43 神聖国ガイア
北方に位置する国、ザラ。かつての大戦の影響が少なく森林や山脈など自然が多く残っている貴重な土地である。今ではこの国は神聖国ガイアと呼ばれ、知らぬ者はいない大国の一つとなっていた。
神殿をはじめとして、石造りの街並みが多くこの辺りだけ時間が巻き戻ったような錯覚を受けるような雰囲気があり、何百年も時代を遡ったと勘違いしそうな、美しい街並みをみせる。
その街の奥にある神殿の周りには美しい風景とは正反対に多くのカラスが飛び交っていた。そのカラス達の中心には神殿のテラスがあり、その中で一人の男が佇んでいる。山高帽と燕尾服というおおよそ、神殿にはおおよそ似つかわしくない格好であり、更にはその服は擦り切れていて見窄らしい状態であった。
真っ白な神官服を身にまとった若い女性がその男の下に駆け寄っていくとその手前、数m以上離れた所で立ち止まり、両膝をついて頭を垂れた。これ以上は神官である彼女如きが目の前の男に近づくことは許されない。高貴なる方の側に寄るならば、もっと徳を積んでいないといけないからだ。
「アントニオ司教様、お耳に入れなければいけない報告がございます」
アントニオと呼ばれた男はまるでタップダンスでも踊るような軽やかなステップを踏みながら女性に向き合う。
「HAHA、何事だい? そんなに慌てて」
「我が神、ゲーデ様の敬虔なる僕が東の地で神のもとに召されたようです」
アントニオは徐に懐から葉巻を取り出すと根本をカットする。火を付けるとゆっくりと吸い込みしばらくしてから紫煙を漂わせた。
「よかったじゃーないか。いずれは逝かねばならない。遅いか早いかの違いだよ」
たいした事ではない、と擦り切れた服の裾をいじると静かな神殿に摩擦音が聞こえる。
「ただ、アレは確か傭兵としてサイキッカーを一人使うという報告を受けましたし、ブラッディハウンドも貸与したはずなのですがねー」
無能な者ではない、だからこそ比較的上位に位置するブラッディハウンドを貸与した。彼では少々供物がないと神がお力を貸して下さらないのが問題ではあったが。その表情には懸念と諦観が入り混じっていた。
「召喚出来なかったのかな」
「いえ、神の使徒は呼びかけに応じておられたようです」
「ならば、国軍に動かれたのですか?あれを倒せるとなるとそれなりの兵力を動員したでしょうし」
アレが完全な状態で喚ばれたのならば、そのぐらいの規模の兵士が動く必要があっても不思議ではない。尤も、アレが動き出したならかなりの被害が出ているはずだがそんな報告はまだ届いていない。何れにせよ、逝ってしまった以上はどうにもならない。
仕方ないですね、と再度葉巻を口にし愛おしむように煙を吸い込み紫煙をゆらす。
「恐れ多いながら、傭兵会社グリードカンパニーに問い合わせた所、軍が動いたとの情報は入っておりません」
「ならば、誰が動いたというのかな?」
アントニオ司教が眉をひそめる。
ゴクリと唾を飲み込み、推測ではありますがと前置きしてから女官が答える。
「軍でもなく、神の使徒を退ける力を持ちかつ、我々に敵対する組織となるとニルヴァーナが動いたのではないかと考えております」
女官は地に擦り付ける程、頭を深く下げて報告しているうちに身体の芯が冷たくなるなるような感覚がしてきた。
アントニオ司教が紫煙をくゆらせているが、その煙がまるでゴーストのように見えていた。それは恐れのせいでそうみえているのか、はたまた本当にゴーストが側に来ているのか。
「奴らがいる可能性があるのですか?」
冷たいその声に女官の頬から更にすうっと血の気がひくと白い肌が一層白くなり青白くなる。
「あ、あくまでも状況からの推測でございます。ですが、このような恥知らずな事をするのは奴らぐらいかと」
震える女官の発言を聞いたアントニオは先程までの穏やかな表情がニヤニヤした顔つきにかわり、その後は高笑いにかわる。
「そーですか、そこにいるのですね、あの忌々しい異教徒どもめ! 奴らのケツの穴に我らが神の御神体でもぶち込んでヒイヒイ言わせてやろうか。 家畜どもは大人しく我々に喰われてしまえわばいいのだ!」
先程までの紳士然とした雰囲気はなく下品な笑いを上げながら罵詈雑言を並べ立てる。
ヒハヒハとしばらく笑うと、女官に声をかけた。
「この件に関してはこちらで処理しますよ。大司教様のお耳にも入れなければなりませんからねー」
「大司教様!?」
女官その言葉を聞くと驚いて思わず声を上げた。大司教様は彼女達、神官が拝見する事などあり得ず、お声を聞くことも叶わない。
ガイアにおける原点にして頂点、頂点にして至高、至高にて深淵たる存在のお方だ。
そのようなお方に自分如きの報告がお耳に入るなど、なんと恐れ多い事であるか。しかも、確たる証拠などまだない。間違いであったならどのような罰が与えられるか。
いや、大司教様直々の罰であればなんと喜ばしい事だろう。想像するだけで歓喜に震えそうになっていた。
「我らが神、死神ゲーデよ。このような導きに感謝致します」
彼女は五体投地となり自らが信仰する神に祈りを捧げた。
「我らガイアはこの星の真の支配者たる神々にこの地をお返しする為に存在するのですから。我らが神々を信奉する者には必ず救いが、認めない者には等しく死が訪れるでしょう」
アントニオ司教は山高帽を深く被り直しながら静かに語る。
「ニルヴァーナのクソどもには死すら生温いデスからね」
長い廊下に足音が響き周囲の石壁の隙間を通り抜け建物全体を包む。時には軽快なダンスのようなリズムに変わり、鼻歌まじりに踊るようなアントニオが廊下を歩んでいた。
壮大なレリーフが刻まれた大扉の前に来ると、両端にいる神官が扉を開く。目の前にはこの建物に合わせているのか白材を使った落ち着いた雰囲気の部屋があった。むやみに高い天井に幾つか見える窓からは光が差し込み部屋の中央には大円卓が据えられその周りには席が並んでいる。一番奥には玉座のような一際立派な椅子が見え神秘的な雰囲気をより厳かな物に見せていた。
アントニオはそんな雰囲気を台無しにするような鼻歌とダンスを見せながら部屋に飛び込む。
「皆さーん。朗報ですよー」
その声に椅子に座っていた男女が振り返る。
「いち、にい? ……、おや、人数が足りませんね。お散歩ですか?」
アントニオの場違いな程の陽気な声が響く。
「おっ死んじまった奴らがいるだろ。あとは布教活動に行ってる奴もいるからな。そのスカスカの頭では忘れてしまったのか?」
「貴方が機嫌がよいのはいつもの事。とはいっても今日は特にご機嫌ね」
奥の男女が気だるそうに返す。奥にいる男は体格がかなり大きく、手前にいる女性との遠近感を狂わせる程だ。女性は長身長髪の美女であり一見儚げにも見えるが、その目には氷のように冷たく冷酷で虚げな雰囲気がみえた。
女は手元の折りたたみナイフを軽快にもて遊んでいたが、突然アントニオに向けて投げつける。
わぁ、などと芝居掛かった間延びした声を出しながらアントニオがナイフを避ける。ナイフは壁際に控えていた使用人の女性の片耳を容赦なく壁に縫い付けた。血の温もりが耳から滲み出し壁を染めていく。
凍り付くような痛みが彼女の身体を貫き会議室に甲高い悲鳴が響き渡らせるが、慌てて彼女は両手で口を押さえた。司教様方の前で声を出すなど畏れ多いこと、必死で頭を下げようと思うが縫い付けられた耳のせいで頭を下げる事も叶わない。
「思ったより声のトーンが低いわね。もっと大きく、高い声で、痛そうに、泣き叫んでくれて構わないのだけど」
ナイフを投げつけた女は椅子から立ち上がり女性のもとにゆっくりと歩み寄る。腰を越える程の長い灰色の髪を揺らせ、やや露出度が高めの鎧と髪色に近い灰色のマントを纏っているその女性がニヤリと笑うと八重歯がよく目立った。
司教達を前にこれ以上の醜態は見せまいと必死に痛みを堪え目を閉じている女性に瞼をグッと開くように抑えつけ、鼻が付くぐらい間近で覗き込む。
「あら?もう鳴かないのね。その目玉をくり抜いたらもっといい声が出るのかしら」
いつの間に取り出したのだろうか、その手には別のナイフが取り出されている。そのナイフをゆっくりと少しずつ、使用人の目に近づけていく。
五センチ、三センチ、一センチ……。女性は恐怖のあまり声も出せないようだ。
「そこまでにしたらどうだメアリー司教。貴女の趣味を理解しているつもりだが、大司教様のお膝元ではいかがかな」
後ろの大男からたしなむような声がかかる。
メアリーは深いため息を吐き、突きつけていたナイフを素早く折り畳んだ。
ほっとした使用人が気を抜いた一瞬に耳に刺したナイフを鷲掴みなし真横に引き抜く。
再び室内に響く女性の悲鳴を聴き、メアリーはうっとりとした顔になる。
「そうよねー、アナタはこのぐらいは鳴けるわよね」
行きなさい。と声をかけると使用人の女性は血まみれの耳を押さえながら這々の体で部屋を出ていった。他の使用人にも視線を送ると皆慌てて出ていき、この部屋には三人だけになる。
「相変わらずだな、メアリー司教」
大男の呆れたような声に肩を竦めるとメアリーは折り畳みナイフをシャカシャカと踊らすように回し胸の間に片付けると振り向いて声を返す。
「貴方だって同じようなものじゃないニコラエ・チャウセスク司教殿。ニーズへッグの僕たる貴方の信条はなんでしたっけ?」
「男は殺せ、女は犯せ。だ。知っているだろう?そなたの神、モリガンも似たような教えではないかな?メアリー司教殿」
ニコラエと呼ばれた大男は挑発的な笑みを浮かべながらその言葉を悪びれる事なく豪快に吐き出し笑う。その笑い声はまるで雷鳴のように轟き、周囲の空気を圧倒するような迫力があった。
「お二人とも残酷な話は止めてください。ワタシなんか怖くて怖くてオシッコ漏らしちゃいそうですよ」
アントニオは股間を押さえてクネクネと身を捩らせてみせる。
「そんな事よりアントニオ司教。朗報って言ってたけど何のことかしら?」
「HAHAHA、そうでした、そうでしたー。なんと、ニルヴァーナに関する情報が入ってきたんですよー」
ガタっとニコラエが椅子から立ち上がると力強く拳を握りしめる。
「本当か!奴らの消息はここ五年以上は全く掴めてなかったのだぞ」
「そうね、あいつが均衡の使者の抹殺に成功してからは完全に沈黙してたものね」
「あの時、すぐに"均衡の使者"の新たな反応が確認されていたからな。そいつが奴らの手にあるならば、また切り札になっているやもしれんな」
いずれにせよ、全て殺せばよい。
彼の身体が歪な音がを立てるとまるで皮膚から鱗が生えているかのようになり、その瞳は縦長の獰猛なものへ変質していく。
「あー、そんなに興奮しないで下さいねー。可・能・性、可能性ですよー」
アントニオが諌めるように声をかけるがもはやニコラエは聞いていないようだ。
「どこだ?どこに奴らはいる!我が神ニーズへッグに誓って全て殺してやる!」
興奮した勢いのまますぐにでも飛び出しそうな勢いのニコラエとは対照的に鋭い眼差しで静かにその様子を見守っていたメアリーが声をかける。
「大司教様にお伺いしないで独断、単独で行くつもり?流石にそんな事するなら貴方でも容赦しないわよ」
いつの間に取り出したのか、三メートルはあろうかという矛槍が彼女の手にあった。明らかに細身の彼女に似合わないその大きな塊ともいえる武器を片手で掴んだままニコラエの眼前に突き付けている。
大司教様という言葉を聞いたニコラエは瞬時に元の身体に戻り首をふった。
「いや、そんな畏れ多い事はしない。少し興奮しただけだ。大丈夫だ」
「そっ。なら、いいのよ」
メアリーはつまらなそうに突きつけていた矛槍を手元に戻す。まるで、今すぐにでも飛び出してくれればいいのに、と言わんばかりの顔にアントニオは思わず寒気を覚えたようだ。
「ホント、勘弁して下さいよー。ワタシは戦いなんて野蛮な事は大の苦手なんですから」
アントニオはこわいこわいとおどけてみせると、二人の着席を待ってからそのまま円卓の中央に立って見せる。そして、山高帽を手に取ると舞台の上かのように芝居掛かった仕草で大きく一礼する。
「お待たせしましたー。ニルヴァーナが隠れている可能性のある場所はぁ、なんと東の地カンド周辺です。因みに、大司教様にはこの後、報告をあげるように手配しております」
「かなり広いな。それでも絞れた方か」
「ちなみに、ワタシの僕が消息を絶ったのはアーカシのはずれでしたよ。流石にそんな目立つ事はしないでしょうけど」
ニコラエの言葉にアントニオが答える。
「とりあえず、全ては大司教様の神託を待ってからね」
「異論はない」
「もちのロンです」
三人の男女がそれぞれ動き出す。円卓の場所は静寂に包まれ、外のカラスの鳴き声が室内まで聞こえてきた。




