時々出てくる『★1を付ける人を批判するエッセイ』を見るといつも思うこと
こんにちは、エッセイ大好き鶴舞麟太郎です。
いきなりですが、皆さん。評価ってしてますか?
私はこれまでに9,000件弱してます。
基本的に私は★4か5しか付けませんので、軽く計算しても8万ptぐらいは『なろう』内に供給してるんじゃないかと思います。
なお、私の評価基準は、以下の通りです。
★4『面白かったけど、ちょっと物足りない・概ね納得できたけど、一部異論がある・面白いけど、その話は知ってた・書いてあることは面白いけど、テーマにあんまり興味が無い 等』
★5『素晴らしい・納得した・新しい知識が身に付いた 等』
※読み返したいくらい良い場合は、+追加でブックマーク
例えば、『普通だな』って思った場合は、自分の中の基準的には★3なんですが、評価は付けてません。何でしないかと言うと、3以下は『低評価』と捉えて、傷つく人がいることを知ったからです。
ちなみに、ごく少数、★3以下を付けているケースもあります。いくつかパターンはあるのですが、長編作品は『読んでいるうちに展開に違和感が隠せなくなって評価を下げた』ケースが、短編作品は『3以下でも積極的に評価してほしい』と後書き等で表明しているケースが多いです。
珍しいのは、先日読んだ異世界恋愛の短編で、後書きに評価基準が示されていたケースがありました。
私の個人内評価では★5だったんですが、作者さんの基準に当てはめると★3でしたので、そのように評価した。そんな経験があります。
なお、『評価基準』とか偉そうなことを書いておいてなんですが、以前と今ではその基準が変わってきてる気がします。
ランキングで1年ぐらい前の作品を見つけて読み返し、「あれ? なんで俺、評価してないの⁉︎」ってなることはしょっちゅうです。ただ、いまさら全部を見直すことなんかできませんので、あんまり細かいことは気にしないことにしました。
ですから今は『評価はインスピレーションでしてる』って言ってもいいかもしれません。
こんな感じで気楽に評価するようにはしていますが、それでも、評価の付け方についての悩みはそこそこありますね。
さて、そんな悩み多き評価について。
ご存じの方も多いと思いますが、『なろう』には定期的に『★1評価へのお悩みor批判エッセイ』が投稿されます。また、それに対する『反論エッセイ』もよく見かけます。
★1を付けられて嫌だった。
★1であれ加点であることには変わりない。
どっちも言いたいことはよくわかるんです。
5段階評価で『1』が付くのは通知表の『1』みたいで嫌な気持ちになるのは、ある意味当然でしょう。通販や食べ◯グみたいな飲食店評価でも『1』は最低評価ですよね。そういった世間一般の風潮がある中で、★1を付けられたって「嫌な気持ちになるな!」と宣うことなど、私にはできません。
逆に、★1が、ポイント的にはブックマークと同じ効果があるのは周知の事実です。10人から★5を貰う(100pt)より、100人から★1を貰う(200pt)方が、高評価なのですから、「★1でも付いたら良いのでは? 平均が下がる? そんなのわざわざ調べなきゃ、本人以外わからないでしょ?」こう考えるのも理にかなっているように感じます。
加えて言うなら、私の基本評価は『5・4・0』ですが、きちんと『5・4・3・2・1・0』で評価している方は、私が評価しないような粗のある作品でもポイントを出していると言うことになります。『トラブルを避けて日和った』とも言える私より、読んだ作品になるべく多くの評価を供給してくださっている。私なんかより、よほど『誠実な方だ』と言えるのではないでしょうか。
また、書籍化されて何百万部売れているレジェンド作品と、数千字の短編を同列に評価しようとしたら★の数に差を付けたくなる気持ちも理解できます。
運営から評価基準が示されていない以上、『色々あってどちらも良い』と、全て同列で捉えて評価しようが、『書籍化してもおかしくない~書籍化はどう考えても無いけど何か良い』と、区別を付けて評価をしようが、それはあくまで個人の自由なのですから。
さて、ここまで読んで納得がいかない方は、ぜひブラウザバックをお願いします。
読むんですね。わかりました。
私は『★1を付けられて嘆くエッセイ』については、読んで「気の毒だな」と思います。
ですから、気にすることはありませんし、普通に評価もしています。
しかし、『★1を付けることを批判するエッセイ』については、読むとモヤモヤするんです。
色々気になりますし、多分評価したこともありません。
書いた人は、一体何様のつもりなのでしょうか?
評価を付けるのは読者です。そして、読者は皆さん個人の基準で評価を付けています。
例えばこんな基準で評価を付けている人がいたとしましょう。
★5:100年残るような純文学の傑作
★3:芥川賞、直木賞レベル
★1:出版してもいいかも?
この場合、★1でも、個人内ではそれなりの高評価ですよね。
まあ、これは極端な例ですが、運営が基準を出していないわけですし、機能として普通に付けられる以上、『★1を付けるな!』と訴えて回ることは、逆に横暴でしかないのでは? こう思えて仕方ありません。
それに『★1を付けることを批判するエッセイ』を書く人は、読者を批判する前に、まずすべきことがあると思います。
それは「運営に公式な『評価基準』の制定を求めること」。あるいは、「皆が納得する『評価基準』を提唱するエッセイ」を書いて、広く同意者を募ることです。
世の中には多様な考え方があります。そして『★1が低評価』と言う概念ですが、残念ながら、これは普遍的な価値ではありません。例えば『ミシュ○ンガイド★1』このお店は低評価ですか?
嫌な思いをした方に、このようなことを言うのは申しわけないとは思いますが、公式なルールも決まっていない状態で、他者の評価行動を批判するのは、少々独善が過ぎるように思います。
さて、こんなことを書いておいて何ですが、『★1』を付ける人間が全て許容されるべきかというと、決してそうではありません。そこには、間違いなく『批判されるべき』輩も存在します。
例えば、特定の個人にだけ『★1』を付け、他は全て『★5』を付けるような方です。ご本人がどのように考え、そのような行為を行なっているのかは分かりませんが、これは端から見たら嫌がらせにしか見えません。
このように、嫌がらせ目的で『★1』を付けていく方は、性根の問題として批判されて当然だと思います。ですから、『嫌がらせで★1を付けるのは止めてほしい』というエッセイなら、私は完全に同意しますし、そうなってほしいと切に願います。
しかし、先ほども申し上げたとおり、5~0まで、★を全て用いて評価を行っていらっしゃる方も中にはいらっしゃいます。
ですから『★1を付ける行為自体を批判するエッセイ』は、何度見てもモヤモヤが募るばかりなのです。
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