1-2 「星空」
1-2 星空
「バッターン」
勢いよく乱雑に開けられた扉が壁にあたり、ステンドグラスがバリバリと音を立てて震える。
「ケーイ!!!」
ルミは叫ぶ。必ずあの男に、すべてを説明して貰わねば気がすまない。だが、返事はない。
夕暮れ時になり、薄暗くなった室内には、ひとり白い猫のみ。
イライザは机から降り、横へ歩いてゆく。
ルミは机に近づく。嫌な予感がした。昨日来た時には気づかなかったけれど、机の横。猫のための保存食の、大きな袋が、側面に穴を開けられて横倒しになている。中身はだいぶ減っているようだ。
嫌な予感がした。机から落ちていた物があった。昨日は気づかなかった。手紙だった。
ルミはその白い封筒を拾い上げる。空気が冷えた気がした。封筒には、「ルミ江」とあった。迷ったが、封を切るしかなかった。
「ルミへ。心配させていると思う。すまない。
まず、卒業おめでとう。おそらくルミは、卒業した後に訪れるだろうから、(寧ろ、卒業する前にこの手紙を読んでしまわれては、ルミは学校どころでは無くなってしまうだろうから、そんなことはないと信じたい)いまから伝えることは、動転せずに冷静に読んで欲しい。
まず、これは遺書だ。僕は死んでいる。下の階、左奥の大きな収納箱。その中に、死体が入ってるはずだ。
君のことが好きだった。言葉にするのを避けてきた、君がどう思ってくれてるのか分からなかったから、あくまで友達なんだっていう体で振舞ってたつもりだったけど、まあ、分かってたよね。多分。
なんか、こうやって文章で書くと、何でも言えちゃうな。
君と過ごせた4年間、本当に楽しかった。ルミも、そう思っててくれたらうれしい。
ルミは、大きな世界で活躍できる人だ。そばで見てるからわかる。君はすごい。だからこそ、このままじゃいけないって思った。
僕にはこの店がある。変な話、もしこのまま関係が進めば、君はここに縛られることになっちゃうと思った。それはダメだと思った。まあ、ほんとは、ほかの理由だけど、とにかく、ルミは僕と一緒になるべきじゃないと思った。
でも僕には、君しかいない。
だから僕は、賭けに出ることにした。君がこれを読んでいるとき、僕の賭けが成功してるかどうかは分からない。けど、ルミはどうか、君の道を果てなく進んでほしい。
机の上に、本、あるでしょ。白紙の魔導書、プレゼント。どうか、君だけの魔導書を作ってほしい。
もし、その本がただの本なら、僕の賭けは失敗だ。だけど、使ってくれたらうれしい。そうすれば報われるよ。でも、そうじゃないって感じることがあったなら、選んでほしい。その本を置いてここを出て、すべて忘れるか。あるいはもし、ルミも僕のことを求めてくれていて、君が進めるはずだったはずの未来を捨て、ここから始まる動乱に加担し、大いに巻き込まれ、危険にさらされることを覚悟してくれるなら、その本をもって、テラ・パシフィカに向かうんだ。アズベル、っていう人がいる。その人を探してほしい。すべて伝えてあるから。
試すようなことを言ってごめん。でも、ルミの事がなくても、いずれ僕はこの賭けをしたと思うし、ほら、もう君は分かってるっしょ、僕はなんだろ、こういう確認の仕方をするタイプだって。」
ルミは頭に来た。本当に頭にきた。そして少しうれしかったけれど、後々から、現状の整理をするうちに、彼が死んでいるという内容に、だんだんと動揺してきた。
...まてまて、何だこの怪文書は。イタ過ぎる。誰だよこんなもの書いたの、と思ったけれど、だんだんと自分が書いたという事実が記憶を呼び覚ます。
なんていう告白の仕方だ、僕ってやつは。とはいえ、確かにそういうことを考ることはあった。でも、最後のほう。ここは僕にもよくわからない。アズベルにすべて伝えてある?手紙でも出したっけか、いやそもそも、何を伝えてあるんだ。
ルミは手紙を丁寧に畳み、封筒へ仕舞う。机の右奥には、階下への階段。ゆっくりと歩き出した彼女は、焦燥と恐怖が綱引きをして、かろうじて前に進んでいた。
階下。梯子にも近い階段を降り、部屋を見回す。
うなる鼓動。見慣れた木箱がそこにある。しかし彼女には、それがもはや棺のように見えてたまらない。
震える彼女の手。それでもゆっくり、伸ばして、つかむ。
ゆっくりと、ゆっくりとふたをずらす。
広がる隙間から入る光が、だんだんとそれを照らした。
安らかな顔だった。彼女の手は、その蓋を勢いよく閉めた。見たくなかった。目には涙が、もはやあふれそうだった。すべて無かったことにしたかった、今日という日を。
目をつぶる。涙が頬を伝った。このまま見なかったことにして、家に帰って。そうして、明日朝起きれば、また彼に会えるような気がした。
目を開ける。棺はまだ、そこにある。今度もゆっくりと、しかし固い意志で、蓋を開けた。彼はそこに横たわっていた。
ふいに、彼女のこわばった顔が緩む。彼の胸は、ゆっくりと上下していた。息をしている。首筋に手を当ててみれば、温かい。満面の笑みがこぼれた。そしてたくさんの、涙もこぼれた。
「死んで無かったじゃない。」
涙をぬぐいながら、彼女はそうつぶやいた。
うん。僕に死んだ覚えなどない。
ルミはケイの肩を叩く。
「起きて、ケイ」
「起きて!!!」
だんだんと手が強くなる。
しかし彼は起きなかった。
ルミの顔は曇る。不安がこみあげてきた。それとともに、彼からの手紙の言葉も。
「もしその本がただの本なら…」
「僕は賭けに出ることにした」
「その本を持ってテラパシフィカに…」
彼女の中で、すべてが結びついた。同時にそれを、彼女は信じられなかった。
「生命の木…」
彼女から漏れた呟きだった。
そっと、彼女はポケットから、かの本を取り出す。
手帳のようなその本を開いてみれば、やはりそこには、不気味な紋様が広がる。しかし今度は、彼女は迷いない手でそれに触れた。
地面が揺れる。風が吹く。物は浮き、空間は捻じ曲がり、彼女はぐにゃりと吸い込まれた。
気づくとルミは落ちていた。
家具も、商品も道具さえも、家にあった何もかもが落ちてゆく。
雲の高さの倍はあるだろう。目下には大地と大海が広がる。遠くの水平線に、太陽が沈もうとしていた。綿雲の合間からは、夕日に赤く染まる美しいガルド山脈が顔を出す。その奥に控えるアルバンガルド高地とその町、西の帝国までは望めないが、南はジェルドバ、北にはキールクルースの町と、かすかにだが砂海テラ・プロメサも見える。
「って、なにこれーっ!!」
ザツァの大森林が迫ってくる。
「やばいやばいどうしようっ」
叫ぶルミとは対照的に、私は実に冷静だった。不思議なことに、これから何が起こるかを理解していた。
「何とかしてケイーっ!!」
大地が割れ海は裂け、世界は魚眼レンズで覗いたかのように歪み、彼女の目の前に暗闇が現れる。空の切れ目のような、世界の背景画を破いたかのような、その隙間に彼女は落ちていった。
ルミが目を開けると、そこは暗闇の世界だった。彼女の周りには家具が散乱している。
地面はある。しかしそれは黒く、空や山も見えない。世界が黒い。
むくっと起き上がった彼女は、家具たちをよけながら進む。その闇の先に、何かを見つけたようだった。よけて蛇行しながらも、とても真っ直ぐな瞳で。
彼女が進んだ先に居たのは、私だった。棺は砕け、床に横たわる僕自身だった。
「ルミ...」
僕から声がこぼれた。力が体を伝わる。床は冷たくなかった。ゆっくりと起き上がる。
「ケイ!!っうわっ」
彼女は足を早めてこちらへ向かってきたけれども、家具に足をぶつけて、私の目の前ですっ転んだ。
「いったたたた」
「大丈夫?」
そう言って手を伸ばそうとしたら、うつぶせだった彼女はぐるっと仰向けに寝返り、笑い出す
「はは、はははは」
「ふ、ふははははは」
僕も笑ってしまった。
「生きててよかった。」
「ごめん、僕もあんまり、何が起こったのかまだ掴めてなくて。」
「いいよ、慣れっこ。ケイっていつもそう。なんにも言わずに始めるんだから。」
彼女は起き上がる。僕も立ち上がった。
服を整えると、彼女は背筋を伸ばしてこちらを真っ直ぐ向く。
「手紙、読ませてもらいました。」
彼女は二歩、近づく。
「はい。なんかごめんね。過去の僕がなんだか変なことをやらかしてるみたいで。」
「手紙、さ、読んだけど、もっとはっきり言ってほしいな。」
また一歩。
「えぇ...」
「逃げるの?」
「いや、」
「じゃあ言って。はっきり。」
「卒業おめ..
「ちがーう!!」
「ごめ。冗談冗談」
「もーう」
一歩距離が縮まる。
ほんの目の前にルミがいる。
声をしぼって
「好きだ」
「うーん、もう一声!」
もう一声?
妙な雰囲気。彼女は私に手を伸ばす。ちょっと逃げ出したいくらいに恥ずかしいけれども、ここで立たねばアズベルに蹴られる。
彼女の手が私に触れた。
途端。世界が裏返った。彼女は私の中へすり抜け、外へ。静かな夜の、私の家へ転がり出た。私も裏返った。またもや背後霊状態。
ふざけるな!!確かに逃げ出したいとは思ったが、なんでこんなタイミングよく異常現象が起こるのだ!!。
〇
暗い部屋。彼女と、その本だけがそこにあった。彼女はかがみ、その本を持ち上げる。
一時の夢のようだった。本当にそれを見たのか、あるいは幻覚でも見ていたのか、彼女の記憶は、それを判断できない。
しかし、先ほどまで様々の物が散らかっていた部屋の中は、上の階に至るまで、まるで入居前かのように、まっさらに何もなくなっていた。
ルミは、ページの真ん中ぐらいで、本を広げた。まっさらなページが続く。観察が始まった。前からページをめくる。後ろからページをめくる。ひっくり返して読もうとして見たり、あの模様を観察してみたりした。
また、触れたくなった。でも今度は、そっと、この世界にとどまれるような、ただ覗き込むだけにとどめるような、そんなやさしい触れ方をした。
そのまま、ページをめくる。物語は、そこにあった。すべてが書かれていた。昨日、ルミがあの學校を出てから、こうしてここにたどり着くまでの物語が。そしてその物語は、こうして今もなお綴られ続けている。
まずい気がした。何かが起こる。逃げたほうが良い。
「何が起こるの?」
彼女は、私に聞き返した。いや、独り言を言った。
とにかく、僕は嫌な予感がする。とにかくここを出たほうが良い。
「ケイ、なの?」
「ドンドン‼」
ドアを叩く音がした。大きな音に、彼女の背筋は凍り付く。誰かが入ってくる。ルミ、左奥の壁、登れるようになってる。天井に入口があって、屋根に出られる。
「登るの??」
それか、玄関を開けて誰なのか確かめるか。でも僕は、嫌な予感がするよ。
ルミはバタンと本を閉じ、ベルトに挟んだ。商品棚が無くなってあらわになった壁には、くぼみがついていて、それが梯子になっていた。登って、屋根裏へ入る。来た扉を閉めて、屋根裏は真っ暗になった。
耳を澄ます。奴らの声が聞こえる。
「おかしいですね。確かに、女が入って行ったところを見たのですが。」
「ここ2週間、音沙汰がなかったのだ。もう遠くへ姿をくらましたのだろう。その女も、お前の見間違いじゃないのか。」
「かもしれません。幸い、”写し”はすべて回収できているそうです。奴も”仕掛け”にかかっているでしょうし、もう追う必要はないのではありませんか?」
「だからこそだ。もし奴がアレを、いや、ここから先は機密だ。とにかく、ここの監視は続ける。」
屋根裏の奥に、光る枠があった。何か、上へつながる扉の隙間から、光が漏れている。
ルミはゆっくり動き出す。這って進み、その扉を開けた。
ルミの上には、星の海が広がっていた。ルミは、世界がひっくり返ってしまったような気がした。だけど、地上に吊られて、海へ落ちられずにいるような気もした。
下の階の扉が閉まる音がした。彼らはどうやら去ったらしかった。
「誰?あの人たち。」
また本を開いた彼女は、私を読んで聞き返す。
僕にも分からない。
「追われてるの?」
らしい。でも、分からないんだ。
「分からない?」
覚えてないんだ、全部。
「全部?」
二週間ぐらい。ごめん。
屋根裏を通り、下へ降りる。そのまま彼女は、下の階から用水路のほとりへ、店を出た。
だまって、歩く。
水路のほとりを、ゆっくり、ゆっくりと。考えることが、とてもたくさんあった。小一時間、考え続けた。
彼女はふと歩みを止める。
「乗った」
切り出したのはルミだ。
川沿いに立つルミの顔は、青白い月明かりに照らされながら、遠い星の世界を眺めている。
「ケイと、あなたの協力者がやろうとしてることが何なのか、少し想像は付くけれど、そんなことはどうでもよくて、ただ、ケイと一緒にどこかへ行きたい。だから、ついていく。」
本を開きつつ、彼女はそう言う。
ありがとう。
「まったく。それにしても最悪のプロポーズ。」
それはごめん。
星空が動き出す。ルミの歩みとともに。水面に落ちる影は、映る夜空とともに。ゆっくり、ゆっくりと進み、ゆらゆらとさざなみに揺られる。
私の親父はある冬の日、私が十八になった日に、店を私に譲って、母と同じところに行った。ルミが初めて店に来たのは、そのほんの数か月後だった。
もう四年...
「もう四年だね。」
ルミと出会えたのは本当に奇跡。私の毎日は、その時から変わった。でも同時に、どこか寂しくもあった。これ以上進まない関係。いつか彼女は、どこかに行ってしまう、そんな気がしていた。
ルミの眼差しは、どこか遠くを見ていた気がしたんだ。
「ずっとどこかへ行きたかったの。自分の知らない場所へ。ザツァに来たのもそう。自分の知らないことを知ってるあなたに惹かれた。あなたなら、遠いどこかへ連れていってくれると思った。だからあんなことも、ふと言葉には出してみたけど、ここまではしてほしくなかったかな。」
歩きながら、片手に本を。読んでそれに独り言をつぶやくのにも、彼女はこなれてきたようだった。
「さて、私は、私が進めるはずだったはずの未来を捨てて、ここから始まる動乱に加担し、大いに巻き込まれ、危険にさらされることを覚悟するけど、あなたは私を、どこに連れて行ってくれるの?」
...恥ずかしいので、引用しないでほしい…
「ふっ」
彼女は微笑んだ。やはりその顔が一番好きだ。
でも、本当に悪いんだけど、ホントに何も覚えてなくってさ。まずは、何か知ってそうな奴を、当たってみるしかなさそうだよ。
待ってろよ、わが友アズベル。君が関わってるのは割れてるんだ。