4 観察者はラーメンが好き
ニルヴァーナ内にある地下施設、その中でも最奥に近い一室。
完全防音と耐衝撃性能があるガラス越しに数人の男女が目の前でおこなわれている実験をみていた。その中でもほぼ正面に座っているのが3人。室内にもかかわらず、特徴的な丸サングラスの中年太りの男、対象的に長身細身で皺ひとつないスーツ姿の男が一人と軍服姿の妙齢の女性だ。
そしてガラスの向こう側では今まさに一人の少年が熊蟷螂に蹂躙されている風景が映っていた。
そのうちの一人が脇にある大型モニターに近づくと、そこにはより拡大された映像が映し出されていた。
「全く動けないようですな。そもそも設計そのものに問題でもあるのでは?」
男が振り返る。その視線の先には黒サングラスの男と軍服の女性がいた。
振り返った男は歳の頃は五十代ぐらいだろうか。長身細身と黒サングラスの男とは対称的な身体付きだ。
男は目の前にいる小太りの上司を直接追及するかのように周囲の面々に声をかけた。
備え付けられているモニターには一撃目により吹き飛ばされる少年の姿が大写しになっている。年端もいかない子供が怪物に襲われているのを眺めるだけというのは普通の感覚の持ち主では耐えられないだろうが、ここにいる男女にとっては些細な出来事のようで眉一つ動かす事なく映像を見ている。音声は届いていない様子であり、子供の叫び声はこの部屋には聞こえていなかった。
「超支部長。これはもはや失敗といえるのではないですかな? あのような子供に何を期待されていたのか、私のような無知な者にはわかりかねますね」
「トムヤム副司令……」
嘲笑混じりの声をかけられたサングラスの男、超はそっと横の女性を見る。紺のネクタイをしめ若草色に紅のラインが入ったワンピースのような軍服姿のその女性は微動だにせずガラスの向こう側をみている。
とても助け舟を期待できる雰囲気でない。
目の前の男、トムヤム副司令はモニターを指で忙しなく叩きつつ、ここにいる全ての関係者に語りかけるように口を開ける。
「このような計画が我々にも極秘で行われると言う事は組織としての根幹を揺るがす事ではないでしょうか」
その声を受けて、後方に位置している何人かはボソボソと何かを話しているようだ。
「まさか鋼鉄機人計画が実行されるとは思っていませんでした。被験体が居たのは重畳でしたが、あのような子供とは」
超は内心の焦りを隠すように指でサングラスを軽く押し上げた。
今回、超は研究員たちの報告をもとに、念入りに念入りに調べ上げ、確信をもってこの莫大な予算を使う計画にサインをした。
莫大な予算と扱うモノが物だけにこのプロジェクトはごくごく一部の者以外には知らされる事なく進めていった。
あの少年が認められた者であるという、ある種の確信を持って。
"だからきっと大丈夫、のはず!"
一抹の不安を抱え、思わずプロジェクトを推進した一員である後ろの部下を見るも、不動の姿勢で控えているだけだ。
彼を設計・製作した者はあの子が目覚めたらすぐにテストを行え、という無茶な要求をしてきた。おかしいとは思ったがアレコレと言われ気付けば丸め込まれて今に至っている。
しかも、その当の本人は次の研究だとかいって何処かに行ったしまったと少し前に報告を受けた所だ。
子供があの状態で目覚めて、すぐに戦える訳がないのに。いや、選ばれた者ならば可能かもしれない。そんな楽観視があった事は否定できない。
"こんな時はアレだ。いつもので落ち着くしかない!"
手元の呼び鈴を鳴らすと間も無く外から別の部下が現れた。何故かお盆の上に熱々のラーメンをもって。
無言で超は受け取ると割り箸をきれいに割り両手を合わせるとズルズルと食べ出した。
"やはり、ラーメンはいい。神の造りたもうた最高の作品だ。食べるたびに気分が落ち着く"
傍目には仕事中に一心不乱にラーメンをすするただのデブいおっさんがいる。
「司令……」
副司令も横の女性もこの超の行動はいつもの事とはいえ、ここでもやるか、とやや引き気味だ。三食にラーメン、オヤツにもラーメンを食べる無類のラーメン好きであり、会議中でも煮詰まると食べるので専門の部下が控えているぐらいだ。
その間にも少年は壁に叩きつけられており、ドラムを叩くかのように鎌を連続で突き立てられているところだ。ラーメンに夢中の超は気づく様子はない。
"もはや、見る価値もないな"
眉間に深い皺を寄せながら、トムヤム副指令は実験の中止をおこなうべく手元のスイッチに手を伸ばしながらモニターを見直す。
少年は壁に叩きつけられどうやら意識を失ったようだ。
このまま、あの少年が熊蟷螂に攻撃され続けても、恐らく死ぬ事はないだろう。それだけの事を彼の身体にはおこなっている。
だが、使えないのならば話は別だ。これ以上、壊されるような事は避けたい。あの少年の安全のためではなく費用の問題だ。トムヤム副司令はスイッチに手をかけた。
ドクンッ!
やや強めの振動が強化ガラスを揺らす。
その時、少年の目が氷のように冷たい蒼色に光ったように見えた。鎌が振り下ろされたその瞬間、さっきまで壊れた人形のように転がっていた彼が熊蟷螂の真横に立っていた。薄緑の術衣は切り裂かれボロ切れのようになっていたが、その全身は淡い蒼の光に包まれているように発光している。
いつの間に?ずっと見ていたが気づく事ができなかった。スイッチに目をやった時だろうか。
そんな考えを巡らせている間に、捉えきれない速さで振られた鎌を少年は拳で叩き落とすと、刃物がぶつかり合ったような硬質な音が室内に響いていた。
明らかに質量で劣っているはずの少年の打撃が生物兵器の中でも上位に位置する熊蟷螂の攻撃を翻弄していた。
目では捉えきれない程の速さで何度目かの打撃が行われたであろう後に鎌が大きく跳ね上げられる。
少年の胴体程の太さもある多脚の一本に小さな拳が当たると、その脚はまるで紙細工のようにぐしゃりと砕ける。そのまま反対の脚にも蹴りが放たれると身体を覆う硬い甲殻を砕きながら二つに折れた。吸い込めば致死性の高い体液が身体にかかっているが気にする様子もない。
「なんと、これは予想以上だな」
やや驚愕しつつ、トムヤム副指令は改めて監視室のガラスに近寄り目視で戦闘を見守る。
強化ガラスに触れると僅かだがリズミカルに揺れているように感じた。完全防音の上に室内の音声が入ってこない為、何かあったのかは分からない。
「どういう事だ?」
訝しげにガラスを触れ直すが、それよりも目の前の風景に目を奪われ、たちまちそんな事はどうでもよくなった。
あの小さな子供が我が組織の訓練された兵士数人がかりでも制圧できない熊蟷螂を相手に一人で戦えるなら、かなりの戦力が期待できる。
まさに一騎当千になりうるかもしれない。それこそ、かつて居たといわれる機士のような。
二本の脚を失った怪物は毒性のある体液を撒き散らしながら少年に近づくが、再び常人の目では捉えきれない速度で繰り出された拳を受けると派手に吹き飛ばされていた。
ふらつく熊蟷螂を前に少年は仁王立ちとなる。彼の脚からは蒼白い光が強く輝き明滅を始めていた。
僅かにスパークし、全体に蒼く明滅し始めた脚を深く折り畳むと、屈んだ状態から軸足で地面を強く踏み込みこんだ。
ズンッ!
そんな音が聞こえたかのように、踏み込んだ床を凹ませ一条の光の如く放たれた飛び蹴りが怪物の身体を捉えると一瞬、熊蟷螂に雷光が迸ると四肢が風船のように膨れ上がり爆発したように四散する。
周囲には強力な電磁界の残滓だろうか、視認できる程にいくつものスパークが見えていた。
その光が消えた頃、糸の切れた操り人形のように少年の身体は崩れ落ち、身体に纏っていた光も消える。まるで一つの人形劇が終わったかのように照明が次々と落ちていき室内は闇に閉ざされた。
******
「あー、もう終わったアルか? さすがネ」
超司令は丼を傾けて正に最期のスープを飲み干すと少し憂いた表情で空っぽになった丼の底を眺める。
「さすが司令。計画の成功を確信されていたのだろう、驚きもされていない」
後ろに控えていた何人かの男達がそのように話しているのを耳にした軍服の女性は内心で全力否定する。
(違う! あれはラーメンがなくなって悲しくなっているだけだ!) と。
モニターを見ていた者たちの一部は歓喜と拍手でお互いをたたえ合う。部屋の中は一時的な喧騒に包まれていたが、その中でも副司令の声が響いた。
「素晴らしい司令! 本当にあの計画は成功されたのですね。まさかあの"機士"になりうる存在がいたとは」
副司令は普段、冷静な男だったが、この瞬間ばかりは興奮を抑えることができず、そのの声はさらに部屋の興奮を高めた。
「あれではダメです、全然ですね」
先ほどの軍服姿の女性は手元の資料を見ながら落胆したかのような溜息交じりにそう言うと、若草色の軍服を翻し部屋の中央で立ち上がった。
その透き通るが冷淡な声に部屋の喧騒が一瞬で鎮まり、周りのスタッフたちが彼女に注目した。
トムヤム副司令は彼女の言葉に驚き、興奮が一瞬にして冷静さへと変わるのを感じていた。
「何がダメなんだね! 現にあの少年は単騎であの怪物を制圧したではないか」
「熊蟷螂相手に時間がかかり過ぎです。予測ではもっと早いはず。ましてや、戦闘終了後に倒れるようでは使い物になりません。しかも反射で動いているようなあの感じ、恐らく技師達のサポートのおかげであり彼の力ではないでしょう。あれでは"Ω"の自動人形達と変わりがないではありませんか」
「しかしだな」
反論しようとする副司令にかぶせるように女性は続ける。
「私達の求めるものはあのような自動人形紛いではありません。それに、いつか来る日に備えるなら彼の意志が必要です。意思なき者では意味がないのですよ」
部屋の中には緊張感が漂い、他の者達もその空気を察知して言葉を濁すような慎重な様子を見せている。しかし、女性は自分の主張を曲げずに真摯に訴えていた。
苦々し気な顔をしたトムヤム副指令は目の前の女性を睨む。正論ではあるのだが、自分の年齢の半分にも満たない小娘に言われたのが気に入らないのだ。
副司令は深呼吸をし思考を整理した。自分は副司令である、ここは自分の意見を主張することで部下たちに指導者の威厳を保たねばならない。
「分かった。君の意見は一考に値する。彼の成長をサポートするための新たな方策を検討しようではないか。では具体的にどうするつもりだね。ジャンヌ少尉」
なるべく抑えてはいるようだが、隠しきれない怒気を孕んだ口調でトムヤム副司令が尋ねる。
「我々の戦いの意味、自分を守る戦い方を含め徹底的に教育をおこなうしかないでしょうね」
そうするしかないと言った表情でジャンヌと呼ばれた女性はネクタイを少し緩めた。そして、憤りと怒りのこもった瞳を名残惜しそうに丼を眺めている超の方に向ける。
「それに今回のテストはそもそも無茶苦茶です。彼はまだ民間人で子供ですよ!」
「いや、それは……」
口を開きかけた司令を軍服の女性がキッと睨むと、もごもごと口を濁した。この話を早く終わらせないと今すぐにでも撃ち殺されかねない。そんな恐怖心を感じさせ頭頂部より汗が落ちた。
「そ、それでは君が直々に彼の教育をやってくれるアルか」
「ご命令とあらば」
ふむ、と超は考える。目の前の女性は階級はともかく第一線に立つ部隊の隊長格の実力をもつ。教育にまわせば戦力の低下は否めないだろう。しかし、他に適任者がいないのも事実だ。あの少年の秘密を知り、かつ教育できる者など数えるほどしかいないだろう。しばらく考えてみても他に適当な人物は思いつかなかった。
「わかった、ジャンヌ少尉。ソータ少年の教育係に任命するアル。あとは任せたヨ」
「了解致しました」
ジャンヌと呼ばれた女性は踵を鳴らし敬礼すると部屋から出ていく。その後、退室する副司令や他の将校たちの姿が続いていき部屋には沈黙が漂った。
超は部屋の中央に立ち、彼らの背中を見送ると研究員らしき人達に回収されるソータを映したモニターを横目で見る。
「さて、うまく育つアルよ。ソータ君」
超が部屋を出ると、全ての明かりが消え部屋は暗闇に包まれていった。