3 死にかけて、また死にかける
どのくらい時間が経ったのだろうか。
ソータの意識が徐々に浮かび上がり、まばゆい光に視界が明るくなっていった。眼を細め、目の前に煌々と照らされる灯りに思わず目を閉じた。
少しずつ目を開けると、ソータは周囲に広がる風景を目にした。殺風景な金属の天井がみえる。そもそも天井が高すぎる。どうやら病室ではないようだ。本当に何もない、点滴もモニターの類も見当たらない。しかし、その異常な光景よりも酸素マスクもつけていないにもかかわらず、いつもの息苦しさや痛みもない爽快な気分が先にたった。ゆっくりと深呼吸がおこない苦しさがない事を確認する。視力も改善したのか周りがよく見えていることに今更ながら気づいた。どうやら自分はまだ生きているようだ。
"プロジェクトとやらが終わったのかな"
ナースコールを押そうと腕を動かそうとして、全く手が動かない事に気づいた。いつもなら指先程度は動かせたのに。そもそも首の向きひとつ変える事が出来ない。どうにか動かす事ができているのが眼球だけの状態だった。どうにも以前より身体を動かす事が出来なくなっているようだ。しかも、腕は何故か頭の上でバンザイの様に広げられているような感覚がある。
見える範囲で確認すると自分は緑色の術衣のような物を着せられており、以前のように全身を包帯で包まれている訳ではないようだった。
部屋は殺風景な金属の部屋といった印象だ。だが、なんとなく感じる雰囲気がこの部屋がそれないに広さがあるように思わせる。普通の室内の部屋にしてはあまりに天井が高すぎるこの場所は空間といった方が正しいのかもしれない。
「誰かいないの!」
思わず叫び声をあげると思ったより大きな声が出る。久しぶりの大声のせいか掠れて、か細い悲鳴だった。声は無音であった室内に反響して更に細く響く。
その声と同時に鈍い音が腕の辺りで鳴ると締め付けていたような感覚が無くなる。更に少し遠くで何が開いたような金属の擦れる音とその後に何かが這いずるような音が聞こえた。
徐々に音が近づいてくる様な気もしたが、確認しようにも身体が何一つ言うことを聞かず、音で判別するしかない。
ふと、目の前が暗くなったような気がして視線を上げると巨大な怪物が自分の周りを彷徨いてる姿が見えた。
体長は三メートル程、熊のような頭にカマキリの胴体、凶悪な牙が並んだ口からは毒性のある流涎が垂れていた。
怪物の体色は闇に近い薄黒い色をしておりその体表は堅牢な甲殻に覆われていた。何より特徴的である薄緑色の大きな鎌をゆらゆらと揺らしながら近づいている。
この怪物は郊外で稀ににみられる熊蟷螂といわれる生物兵器である事は幼いソータでも知っている。いや、この世界の住人なら生物兵器の事を知らない人はいないだろう。
"Ωの叛乱"と呼ばれた数百年前に起きた世界大戦。全ての機器を人工知能が管理をしていた世界で突如主格となる人工知能が人類に反旗を翻した。当時の巨大国家は戦火に消え人口も半分以上が失われた大戦である。その影響で人工知能は禁忌として使われなくなり工業や、通信技術は数世紀分退化したといわれている。
その戦争の時に使われていた熊蟷螂をはじめとした様々な生物兵器が管理を離れて野生化し、今でもあちこちに彷徨っているのだが問題はなぜここにいるのか、だ。
恐怖のあまり声は出なかった。お腹の奥がギュっと縮みあがった感じがした。逃げ出したいけど四肢は動く気配をみせない。熊蟷螂は目の前にいるにも関わらず、ソータを獲物としては認識していないようだった。しかし、この場にいてはいずれ気付かれる。
何度も必死で動こうしたおかげか、僅かに頸が動いた。
凄まじい衝撃とともに歪んだソータの視界に破片が舞い散るのが見える。寝かされているベットの一部が砕けており、僅かに動けた事で捕捉されてしまったようだ。
ソータ自身も激しい衝撃があったが特に痛みがある訳ではない。だが彼が動けたなら気付いたであろう。その着衣が横一文字に裂けていた事を。
「ッぐぅ」
思わず呻き声がもれたと同時に今度は横っ腹に激しい衝撃を感じるとソータの身体は宙を舞う。床に二度三度と叩きつけられたが極度の緊張感からか痛みは感じなかった。
何が起きたかは分からないが襲われた事は確かだ。早く逃げなければと手足に力を入れるが恐怖の為か全く力が入る気配がない。その時初めて自分の腕が視界に入る。包帯がないその腕は以前の様に爛れ血に塗れてはいなかった。しかし、天井の光をうけて鈍く輝いていて、つまりは金属で出来ていた。絵本でみた英雄のような。
英雄の様な腕を手に入れた事よりも、自分の身体が大きく変わってしまった事による驚きと恐怖が勝っていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ」
ソータの叫び声が室内に木霊する。その声に反応したのだろう、ソータの視界の片隅に熊蟷螂が近づいてくると巨大な鎌を振り上げその背に鎌を突き立てた。
それなりの広さがあるであろう室内に鈍い音が響き渡る。激しい衝撃がソータの背中を襲いその小さな身体がバウンドした。僅かな間隔をあけて再度、鎌が振り上げられる。
再び室内に衝撃音が響き渡り、小柄な身体跳ね上がる。その後、繰り返される激しい衝撃音はさながら鑿岩機のようであった。
何度目かの熊蟷螂の鋭い鎌が振り上げられると無防備な背に叩きつけられる。その度にソータの薄い服が千切れ飛び、身体は床にめり込まんばかりに打ち付けられた。何度も何度も何度も無慈悲に鎌が突き立てられる。
その都度、ソータの身体は床に打ち付けられていく。胴体は普通の肌の様に見えたが裂けた皮膚の下、傷の割に少ない出血の下にメタリックな輝きのようなものが見えるのは光のイタズラであろうか。
痛みは不思議とない、が衝撃は伝わってくる。頭がかなり揺らされせているせいか視界が歪んでいる。
「だれか、たすけて……」
いくらいつ死んでも構わないと思っていたとしても、こんな化け物に生きたまま食べられる死に方は想像していなかった。確か、治療の為のプロジェクトに参加しただけではなかったか。
恐怖のあまりであろうか、涙が流れる事はなかった。必死で叫ぼうとするも掠れ声となり衝撃音でその声はかき消された。何度目かの攻撃の後にふと攻撃が止んだ。
今しかない!ソータは動かない手足に必死の力を込めて逃げ出そうとするが一向に動く気配がみられない。
(死にたくない、死にたくない、死にたくない!)
その願いが叶ったのか腕が宙に浮いた。しかし、その腕は熊蟷螂の巨大な牙が突き立てられており、強い毒性の唾液が腕を伝って口元を濡らす。致死性の強い毒液が拭う事も出来ないまま身体を伝っていた。怪物はその腕を乱暴に振り回すと壁に向かってソータを投げつける。
小さな子供が当たったとは思えない程の大きな音が室内に木霊してソータは壁に激突する。
喘ぐ息の中、うつ伏せに倒れた彼の目にゆっくりと熊蟷螂が近づいてくるのが見えているが自分の四肢が動く事はない。例え動いたとしても逃げ出す事は不可能だろう。普段は鈍重だが獲物を捕らえる時の素早さはかなりのものだからだ。
(イヤだ、イヤだ、イヤだ、誰か助けて!)
徐々に自分に影を落としていく怪物の姿に鈍い思考の中、死にたくないという強い思いがあったが意識が保てず徐々に目が開けていられなくなる。
<生命維持に危険があると判断しました。自己防衛プログラムを起動します>
薄れゆく意識の中、突然女性と思われる声が聞こえたかと思うとソータは意識を手放した。