商業都市ハーグを守る正義
「何日か晴天が続いたからな。野菜に水をよくやっておかないと」
畑一面に広がる葉物野菜の成長を見て、野良仕事姿の青年グレンは一人つぶやきながら、朝の柔らかい陽光を身に受けつつ、柄杓で手際よく畑に水をまいている。
ここは商業都市ハーグ。交易が盛んな港を有し、大川が近くを流れる、水運に恵まれた歴史の古い都市だ。大昔から、各種商取引を積み重ねて発展してきたハーグの中心街は大層賑やかであるが、頑健な引き締まった体で農作業を続けているグレンは、町の賑やかさからは遠い、郊外に居を構えている。
農民は作物を育てる過程で力仕事も多くこなすため、頑健な体を持っているものだが、農作業に勤しむグレンの肉体は、それにしても鍛えられすぎていた。彼の体が戦士のように鍛錬されているのには、ちょっとした理由がある。この精悍な青年グレンは半農半兵、つまり、都市を守る衛兵でありながら、非番の日には広い畑で作物を栽培する、農民としての暮らしを営んでいる。実際に彼は優秀な戦士としての側面も持っており、自分の身を鍛えるのにも余念がないわけだ。
迷いのない慣れた手つきで畑仕事を終えたグレンは、農具を作業小屋に仕舞うと、自宅で一旦休息を取るため、畑から離れようとしていた。グレンが一通り帰り支度を整えた丁度その時、向こうから手を振りながら小走りに駆け寄り、野良着姿の彼に話しかけてきた可愛らしい町娘がいる。
「やあ、アイリスじゃないか。おはよう。どうしたんだ? そんなに息せき切って?」
グレンはのんびりと構え、駆け寄ってきたアイリスの顔を覗き込むように見ると、安心感充分な笑顔を浮かべ、何やら少し慌てている幼馴染の彼女を落ち着かせようとした。アイリスはグレンの屈託ない笑顔を、満更でもない心情でしばらく眺め、なんとなしに心の落ち着きを取り戻せている。
「おはよう、グレン。家に帰るところだったのね。行き違いにならなくてよかった。それで……どうしようか今まで迷ってたんだけど、やっぱりあなたにしか相談できない困り事があるの」
アイリスの少し沈んだ表情から、グレンは大きな厄介事の気配を察知したが、他でもない幼馴染からの相談である。断るわけにもいかない。グレンは畑の作業小屋にアイリスを呼び寄せ、簡素な木のテーブルを隔てて腰を落ち着けながら、いつになく悩み深い彼女が抱える困り事の一部始終を聞いた。
アイリスの顔は、困り事を打ち明け始めた当初、少し沈んだ様子で暗かったが、うららかな陽光に誘われ、畑の作業小屋周りに集まってきた小鳥のさえずりを聞きつつ、伝えたい事柄を話し進めていくにつれ、気が段々と楽になってきたのか、表情に明るさが戻ってきた。
アイリスがグレンに伝えた困り事のあらましは次の通りである。
先日のことだが、アイリスの家の隣近所に住んでいる夫婦の家に強盗が入り、多額の金品が盗まれてしまった。強盗から脅迫された夫婦は素直に従い、金品の保管場所を教えたことで身に危害が及ぶのを免れたが、大きな金銭的被害を受けたのには間違いなく、今現在、非常に困っているのだという。つまりアイリスは、ハーグの都市衛兵の職務に就いているグレンに、強盗事件解決へ向けて動いてくれないかと頼みに来たのだ。
自宅近くで起こった凶悪犯罪でもあり、その強盗事件についてグレンは知っていたが、自分の職務として管轄外でもあったので、ハーグの公安部門の捜査に任せ、グレン自身はノータッチの状況であった。また、都市衛兵であるグレンは、その事件が起こった日は非番であったことから、事件当日の警備の不備など、そうした職務上の責任は問われない。そうではあるのだが、正義感が人一倍強いグレンは、
(どうにか解決できないものか)
と、心に引っかかりを持ち続けており、アイリスの懇願を聞いた今、自身を突き動かすほど強い正義感の高まりを、彼は心奥に感じている。
幼馴染アイリスの深刻な頼みを聞き入れたグレンは、まずハーグの中心街へ向かい、公安部門が所在する重厚な造りの建物へ入った。ハーグを守る衛兵として都市の公安に対し、強盗事件解決への協力を申し出ると共に、事件に関する情報を入手するためだ。
「おお! グレンじゃないか! 公安部に顔を見せるなんて随分珍しいな。何かあったのか?」
グレンは広く開かれた玄関から建物に入り、一階の公安部受付に話を通すと、程なくして彼の親友レスターが、意外な訪問に驚きながら笑顔で応対に現れた。レスターとグレンは、ハーグの公立学校で学んでいた頃からの付き合いで、全く気の置けない間柄である。
「大ありさ。アイリスに頼まれてな。詳しい話を聞いてくれるか?」
グレンはフランクな形で話を切り出すと、レスターに詳細な事情を語り始めた。
「なるほど……あの強盗事件のことでアイリスは悩んでいたのか。公安部として面目ないところだが、実のところ捜査が進んで、事件解決の一歩手前まで来ているんだ。それに加えてお前の協力が得られるのなら、こんなありがたいことはない」
グレンから事の詳細を聞いたレスターは、二人にとって共通の友人であるアイリスが我慢していた強い不安感を思い、公安で働く者としていたたまれない心境だったが、すぐに気持ちを切り替え、強盗事件に関する捜査状況の進展をグレンに伝え始めた。
レスターの話を聞いていく内に、公安部の捜査はグレンが考えていた以上に進展していることが分かった。その内容は次の通りだ。
昨今のハーグで頻発している強盗事件は組織的な強盗団によるもので、アイリスの隣家で起こった事件も、同じ強盗団が関与していると公安は目星をつけている。また、捜査の進捗により、強盗団のアジトの場所まで既に突き止められているのだという。
「ハーグの公安部門としての立場で言うんだが、剣技と弓技に優れたグレンが事件解決に向けて手を貸してくれるのは非常にありがたいんだ。捜査は詰めの段階まで来ている。強盗団壊滅を目的とするアジト突入作戦は、今から3日後に決行予定だ。アジトへの突入時には、グレンにも是非来て欲しい」
公安としてそこまで腹を割った情報を開示すると、レスターは右手を差し出し親友グレンと固い握手を交わす。グレンは全面的な協力をその握手で約束し、アジト突入作戦決行日は、レスターと組んで動く運びとなった。
事件についての情報開示を受けたグレンは、レスターから強盗団のアジト周辺の地図を渡された後、引き続いてアジト突入作戦の説明を漏らさず聞いている。
「ここまでの捜査により、アジトを根城とする族たちは、相当数いることが分かっている。激しい抵抗が予想されるため、こちらも実戦経験を積んだ手練れ10名の部隊を組み、突入をかける」
強盗団のアジトは、ハーグから少し離れた場所に建つ木造一軒家であることも突き止めている。木造家屋の弱点は火であるため、突入開始前に、火矢を射掛ける。火矢を受け、慌ててアジトから出てきた強盗団を、屈強な手練れ10名で一網打尽にするという作戦内容だ。
レスターの説明をよく聞き、内容を漏らさず理解したグレンは、公安部を後にし、3日後に決行される強盗団壊滅作戦に備えつつ、半農半兵の日々を注意深く過ごした。
3日間は瞬く間に過ぎ、アジト突入作戦当日となった。グレンとレスターを含む10名の精鋭部隊の姿は、今、ハーグの町から見て東方、静かで緑深い森林地帯の差し掛かりにある。その地点から見える、森と平野のちょうど境目辺りに強盗団のアジトがあるわけだが、木造一軒家周辺は土地が開けており、火矢を射掛けたとしても周りに燃え広がる心配はそれほどない。
(それでも細心の注意は必要だろう)
グレンは慎重に心構えを整えると、他の射手と共に、鍛錬により身につけた弓の技を存分に発揮し、木造の広いアジトへ正確な狙いで火矢を放った!
「な、なんだ! ちくしょう! 嗅ぎつけられたか!」
火矢をアジトに射掛けられた強盗団はパニックになりながらも蛮刀を抜き、アジト内から一斉に飛び出して来た! アジトから現れた族たちの人数は10数名、予想通りの相当数で乱戦となるが、迎え討つのは歴戦の手練れ10名である。敵の方が人数に勝るといえども、所詮は族が振るう剣だ。応戦する精鋭10名は次々と強盗団を片付けていき、残すは族たちの頭目を全員で囲むばかりとなった。
「これからお前を捕縛する。武器を置いて大人しくすれば、命だけは助けてやる。神妙にしろ!」
「誰が言う事を聞くか! クソッタレがああぁぁああ!!!」
破れかぶれになった頭目は、体を大きく開いた捨て身の構えでレスターに斬り掛かってきた! しかしながら、そのような闇雲な攻撃が通用するはずもない。レスターは頭目の斬撃を、両手に装備した2本の片手剣で防ぎきり、完全に攻撃を受け流した!
「オオオオォォォオオッッ!!」
頭目は斬撃を受け流され体勢を大きく崩している! グレンはその攻撃機会を逃さず、辺りに轟くような気合声を発すると、鋼の大剣を高速で振り抜き、頭目が放すまいと必死につかむ蛮刀を、無慈悲に弾き飛ばした!
得物を失い為す術がなくなった強盗団の頭目は、その場で力なく膝を突くと、グレンとレスターにより身体を制圧される……。
グレンとレスターを含む精鋭10名の活躍により、商業都市ハーグの脅威となっていた強盗団は壊滅した。捕らえた強盗団の頭目を公安部が尋問したところ、今までの強盗事件に関連する多くの盗品の所在を吐かせることができた。公安部は火矢を受け全焼したアジトに向かい、地下の隠し金庫に保管されている金品を全て回収した後、一連の強盗被害を受けたハーグの市民に盗品や金を返還した。
アイリスの隣近所に住んでいる夫婦にも、盗まれた全額ではないが金品が返還された。夫婦2人は事件解決に一安心し、大層喜び合ったそうだ。
「さあ! たくさん作ったんだからどんどん食べて! お酒もいっぱいあるわよ!」
強盗事件解決から2日後、その立役者であるグレンとレスターの活躍を労うパーティーが、アイリスの家で盛大に催されていた。大きなテーブルの上には主菜として牛肉のステーキ、主食として各種の具が挟まれたサンドイッチが大皿いっぱいに盛られている。どうやら事件解決を受けて、ハーグの名士が食材費と酒代の提供を申し出たらしく、その金で購入した牛肉や卵、野菜などを、料理上手なアイリスが腕によりをかけて調理してくれたようだ。ビールも飲みきれないくらい樽ごと用意されている。
「グレン、ちょっと外に来てくれる?」
慰労パーティーの最中、アイリスはグレンを家の外の庭木近くにそれとなく呼び出した。
(なんだろう?)
そう首を傾げつつも、グレンは顔を少し赤らめているアイリスと向き合っている。
「私の無理な頼みを聞いてくれてありがとう。それで……もう言っちゃおうか。グレンは誰か付き合ってる人いるの?」
「? ああそういうことか……。いや、いないよ」
グレンのその言葉を聞いてアイリスの顔が明るくなった。アイリスの名の通り鮮やかなアヤメの花が一面に咲いたような笑顔を見せている。
「そこまで言ってくれたなら、こっちから告白するよ。幼馴染だから言い出しにくかったんだけど、俺はアイリスのことが昔から好きだったんだ。付き合ってくれるかい?」
「そうだったの!? もう! それなら早く言ってよ!」
アイリスは返事の代わりにグレンのたくましい胸に抱きつき、口づけを交わした。その様子を玄関ドアに身を隠しながら見守っていたレスターは、ビールグラス片手に満足そうな笑みを浮かべると、
(やれやれ、ようやくそうなってくれたか。世話が焼けるな)
恋仲となった二人の邪魔にならないよう小声でつぶやき、グラスのビールを飲み干す。
災い転じて福となす。親友に思いがけず起こった良事について、人知れず祝杯を上げたくなったレスターは、良酒を飲み直すため、またアイリスの家へ静かに戻って行った。