4話
デルフィーン公爵の嫡男のアンシェル様とお会いしたのは、私が6歳の初春のことだった。
本格的な社交シーズンに入る前に訪れたお客様であった。
もっとも今年の社交シーズンを迎えても、私はまだ7歳で社交界デビューにはまだ程遠い年齢だった。その為、アンシェル様とお会いするのは初めてであったし、彼の噂すら聞いたことはなかった。
元々この屋敷への来客は少ない。私は、興味津々で廊下から応接室の扉越しに様子を伺っていた。
かつて、日本のテレビドラマでは有名な家政婦が三名存在していた───最古参家政婦さんもびっくりの盗み───立ち聞き、だった。
「ご老公様」
アンシェル様はお爺様のことをそう呼んでいらした。
聞いた瞬間には「水戸の?」とすぐに思ってしまったのだが。
これは後継者に家督を譲ったものの、その後継者に何らかのアクシデントが起きて爵位が一時的に戻ってしまった当主への尊称であるらしい。
………………お爺様の補佐役である執事のカスケードと、警護役のクラフカクがどうしても例の二人に見えてしまうのは気にしないことにした。
「───この度は、滞在の許可をありがとうございます」
お爺様とのお話の内容からまとめると、アンシェル様はこの屋敷にあるお父様の蔵書の本を読みにいらしたらしい。お父様の著書に感銘を受けたともおっしゃっていた。
お父様が本を出されていたなんて初耳だったので、後でその本を教えてもらうことにした。
………………
「難解な本」───でした。
「成長する言語」というタイトルの本を、アンシェル様は7歳の時に読破されたらしい。
この国の言語がいかに珍しいか、ということを研究された論文だった。日々進化を続けている言葉は数年前に流行っていても、すぐに「死語」として扱われてしまうというものだった。
それが当たり前である日本で暮らしていた私にとって、その事象を詳しく説明されても逆に脳内が混乱してしまうのだ。
* * * * *
「世に『月華の妖精』と謳われし美姫───アルメリア嬢にお会いできたこと真に恭悦に存じます」
「わたくしは、まだこどもにございます。わかりやすいことばでおねがいします」
ダンドゥリオン領の屋敷で、初対面をした私たちの最初の会話だった。
お爺様の紹介で初めて引き合わされたのは、まだ雪は残っていたが暖かな陽射しの日のことだった。
「解りやすい言葉で」とお願いしたのは、自宅の中で令嬢ぶるのが面倒だっただけなのだが。
アンシェル様は、その整ったお顔で優しく微笑んで了承してくださった。
「アンシェル」という名は、男の方にしては珍しいお名前だと思った。
この時のアンシェル様は16歳で、私よりも10歳年上の少年貴族だった。
この頃のアンシェル様は私よりも40センチは背が高く、すらりとした体型で嫌味なくらい足が長かった。お父様であるデルフィーン公爵が海軍の上級将校───で、近々元帥になられるのだと、お会いする前の予備知識としてお爺様から聞いていた。
のだが、アンシェル様は軍人にはならないのだとも聞いていた。
子供の私から見ても、華奢な印象しかなかった。
濃い紫色の少し癖のある髪を長く伸ばして、首の後ろで1つに束ねていた。腰の辺りまでの長さだった。
(軍人の家系と聞いていたけど……?)
銀色にも見えるアイスブルーの瞳の少年だった。表情に冷たそうな印象はなく、目元は涼しげで優しく微笑む姿はお伽噺の王子様のようだった。
(「日本」のね。だって、この国の王子様の絵本なんてないんだから、私の基準は前世のものになってしまうのよ)
そして、「アンシェル」=「虹」というお名前に少し違和感があった。
(海軍所属の公爵様が、自分の嫡男にそんな可愛い名前をつけるものなのかしら?)
音の響きは女性的でもあったし、一瞬で消えてしまう現象の名前を長男につけるのか疑問が尽きなかった。
「それでは、小さく可愛いお姫様。僕の自己紹介をさせてもらうね?」
先程よりもかなり明るい声のトーンで、アンシェル様は自己紹介としてご自分の名前を私に名乗ってくださった。
「僕の名前は、アストラル・デルフィーン。『アンシェル』と呼んでね?」
?????
意味がわかりません。
「アストラル」というお名前はどう捻っても、「アンシェル」の愛称に繋がりませんが?
でも確かにお爺様も彼を「アンシェル殿」と呼んでいたし、私にもそう紹介していたはずよ。
「不思議そうな顔だね?」
あ、表情に露骨に出ていたみたいです。
「僕の家は───代々男子が育ち難い家系みたいでね。成人するまで、本名とは別の愛称というか、女の子みたいな『幼名』をつける場合があるんだ。だから僕のことは『アンシェル』って呼んでもらえると嬉しいな」
アンシェル様は、「つける」ではなく「その場合がある」と仰った。どちらのパターンが特殊なのか今の時点の私には判別がつかなかったけれど、この言葉が妙に心に残っていた。
彼は私達に手土産を準備していてくれた。
お爺様へは「千年酒」と呼ばれる薬酒(杯で1杯飲むと、1年寿命が延びると云われている)。
お婆様へは最近王都で流行っている色々なハーブティーの詰め合わせ。
スケ&カクや屋敷で働く男性陣には、蒸留酒。
女性陣やお酒の飲めないスタッフには、大量の焼き菓子。
そして、私へのお土産は巨大な青いイルカのぬいぐるみ(私の背丈ほどもある)と、小さなピンク色のイルカのぬいぐるみ(大きい子の三分の一くらい)だった。
青イルカの中身は、少しごつごつとした(でも痛くはない)───何かの種のようなものが入っていた。
ピンクイルカの中身も種のような物の蝕感があるが、青イルカに比べると小さな粒だった。
どちらも手の中で、もみもみしていると気持ちの良い手触りで、大きい子は抱き枕に小さい子は持ち歩きに便利なサイズだった。
「シュシュジュダマ、ですわね?」
ぬいぐるみに触れたお婆様は、中身がすぐに判ったようだった。
「よろしいのですか?」
お婆様は何かを酷く気にしている様子だった。
「構いませんよ。デルフィーン領以外では、決して育たぬ種ですからね」
なんだか「社外秘」的な匂いがします。
そんな微妙な感じで恐ろしい物、頂きたくないのですが?
ようやくアンシェル登場です。
アンシェルの容姿、髪や瞳の色初出しです。
この続編で初めて記す予定でした。