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憤怒の記憶にご挨拶

遅くなりました

 時は少し遡り、新宿は神吹町での一件があった次の日のこと。

「おはよう」

 取り留めもない挨拶をしながら私は事務所の扉を開けた。

 急に片腕がなくなるというのはなかなかどうして不便なもので、ドアを開けるのにも右の手しか使えない。

「来るなら来るって連絡しなさいよ! このブタ!」

「え〜、それは些か理不尽ではありませぬか? ツヴァイ殿ぉ」

 だからだろう。普段よりも騒がしい事務所がこんなにも煩わしく感じられたのは。

「隊長、来てたんだ」

「ややっ! これはこれはフィーア殿! お怪我の具合は如何でござるか?」

「別に、見ての通り。ちょっと不便でイラついてるから静かにしててほしい」

「合点承知之助!」

「そういうのがうるさい」

 目の前にいるデカくてゴツくて汗かきでメガネの、なんというか少し古いオタクという概念をマッチョにしたような風貌の男は私達の所属する特殊部隊ドラクルの隊長、(いただき)勝一(まさかず)

 ツヴァイ姉さんにはブタ呼ばわりされてる上に私からは完全にナメられている彼だが、これでも先の大戦における連合側の英雄的存在だ。

 その実力については私達も一応認めている。一応。

 「コホン」という咳払いで、みんなの視線がいつもの指定席に着いているアインス姉さんに集まる。

 これって普通は隊長がやるべき事なんじゃないかな。

「さて、それでは全員揃ったね。緊急で悪いが、早速会議を始めよう……隊長だって何の用もなく来たわけではないだろう?」

 アインス姉さんの問いかけに、隊長がいかにも自信ありげに頷く。

 どの面下げてるんだ、この男。隊長の本来いるべきポジションは完全に奪われているというのに。

「モチのロンでありますぞアインス殿。昨日の一件を受けて、上の方針と皆に共有すべき情報を持ってきますた」

「それはありがたい。それではフィーアも席に着いてくれ。隊長の話を聞こう」

 棚にある適当な菓子を引ったくった私は、アインス姉さんに促されるままに座る。

 実際、昨日の件については私も気になるところだ。あまりにも不明な点が多すぎる。

 と思いつつ、私は手元に置いたスナック菓子の封を口で噛み開けた。多少菓子が散乱したような気もするが、ここは隊長の重要な話を遮らない為に知らないフリをしておこう。

「フィーア、お菓子落ちたわよ。ちゃんと拾いなさい」

 バレてしまった。

 仕方ないのでツヴァイ姉さんに指摘された通り、床に落ちた菓子を拾うこととする。クソ、それもこれもあの鉄島徹美とかいう奴のせいだ。

 床に這い蹲る私を尻目に、隊長が腕時計へと視線を落とす。忙しい人だ。もしかしたらこの後も予定があるのかもしれない。

「それでは始めに、上の方針からお話しますぞ」

 上、というのは要するに私達に任務を命じる政府の関係者だ。

 どのような人間が何人いてどのようにして物事を決めているのかは、この中だと隊長しか知らない。一つだけ分かっている事があるとすれば、秘密裏の戦利品であるはずの私達に対して変に人道的な対応をしてくれているという事だろうか。

 それが日本人の国民性なのかは分からないが、正直あまっちょろいと思う。まあ、あまっちょろさで言えば随一の隊長が頑張ってくれている部分も大きいのだろうが。

「まずは薬の件について。こちらは警察も既に動いている案件ではあるのですが、それとは別に我々ドラクルでも捜査することになりますた」

 少々不可解とも言える決定に私は疑問を覚える。

 それは姉さんも同じだったようで、ツヴァイ姉さんが真っ先に声を上げた。

「それとは別に? 警察が動いてるなら私達はやらなくてもいいんじゃないの」

「そうなのですが……これが少し厄介でして。上としては国民の不安を煽るであろう薬のことをあまり知られたくないらしく、警察では動かせる人員が少ないそうなのです」

 それはつまり、どういうことだ。

 頭にハテナを浮かべていると、顎に手を当てて納得顔のアインス姉さんが口を開いた。

「だから既に薬使用者と交戦している私達を使う、というわけか。もう知っている者……特に、私達に対処させるのが確かに理想的だ」

 なるほど。そういうことならアインス姉さんの言う通り私達が適任かもしれない。そもそも私達生体兵器の存在が極秘なのだから、誰かに漏らす心配もないだろう。

「そういう事です。また、この件の調査には拙者も同行が命じられておりますので、暫くはここに住まわせていただきますぞ」

「ハ!? ブタ、なによそれちょっと急過ぎない!?」

 まるで針を刺された風船のように過剰反応するツヴァイ姉さんはどこか嬉しそうでもある。

 自分に大好きなアニメや漫画を教えてくれたオタク仲間が近くに来てくれるのだ。口では文句を垂れていても、きっと本音は嬉しくて仕方がないといったところだろう。

「まあそれは構わない。それより、だ。私達に共有すべき情報というのは?」

 騒ぐツヴァイ姉さんに構うことなくアインス姉さんは話を次に進める。一々静まるのを待っていては埒が明かないし、賢明な判断だろう。

「うむ。それについては……実際に見てもらった方が早いでしょうな。着いてきてくだされ」



 隊長に言われるまま事務所を出て、私達は駅の方面へと歩いていた。

「見た方が早いって、なんの事よ」

 ツヴァイ姉さんの問いに、隊長は何故かたっぷりと間を開けて、その重い口を小さく開いた。

「……鉄島徹美」

 呟くように、こぼれ落ちるように放たれた忌まわしい七文字の固有名詞に反応して、関節から先が無い私の左肩が鈍く疼く。

「彼女の話か。私も調べてみたが、分かったのは鉄島(くろがね)。政治界の重鎮であり戦時中日本のカリスマ的指導者だった彼の娘であるという事くらいだ」

「そう。そして連邦との戦いにおける影の英雄、鉄島哲雄(てつお)の妹になります……父も兄も、母も亡くなり、今は天涯孤独ですがな」

 たった今アインス姉さんと隊長の口から語られた事実も私にとっては充分新情報だったが、隊長の言う共有すべき情報というのは恐らくこんなどうでもいい話ではないだろう。

 話の合間に聞こえてきたやけに声量のでかい政治団体の演説で、いつの間にやら見慣れたアキハバラ駅前の辺りにまで到達していたことに気づく。

「で、その鉄島徹美とこの場所になんの関係があるの?」

「場所というよりは人々と言いましょうか……見てほしいのはアチラ(・・・)になります」

 そう言って隊長が指さしたのは、歩行者天国のド真ん中に陣取り「連邦人を許すな!」と言葉に熱を篭めて排斥を訴える団体様御一行であった。

「あのアタマ沸いてる奴らと鉄島徹美になんの関係があんのよ」

 隊長は彼らを見やり、眉間に皺を寄せる。それはどこか苦しげにも何かに憤りを抱いている様にも見えた。

——もしくはその両方か、もっと別のなにか

「彼らは黒金会と名乗る極右集団です。そして裏で彼らの象徴として担ぎあげられているのが鉄島徹美……最早、信仰の対象とでも言った方が正しいしれませんな」

「裏で象徴? なにそれ。なんで象徴を隠す必要があるわけ? てかそれって象徴としての意味ある?」

 ツヴァイ姉さんは浮かんだ疑問をいつもストレートに聞いてくれるから助かる。私がわざわざ口を開かなくて済む。

「無論ありますぞ。黒金会というのは元々、鉄島鉄が世論を扇動する為に秘密裏に結成した組織ですからな。彼の死後においても結束を強める為に象徴は必要なのでござる」

「ふぅん、そういうものなのね。めんどくさっ」

「デュフフ。組織というのは得てして面倒くさいものですからなぁ」

 見た目が女児とオタクのコンビに好き放題言われているとも知らず、黒金会の彼らは代わり映えのしない演説を垂れ流し続ける。

 傷口に響くのでいい加減黙ってほしい。

「それで? その象徴の少女が私達の邪魔をしてきた理由はなんだ。フィーアに大怪我を負わせ、ツヴァイと渡り合えたのはどういう原理だろうか」

「良い質問ですなぁアインス殿。ですが、理由については皆目見当もつきませぬので……今から我々が薬の件と共に探っていくところになります」

 カッコつけた隊長が広げた右手の中指で軽くメガネを押し上げる。割とダサいというか、イタい気がするのは私だけだろうか。

「では、奴らの狙いについては警察も上も掴んでいないと」

「そういうことです。徹美殿が強いのは……まあ、血は争えないと言ったところでしょうなぁ」

「? なにそれ」

 曖昧な返答に疑問を呈すると、隊長は誤魔化すように笑ってみせた。

「その話はまた後の楽しみにとっておきましょう。さて、それでは帰りましょう。折角駅前まで来ましたし、ドーナツでも買って……」

「ちょっとお話いいかしら? 吸血鬼ども」

 背後から唐突に聞こえてきた声には覚えがあった。凛と透き通る、爽やかな夏風のような美しい声には。

 反射的に飛び跳ねて声の主から距離をとる。連日で死ぬ目にあってたまるか。

 空中で振り返ると、女は眉ひとつ動かさずにただただこちらをジッと見つめていた。

「鉄島徹美……!」

 着地の後、睨めつけながら眼前の忌まわしき女の名前を呼ぶ。

 屋上の時も思ったが、やはりコイツの気配は察知しずらい。

「覚えていたのね、吸血鬼。その後お怪我の方は如何かしら?」

「お陰様で見ての通りよ。それより……!」

 戦闘態勢に入っていた私を止めるように、眼前に手のひらが出される。腕を視線で辿った先にいたのは、隊長だった。

「隊長。止めないで。こいつは殺しとかなきゃ危ない」

「ダメですぞ! フィーア殿に徹美殿を殺害する許可は出されておりませぬ」

 隊長の言葉に私の、そして姉さん達の動きが止まる。

 そうだ。殺害許可が出されていなければ殺すことはできない。もし私が勝手をすれば姉さんや隊長に迷惑がかかってしまう。それは、嫌だ。

 一気に冷静さを取り戻した私は、警戒は解かないまでも上がっていた腕を下ろした。

「……なにしにきた」

「挨拶に来ただけよ。私も今日、戦う気はないの。別にアナタ達、敵ってワケじゃないもの」

「敵じゃないって……撃ってきたクセに、随分なご挨拶ね」

「関係というのは簡単に言い表せるほど単純ではないものよ、吸血鬼」

 やはりこの女、意味がわからない。

「それと、私が挨拶したいのはアナタ達吸血鬼に、じゃあないわ」

 徹美の目線が私から左上の方向へと移動する。そこには我らが隊長、頂勝一がいた。

「お久しぶりです。勝一さん」

 感情が読めない徹美と、そして私達の視線で針のむしろとなった隊長は観念したようにゆっくりと口を開く。

「こうして言葉を交わすのは五年前のあの日以来でござろうか。大きくなりましたな、徹美殿」

「ええ。勝一さんは随分と丸くなったようですわね。あの頃の怒りは何処へ行ってしまわれたのかしら」

 挑発じみた台詞を吐く徹美に対し、隊長は悲しげな笑みを浮かべるばかりで何も答えることはない。その意図も無論、私にははかりかねるものだった。

 徹美はそんな隊長の様子には構わず言葉を続ける。

「勝一さん? もしも、あの憤怒が……慟哭が、あなたの中に眠っているのならば」

 徹美が、空を滑らせるようにして隊長へと手を伸ばす。

「私と共に根絶やしにするのは如何かしら。連邦の残りカス共を」

 そう遠くない場所では、徹美の言葉に同調するかのように連邦人の排斥を訴える声が響き続ける。

 そして隊長が徹美に向かって一歩を踏み出した。

 徹美の口角が上がる。

「ちょ、ちょっと……ブタ!」

 縋るようにツヴァイ姉さんが声を上げる。

 されど隊長は何も言わずにゆっくりと歩を進め、そして——

——差し出された徹美の手を叩いた。

「は?」

 細められていた徹美の目が大きく見開かれる。

 その瞳に映る隊長が一体どんな表情をしていたのか、後ろから見ていた私達には分からなかった。

「申し訳ありませんが……お断りさせていただきます。今の拙者は、あの頃とは違う」

「……そう」

 徹美が一歩後ろに下がる。

「まあ、いいわ。別に貴方達は敵じゃないもの。今後ともよろしくお願いするわ」

「待ってくだされ! 徹美殿にはまだ聞きたいことが……!」

 隊長の制止も虚しく、徹美はそのまま近くのビルの開いていた窓へ飛び込む。

「待て!」

 急ぎ私達が駆け寄るが、一体どういったトリックなのか。つい先程入っていったはずの屋内に彼女の姿はなかった。

「徹美殿……」

「どういう事かな、隊長。彼女とは知り合いなのか?」

 徹美に意識を向けたままの隊長に、アインス姉さんが問う。普段と変わりない声色とは裏腹に、隊長を見やる瞳は失望にも似た冷気を孕んでいた。

 アインス姉さんの剣幕には凄まじいものがあったが、しかしそれよりも気になる人へと私は目を向ける。

 視線の先にいた小さな体のツヴァイ姉さんは、想像通りと言うべきか。今にも泣きそうな程、不安げに隊長を見つめていた。

「そうですな。どちらにせよ御三方には話そうと思っておりますた……一度、事務所に戻りましょうぞ」



 暗い街の暗い路地にあるアダルトショップ。その二階事務所では、テーブルに置かれた十のドーナツを囲うように隊長とガビ、そして私達三姉妹が席に着いていた。

 姉二人は先程よりも幾分か落ち着いているものの、やはりその表情や仕草には怒りや不安が見え隠れしている。

 ガビには帰ってきてから簡単に説明をしたが、動揺している様子はない。政府としては隊長と徹美の繋がりも把握していたという事なのだろうか。

 ふと口内に血液の味を感じ、自分が下唇を噛んでいたことに気がつく。

 私もまた姉さん達と同様に混乱していたのだ。

 いつになく重たい空気の立ちこめる部屋の中。台風の目である隊長は手もとにある珈琲を徐に口へと運んだのち、緩やかに静寂を破った。

「鉄島哲雄、大戦における影の英雄である彼が徹美殿の兄という話はしましたな」

 隊長の確認にアインス姉さんが頷く。

「ああ。だが鉄島哲雄なんて名前、私は聞いた事も……」

「いえ。お二人は……アインス殿とツヴァイ殿は知っているはずです」

「え、私も……?」

 ツヴァイ姉さんは驚きに目を見開き、アインス姉さんは訝しげに眉間に皺を寄せる。

「どういうことだ」

「だってそうでしょう。ワッカナイ決戦においてお二人を退けた最強の日本人……彼こそが鉄島哲雄その人なのですから」

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