表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

とある弱小魔術師が国を支えるために採用試験を受けたら、殺戮ゲームに巻き込まれました

作者: 和泉杏咲(いずみあずさ)

信じられますか?

ほんの十五分前まで、互いの肉体、体力自慢をするような屈強な人々が、彼ら自身ですら、全く予想もしていなかった方法……美しく咲き誇る薔薇によって、瞬きすることすら許されずに命を刈り取られているという事実を。


ある者は、蔓が首に巻きつき、そのまま吊られてしまいました。

ある者は、鋭い刺に心臓を突き刺され、その血で地面を赤く染め上げられてしまいました。


それを見た人々……百人程はいたのですが、腰を抜かして立てなくなったり、そのまま粗相をしてしまったり、自らの震えによって唇を傷つけた者、「お母さまー!」などと、泣き叫びながら走り出してしまったりなど、反応は様々ではありましたが、それまでその者達が持っていた自信と誇りを葬り去るのには十分すぎる程の出来事だったのです。



話は、ほんの三時間前に遡ります。

太陽がある程度まで上り、ブランチとして、甘いドーナツかブレッドを食べる人々で溢れていましたし、甘いフルーツソーダやキャンディーなど、つい立ち寄りたくなってしまうたくさんの屋台によって、灰色の石畳がカラフルに色づいておりました。


私はこの時、待ち望んだ王都に足を踏み入れた事に、心躍らされていました。

王都の住民らしき、身なりが整っている者もいれば、衣服は汚れてはいるものの、無駄なものは全て排除したといわんばかりの荷の塊を持つ旅人らしき者もおりました。


 そんな中に、所々にいるのが、明らかに旅慣れをしていない、亀の甲らのように背負った巨大な荷物と武具を身につけた人々。


彼らと私は、きっと同じ目的で王都に来たのだと親近感を覚えました。私もまた、首から肩、背中に欠けて痛みが走る程の大荷物を持ち、周囲から好奇な目で見られていたのです。


「姉ちゃん、一人かい?」

「この辺で見ない顔だねぇ?王都名物のキャンディー、持っていくかい?」


 街中で商いをしている人々はとても気さくなようです。

こんな私にも親切にしてくれるのですから。

ですが、こんなこともありました。


「まさか、あんたも、王宮専属魔術師選抜試験に来たんじゃないだろうな?」

 早々に、私の目的を当てた者もおりました。

「こんな冴えない女が?まさか〜」

大柄で、物騒な武器を身体中に巻きつけた男性二名が、私を見下ろして、薄気味悪い笑みを浮かべておりました。

きっとこの方達も、同じ目的なのかもしれませんが、彼らの気味の悪さと野蛮さに、つい、逃げ出してしまいました。


(あんな人達が多いのだろうか……)


私は、受験会場へ行くことを一瞬躊躇いそうになりましたが、そうすると自分の一世一代の決意が泡のように消えてしまう気がしたので、頂いたキャンディーを力一杯頬張りながら、足早に目的地に行くことにしました……のですが。



「ここは、どこでしょう?」


 油断……していました。

受験会場は王宮である、とだけは、地元の掲示板で御触れを見た時にしっかりと覚え込んだのですが、そもそも王都に入れば城にたどり着けるであろうと、軽く考えすぎていたようです。

周囲を全く見ずに歩き回った結果、先に進めば進むほど、先ほどまでは見えていたはずの城がどんどん遠ざかるようになりました。


「ど、どうしましょう……」

 私は、急いで荷物を置き、剥ぐように中を弄り、奥底に眠っていた「魔術辞典」と刻印された本を取り出し、捲りました。


(確か、真ん中のページあたりにあったはず……)


 使い古されたその本は、前の持ち主の記憶が染み付いており、私が目指していた箇所まですんなりと導いてくれます。

私は、それを指でなぞりました。

「瞬間移動のための風術」と、書かれていました。


かつて、この世で最も私に影響を与える人に教えてもらったこと。


薪を集めて石を使って火を起こす、川など水辺まで長い時間かけて歩いてバケツ三杯程度の水を汲むなど、行動としてシンプルな生き方を、人々は繰り返してきたと言われています。

コツコツと、同じことを繰り返すだけの、個性がない毎日だったそうです。


しかし、その生き方を続けるには限界を感じた一部の人間達が、自然界の力を借りる=魔術を生み出すことを思いついたとのこと。


炎、水、風、土の四大元素の力と、人々の祈りを混ぜ合わせることで、掌から炎をともすこと、唇から風をおこすことなど……肉体的な疲労や運を伴わずとも、その時その時の「軽い望み」を叶えることに、人々は喜びを覚えたらしいのです。


その術は「適正がある者」にだけ広まり、その者達が力を持つようになったそうです。


そうして出来上がったのが、魔術の力が強い者が権力を持つ魔術国家……今、私が立っている国なのだそうです。


風の魔術は、意思、祈りの力で物理的行動を後押しするもの。

動け、靡け、舞い踊れなど、自然界のエネルギーを人の意思で変えることが要求されるのです。


(今日は、絶対に行かなきゃいけないから、さすがに大丈夫ですよね)


辞書は、呪文の本文と効用、それから呪文を唱える時の姿形を現した絵の三つでそれぞれ構成されています。

私は、描かれているように手を組み、空に掲げ、足を肩幅に広げて膝を曲げます。


……少し、恥ずかしいポーズな気もしますが、気にしている場合ではありません。

そして目をつむり、手で空気を混ぜるようにグルグル時計回りに回しながら


「風よ、風よ、私をお城へ連れていけ!」


自然物への命令=呪文を唱える時、意識を全部魔術が宿る手に集中させなくてはいけません。

空気を回す手を少しでも止めると、また失敗してとんでもないことになってしまう……今日だけは、避けなくてはいけません。

魔術辞典によれば、空気の流れによって体を浮かし、そのまま願っている場所へと運んでくれる……ということでしたが……。


(お城って、どういう形をしてるんでしたっけ?)


よりによって、体が浮き始めたタイミングで、重大なミスに気づいてしまいました。

念じる時に、具体的的ばビジョンを思い描いていないと、空気が迷ってしまい、あちらこちらに体を連れて行こうとしてしまうと、書いてあったのです。


(待って!今の無し!)


そう思って、流れ始めた空気の流れを止めようとしたその時


「きゃっ!」


背中を誰かに蹴られ、そのまま膝から崩れ落ちて、尻餅をついてしまいました。

空気の流れは、尻餅の衝撃で私の髪の毛を通り抜け、真上をちょうど優雅に飛んでいた鳥の羽を片方もいでしまいました。


(ああ……鳥さん……ごめんなさい……)


無残にも私のせいで、行けたはず空の道を閉ざされた鳥が、地面にあっという間もなく吸い込まれていくのを見ながら、私は背後を振り返る。


すると……


「ヘタクソ」


たった一言、枯らした低い声を放ったのは、ミイラのように全身を……顔も半分以上、土色のターバンやマントで隠した、小柄で背中が丸い男性でした。


「あの……」


 私が何かを言おうとすると、唯一見えていたその人のくっきりと大きい瞳がが、ギロリと私を睨み付けておりました。


「ガキが、高度魔術を使おうとするな」

 私はもうすでに、成人と認められる十八になったばかりでした。


「もう大人です」

「術一つ操れず、指先吹っ飛ばされそうになったやつを、誰が大人だと思う」

 そう言われて、私は初めて、組んでいた指先の爪が一部剥がれそうになり、血が滲んでいることに気づきました。


「こ、これは……つい油断をして……」

 そう言おうとした時。

「痛っ……!」


 身を捥ぎ取られるのでは、と思いました。その人が、私の血に染まる指を、見た目の弱々しさからは全く想像もできないような力で、握りながら引っ張りあげているのです。


「離して……」

「では、今ここで指がなくなってもさほど気にしないということだな」

 怒りに満ちた、重々しい声が降ってきます。


「やめて……ください……」

懇願をするので、私はもう、いっぱいいっぱいでした。


「そんな覚悟なら、魔術なんて捨てろ」

そう言い放ったその人は、ぱっと私の指を離したかと思うと

「後悔するぞ」


そう言い残し、あっという間に道の奥へと吸い込まれるように消えていきました。

一体何が起きたのか分からないまま、私は痛みが走っていたはずの指を見てみると

「痛く……ない?」

血も乾燥し、茶色い蓋になっており、噴水のような出血が止まっていました。


……魔術を捨てろ、というあの人の言葉は引っかかりましたが、私には後に引けない事情がありましたので、先ほど失敗した魔術辞典のページに、要復習とだけ書いておきました。

と、その時、ドーン、ドーンという爆音が空中に響き渡りました。鳥達が慌ただしく騒ぐ中


「王宮専属魔術師選抜試験にお集まりの皆様、間も無く試験が始まります」

 王都中に響くアナウンス。鳥達は、太陽の方に向かって、逃げるように飛び去っていきます。


(もしかすると……)


魔術辞典に頼らずとも、目的地へ向かう確信を得ることができたので、先ほどの人が向かって行った道と同じ方向だということに気づかず、進んで行きました。


すでに門前には数年に一度も行われない、専属魔術師試験の受験者を一目見ようと、見たこともない程の人が押し寄せておりました。


どうにかその波を掻い潜り、受付を済ませ、案内された場所……バルコニーによって見下ろされる広場に辿り着くと、各々が自分の存在を自信ありげに曝け出しているようでした。


(やはり、私みたいな人間は、来るべきではなかったのでしょうか……)


引き下がりたくなりました。

逃げたくなりました。

家を出た時の決心なぞ、朝露のように消えそうになっていました。

あのお方の登場があと五秒でも遅かったならば、あっという間に、門前の人々に同化しにいったことでしょう。


「やあ!愛する僕の国民達……!」


その声を聞いた者は、男女問わず一斉に黄色い歓声をあげてしまう……そんな噂を聞いたことがありました。

この国家元首のご長男でいらっしゃる、アルベルト殿下が、どこからともなく、凛々しい顔をした馬を颯爽と乗りこなして、バルコニーに降り立ったのです。


殿下のお姿を見た門前の人々からは、一斉に

「アルベルト様―!」

「お美しいー!」

「結婚してー!」という声があがりました。


声の力は恐ろしいもので、声の量が多ければ多いほど、風の魔術を発動させてしまいます。

そのため、受験生の皆様は……僭越ながら私も……警戒心を強めておりました。


「ああ、我が可愛い民達よ、どうか僕の声が皆に届くよう、少しだけ大人しくしてくれるかな」


と、殿下が投げキッス付きで問いかけるものだから、皆様本当に黙り込んでしまいました。

受験生の皆様達の緊張も解けた様子でしたが。殿下は私達を一通り眺めました。


「この度は我が王宮の専属魔術師を目指してくれたこと、心から感謝するよ」


殿下がそう言った途端、息を飲む音が聞こえました。

この場にいるのはおよそ百人前後。

老若男女……下は十代半ばくらいから、上は八十は超えているであろう、生まれ育った環境も世代も何もかもがバラバラの人々は、今日この日、たった一つの目標の為に努力し、集まったと言っても過言ではないのです。

その緊張の糸が、ぴんっと再び張り巡らされていました。


王宮専属魔術師。

それは、数年〜数十年に一度募集される、王族の次に強い権力と名誉を与えられる称号。

この称号を手にするかしないかで、人生が一変するからです。


「早くしてくれよ!」

「こっちは、待ちくたびれてんだよ!」


聞いたことがある声が、その糸を見事に断ち切りました。

先ほどお会いしてしまった野蛮な二人組。

不敬罪で訴えられても不思議ではない殿下への挑発に、誰もがハラハラしておりました。


殿下はふっ、と微笑むだけでしたが。


「待ちすぎて、鳴いてしまっている子猫ちゃんもいるようだから……」


そう言ってすぐ、殿下が両手を掲げると、急に風の波がバルコニー側から押し寄せ、私達の頭上を通り抜けて行きました。


「諸君! これより王宮専属魔術師選抜試験を開始する!」


殿下が宣言したと同時に、門は閉じられ、殿下の背後から風に乗って、無数の紙が舞い落ちてきました。

受験生達は一斉に足元の紙をかき集めました。

しかしそこにあったのは……


「何だよこれ!」

と、投げ捨てる者もいれば

「絶対家宝にするわ」

と胸に大事に抱える者もおりました。


ちなみに私はと言うと、初めて見るタイプの試験でしたので、対処法が分からず困惑しておりました。

普通なら

「この術を使って見せよ」

という実技タイプか

「この魔法の由来、歴史を百字以内で記述せよ」

という筆記のいずれか、もしくは両方だからです。


しかしこれは違います。

何故ならば、それは殿下のウインク姿が印刷されているだけだったから。

 

裏表を何度も確認したり、一枚隠されているのではないかと厚みを確認したり、隠れ文字がないか探してみましたが、どこにも試験の内容の記載がありません。


周囲を見渡してみますと、同じように紙を眺める者、地面に叩きつける者、持っていた飲み物を使って濡らす者など様々でした。

しかし、誰一人もその場から一歩も動かず、首を傾げるだけでした。


「ねえ」


突然背後から話しかけてきたのは、いかにも地元では優等生として評判だったのだとわかる風貌をした少年でした。


「あんた、わかる?」


馴れ馴れしくタメ口を使ってくるのが少しだけ気になりましたが、とりあえず首だけは振っておきました。


「そっか、わかった、ありがと」

 そう言うと、少年はまた別の人間に次々と声をかけていきます。


(知らない人に声をあんな風にかけるなんて、私にはできません……)


少年の気さくな性格が、少しだけ羨ましくなりましたが、一度頭を整理するために、人の姿が見られないバルコニーの真下まで移動することにしました。


すると、先ほどのターバンの男性がそこにいたのです。

私は咄嗟に後退りしてしまいましたが、まだその人がこちらには気付く気配はありませんでした。


その人は、誰にも拾われていない紙を丁寧に拾い上げ、一枚一枚並べ、見比べております。

私は、感じていた恐怖心よりも、その人が何をしているのかという好奇心が勝り、近づいてしまいました。


私の一歩により、起きたほんの少しの風が、紙を一枚捲ってしまったことで、その人は近づいてくる私という存在に気づきました。


ほとんど見えないその人の顔の中で、唯一見える目が、先ほどのように、鋭く睨み付けているのが分かりました。

ですが、私も人生がかかっています。


「……何か、分かりましたか?」

 尋ねても、何も返ってきませんでした。


(このままここにいれば、何か、分かるかもしれない)


 確証もない、勘でしたが、どうせ他に何もできることが無いので、その人の動きを観察することにしたのですが……。


「おい」

 こちらを向いての発言ではありませんでしたが、その声が私へのものだということは、周囲に誰もいないことで分かりました。


「は、はい!」

「どう思う?」

「……はい?」

「これ、どう思う?」

「……殿下の……お姿ですよね?」

 私がそう言うと。その人は大きくため息をつき

「もう良い」

とだけ。

「もう良いって……今のは……ちょっと油断しただけで……」

 私がそう言うと、その人はまたこちらに顔を向けました。と同時に

「きゃあ!」

 その人はどこから出したのか、私の首筋に剣先をぴたりとくっつけていたのです。

「今すぐここから去れ。邪魔だ」

 そう言い放ったその人は、私の手元から落ちた、殿下の紙を奪うように拾いました。

「返してください」

 その人から紙を奪い返そうとしましたが、少しでも動くと剣先が首の皮膚入り込みそうになりましたので、私はほとんど体を動かせずにおりました。

「女の子いじめるなんて、男の風上にもおけないんじゃないの?」

先ほどの優等生の風貌をした先ほどの少年がひょいと現れ、私を引き寄せ、剣先から距離を取らせてくれました。

「……何か分かったの?」

 少年がその人に尋ねました。ですが、返ってきたのは次の問い。

「火は使えるか?」

「基礎中の基礎じゃん」

 少年は涼しい顔で、指先で空に円を何度か描きました。辞典も見ずに。すると、その人が並べた紙に向かって、空から火の粉が槍のように降ってきました。紙が小さく燃え始めたところに、その人は私が持っていた紙を落としました。

「何するんですか!」


私は急いで、水の術を使おうと、荷物を下ろしました。まだ辞典無しでは、私には魔術は使えませんので……。

そのタイムロスが生じたことが、私の生命を救うことになるなど、この時は知る由もありませんでしたが。


「やはりか……」

その人が呟くと同時に、私の紙に描かれていた殿下の顔が、全く別のものに変わっていくのが見えました。


「何ですか……これ……」

「これが、選抜試験、ってことか」


 私の独り言のような問いかけを拾ったのは少年の方でしたが、私はこの言葉に気づかされました。

私達は魔術師の選抜を受けている。

魔術をいついかなる時も使わなくては全く意味がないのです。


何故、この時まで全く気づけなかったのでしょう。

他の紙も、火に焼かれることによって大きく変化していきます。

火で消えていったのは、殿下の顔。そうして現れたのは……。


「薔薇……?」

 炎に焼かれた紙から、ぐんぐんと薔薇が咲き誇り始めたのです。

これほどまでに深い赤色をした薔薇を、私は人生で一度もお目にかかったことはございませんでした。

試験でなければ、炎に包まれた薔薇という、美しい情景を飽きるまで眺めていたかったものです。


と、その時、炎をあっという間にかき消す、大量の水が、私達も巻き込み襲いかかりました。

「へっへっへ」

「ったく、こういうのは誰かのアイディアをパクるのに限るよな」

 先ほどの野蛮二人組でした。

いつからいたのでしょう。

「何か仕掛けがあると思っちゃいたが、燃やすなんてのは、さすがに勇気が出なかったぜ」

「それなー!」

 下品な笑いを浮かべながら、二人組が薔薇へと近づこうとします。

そしてその様子を遠巻きで見ていたであろう、他の受験生達も次から次へと現れました。


 私と少年も、先を越されてはいけないと薔薇に手を伸ばそうとしましたが、その人は一向に動く気配がありませんでした。少年は、野蛮な二人組と同じように生まれた薔薇を手にしましたが、私は、その人の微動だにせず、ただ観察している様子が気になってしまいました。

 その人は、何もしないことを選んだ私に向かって言いました。


「少しは、学んだか」

「え?」

「油断、しないんだな」


初めて気づきました。

「油断をする」は、私がつい空気を吸うように使ってしまう言葉。

使ったことを忘れてしまう言葉。

悪気もなく、自らを正当化するのに一番楽な言葉だと誰もが思うのか、何か悪いことが起きるたびに周囲にいた大人達が挨拶のように繰り返し使っていました。


この言葉を言えば「次からは本気でやれよな」で誰もが許されておりました。それを見ておりましたので、私もいつの間にか失敗した直後に使う癖がついていたのでしょう。


「……できません……油断なんて……」

 自分の人生の全てを賭けているのですから。

「そうか」

 その人は、一言そう言うだけで、そのまま四つん這いになり、両手を地面へ置きました。マントから、シワだらけで骸骨のように肉がない手が現れました。


「何を……」

 しているのかと私が聞く前に

「土の準備!」

「え?」

「早く!グズグズするな!」

「え?あ、あの?」


一体何を意味しているのか、私には分かりませんでしたが、その人は、祈りを組み立て始めました。それを見て、何らかの魔術を意味していることが分かりましたので、私は辞典を取り出そうとしましたが。

「遅い!こっちに来い!」

 その人が私を引っ張ったと同時に、それが起きました。


轟音と共に、私とその人を包み込む土の壁ができました。


盾の土術。

魔術を志す最初に身につけるべき術であると、かつて教えてくれた人がおりました。

そんな思い出を引き出したのも束の間で、土の轟音と一緒に聞こえてきたのは、無数の人々の叫びでした。


そして、何かが宙を、物凄いスピードで走り抜けているのが、風の音で分かりました。


 ぽたりぽたりと、どろりとした液体が地面に落とされるのも分かりました。

 私は、何が起きているのか確かめたくとも、体を押さえつけられているために顔をあげることすら出来ません。


「ば、化物……!」


 聞き慣れた少年の声が聞こえてきました。少年はすぐに術を唱えていました。しかし唇が震えているのか、何の術か全く分かりません。助けなくては。そう思ったのも束の間


「うわあああああああああああああ」


 という少年の叫びと同時に、肉が裂かれる音が聞こえました。それに続くように、叫びが重なり、そしていつしか、宙を走る、何かの音だけになり、


「今回の受験者は、植物術に水をかけると、力を増幅させる事も知らないのか……」


 と、真横の人の悔しそうな呟きが、直後にはっきり聞こえました。



 信じられますか?ほんの十五分前まで、互いの肉体、体力自慢をするような屈強な人々が、彼ら自身ですら、全く予想もしていなかった方法……美しく咲き誇る薔薇によって、瞬きすることすら許されずに命を刈り取られているという事実を。


 それは地獄絵図でした。

いえ……それよりも、もっと酷いのかもしれません。

人だった何かが無残に引き裂かれていたり、原型を留めていないものもありました。ドス黒い血が、より薔薇の美しさを際立たせていました。


 足元を見ますと、目を見開いたまま、その輝きを奪われた少年の首が転がっていました。


 薔薇の蔓が絡まった自らの武器によって、磔にされた野蛮な二人組の腕と足だけが残っていました。他にも、かろうじて人の形は保っているものの、顔が判別できないほどの傷をつけられた者もおりました。


そして今、この場に残っているのは、私を含めて、僅か数名程までに減っておりました。


 険しい顔をしている者は

「全く……忌々しい」

 と吐き捨てるように言いました。表情が全く変わらない者は

「で、これで終わりなの?」

と、つまらなそうに言いました。


 私はと言いますと、血の匂いが、頭を強く揺すぶってくるので、こみ上げてくる吐き気を抑えるので精一杯です。


匂いの流れが、変わったのが分かりました。

背後から、避けられないスピードで何かが私に近づいて来るのが分かります。


あ、私もああなるのか、と本能で分かりました。

私は無我夢中で手を上げていました。


「風よ!助けよ!」

すると、突風が吹き、背後の……人の太腿ほどはある薔薇の刺を弾き飛ばしました。地面の血も舞い上がり、私達の衣服に染みを作りました。

 ぱからっぱからっ。馬の蹄の音が遠くからやってきました。


「やあやあ、愛する僕の国民達。いかがだったかな?」

 殿下が、颯爽と現れました。先ほどと違うのは、もう、殿下が登場しても、誰一人として感嘆の声を漏らすことがなかったこと。

殿下はあえて、肉片が散らばった血の海に馬を止め、華麗に飛び降りました。肉が潰れる音がしました。


「ひい、ふう、みい……んー四人か。随分と残っちゃったな。君達凄いね。見事だ」

殿下は、大袈裟な動作で拍手をしています。


「いかがだったかな?僕の可愛いスイートローズちゃん」

「スイートローズ……ですか?」


つい、口を挟んでしまったことを後悔し、私は口を抑えましたが、殿下は私がその質問をしたことで、高らかに笑い出しました。


「美しい僕にふさわしい魔術だと思わないか?」

「そ、そうです……ね……」


私は自分が発した言葉で、自分が目の前にいる為政者に怯え、恐怖していることに気づきました。声がうまく出せません。歯がぶつかり合い、カチカチと口から音が出ます。たった今、自らの魔術によりあっという間に人を人でなくした殿下が、とても不気味に思えたのです。殿下は、私の震える手を取りました。


「この手が、僕のスイートローズちゃんを……やったんだね」


殿下の声のトーンが一気に下がりました。やった、というのは先ほどの風のことでしょう。

殿下は私の手の甲に、触れるだけの軽い口づけを落とし、ゆったりと離れました。私はその瞬間、足から崩れ落ち、地べたに座り込みました。力が入らなくなりました。殿下はそんな私の様子を全て見届け、微笑を浮かべています。


「まあ、ここで全滅になっても面白くないからね」


殿下がそう言うと、今度は地面が割れる音がしました。広場が二つに割れ、地下へ続く階段が現れたのです。

「早速、次へ進んでもらおうか。僕の愛する国民達よ」


まるで、地下にできたもう一つの王宮でした。大理石でできた壁や廊下が、灯り用の蝋燭の炎に照らされ、温かく光っていました。


そこに、私達、残った受験者達が集められました。殿下は、この場所へは入らず「検討を祈る!」とだけ言って、再び馬に乗って去って行きました。代わりにおりましたのが……。


「何と、これだけの者が生き残れたとは。ほっほっほ。今年は豊作じゃのお」


ほんの数人をこれだけ、と表現する意図は測り兼ねましたが、目の前にいるこの人こそ、王国を司る魔術国家の国王陛下その人。魔力を高める効果があるとされる、高級な魔術師用ローブに身を包み、整えた髭を自慢げに触っておりました。私達は、皆、国王の前で跪いています。


「そう畏まらずとも良い」


陛下はそうおっしゃると、人々は顔を上げました。私も上げました。ですが……またターバンで顔を隠したその人だけは、頭を上げることはしませんでした。陛下は、私達一人ひとりを見極めるかのように、観察を一通りし終えた後に、


「では早速だが諸君。二次試験についてじゃが……」

 陛下が咳払いをしたと同時に、壁の一つが開かれていき、漆黒の廊下が現れました。


「ここで三日過ごすのじゃ」


 スイートローズちゃん事件が無ければ「なーんだ、そんなこと?」と笑い飛ばす者もいたことでしょう。しかし、誰も笑いません。笑えません。一次試験で起きた事を考えますと、二次試験の意味など、「生き残れ」と解釈する以外無いからです。


「質問を宜しいでしょうか?陛下」

 あの、険しい顔をしていた男性が、まっすぐに手を上げておりました。


「何だね?」

「食事は配給があるのでしょうか?」

「食糧になりうるものは、いくらでも転がっておる」

「では、寝床は……」

「どこでも好きに使えば良い。三日間は受験生の為にわざわざ開放しておるからの」


 陛下の答えに、納得はしていない様子ではありましたが、陛下の言うことは絶対なので、その男性はそれ以上何も言うことはありませんでした。


「他に聞きたいことはおらぬか?」

「あの……」

 今度は、ほとんど表情を変えることがなかった男性が手をあげました。


「僕が選ばれる為には、何人殺せばいいの?」

 何と言うことを聞くのでしょうか、この人は。

「はっはっはっ。……面白いことを聞くのぉ」

「そう?だって僕、絶対に専属魔術師になりたいんだもん。ライバルは少ない方がいいよね」

「そうかそうか」

 陛下は、本当に心から受け答えを楽しんでいるのでしょう。


「三日過ごせた者を、採用してやるぞ。ほっほっほ」


 全員、と言う言葉は使いませんでした。過ごせた、という言葉を陛下が妙に強調するのが気になりました。

この場にいる全員が同じことを思ったのでしょう。息を飲む音がまた、聞こえました。


かつて、この世で最も私に影響を与える人に教えてもらったこと。

歴史と言うにはまだ新しい過去、世界が混沌の闇に包まれた時代がありました。

天候は荒れ狂い、山が溶け、海が吠えるようになりました。

食物は実らぬようになり、限られたそれらを人々は武器を用いて奪うようになりました。

繁栄していた都には、見たことがない病が蔓延し、たった一年もしない間に生命の半分が朽ちていきました。


他国と、「魔術」の有無で差別化できていた、私達の国が、この事態を収束するのに動くことが決まり、この時代の国王が、国中の魔術師に呼びかけました。


「この難局を解決した者の望みを全て叶える」

 そうして、腕に覚えがある者が次々と世界平和に向けた旅を始めました。

しかしその旅は、誰も見た事がない苦難の連続でした。


炎が土を焼き溶かす。

水が風と混ざり合い、街を壊す。

炎と風が混ざり合い、海を沸かす。


これらの未曾有の繰り返される災害に対し、魔術師達もまた四大元素の力を手に宿して立ち向かおうとしましたが、夢敵わず、命をあっという間に刈り取られていきました。

その中で、唯一、災害の正体に気づいた者が現れました。

彼が世界のあちこちを旅するだけで、その災害は抑えられました。


その者は、功績を讃えられ、国王から「専属魔術師」の資格を与えられ、国の中枢に関わる門外不出の魔術を極めたとされます。

その魔術の力により、魔術国家は世界のヒエラルキーの上位に立つことに成功しました。

その結果、専属魔術師は、国王の次に強い権力を持つことになりました。


それから国王は、世界の均衡を守る、才能ある魔術師を国中から集め、専属魔術師としての地位を与え、攻防共に強大な力を得ることになったのです。


陛下が立ち去ってから。


「三日過ごすだけで専属魔術師って……」

「それも全員?それなら、全員でこうしてここにいるだけで、専属魔術師になれるってこと?」

「それなら簡単だな。三日くらい、不眠不休でどうにかなるだろ」

「バカだね。そんな簡単な話なわけないじゃん」

「そうだよな。専属魔術師の採用は、常に一人だけだと聞く」

「なら、この中のほとんどが、この三日のうちに……脱落するってことだな」

「こんなところで油売ってる暇ないな」

「まあ、専属魔術師になるのは僕だけど」


一通り話し、互いを牽制し合った受験生達は、誰かに何かを言われるまでもなく、一人ずつ間を空けて、開かれた壁の奥へと消えていきました。


残ったのは、私とその人だけ。その人はじっと座ったままでした。

顔色が優れないようで、額から汗が滲んでいました。


私は放っておくことができませんでしたので、その人の横に腰掛け、様子を伺っておりました。

気分が本当に悪そうでした。

私は、持っていた荷物から、タオルと水筒を取り出し、タオルを湿らせましたものを、その人に渡しました。


「どうぞ」

「……どうしろと?」

「お顔を、お拭きください」


その人は、ターバンを外すのが余程嫌なのか、額だけささっと吹き、手に握りしめるだけでした。私は、少しこの人と話をしてみたくなりました。


「先ほどは、ありがとうございました……助けていただいて……」

その人は何も答えません。

ですが、私の話を聞くことを拒否する素振りも見せませんでした。


「先程の魔術はどうやってやるのですか?」

「先程?」

「土の……」

「……辞典に載っているだろう……」

「あ、そ、そうでしたね……」


話を繋げる為に、無理やり出した話題でしたため、少し気恥ずかしくなりました。

辞典を急いで取り出して、捲り始めた時でした。


「あんたのか?」

「え?」


その人は、辞典を指差していました。

「魔術の初心者の割には……随分使い込まれてるな」

「やはり、初心者だって分かりますよね……」

「そもそも、専属魔術師を本当に目指す人間は、今更辞典など持ち歩かない」

「あ、……そ、そうですよね……」

 こんなところへ来るべきではなかったと、改めて、言われたような気がしました。


「……私の幼なじみから預かったのです」

「幼なじみ……」

「彼は……私より少し年上の人なんですけど……この前の……三年前の魔術師選抜試験を受ける為、地元を出て行ったんです。その時に、彼が使っていたものを、私がお預かりしたんです。お守りとして……。でも、それきり音沙汰無しで……」


 年上の男性。

父とも祖父とも違う、いつも私を見守ってくれた陽だまりの人。

見かける度に嬉しくなって、私がいつも飛びついてしまう人。

本来ならば縁がなく終わるはずだった魔術の事を、私に教えて世界を広げてくれた人。

叶うなら、ずっと一緒にいたかった人。


彼は幼い頃から、魔術師として、世界を救うという夢に恋焦がれているような人でした。

いつも私に、魔術とは何か、この国の歴史の事を語ってくれました。

魔術師として世の中の人の役に立ちたいと、毎日厳しい練習をしていました。


……指も一本もぎ取られそうになっているのを見たことがありました。

掌が、自分が出した炎によって火傷していたのも見ました。


そんな風に自らを傷つけながらも「誰かの為に生きたい」という彼の姿に私も憧れて、少しずつではありましたが、魔術を覚えるようになりました。

とは言いましても、専属魔術師を目指したいという想いに繋がることは、その時はありませんでしたが。


「彼のご両親は、地元を取り仕切る人達で、彼が専属魔術師になる事を、実はとても反対していたんです。王宮の専属になってしまえば、王宮と世界を往復するだけで、とても地元に戻って来られる立場ではなくなるから……と……」


それは、私も彼が旅立ってから聞かされた話でしたが。


「彼はあっという間に姿を消していました。貯めていた、ほんの少しのお金だけを持って、誰にも何も言わずに。……彼は、家よりも世界を選んだ。私がいる地元よりも、王宮を選んだ……ということだと。私、魔術師として活躍する彼のお嫁さんになるのが、夢だったんです……笑ってしまいますよね。…地元を捨てる、という決意を応援していたなんて、思いもしなかったのです……」


その人からの反応はありませんでした。

でも、私はそんな事を気にすることもできず、堰を切ったように話し続けてしまいました。


「今回の専属魔術師の応募を見た時、もしかすると、彼に会える気がしたんです……」


彼が音信不通なのは、専属魔術師として世界を飛び回っているから。

……私がもし試験を受ければ、もしかすると、試験官としているかもしれない……それが無理でも、王都に来れば、すれ違うことだけでも出来るかもしれないと……。

いてもたってもいられなくなったのです。


「そんな理由だけで、こんな所に来たのか」

冷たくも温かくもない声でした。

それでも感じました。

お前はこんな所に来るべきではないと、その人が言いたげなのが。


「だから、来れてしまったんです……」

私は、辞典を撫でました。彼の分身であり、私のお守り。

彼が憧れる仕事は、きっと素晴らしいものに違いない。私も、彼の後を追いかけて、共に世界の為に働きたいと、思ったのも本当でした。


とは言っても、私には、彼ほどの魔術の才能が無いのは、練習を重ねるうちに分かるようになっていました。

家族からも


「向いていない」

「嫁として、子供を産んで家を守りなさい。それがあんたの務めだよ」


と、魔術の練習よりも家事の練習をするように咎められるほどでした。

家族の目を盗んで、繰り返し何度も練習を重ねてきました。

ですが、どんなに努力をしても、術をコントロールすることも出来ず、辞典を持ち歩かなくては、発動すら、させられませんでした。

この世で最も弱い魔術師は誰かと聞かれたら、きっとそれは私なのでしょう。

あの少年が「基礎だ」と言った炎の術に至っては、せいぜい火の粉を飛ばすのがやっとなのですから。


せめて、専属魔術師を目指す為に、努力をした私を見て欲しい。

そう思い、この日を迎えたはずでした。


例え彼に今日会えなくても、彼と会えるヒントを得られるかもしれない、そんな一歩を踏める素敵な日になるはずだと思っていました。


それなのに、試験というだけのはずなのに、あっという間に死んでいった受験生達……身体ごと散り散りにされた人達を目の当たりにしてしまったのです。


「専属魔術師の試験とは、こんなに、おぞましいものだなんて……全く知りませんでした」

「試験内容は、トップシークレットだから、決して漏らさない」

「だから、試験が始まる前に、門を閉じたのですね……殿下は」

 

決して、自分の血生臭い姿が、他に漏れないように……。



私は荷の中から取り出したランタンを持ち、暗い廊下を歩いていました。

大事な話の途中で、お腹を鳴らしてしまった私。

とても情けなく思いましたが、他の受験者の方達も先に進んだ後、誰一人戻ってきていらっしゃらなかったので、どこか他にも休める場所があるかもしれませんし、食糧もどこかに備蓄されているのかもしれないと思いましたので、状況把握の為に、食糧を手に入れる為にと、進む事を決めました。


最初は私一人で行く予定でしたが、私が出発して少ししてから、その人が後をついてきている事が分かりました。

出会いこそ、印象があまり良く無い人ではありましたが、二度助けていただき、彼の話も何故か話すことができた方でした。

私はその人の存在を感じることで、ほんの少し、安心感を覚えておりました。



ー歩き始めて、三十分程経った頃でした。白い何かが足に当たりました。

蹴ると、ころんっと軽い音がしました。


(石?こんな所に?)


私は、その正体を確かめようと、手を伸ばしました。

その時でした。


ざあああああああああ!


天井から、翼が生えた何かの動物の群れが私に襲いかかってきました。


「きゃあああああ!」


 私は手にしていたランタンを落としてしまいました。

一瞬にして暗闇が広がりました。

顔や、首が、次から次へと長い爪で引っ掻かれました。

手で振り払おうとしても、その手に攻撃が集中してきます。口に翼のようなものが当たり、息ができません。


(苦しい……立っていられない)


息苦しさに、頭がクラクラし、地面に倒れそうになった時でした。

強風が、吹きました。ぼとぼとと、動物の肉体が地に落ちる音がしました。

息が吸えるようになり、私は二度程、肺からの重い咳をして、両膝をつきました。

「照らせ!」

その人の声で、ぱあっと最初は真っ白に、そして徐々に視界がクリアになっていきました。

落ちていたのは、蝙蝠らしき動物の肉体だけではありませんでした。

無残にも肉が引き裂かれ、内臓が飛び出し、目玉が外れている人が、仰向けで横たわっていました。

服装から、険しい顔をしていた受験生でした。


「な、なんで……」

「こいつらのせいだ」


その人が背後から現れ、地面を指差しました。肩で苦しそうに息をしながら。


「こいつらって……」

「人食い蝙蝠だ」

「え!」


 地元に飛んでいた蝙蝠は、肉食でしたが、人を襲うとは聞いたことはありません。


「畜生……こんなのまで生み出してやがったのか……」


 その人が、とても悔しそうにしているのが、声色で分かりました。


「生み出す?」

(誰が?どうして?)


 キャンプ用具や寝袋が転がっています。死んだ受験生の持ち物だったのでしょう。


「……ちっ。普通に寝ようとする馬鹿だったのか」

「ちょっと……何も……そんな言い方しなくても……」

「油断してると、すぐに殺られる。それが、この試験だ」

 

振り返れば、油断という言葉を使う度に、私は怒られていました。

それは、まるで……。


「……この試験の事……知っていたんですか?」


私の問いかけには答えず、その人は床に落ちていた二匹の蝙蝠の死体を掴みました。


「何してるんですか!」

「腹ごしらえ用」

「……え?……」


 再びの吐き気が私を襲いましたが、吐けるほど、私の胃には何か詰まっておりませんでした。



また少しだけ、私達は歩き、少しだけ広い空間へたどり着きました。木の根が壁から突き出ていため、それらを少しだけ引きちぎり、薪がわりにして焚き火をしました。


「あの……本当に大丈夫ですか?」

「嫌なら食うな」

「……ですが……」


先程まで自分に襲いかかってきた蝙蝠の肉を食べる気には、さすがになりません。


「……毒とか、ないですか?」

「人食い蝙蝠が怖いのは、鋭い爪と牙だけだ。体内に毒は持っていない」

「そんな事、よく知っていますね……」

「……魔術師に、毒の知識は不可欠だ」

「……そうなのですか?」


彼は、一言もそんな事を教えてはくれませんでした。

彼が残してくれた辞典にも、そのような事は書かれてはおりません。


「……毒は……風と土の応用魔術だ……」

「風と……土?」

「空気中や土に含まれる物質の融合によって、肉体のあるべきシステムを破壊させる」

「……それは知りませんでした……」

「毒を支配できる人間は、極力少ない方が良いという考えだからな。情報はごく一部の魔術師しか降りてはこない」


(何故、この人はそこまで知っているのでしょうか?)


「……焼けたぞ」


その人は、蝙蝠の肉を火から取り出し、一口頬張りました。

本当に大丈夫なのか、じっくりと観察しておりますと、ぐうと、お腹が大きな音を立てました。

私も炎からお肉を取り出し、前歯でほんの少しだけ齧ってみました。

それから、齧るのが止まらなくなりました。

肉が無くなるまで、無言が続いていましたが、手に骨だけが残った時には、自分の目から涙が溢れていました。


ただ彼の姿が見られれば良かったのに…………。

それが、あんな風に人があっという間にバラバラにされて殺されるのを目撃することになるなんて……。

もしかすると、私自身があんな風になっていたかもしれません。


「寒いのか?」

「あ……」


その人は、私の表情を見て、寒さで私が震えている訳では無い事に気付いた様子でした。


「……続けるか?」

「え?」

「試験。もう、辞めたらどうだ」

「今更辞めるなんて……」


 そもそも、国王は、三日過ごせば専属魔術師になれるとおっしゃっていましたが、辞退をする方法は何もおっしゃりませんでした。


「辞められるなら、辞めたいんだな?」

「それ……は……」


言葉に詰まりました。

まさかそれが、王国を司る王族が、受験者の命を無残に散らすものだとは思いませんでしたから。


「専属魔術師って、一体何なのですか?」

「……それを聞く意味は?」

「私は、専属魔術師は、世界の人を救う、価値ある仕事だと、教わりました。ですから、彼が、地元を飛び出してでも目指した事も、理解しています……だから……」

「目指したい……と?あれだけのものを見てもまだ?」


その人の声の温度が、一気に下がりました。

諦めろ、と目が訴えています。


「正直言えば、彼と同じ仕事に就きたいというだけの……とても甘い考えだったと……思います。それに、才能も無いので、記念受験……だと割り切ってもいました」


偽りのない本音です。

私は、専属魔術師というものを本当に軽く見ておりましたし、強い意志で目指していなかったのだと、認識させられました。

でも……。


「分からないのです……どうするのが、正しいのか……」

専属魔術師になりたいと願った、魔術の道を志した人間達を、何故殿下はあのように、虫を潰すように扱ったのか。


遠くから聞こえる噂しか、私達の耳には王族の事は届きません。

噂と御触れだけが、私達が王族の事を民の事を真剣に考える善意の方々であると、信じ切っていました。


愛する国民。

確かに試験直前に、殿下はおっしゃいました。

王族は、国民を世界から守るために、専属魔術師を従えて、共に、数々の困難と戦っていると。

……その愛する人に、あのような真似を何故、できるのでしょうか?

確かに生があり、直接声を交わしたはずの愛する人だったものを、あのように……足で……。


「専属魔術師は、価値があるものなんかじゃない」

「どういうことですか?」

「……魔術の成り立ちは、知っているか?」

「……四大元素と祈りの話……ですか?」


私がそう言うと、その人は手をあげて「風よ」と言いました。

変化が無かった空気に、急に流れが生まれ、私達の上を掠めていきました。

すぐにその人が手を握ると、風もさあっと止みました。

術使った直後のその人は、やはり先程と同じように、少し息苦しそうでした。


「風は、気圧の変化で本来起こるべきものだ」

「はあ……」

「気圧は……空気の温度で変化する」

「そうなんですか……?」

「ここは……そんな気温の変化など、全く起こらない密室だ……。そんな中で風を起こそうとすると……歪みが……ゴホッ」

 

その人が咳き込みます。

とても苦しそうに。


「大丈夫ですか!」


ターバンが汗で湿っているようでした。

私はターバンを取ろうとしましたが、その人は私の手首を力強く掴んで拒みました。


「触るな」

「でも、気持ち悪く無いですか……?」

「……いいから、これには触らないでくれ……」

「……わかりました……」

「話を続けても、良いか」

「……はい」

「風が起こらないはずのところで風を起こす。それは、本来あるべき自然の理を断ち切ることと等しいことだ」

「自然の理を断ち切る……?」

「あるべき論理、古くからの必然を根底から変えてしまうということは、どこかに大きな歪みが起こる」

「歪み、ですか……?」

「本来、有りのままであるべきバランスによって、世界がうまく息づくように、物質が調和されていたのが、魔術が生まれる前の世界だった。健全な世界だった。海には魚が泳ぎ、炎は熱により生み出され、土からは種が芽生える。人は、それらの力を借りるだけで生きていけたはずだった。そう、進化していたはずだった。それを、汚い欲望によって、理を壊したのが、この国の王族だ」

「どういう、事ですか?」

「奴らは、決して国民の事を考えちゃいない。奴らにとって国民は、気分を高揚させる薬か、使い勝手の良いおもちゃぐらいにしか思っちゃいない」

「そんな……」

「国民の心を操るため、出すべき情報と出すべきでは無い情報をコントロールし続けた王族と、都合の良い情報しか届かなくなった国民……。その裏で、自分達にとって都合が悪い事は、どんな事ををしようとも、決して外に漏らすことはしなかった。その結果、王族達は自然すらもコントロールすることを望むようになった」

「自然の、コントロール……」

「奴らが欲しい時に風を、雨を、炎を出し入れする事で、食糧もコントロールできる。勿論、逆もできる」

「逆って……まさか……」

「自分達に逆らう民族が現れると、雨をわざと降らせないことで、あえて不毛の地を作り、戦争をさせて、自滅させたこともあった」

「酷い……」

「そういう事も厭わない、卑劣な連中が、この国の王族なんだ」


今の話を、もし彼が聞いていたら、どう思ったのだろう、と、私はかつての彼の真剣な眼差しを思い出し、胸が苦しくなった。


「で、では専属魔術師って、その王達の望みを叶える為の人達だというのですか?」

「半分当たりで、半分外れだ」

「半分?」

「闇の時代と呼ばれた頃も、知っているな?」

「最初の専属魔術師が誕生した、きっかけの時代……ですよね」


自然の法則が狂っていた。

それも全て、王族……人間が生み出した魔術によって引き起こされたこと。

……無理やり、起きるはずの無い現象を起こすことで、自然は大きく傷ついていた。

その傷を治すために、自然は膨大なエネルギーを使うことになる。


ところが、傷はどんどん深まっていく。

……耐えきれなくなり、かつての姿に戻ろうとした自然が、暴発して引き起こされたのが、あの災害の数々だった。


そこまで話したその人が、また大きく咳き込みました。


「やはり苦しいのでは?これを、外しましょう」

「やめろ……それだけは……」


私は、その人の頭のターバンを思いっきり引っ張りました。

出てきたのは、ほとんどの皮膚がしわくちゃな顔と額。

地元の七十代の祖父を遥かに上回る年齢だと想像するのは難くありませんでした。


私とその人の目が、はっきり合いました。顔を隠していても、感情が伝わるその人の瞳が、ほんの少し揺れていました。

その後、その人は大きく深呼吸をしました。酸素を求めるように。


「一度お休みになってはいかがですか?」

 私は、ここでその人の話を一度止めるべき、と思いました。

話せば話すほど、その人の苦しみが増しているようでしたので。


「大丈夫だ……」

「ですが、一度お眠りになったらどうです?」

「いや、まだ、眠るわけにいかない」

「どうしてですか」

「試験が、終わって……ない……」


三日間。

なんと過酷なことでしょう。

眠れば、先程の方のように、あっという間に肉として食われてしまうかもしれません……そう言うことなのでしょう。


「あなたは、過去にもこの試験を受けた事があるのですか?」

私がそう尋ねた時、その人のまぶたはすでに下がり、寝息を立てておりました。

 

彼の成長を見守り、彼に魔術を与え、私を導いた大切な辞典。

私はもう一度頭の序章を読み直します。


「魔術は、人の為、平和の為に使うべし……」

そう、確かに書かれておりました、その言葉を彼も、私も信じてここまで来ました。

しかし、事実はそうではなかった……。


私は、拭い去れなかった嫌な仮説が再びよぎりました。

まさか、彼も……あんな風になったのではないでしょうか……。

そう思うと、いてもたってもいられませんでした。


炎が、間も無く消えようとしています。

辞典を開き「炎よ、灯れ」と呪文を唱えましたが、炎はちっとも元気を取り戻しませんでした。

……薪も足りないのでしょう。

私は木の根を再び取る為に、ほんの少しだけ移動しました。


その時でした。



「ぎゃあああああああああ」

これが、誰かの断末魔であることがわかる程に、私は命が終わる瞬間にたった一日で立ち合いすぎていました。

そして、地面が激しく揺れ始めました。

立っているのが難しいほどで、私はしゃがみ込んでしまいました。

その人は、眠ったままでした。


地震の振動で、焚き火が消えました。闇が戻りました。


(まずい)


そう思った時にはすでに遅し……。

巨大な気配が、私の背後に忍びよってきました。

私の鼻先を、何かが掠めて落ちました、べちゃりと、地面に叩きつけられました。

何かが、私の太腿に乗りました。


私は腰を抜かしたまま、それを払い落とします。

明らかにそれは、人の指でした。



私は「炎よ!」と強く念じました。

直前に見たばかりでしたので、頭に瞬時に思い浮かんだのです。


目の前にばちりと、火花が散り、偶然その何かに当たりました。

それが服だと分かったのは、それが燃え上がり、一面明るくなったから。


服と、服の持ち主の頭髪と皮膚が燃えていました。

落ちてきたのは、あの無表情の受験者。

私はそのグロテスクな焚き火を見たくなく、後退りをしようと試みました。

しかし、明るくなったことで、背後に大きな影にも気づいてしまいました。


振り返ると、そこには大きな鱗に包まれた、巨大なドラゴンが、よだれをたらしながら口を開け、血塗れの牙を私に見せていました。


「あ……」

叫びが、声になりません。


ドラゴンの顔が、じわじわと私ににじり寄ります。

ここで逃げなければ、私は確実に牙に貫かれます。

ですが、足が、もう思うように動けないのです。

震えて、力がもう入りません。


その時



「ほっほっほっ」

頭上から聞こえてきました。


「……陛下……?」

「何じゃ、その顔は、わしがいる事が、そんなに不思議か?」

「お部屋に、お戻りになったのでは……」

確かに、王は階段で地上に上がったはずです。


「それがのぉ……ちょっとこやつの事がとっても気になってな、餌だけあげにきたんじゃよ」

なぜ、そんな所にいるでしょう。


「餌?」

「そうじゃ」


王はドラゴンの肩の上に、確かに座っています。

そして、ドラゴンの耳を撫でながら、耳打ちをしています。


「ほーら、美味しそうな餌じゃろ」

「何を……」

「こやつの好物はな、魔術の力を持つ人間での、なかなか食べさせてやれないから、興奮しておる」

「そんな……。どうして、受験生にこんなことを……」

「専属魔術師なぞ、使える奴、たった一人いれば良い。……使える奴は、わしら王族の役に立ってくれればそれでいいし、使えない奴も、こうして使える奴に、なる」

「こうして?」

「この子はなぁ……世界平和のために必要なんじゃよ。この子の存在を他国にほんの少しだけチラつかせるだけで、他国はワシらに屈服し、何もかも差し出す。この子は、世界の戦争を防ぐのに、大いに役に立っている。長生きしてもらわなくては、困るからな。……魔力を持つ人間の味を覚えて、それ以外を拒否するようになってしまったしぁ……。これくらいの多少の我儘は聞いてやらない、とな」


「まさか……私達はそのために……」


 陛下は何も答えません。そして大きな声で笑います。


「さあ、こやつが最後だ。……それとも、魔術で対抗するか?」


(最後?私が?……まさか、私が知らない間に……あの人も……?)


「生き残って我が国に仕えるか?ドラゴンの力となるか?ははははは」


ドラゴンが一気に私に近づきます。

私は無我夢中で、手をかざします。


ドラゴンは、口を大きく開けます。

ヨダレが頭に降ってきます。

私は、口を開けます。


ドラゴンは私の頭を口で包みます。

私は、叫びます。


「炎よ、放て!」


よりにもよって、最も苦手な炎の魔術にしてしまったのか。

ひゅ〜んと、悲しい音を立てて、無数の小さな火の粉がドラゴンに向かっています。

お灸程度の火の粉。もう、別の魔法を使う時間のゆとりはありません。


(もうダメだ!)


その時


「スノウ!」

私の名前が呼ばれました。

体がグイッと引き寄せられ抱きしめられました。


あの人でした。

ドラゴンと私の間に入ってきました。

私の火の粉が当たってしまいました。


「ああ!」

火の粉を人間に当てるなんて、私は何と言うことをしたのでしょう。

苦しそうな呻き声上げています。

打ちどころが悪かったのかもしれません。殺してしまったかもしれません。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!」

その時、その人のシワだらけの顔と、骸骨のような手が徐々に若々しくなっているのが見えました。

そして……。


「氷よ!貫け!」

そのドラゴンの大きな口に、氷の刃が下から脳天貫いて突き刺さります。

ぎゃああああああああああと、ドラゴンが暴れ出します。


その人が、私を抱えて、あっという間にドラゴンから距離を取ります。

……その顔は……。


「レイン」

陛下が、名を呼びます。

「まさか……お前……元に戻れたと言うのか」

「……お陰様で、と、言っておきましょう……か……」

精悍な体つき。

少し低くなった、懐かしい声。

腰を抜かし、完全に寄りかかっている私を見つめる彼の顔は、間違いなく記憶の彼……レインでした。


「レイン?レインなのですか……!本当に……?」


私は、本物なのか確かめたくて、手を彼の頬に伸ばしますが、彼に手を掴まれ、そのまま下ろされました。


「話は後だ、スノウ、捕まってろ」

そう言うと、レインはドラゴンに向き直ります。

ドラゴンは、レインの刃で苦しんでいます。

レインは、私の肩を抱いたまま、一歩、二歩と下がりました。


「可哀想なことを……。……よくもしてくれたねぇ、レイン」


陛下は、そう言いながら、ドラゴンの肩から涼しい顔で飛び降ります。

……地面に辿り着くスピードを、風の力で緩やかにしたのでしょう。

優雅に着地しておりました。


ドラゴンは陛下が着地したのを見届けたかのように、その場で崩れ落ちました。


「はっはっはっ。……お前はもう、死を待つだけだと思っていたからなぁ……」

「俺だって、そう思っていましたよ」

「三年前、お前がこの王都に来てから、せっかくわしが目をかけてやったと言うのに……よくもこんな真似ができたな。次の後継者を見届けてから死にたいだろうと、わざわざ、この選抜試験の監視役につかせては見たものの……まさか、こんな風に肉体が戻るなんて、な。……本来なら、即斬首したいところだったが」


陛下が、一瞬私を見て、不気味な笑みを浮かべました。


「嬉しい誤算が見られたから、良しとする、か」

「陛下……どこまで魔術師を愚弄すれば気が済むのですか」

「愚弄?どこが?ちゃんと、役割を果たさせてあげているではないか」

「選抜試験と言う名目で、魔術師を惨殺することが、か」

「王の為に尽くすという、お前らの望みを叶えてやったではないか」

「陛下や殿下の正体を知っていたら、決して目指したりはしなかった。誰もな」

「しかし、お前は、あの試験でたった一人、生き残った。実に、見事だった」

「レイン、どういうことですか?どうして、あんな姿に……?」

「ほう、其方らは知り合い……以上の関係のようじゃな」

「やめろ、スノウには手を出すな」

「そうもいかないな……」


呪い。

老化。

確かに、陛下はそう言った。


ふと、さっき聞いたばかりの話を思い出しました。

あるべき論理、古くからの必然を根底から変えてしまうということは、どこかに大きな歪みが起こる……と。そしてその歪みが、災害を引き起こしたと……。


「まさか……レイン、さっきの話……」

「言うな!スノウ!」


「え?」

「ほう?まさか……話したのか?レイン。この娘に」

「話してなどいな……げほっ」


レインは、激しく咳き込み始めました。


「レイン、レイン!」


レインの体が、少しずつ小さくなっていきます。


「……どうしたのですか、レイン……レイン!」


レインの手が、再び骸骨のようになっていきます。

胸を抑え、とても苦しそうに息を吐いています。

私は、どうにかレインの苦しさを緩和してあげたくて、背中をさすりました。

どんどん背が丸くなっていきます。このままだと、本当に……。


「や、やだ……レイン……!」


せっかく、また会えたのに、どうしてこんなに苦しんでいる様子を見なくてはいけないのでしょう?


「ほう……効果は、一過性のものであったか……だが……なかなか興味深い……」

舌舐めずりをして、陛下が近づいてきます。

怖い。

これが、あの賑やかな王都の人々が崇める人。


「娘、何を聞いた……?」

私は首を振りました。

レインが、私の手を必死に握っています。

言ってはならぬと、レインの心の声が聞こえたから。


「ははは。まあ良い、そんな些細な事」

「さ、些細な事って……」

「もうお前を逃す気はないからのぉ、娘」

「そうはいかない」


完全に元の姿……今にも倒れそうな、老爺の姿に戻ったレインが、私と陛下の間に立ち上がりました。

足が、震えていました。


「娘、知りたくないか?何故こいつがこんな姿になったか」


そう言うと、王は両手をあげて

「面白いものを見せてくれた礼に、見せてやろう……!」


 陛下が手をかざします。

レインの体が緊張で硬直したのが分かりました。

私は嫌な予感がして、レインの体を守るように抱きしめました。

手に力が篭ります。


「燃えろ!」

 陛下が呪文を唱えると、勢いよく殿下の手から炎が湧き上がります。

その時、レインが体を震わせ、口から唾を吐き出しています。


「な、何で……!」


陛下は、不気味な笑みを浮かべながら、炎を、ドラゴンに向けて放ちます。

炎はあっという間にドラゴンを包みます。


すると、ドラゴンを突き刺した氷が溶け、ドラゴンの傷があっという間に塞がりました。

大きく羽を広げたドラゴンは、あっという間に広間を低空飛行したと思うと、あっという間に廊下の奥に消えてしました。


ドラゴンが元気になるのと対照的に、レインは、跪き、立ち上がれなくなっていました。


「どうして……!陛下が魔術を使って、どうしてレインが苦しんでいるのですか?」

「それはな、娘、この男は王族の為にとても尊い役目を担ってくれているからじゃよ」


言葉とは明らかに反対の意味を含む言い方をする陛下に、私はレインを近付かせたくありませんでした。

私は必死で。


「炎よ!炎よ!」

と、火の粉を出しましたが、陛下はその火の粉を片手で握り潰していました。


「ほう」

と、嬉しそうに笑みを浮かべました。


「これはこれは……やはり……思った通りじゃ」

陛下はそう言うと、私にご自身の掌を見せます。両方の掌


「娘。やはりお前を返すことは、できなくなった」

殿下の掌は、片方はレインと同じように歳を重ねていることがわかる皮膚、もう片方が、ぴんっと張り詰めた、若々しい皮膚皮膚でした。


「な……何それ……」

「思った通り。娘、お前の火の魔法こそが、この国の呪いを解く鍵になるようじゃ」

「だから、呪いって何ですか!」

「魔術は……」


 レインが、苦しそうに話し出しました。


「魔術は、自然を冒涜するもの……歪ませた自然のエネルギーは、呪いとなって……王家を蝕もうとした……」

「何それ……」

「暗黒の時代、王家は一時期、謎の死を遂げる者が多かった……。海の事故、山の事故、火の

事故……始めはただの偶然だと誰もが思った……違った……。自然が……理を作り替えた者に……王家に復讐を始めた。それこそが、あの災害の真の理由。それを、王家は隠蔽しようとした」

「で、でもその時に、確かに専属魔術師が……」

「……身代わりじゃ」

 陛下が楽しそうに話し始めます。


「……え?」

「王家は魔術を、確かに操れた。誰よりもな。その力の反動に、自然の呪いが副作用として存在する。じゃが、王家は滅亡さえてはならぬ。決してな。だから、同じだけ……いや、それよりも強大な魔術力を持つ人間に、代わりに反動を受けてもらうことにしたそうじゃが……これが、実に良い。この世界も穏やかになった。わしら王族も、誰一人死ななくなった。素晴らしい世の中になった」

「身代わりの……魔術師の人はどうなったんですか……」

「そこにほれ、丁度いい見本がおるじゃろ」


 陛下はレインを指差します。


「あらゆる反動を体に受け止め、細胞が破壊され、内臓も皮膚も、あっという間に枯らし……それでも強い魔力ゆえ、生命だけは維持し続けておる……」


レインは、そんな責務を担わされていたというのですか?

私が専属魔術師をそういうものだと知らずに、レインを追いかける為だけに必死に目指していたあの時間の全てで……。


「何故、レインだったのですか」

「魔術師の中で唯一生き残ったからじゃ」

「それだけ……?」

「それが、重要なんじゃよ。どんなに厳しい環境でも生きてもらわなくては、王家の存亡に関わるからな。ははは」

「そんな……でも身代わりってどうやって」

「生き残った魔術師に、わしらの血を入れるのじゃ」

「血……」

「王の最も濃い血と、強い魔力に、呪いは反応するからじゃな。まあこれは、最初の身代わりのおかげで、わかったことじゃがな」


陛下はそう言うと、腰から小さな小刀を取り出し、自分の指に傷をつけました。

つうっと、一滴二滴と、血の滴が落ちます。


「とは言っても、すぐに壊れるから……だいたい、一年……三年……もって五年……?まあ、そこはそれぞれじゃな」

そう言うと陛下はレインを蹴り倒しました。


「やめて!」


 私はレインを抱きしめます。もう、レインに苦しい思いはさせたくない。


「安心せい、ただ呪いを受けるだけのそいつは、もう用済みじゃ」

「え」

「ただ受け身。何もせず平穏無事に過ごす。わしはいい加減飽きておった。そもそも専属魔術師の仕組みも、わしが作ったものではない。わしの父の……もっと前の王が作ったもの。それに従うのは、実につまらん。そう、思っていたんじゃよ」


陛下はそう言うと、私の口の前に自分の血が滴る指を当てます。


「舐めろ」

「嫌っ」

「足元を見ろ」

レインが、首にナイフを突き立てられていました。

「言うことを聞かねば、切るぞ」


あれだけの惨殺をあっという間に行う陛下ですから、その言葉には、嘘はないのでしょう。

私は血を唇につけないように、顔を逸らします。

「呪いを一身に受け、老化が止まらなかったレインが、何故、その姿を束の間で取り戻したのか……分かるかのぉ?」

「いえ……分かりません」

「さっきも見せたじゃろ……お前の炎じゃ」

「炎?」

「お前の炎は、エネルギーを戻す力があるようじゃな……」


陛下は、レインの首筋に刃先をほんの少し入れます。レインがうめき声をあげました。

「わしは、呪いを受け取るだけの器にもう用はない。お前の力で、わしにもう一度、かつての……若く……力に満ち溢れたあの時代を……取り戻させておくれ……」

「やめ……」

陛下が、無理やり指を私の口の中に入れようとします。

私は必死で抵抗しましたが、すればするほど、陛下が指をねじ込もうとします。

歯に指が当たりました。

私は、無我夢中で陛下の指を噛みました。


「何をするんじゃ!」

 私は陛下によって払われ、地面に叩きつけられました。

レオンの首から剣先が抜けました。私は急いで唱えます。

「炎よ!レインを、助けてー!」


私の手から出た、蛍のような炎が、レインの体を包みました。

同時に、私は陛下に床に押し付けられました。

陛下は、血走った目で、私を見ています。


「少し優しくしてやれば……調子にのるから良くないのぉ……。わしが躾し直してやるぞ」


陛下は私に馬乗りになり、出血していない方の手で私の顎を抑え、指を口の中に入れようとしました。


「喜べ。私の為に、死ぬまで、役立たせてやるぞ」

 (もう、だめ……!)

「うわああああああ」


強風が吹き、氷の刃が無数、私の真上を走って行きました。

陛下が、あっという間に吹き飛ばされました。

指が、数本、宙に浮いていました。私は、血を浴びてしまいました。

目に、鼻に、口に、大量の血が染み込みました、陛下の血が。


私は、ゆっくりと起き上がります。

手が差し伸べられました。

私はその手を取りました。

私は引っ張り上げられ、そのまま抱きしめられました。


「元に……戻ったのですか……」

また、かつてのレインに戻っていました。

レインは、泣いていました。

「……すまない、スノウ。俺のせいで……」

「何を言っているんですか?」


待ち望んでいた人に会えたのです。それがどんなに嬉しいことか、幸せなことか……。

私はレインを抱きしめ返します。


「スノウ、魔術師は、国を救うヒーローなんかじゃなかったんだ……」

「はい……」

「……それなのに……俺のせいで……」


レインも、気づいたのでしょう。私が、もう後戻りできない事に。

「私は、大丈夫です」


レインの体が、また少しずつ戻っていきます。

抱きしめている手の力が、だんだん弱くなっていくのが分かります。

背が曲がり、私より小さくなっていきます。


私は、この先自分に待ち受けている苦しみよりも、これまでこの人に会えなかった悲しみの方がずっと重かったので、この人と一緒に苦しみを味わえる事が嬉しかったのかもしれません。

レインは、もう私の側から離れることはありません。

王の傀儡となる事の地獄を選んででも、私はレインを助けることができます。

私は、確かになりたかった専属魔術師になる事が、できたのです。


「今日から、私はあなたの専属です」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ