って歩く。
歩く。
歩く。
あれ? やはり薄暗い舞台袖が見えないということは出口がないのか。どうしよう・・。
そうだ! 確か、人の気配がしたから、高嶺先輩がいると思って明るい方に来たんだ。高嶺先輩を探そう。「舞踏会」とナレーションが言っていた。舞踏会の会場で待っているかもしれない。この石畳に従って歩いて行けば、どこかには出られるはずだ。
「舞踏会の時間を手違いで早く伝えられたアケモンは、不機嫌になって庭園へ飛び出し、馬車にも乗らず、そのまま帰るかと思えた。だが、外の新鮮な空気を吸って落ち着きを取り戻し、どうやら舞踏会の会場へ戻るらしい」
舞踏会の会場なんて一度も行ってないから。不機嫌になって庭へ飛び出したとか、落ち着きを取り戻しとか何? ここは現実世界ではないし、私が悪役令嬢にならなければ出られないのだろうか。それほど、私を悪役令嬢にしたいなら、割り切ってご希望通りになってあげようではないか。
しかしながら、覚悟は決めたものの、悪役令嬢とは何をすればいいのだろうか。人に意地悪をする? ナレーションが「舞踏会の会場へ戻る」と説明してくれたから、方向はこちらで間違っていないはずだ。悪役令嬢について考えながら会場へ向かおう。
「アケモンは、自分の地位や家柄を誇示しようか、誰かの恋路を邪魔しようか、ライバルを陥れようかと陰謀を巡らせながら会場へ向かう」
だから~、そんなことは思っていないってば!
ん? でも、今のは参考になるかもしれない。自分の地位や家柄は設定を知らないからできない。悪役令嬢というからには、それなりの家柄だとすれば、「名門のレティア家に逆らうつもり?」とでも言えば使えるのかな。名門でなかったらとんだお笑いものだけれど・・。
恋路の邪魔は、悪い噂を流せばいいのか? 男性を奪うのはしたくない。自分の好みでもない男性を自分に振り向かせるのはおかしい。中学の時にも何人もの男子から告白されて大変だった。自分から振り向かせて振るなんて、余計な仕事が増えるだけだ。
ライバルを陥れるのは、そもそもライバルが誰だかわからない。ナレーションを聞いていれば見分けられるのだろうか。ナレーションが、令嬢が苦手なことを話してくれたら、それを実行するか。ピーマンが苦手な令嬢にピーマンを食べさせるとか。申し訳ないけれど、学校に戻るためだ。ピーマンは食物アレルゲンとして表示義務のある特定原材料ではないし、学校に戻れたら謝れば許してもらえるはずだ。
ちなみに、特定原材料とは、卵、乳、小麦、えび、かに、そば、落花生だ。同じ工場で作られても混入の恐れがあるとして、「同じ工場で・・」と表示されている。
おや、変なナレーションが入らない。
あっ! 暗くされた。石畳は見える明るさだから歩くには問題ないけれど、少し前までは、庭園を歩いていて昼間だったろう。舞台ではないのだから暗くしないで欲しい。あれ、最初にまぶしかったスポットライトの存在を考えると、舞台と言えば舞台なのかな。
「怒りをまき散らしながら飛び出したアケモンを心配して、アヴェリーヌ・アヤノヴォワール嬢が庭園で探している。アヤノヴォワール嬢、通称アヤノ―は品行方正で誰からも愛される貴族令嬢である。悪役令嬢として疎まれるアケモンを招待したのも、心優しきアヤノ―である」
少し離れたところに、光が当たっているのが見える。あそこにアヤノ―という貴族役の女性がいるのか。せっかく招待してくれた設定なのに悪いけれど、少しだけ迷惑をかけさせてもらおう。
あれ? アヤノ―? 私は朱萌でアケモン。アヤノ―は、まさか高嶺絢乃先輩ではないか。あやのという名前の人は日本人に多いし、違うよね、違うよね。という感じで期待しても無理だろうな、いくら日本人に多い名前でも女子演劇部に何人もいないだろう。私を招待したという点は合致しているし・・。
高嶺先輩は自分で品行方正の貴族令嬢役をやって、私に悪役令嬢をやらせたのか? ただ、主役は悪役令嬢の私らしいし、先輩を責めてもいいのかどうだか微妙な配役だな。
はっきりしているのは、少しだけであっても先輩に迷惑をかけるのは避けたいということだ。演劇部なのだから、悪役令嬢ぶりを発揮しても失礼ではないのはわかる。それでも、台本がないのだから、すべて私の発言であり、私の行動になってしまう。そういうのは嫌だな。
「アケモンさん、どちらにいるのですか? アケモンさん!」
あちらのナレーションが聞こえたということは、こちらのナレーションも聞こえていたはずだ。私がここに来たのがわかったのだろう。
「アケモンさん!」
私も向かっているし、高嶺先輩は入口の場所を知っているから、お互いに最短距離で近付き、声が近付いて来る。
「アケモンさん、本日は舞踏会へようこそ。執事からアケモンさんが見えたと聞いて飛んでまいりました。まだ他の方は見えていませんが、会場まで案内しますから向かいましょう」
どこからどう見ても先輩なのだが、私と同様に服装が凄い。ドレスはアイボリーで、胸元からスカートの裾にかけて、ペールブルーの刺繍と布地が流れるように配置されたクラシカルなAラインだ。七分丈の袖口にもペールブルーの細いレースが縫い込まれており、清楚さと品格を際立たせている。
首元は鎖骨が綺麗に見える四角いスクエアネックでレースが施されており、胸元には細いシルバーのチェーンに揺れる淡い水色のアクアマリンの楕円形のペンダントが輝いている。ペンダントの縁には銀細工で花の模様が彫られており、清楚な雰囲気をさりげなく引き立てていた。
髪は丁寧にまとめられ、片側に白いスズランの花を模したコーム、耳元には一粒のパールのイヤリング、靴はペールブルーのスエード素材のローヒールパンプスで、つま先にはシルバーグレイのリボンが飾られている。すっかりと舞踏会向けの衣装だ。
「向かいながらでも良いのですが、高嶺先輩、これはどういうことなのですか?」
私が尋ねると、高嶺先輩は小さく首を横に振りながら答えた。
「私はアヴェリーヌ・アヤノヴォワールです。高嶺という方ではありません。アヤノ―と呼んで下さい」
「アケモンは、舞踏会の主催者の名前をわざと間違えて呼んだ。招待してくれた貴族の名前を間違えるなど失礼極まりない。舞踏会が始まる前からこれだ。悪役令嬢レティア・アケモンは、舞踏会でどのような波乱を巻き起こすのやら・・」
こらこら、確かにアヤノ―と呼ばなかったけれど、正真正銘の高嶺先輩だ。演劇の中なのはセットと衣装でわかったものの、名前を間違えて呼んだと言われても・・。
それでも、違う名前を言った私が悪いのか~っ!
フランス語で「l'été(レテ)」は夏を意味します。語尾にiaを付けて、朱萌の役名はレティアと女性名らしい響きにしました。フランス語で夏はエテだと主張したい人もいるかもしれません。でも、フランス語を学んだ方なら冠詞が付いているだけだとわかってくれるはず。
我が家には黄色い『仏和辞典』(白水社)があります。新装版は白いそうで・・。




