6話
ラメール王国の五つある公爵中でも、領地が海に面していないのはデルフィーン領だけなのだとアンシェル様は説明をして下さった。
お父様の使っていらした書斎にこの世界の地図があったので、アンシェル様はそれを使って私にこの世界の地理を簡単な説明をしてくださった。
机の上に広げたのは、昔懐かしいメルカトル図法のような地図だった。
地図上の上下左右は、日本での東西南北と同じなので「ここは北半球なのかな?」などと思ってしまった。
もちろん地図の中心にあるのは、ラメール王国。大きな大陸の西側に突き出した半島が王国の領土。国の三方を海に囲まれているので、海の王国とも呼ばれているらしい。
中でもデルフィーン公爵領は、国の東側寄りに位置しているので内陸部になっている。
侯爵領や伯爵領などには内陸の領地の方が多いが、周りを海に囲まれた「海の王国」の公爵領としては少し異質な気がした。
今更ではあるが、海なし領の当主が代々海軍のトップというのも変っている。
デルフィーン領の西側に二つの伯爵領があって、そこを越したところに王都がある。そしてその海岸線を少し西に行くと、王都に隣接するこのダンドゥリオン領だ。
「ほら……なんというかさ。海に慣れていない人間の方が、海に落ちたくなくて必死になるでしょ?そういうことだよ」
などととぼけたことを仰っていますが、後でスケさんが教えてくれましたよ。
「デルフィーン公爵領には巨大水上公園が存在している」って!
水深20センチほどの幼児用の施設から、人の流れ動きを利用した流水施設。陽に焼けたくないし、水泳用の薄絹を殿方に見られたくない御婦人専用の室内施設まで揃っているんですって!泳ぐ速度を競うための施設まであるらしいわ!!
デルフィーン領の住民には、この水上公園の無料使用権の付与されている許可証が発行される。
この利用許可証は、出生届けや転入届けが出された瞬間に発行される。それは一般家庭の子供以外にも適用される。たとえば、孤児として児童養護施設にいる子供であってもだ。全ての領民に水上公園の無料での利用許可証が付与されるらしい。
この権利のためか、デルフィーン公爵領からの転出者は少ないらしい。ラメール国の中でも、毎年人口増加が著しい領地である。
海もないけれど山脈地帯からもほどよく離れているので、他の領地と比較すると圧倒的に自然災害も少ない住みやすい土地でもあるらしい。
なによりも驚いたのが、水上公園のおかげなのか───領民の9割以上が泳げる───ということだった。(中にはどうしても水と相性が悪い人もいるらしいが)
アンシェル様も、泳ぎは得意だと仰っていた。
デルフィーンの領民の9割は泳げるが、ラメール王国に限定してしまえば───。
およそ8割の人間は泳げないのだ。
「泳げる」ということは、このラメール王国においては特出した能力の一つである。
デルフィーン領では水上公園を他領民にも利用権を販売していて、貴族や一部の金満家などは期間利用券を購入して夏中楽しんでいるらしいし、一日券もあるので庶民にも気軽に利用できるようになっているとのことだった。
何しろ自然のままの海は危険が多すぎる。波の穏やかな浜ばかりではないし、獰猛、有毒な海洋生物だって満ち溢れているのだ。
安全な場所で泳ぎを学べると言うことは、非常に大事なことなのだ。
そもそも一般的な娯楽の少ないこの世界において、水上公園を保有する領地なんて素晴らしいじゃない!
だからこそ、変わっているのはそんな希少な能力を持つ住人の多いデルフィーン家───軍人家系のご長男がそちらの方面には進まないということである。
他にご兄弟もいないようなので、デルフィーン公爵家は今後どうされるおつもりなのでしょう?
我がダンドゥリオン家も国の要職には就いていないながらも、何とかやっておりますので私が心配することではないのでしょうが───。
記録を遡ればダンドゥリオン家もかつては大臣職に就いていた家系のようだけれど、今ではすっかり学問の探求者の家系。
それは解っているけれど、実際うちの領地の収入源は一体なんなのかしら?
デルフィーン公爵領のコトリムギのような特産品なんてあった?
* * * * *
「アンシェルさま、ごほんよんで?」
いつもと同じ時間、いつもと同じ場所でのティータイムに私は一冊の本をアンシェル様に手渡した。
ところが今日のアンシェル様は、私の持って来た本を受け取るとタイトルに視線を落としたままあきらかに戸惑った様子で眉根を寄せて思案しているようだった。
───私、何かまずい本でも持ってきちゃった?大人の本とか?
私が持ってきたのは、古い外国語の本だった。表紙もかなり汚れていたけれど、多分古い本ならアンシェル様にも読むのは難しいかもしれない。
という悪戯心から選んできたものだった。
「───これ読むの?」
美形は困った顔をしていても絵になるな、とうっかり見惚れてしまう。
「だめ?」
小首を傾げて、微笑んだ。
なんだか───あざとい感じがしないでもないけど、子供のすることですから!
「『世界の本当にあった怖い話』って書いてあるけど?」
「いや!!」
タイトルを聞いてしまった後では、二度とその本を手に取ることはできない。
少女漫画が大好物だった私だが、ホラーやオカルトは大の苦手のジャンルだったのだ。
横からその本を覗き込んだお婆様から衝撃の一言が発せられた。
「昔、アントンがリヴィメリアに読んであげて一週間口を利いてもらえなかった本じゃない?」
なんて恐ろしい本を選んできてしまったのだろう!
「おねがい、アンシェルさま!そのほんをかえして、かわりのごほんをえらんできて!!」
いやよー!その本と一秒でも同じ空間にいたくないのよー!!
「………………………………」
いつもは、私の我が儘をすぐに聞いてくださるアンシェル様が何かを考え込んでいた。
(───読みたいんだ……)
その場にいた誰もがそう思った瞬間、アンシェル様は意外な言葉を口にされた。
「アルメリア嬢を愛称で呼ばせていただく栄誉を頂ければ、このアンシェルは姫のご要望の本を取りに行って参ります」
「アンシェルさまのおすきによんでいただいてかまいませんので、どうかおねがいいたします!」
お爺様もお婆様も私のことを「アリー」と呼ぶので、アンシェル様もそう呼んでくださると思っていたら───。
「リア」───アンシェル様は、私をそう呼ばれる。
アンシェル様だけの私の愛称になった。