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1 死の手前

 

「ソータ、こっちだよー」

「まってー」


 友達の声が響く中、その子供は友達の手をすり抜けて駆け出す。ここで捕まってはこの鬼ごっこに負けてしまう。

 足音が響き渡り、地面がその勢いに応えて震えた。全力で走って、走って目の前の草むらを掻き分ける。風が顔を撫で、髪をなびかせるうちに息は次第に上がり、鼓動が耳を打つ。

 息が上がるが心地よい。どこまでも走り続けていきたいような、そんな気持ち……。


 毎日が輝いていた。なんという事もない日常、特別に何かある訳でもなく、物語のように突然に変な世界に飛ばされる事もない。

 それでも、学校に行き、友人達と学び、日が暮れるまで遊ぶ。家に帰れば温かい食事と優しい両親。

 そんな特別ではない、普通の生活。


 だと思っていたものが、これほどに続ける事が大変だったなんて。普通の生活がこんなに難しく、尊いものだったなんて。



 ……失って初めて気づいた。



 横に並んでいるモニターの一つがけたましく警告音を鳴らす。ソータがゆっくりと目を開けると、何も変わらないいつもの風景が飛び込む。輸液の袋、身体に繋がる多数の管、沢山のモニター。自分を生かす為の道具たち。

 そのうちの一つが鳴り響いていた。どうやら呼吸回数が上限値を超えたらしい。

 いつものアラームだ。暫くしたら看護師が来て一通りの確認をした後に励ましの言葉をかけて去っていった。


 久々に遊んでいた夢を見たから呼吸が増えてしまったんだろう。もう、戻れない日々なのに。


 ソータはどちらかといえば病弱な方ではあった。よく風邪をひいたし同年代に比べて、背丈も低いほうだったが特別何かある訳でもなく普通の生活をしていた。


 それがある日を境に一変した。


 初めの頃は、ほんの些細な症状だった。微熱が続いたり、咳が出たりする程度で、それほど心配することもなかった。しかし、次第に再発する頻度が増え、入院が必要な状態が増えていった。

 病気に苦しむたびに一歩踏み出すことが難しくなっていった。躓くことが増え、足元が不安定になっていく。友達と遊ぶこともままならず、学校に通うこともままならなくなっていった。ソータの日常は、病院のベッドと白い壁に囲まれたものとなった。


「先生!出血が止まりません!」


「さばきガーゼもっと持ってきて! 止血剤もう一アンプル追加」


「すぐ吸引して! 出血で窒息する」


 なんでもない鼻血のような出血でもなかなか止まらずこの様な大騒ぎになる。いつしか、ぶつけた訳でもないのに痣があちこちに出来るようなった。それは自分の身体の中で何かが壊れている証拠であった。


「ここまでくると逆に笑えるかも」


 自虐的に呟くソータの足には既に力が入らなくなっていた。歩けなくなると車椅子に頼るようになったのだが、筋力がなくなるだけではなく気付けば食事もあまり取れなくなり、あっという間に痩せ衰えていった。今年で九歳になるが、とても九歳には見えない程、身体は小さく痩せていた。

 もちろん、両親もあらゆる手を尽くして治療をしようとしたが、それ以上に症状の進行が早すぎた。

 あらゆる病院、医者をまわっても病気の正体は何一つ分かる事はなかった。


「もう、ムリだよ。この病気は治らないって」


 何度、ソータはその言葉をもらしたか分からない。既に動かなくなった脚は驚くほど細くなりその役割を放棄したようになっていた。息苦しく深呼吸を繰り返すとその度に壊れた楽器のような不快な音が部屋に響く。その音は自分の口から漏れる咳であり、最近では血痰が混じるようになっていた。


 咳き込むソータの背中は優しくさすりながら両親は微笑む。この状況でも両親は悲観した様子はなく笑顔を絶やす事はなかった。


「私たちはね、あなたの苦しみを分かち合いたいし、少しでも軽くしたいの」


「でも今までも全然うまくいかなかったし……」


「この次はうまくいくかもしれない。またお前が笑顔で遊ぶ姿を見る為にどんな事でも、何でもするつもりだ。だから一緒に戦おう」


 そんな言葉をかけていたが、既にあらゆる手を尽くしていた両親はなす術がなくどうしてよいのかわからなくなっていた。


 気分が落ち込んだ時、ソータはよく一冊の絵本を読んでいた。元気に動けていた頃からよく読んでいた本であったが、身体が弱くてなってからは更によく読むようなっていた。

 かつてこの世界を滅ぼしかけた人工知能の暴走による大戦の際、人類の先頭に立って戦ったといわれる英雄の話だ。激しい戦闘の中、腕を失った彼だが機械の腕を移植して奇跡の復活を遂げると並みいる敵を殲滅し遂には勝利をもぎ取った。

 人々の為に四肢を失ってもなお機械化して戦った兵士の中でも特に優れた能力を発揮した一人の英雄を敬意を込めて"機士"と呼ぶ様になった。

 

 そんな話しだが、実在した人物かはもはや不明だ。

 なぜなら、現在は"機士"は存在しない。

 機士に憧れる子供は多い。鋼の四肢で並みいる数多の敵を討ち倒し、時に粉砕する姿は童話としては出来た話だ。

 しかし、機械化した兵士はもはや存在しない。

 世界事情が昔と大きく変わった現在では機械化する技術も医療も衰退していて不可能となっている。歴史の中では存在していたと言われていたがその数も当時ですら少なく、もはや伝説的な存在と思われている。

 しかし、その鋼の腕で、諦めない気持ちで人々の為に戦った、そんな英雄的な話しはベッドの中で動けないソータにとっては大きな憧れであった。


 身体が痛みに蝕まれ、苦痛に苛まれている時、その英雄のように強くあろうと思う気持ちが数少ない支えになっていた。

 そんなソータを両親は何として助けたい一心であらゆる治療を試していったが、それ以上に症状の進行が早すぎた。

 日々衰えていく我が子を見て何も出来ない両親の心労はきっと大変なものだったのだろう。ソータは幼な心に感じていた。


 ある日、食事の介助をしてもらっていた時にソータは思わずそんな思いを吐露する。


「ごめんね、僕のせいで……」 


「何を言ってるんだ。そんな気弱な事でどうする」


「大丈夫! 絶対に治るわ。元気を出して」


「ありがとう。でも、もう疲れちゃったよ……」


「ダメ! あなたは絶対に生きるの!」


「でも、どうすればいいの? 僕には何もできないんだ」


「そんなことないわ。あなたにしかできないことが必ずあるわよ」


「例えば?」


母親はそこで黙り込むと、ソータを見つめた。


「あなたの夢、何かあるんでしょ。それはソータしか叶えれないの。それを叶える為に頑張りましょう?」


 入退院を繰り返し、いつしか家で過ごすより病院で過ごす時間の方が多くなっていた。

 そして、病気は治るどころか緩やかに進行していく。皮膚も崩れ、顔も爛れたように徐々に変化していった。今では全身の殆どを白い包帯が覆っているが、所々には血が滲み出ている状態だった。


 そんなある日の事。自宅で、療養しているソータの元に見知らぬ男たちが訪れた。


「失礼いたします。こちらにソータくんが居られると伺っておりますがおられますか?」 


「ソータはいますが、どちら様でしょうか?」


 明らかに息子の友達ではないスーツ姿の男達に訝しげな目をした母親が早くも扉に手をかける。


「私達は財団法人『ニルヴァーナ』の者です。こちらのソータくんが原因不明の病気で治療が十分に受けておられないと医師仲間から聞きました。我々の医療機関で治療をされてみる意思はありませんか?」


 いきなりやってきた怪しい男はどこで知ったのか息子の難病の治療をしたいと言ってきた。聞いた事もない財団法人であり、怪しさしかない男達であったが、その医師仲間というのがお世話になっていた主治医であり少し警戒を緩めることにした。また出資していた企業は一流企業の名前が連なっていた事も後押しではあった。


「あの子の病気はご存知かと思いますが、色々診ていただいても原因が分からないのです」 


「知っております。しかし、原因のない病気なぞ存在しません。我々が必ずや治療法を見出してみます」


「皆さん、そのようにおっしゃっていただいたのですが残念ながら……。何よりも私達にはあの子を長期入院させるだけの費用が賄えません。ですので……」


 藁をもすがりたい母親としてはどんな方法であろうと試してみたい。しかし、先立つものがないのも事実。希望だけ貰っても仕方がない。しかし、男が続けた言葉は予想していないものだった。


「費用はかかりません」


「えっ?」


「費用は不要です。ある意味、我々は未知の病気を研究、観察させていただく機会を与えていただいているようなもの。全く不要です」


「ですが、それでは」


「ご心配なく、あとで請求する事もありません。書面も交わしましょう。ただ、一点だけお願いが」


 こんな都合のいい話のあとの要求はどんなものか。身構えて聞く母親に男は口を開く。


「他言無用でお願いしたいのです。我々、ニルヴァーナが関わったという事を」


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