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久遠家・奥様通称シリーズ

本作はYVHさんから頂いた物になります。



  大智おちの方


 巷における久遠エルの通称。

 大いなる智謀によって、夫・久遠一馬を助けていた事からついた俗称。

 尚、これには異説があって。当初は「大乳おおちちの方」と呼ばれていたが

そう呼んでいた者たちが何故か「偶然の不幸」になる事象が続出した為に

いつの間にか、冒頭の名称に落ち着いたとする説がある。


 その為か。後世「久遠エル、魔法少女伝説」なる物が誕生し、創作活動の世界では

それをネタに、数多の小説・テレビドラマ・アニメが制作されたという。

その際に、身体の「ある部分」の事についてスポンサー側からの「強いお願い」で

身体相応のサイズに変更が入るのが「お約束」になるのが常であったという。



??「これでいいんです、これで。

   誤った情報は、正されなければなりません……(昏い笑み)」


??((((ガクガクブルブル))))



 ちなみに。所謂「薄い本」を創る界隈では、敢えて

史実に忠実な大きさで表す猛者も存在して、根強い人気を得していたが

やはり「偶然の不幸」に見舞われたが、作者たちは『乳神様のご褒美』と

寧ろ歓喜を持って受け入れた所為か、その後はそのような事は無かったという。


??「……あの人達には降参です……疲れました……」




  今巴いまともえの方・鬼御前おにごぜん狂鬼の戦人きょうきのいくさびと


 久遠家の女武将、久遠ジュリアの巷における通称。

その卓越した武技・兵たちへの指揮能力の高さから付けられたとする説が有力。


 久遠ジュリアには複数の通称が存在した。

彼女の練兵を経験した、ある武将は私的な日記に「鬼御前」の記述を残している。

彼だけでなく、練兵経験のある兵たちの残した日記にも同様の記述が見られ

彼女が、彼らに非常に恐れられていた事が窺える。

反面、楽器の演奏が巧みであった事も残されており武辺一辺倒ではなかった事も

伝わっている。


 また敵側からは、その戦いぶりから「狂鬼の戦人」と呼ばれ

一種の戦場伝説として、恐怖と共に語られたという。


 後世、その逸話から子供に対しての躾にも用いられ


「○○ばかりしていると、狂鬼の戦人がくるよ」


と言われるようになり、その名が出ると

どんなに腕白な子供も、涙目になって親の言う事を聞いたという。




 氷雨ひさめの方・人形にんぎょう御前


 久遠家留守居役、久遠セレスの通称。

久遠ジュリアと違い、常に冷静沈着・滅多に感情を表に出さなかった事から

その容姿(銀髪&クールな目元)と敵に対する厳しさと相まって

巷で畏怖を込めて呼ばれるようになった通称。


 何かと派手な逸話の多い久遠ジュリアと違って、彼女にはそういった逸話が伝わっておらず

久遠一馬以下、久遠家首脳陣が尾張の拠点を留守にした場合の留守居役を務めていた事が

大田牛一の残した記録に記載されている。

この事は主不在時、共に留守を預る事の多かった滝川資清の日記にも残されている。


その日記の中で彼は、久遠セレスが和解と通商を求めてやってきた桑名の商人に対し

一切の発言も認めず、無表情で冷淡に追い返した様を間近に見て恐怖し

前述の「人形御前」の通称を日記に残したと伝えられる。




 薬師の方くすしのかた

 久遠ケティの巷での通称。


 その医療活動によって、数多の命を救った事から

尊敬と畏敬の念を持って言われるようになった通称。

数々の功績から、後世では医聖とも呼ばれる。

また。医術だけではなく、護身限定ながら体術も相当な腕前を持つ。


 過去数度。彼女目当ての者たちの襲撃を受けたが、その腕前を持って

何度か自ら賊を撃退したとの記録が、織田家関係の資料に残されている。

また、北条幻庵一行を送迎する為に相模国・小田原に行った際にも

城下で里見家の雇った牢人集団に襲撃されるも、賊の一人を取り押さえている。

その時の様子が、彼女の護衛任務に就いていた北条家中の武士の日記に記されている。


 このエピソードから、後世「ケティ先生の事件簿」「柔医師の診察禄」

などのドラマで、敏腕医師にして凄腕の武術家としてのケティ像が出来上がった。


 医療の大家として有名な彼女だが。反面、大変な大食漢であり

宴席などでは健啖家ぶりを発揮して、同じ奥方仲間で医師でもある

ひかるの方・久遠パメラに、度々窘められていたという。




 光の方ひかるのかた光先生ひかるせんせい・婦長、後に師長

 久遠パメラの巷での通称。


 ブロンドヘア・ツインテール、明るい性格から

親しみを込めて巷で呼ばれるようになった通称。


 薬師の方・久遠ケティと並ぶ、もう一人の医師。

多忙になってきた彼女の補助として呼ばれて来た為か、戦国期に

織田弾正忠領で発生した流行病の対応に奔走していた記録はあるが

それ以外に目立った活躍がなく、医療において同程度の技量を持つも

些か影が薄い存在となっている。


 久遠家当主・久遠一馬と一緒にいる事が多い久遠ケティに代わって

久遠病院に詰めている事が多かった為、外来患者達には彼女より

パメラのほうが馴染み深かったという話が残っている。

その為、主に彼女が主治医を務めた患者達から、院内限定で

親しみを込めて「光先生」と呼ばれていた。


 後世。久遠病院を舞台にしたドラマ等で、当時の立ち位置から

久遠ケティを医師、久遠パメラを婦長(後に師長)とする配役が為され

記録に残っている彼女の容姿等から、現代では一部のファン層から

婦長、後には師長と呼ばれるようになった。


 また現代では、些か異色ながら大智のおちのかた・久遠エルと一緒に

魔法少女チームを組むという異色アニメが制作された結果

双方のファン層・双子山派・天使派が某巨大掲示板で不毛な論争を繰り広げたという。




 慈母の方じぼのかた乳母御前うばごぜん御袋様おふくろさま


 久遠リリーの巷での通称。


 元々は久遠家直轄の農場・牧場の責任者であったが、併設されている孤児院の

子供たちの面倒も見ていた事から、おっとりとした性格と身体的特徴から

言われるようになった通称。


ちなみに。最後の御袋様は、孤児院出身者限定の通称。

孤児院在籍中の子供たちは彼女を名前呼びしていたが、成長し

孤児院を卒業していった彼ら・彼女らが、懐かしさと親愛の情から

呼び始めたと伝わっている。


 後世。久遠家孤児院出身の元孤児の子孫の家から

当時の様子を書き綴った文献が発見されたが、そこには前述の御袋様の他に

鬼子母神という記述も見つかっており、おっとりとした性格と伝わってはいるが

意外と怒ると怖かったのではないかと、現在では言われている。


因みに。この記述を残した元孤児の事と思われる記録が孤児院に保管されているが

それによると。件の人物は幼少時、大変な腕白小僧であったらしく

当時の孤児院職員を相当に梃子摺らせていたと記録されている。




 絵師の方えしのかた青髪の君あおがみのきみ・弁天※御前べんてんごぜん


 久遠メルティの巷での通称。


 その通称にふさわしく、彼女の残した作品はデッサン等も含めると膨大な数に及ぶ。

作品の中には、戦国期に尾張・織田家領内で使われていた為替手形の様な

風変わりな物も存在する。

また、北条幻庵一行を送迎した時の久遠家所有ガレオン船内の様子を描いた物や

相模滞在中に描いたと伝わる、当時の富士山を描いた物など、芸術的価値が高く

且つ、歴史的に貴重な絵画も存在する事から、彼女を日本初の記録画家と定義する

学者も存在する。

 基本的に、彼女の作品群は久遠メルティ記念美術館等に厳重に保管されているが

織田信秀・信光兄弟の肖像画は、それぞれの子孫の家に家宝として今も伝わっている。


後に両肖像画は、所有権は織田家が持っているが、管理保存業務が久遠メルティ記念美術館に

移管になった結果、同美術館に収蔵され目玉の展示物として人気を集めている。


 青髪の君は、彼女の特徴的な髪の色から来ている。


 当時の人々の中には、このような髪の人間が南蛮にはいると

本気で信じている者たちがいて、来航したスペイン・ポルトガルの商人達を

質問攻めにして、大いに困惑させたいう記録が残されている。


 後世、記録が整理されていくにしたがって彼女が芸術面だけではなく

鎌倉沖海戦に見られるように、武具の扱いも巧みであった事が確認された為か

現代では弁天御前という通称が出来ている。

 これは当時の記録からも伝わってくる、現代から見ても色気溢れる彼女の容姿も

この名称が出来た要因であろうと言われている。


 ※弁天(弁財天)は芸術の神の他に、武神の一面があった為。




  唐の方からのかた津島御前つしまごぜん商館長しょうかんちょう


 久遠リンメイの巷での通称。

久遠家奥方集団中、明らかに東洋人的な外見を持ったのは少数であり

彼女も、その一人である。


 言葉遣いに独特のイントネーションがあった事から、大陸出であろうと

皆思ったようで、一般的には唐の方と呼ばれていたようである。

 ただ、常駐していた津島では違ったようで、現地の人々は

在所の名を取って津島御前と言っていたようである。

 最後の商館長は、幸運が重ねって偶然面会できた

南蛮商人が言ったものであると伝わっている。



 後世。大陸のほうで、久遠リンメイの親族という者達が現れ

彼女は当時の当主、久遠一馬に無理矢理拉致され。強引に妾にされたと主張し

その事に関する謝罪と賠償を要求し、更には彼女の遺産の継承を求めて

久遠家を訴えるという事を行った。

結果は、久遠側から提供された彼女のDNAデータと、件の親族のDNAデータが

まったく合致しないとの結論が出て、逆に自称親族が収監されるという

事態が起きている。




 桔梗の方ききょうのかた熱田御前あつたごぜん・お屋敷様おやしきさま


 久遠シンディの巷での通称。

冒頭の呼び名には大智の方・久遠エル同様、異説が存在し

当初は容姿と言動から「奇矯の方」と呼ばれていたようだが、後に長く

熱田に常住した事により親近感が醸成された結果、流石に気の毒に思われたのか

冒頭の字を当てる事で、無難な物に落ち着いたと言い伝えられている。


 熱田御前の通称は、久遠リンメイと同様。常駐先の熱田から来ている。


 お屋敷様は、熱田屋敷内での通称であったようで。ちゃんと業務はしているのだが

傍から見ると、優雅に紅茶を嗜んでばかりに見えた事からついた物であると言われている。




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― 新着の感想 ―
[一言] ケティ。大食漢とありますが「漢」は漢を意味します。 暴漢とか痴漢など。
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