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第六話:Dinosaur

廣樹が諒のマンションに着いてから話が始まります。

 廣樹は駅から少し歩いた場所にある諒の住む高層マンションに向かい歩いていた。

「さてと、今日は久しぶりに電車に乗るし、靴紐を結び直しておくか」

 そう言って歩道の端でしゃがむと、革靴の緩んだ紐をキツめに結び直し、賑やかな駅前からしばらく歩き、諒が住むマンションにたどり着いた。腕時計の針を見ると、純也が急いでくれたおかげで約束の時間には余裕があった。ふと、諒のシルビアを見たくなった廣樹は、自販機で買った缶入り珈琲を持って駐車場所へと向かった。マンションの地下にある駐車場は、軽自動車から外車まで多種多様な車が綺麗に並んでいた。赤いボディのお陰ですぐにシルビアが停めてある場所はわかった。よく、大事に乗られた車には独特な雰囲気オーラがあると言うが、このシルビアはまさにそれだろう。コンパクトカーや高性能なATオートマ車が主流の時代に、あえてMTマニュアル旧型車ダイナソーを選んで乗る者は少ない。MTのシフトチェンジ、渋滞のクラッチ操作、乗り手を選ぶ車の癖、乗り降りに少しコツを必要とする低い車高、煩いエンジン音など乗らない理由などいくらでもある。「ダイナソー」とは巨大で扱いにくい時代遅れなものという意味があり、90年代のスポーツカーにピッタリな名称だ。

「オマエはかのじょに出会えて幸せだな。ここまで大事に愛してくれる所有者オーナーは中々いないぞ。大事にし過ぎて乗ってくれなかったり、真面なメンテナンスを受けられなかったりする車も多いんだ。スポーツカーは走る為に生まれた車、だから酷使されて当たり前、ここまで大事に優しく乗るオーナーが稀なんだからな」

 先ほど買った缶入り珈琲をゆっくりと飲みながら、そんな事をシルビアに語りかけ、少し離れた場所からぼんやり見つめていた。

「あれ? ……車を擬人化するなんて、なんだか……俺も諒に似てきたのかな?」

 そんな自分を笑うと、手も持った缶入り珈琲を一気に飲み干した。ふと見た腕時計は、いつの間にか午後七時近くを指していた。シルビアを見ながら色々考えていた為、まだ約束した時間には余裕があったが、あっという間に時間が過ぎていた。そのままエレベーターに向かい歩き出すと、以前のメンテナンス中で階段で上った時のトラウマが頭を過ぎる。

「……流石に、もうあの階まで階段は勘弁して欲しいな」

 エレベーターはいつも通りに使用出来たが、肌に感じる夜風が気持ちよかった為、前回と同様に階段を使って上ることに決めた。だが、今回は前回と違い時間があるので、ゆっくりと登る事にした。


 紅茶を飲む私は、珍しく車でもファッションでもない雑誌を見ていた。今度行くアウトレットの下調べをする為、廣樹と別れてすぐに書店で買った観光系雑誌だ。

「へぇ。アウトレットって意外と大きいし、いろいろなお店があるんだ」

 楽しくて、つい時間を忘れて夢中で読んでしまった。テーブルに置かれたスマートフォンを握りしめるとある決意をし、少し強張った表情のまま耳にあてた。通話相手としばらく世間話をした後で本題を切り出した。

「もしもし……あのさ、京子。……私が……もし、もしだよ? もし、廣樹と付き合ったら……やっぱり……怒る……よね?」

 受話器の先にいる京子から答えを聞くまでの間、自分でも鼓動が次第に速くなっていくのがわかった。

「えっ? 廣樹と諒が付き合ったらって……」

 数秒間の沈黙の後、京子は話を続けた。

「怒るも何も……諒。だって、廣樹の事が好きなんでしょ? いくら私が元カノだからって……それを止めるなんて友達じゃないよ」

 京子の優しい声を、スマートフォンのスピーカーから聞いて私の中で安堵が零れた。

「……ありがとう京子。実は……これから廣樹とデートなんだ」

「もうっ! ……そんな事だろうと思った。廣樹アイツは……手が掛かるけど本当にイイ奴だから頑張って! じゃあ、そろそろ私も出掛ける準備するから切るね」

 電話先で話す京子は、一瞬の静寂の後、電話を切るかと思ったが再び話し出した。

「もし、遠慮なんてしたら……また、私が狙っちゃうから……わかった?」

 京子がどこまで本気かは分からないが、今の私にはあまり冗談に聞こえなかった。

「えっ! う、うん。わかった!」

 私は京子との通話を終えると、しばらくスマホを見つめていた。

「京子……本当にありがとう。私、頑張るね」

 京子の気持ちが素直に嬉しかった。ふと時間が気になり、腕時計を見ると五時十一分だった。

「えっ? まだ五時?」

 いや、絶対にそんな訳は無い。廣樹と別れてから、もう軽く一時間は過ぎている。改めてスマホの時計を見ると、六時三十二分だった。よく見ると、私の腕時計の秒針は全く動いていない。故障か電池切れが原因でピタリと止まっている。

「もう! こんな時に「物とは必要な時に役立たない」という、マーフィーの法則をこんな時に実感したくないよ! やっぱり、電池式のクウォーツ時計はダメなのかな? そう言えば……廣樹が電波ソーラーは便利で良いって言ってたっけ」

 アウトレットの雑誌を探るように見ると数店舗時計の店舗があった。私はアウトレット行ったら、とりあえず腕時計を見ることに決めた。時計好きの廣樹ならば、きっといろいろと相談にのってくれることだろう。

「そろそろ廣樹が来そうだし、部屋を少し片づけるか。いきなりトイレを貸してとか言われたら……ちょっと恥かしいし……」

 そんな独り言を言った後、部屋とトイレを軽く掃除することにした。


 一通りの掃除も終わった。先程、飲み残して冷めてしまった紅茶を飲み干していると、タイミングよピンポンとくチャイムが鳴った。ドアフォンの液晶画面には廣樹の横顔が映っていた。何故か廣樹は毎回ドアフォンを直視しない。もし、機会があれば理由を訊いてみよう。

「はーい。いま行きます」

 小走りに玄関に向かい、慌ててドアを開けると廣樹が立っていた。

「さ、夕飯を食べに行こうか?」廣樹が笑顔で話しかけてきた。

「うん! 行こう!」

 私はノリ良く返事をすると、鞄からカギを取り出して玄関に施錠した。エレベーターの前で並ぶと、肩が軽く触れたので何気なく廣樹を見てみた。廣樹は男として身長が低くはないが高くもない。私の目測だと百七十センチくらいだろう。車の設計をするときに基準になる身長とか、百六十九センチは5ナンバー規格に一番多い車幅だとか、いろいろな事が頭に浮かんだ。こんな時まで車好きな私だがそんな自分が好きだったりもする。

「ん? どうした? 俺の顔に何か……付いてるのか?」

 廣樹はエレベーターの中で目が合うと笑いながら訊いてきた。

「う、うん。廣樹の身長ってさ、百七十くらいかなぁって……」

 この質問は男性に禁句だと、男を絶やさないタイプ、つまり男受けが良い女友達とかなり前に飲んだ時に聞いた事があった。廣樹がそうなのかと思うと少々信じがたい。

「俺の身長? そうだな……百七十一センチだから、まぁ大体そんなところかな? やっぱり、陽平みたいに百八十くらいあると男らしいよな?」

 笑いながら話す廣樹に少し安堵した。そこで止めれば良いのに、私は悪い癖で続けるように訊いてしまう。

「廣樹もさ……やっぱり……もう少し大きい方が良かった?」

「うーん。……いいや、今くらいで良いかな? どんなクルマだって設計の基準身長だから運転できるし、着る服だって困らないし、これでも諒も含めて殆どの女の子よりは大きいからな。俺は気にしないけど、あんまり男には訊かない方が良いよ。身長これって、男は気にしてるヤツ多くて結構なNGきんくワードだからさ、特に彼氏候補のヤツには絶対に訊いたりするなよ?」

 またこうやって私の頭を優しく撫でながら笑って話す。別に嫌ではないから構わないが、廣樹は人の頭を撫でるのが好きだと思う。こんなにそばにいるし、今では関係もある。なのに、廣樹にとって自分は恋人カノジョ候補では無いと思うと、思わずため息が出てしまった。今まで誰かに恋するのが、こんなに辛いとは思わなかった。廣樹といると今までいかに本気で恋してなかったがよく解る。数年前には自分が誰かをこんなにも好きになるとは考えもしなかった。


 マンションのエレベーターを降りると、駅に向かい夕暮れの歩道を私達は歩きだした。車屋ブローカーという、昔、一度諦めかけた夢を叶えた今の自分がいる。そういえば、いつかの電話で廣樹にこんな事を言われた「真実ほんとうの夢だったから、どんな事でも乗り越えられたんじゃない? よく頑張ったね」そう言われた日、電話を切ってから声を出して泣いたこともあった。こんな自分に合う人はきっと廣樹しかいないだろう。そんな事を考えているから、自然と口数も少なくなり、足取りも遅くなった。

「諒、信号が変わる前に渡ろうぜ」

 廣樹はそう言うと、私の手を不意に握って足早に踏み出した。高めのヒールで急に小走りした為か、急に握られた手の為か、気づくと胸の鼓動が速かった。

「……急に走ってごめんな」

 廣樹は横断歩道を渡り切ると、まるで少年のような顔で話しかけてきた。やはり、何処か憎めない。

「ううん。ちょっと考え事をしていたから……驚いただけ。あ、そう言えば……廣樹と電車で何処かに移動なんて初めてだよね?」

 よく考えてみたら、廣樹とはいつも車の移動ばかりで電車に乗った記憶なんて全く無かった。それは車好きやカップルからすれば、逆に羨ましい事だろう。そんなことを考えたら、思わずクスクスと笑ってしまった。廣樹も私につられて微笑んでいた。

 目的の駅に着くと、まるで何かが詰まったように混んだ改札口が目についた「人身事故の影響で……」オレンジ色で横に流れる電子掲示板の文字に気づいた。

「――嘘でしょ!」

 私は思わず反射的に声が出てしまった。都会の電車ではよくある事だが、よりによってこんな時に……と思ってしまう。

「仕方ないだろ? 予定してた寿司屋は俺のマンションから近いし、シルビアで俺のマンションまで行って、そこからタクシーで行くか……」 

 廣樹のどんな時でも冷静でいられる思考は、踏んだ場数と状況判断能力の高さの賜物だろう。

「ねぇ廣樹? 私、今日は……流石に運転が出来ないよ?」

 ロングスカート軽くつまんで裾を持ち上げるとヒールを見せた。

「……いや、普通に俺が運転すれば良いだけだろ? それとも何か? シルビアを俺に運転させたくないか?」廣樹は片手を腰に当てると、少し不満げに訊いてきた。

「そっか。廣樹に運転してもらえば良いんだ。アハハ」

 運転は自分でするもの。という固定観念が、いつからか私の中に染みついていた。でも、こんな自分が私は大好きだ。

「なんかさ、沢山歩いたら喉渇いちゃったね? 自販機で良いからさ、何か飲もうよ?」

 慣れない高いヒールで沢山歩いたせいか、気づくと足の疲れ以上に喉に渇きを覚えていた。


 廣樹は缶入り珈琲のブラック、私はドリップコーヒーを近くのコンビニで買った。マンションまで戻る途中にある月夜見坂つくよみざかと呼ばれている緩く長い上りの坂道は、人も疎らで夜風がとても心地良かった。この月夜見坂で月の綺麗な夜、想いを願うとその願い事が叶うという噂を聞いたことがある。あれは確か、私がこの街に越して来てしばらくした頃だった。なんだか一人で飲みたくて、偶然立ち寄った駅近くのバーで初老のバーテンダーが教えてくれた噂話だ。

「あーあ、廣樹と初めて電車に乗れると思ったのになぁ……」

 口を尖らせてワザとらしく愚痴ってみた。もちろん、私はそんな噂話を信じていないが、残念な気持ちからつい口に出してしまった。

「ふーん……そっか、残念か」

 廣樹は少し考えたような表情をした後、口を開いた。

「……じゃあ、偶然抽選で当たったんだけどさ。……七月七日指定だから休みが合えばだけさ……成吉思汗ジンギスカンを食べに寝台列車カシオペアで北海道まで行くか? 京子と陽平は仕事で休み取れないから無理だし、純也に聞いたらラム肉は獣臭いからパスと言われたんだよな。純也もわかめ羊とか食べれば考えが変わると思うんだけどな」

「ふーん……えっ! ホントに? 行く! 絶対に行くよっ!」

 本当に神様がいるかどうか知らないが、試しに言ってみるモノだと思った。同時に一気に機嫌が良くなる自分がいた「わざわい転じて福と成す”や”禍福かふくあざなえる縄の如し」諺とは本当によく言ったものだ。わかめ羊ってなんだろうと思ったが、楽しみにしておくことにした。

「でも、廣樹っていつも自由だよね? 普通の人はさ、行く相手も決めないで北海道にジンギスカンを食べる為、寝台車の抽選に申込みなんてしないよ?」

「世間からよく思われることよりも、自分が心からやりたいことを見つけ出すこと。そして、自分らしく生きていくことのほうがずっと大切であるということ。肥前国平戸藩ひぜんのくにひらどはん、現在の長崎県平戸市の藩主で剣の達人で松浦静山っていう人の言葉なんだけどね。……実はさ、これって俺も純也に教えてもらった言葉なんだ」

 廣樹は飲み終わった空き缶を灰皿にして歩きながら話してくれた。

「へぇ、純也くんって意外と博識なんだね? ……金貸しするくらいだもん……私とは違うか」

 金融やってるし、廣樹の親友なんだから博識に決まってる。そんなことに気づかない自分が恥ずかしく、廣樹と純也くんに失礼だと思い、心の中で反省した。

「いや、純也アイツさ、普通に昔から刀とか歴史が凄く好きなんだよ。真剣道とか抜刀術ばっとうじゅつの経験もあるんだぜ。だからもし、純也の事務所に強盗に入ったら地獄見るね。持ってる一番高い刀は二千万くらいだっけ。なんかさぁ、戦で人を斬った刀の可能性もあるって嫌じゃない?」

 廣樹は笑いながら、自慢げに純也くんの話をしたが、この話は夜に聞く話にはちょっと笑えない内容だった。

「ちょっとっ! 夜なんだから怖い事を言わないでよ!」

 思わず廣樹の肩を強く叩いた。夜道で人を切った刀の話は流石に笑い話にはならない。

「ごめんな、そんなつもりは無かったんだけど……」

 廣樹は私の頭を撫でて話をはぐらかした。

「ホント? じゃあ、許す」

 なんか……この雰囲気良いなぁ。私はふと、そんな事を思った。本当は廣樹にそんなつもりが無い事は知っている。廣樹の熱くなると夢中になる性格も、探求心が強くてついつい色々と調べてしまう癖も知ってる。そして廣樹がスキンシップのように、よく人の頭を撫でる事も知ってる。なんでだろう? 廣樹に頭を撫でられると暖かい気持ちになる。……京子もこんな風に沢山撫でられたのかなぁ? そう思うと、少しだけ廣樹の元彼女キョウコ達にヤキモチを感じた。前に呼んだ雑誌に女の子は撫でられるのが好きと書いてあった。当時は首を傾げたが、今の私ならその気持ちがよくわかる。

「さ、そろそろ駐車場に着くし、愛車シルビアの鍵を借りようかな?」

 手を差し出すと、私にシルビアの鍵を催促してきた。

「はいはい。どうぞ!」

 キーホルダーと一緒にブルガリのキーリングにスイベルスナップで束ねた数個の鍵ごと渡した。

「そう言えば……助手席に座るのって久しぶりかも? 廣樹と翔馬さんにしか運転させないんだから、当たり前って言えば当たり前だけど……」

 廣樹は私のそんな話を聞きながら、受け取った鍵のキーレス機能で鍵を開けると助手席に向かいドアを開けてくれた。私は廣樹の行動の意味が理解できずに思わず訊いてしまった。

「どう……したの? 廣樹が運転してくれるんだよね?」

 キョトンとした私を、廣樹は鼻で笑いながら理由を言ってきた。

「だって、その長いスカートだと乗りにくいだろ?」

「そっか、ありがとうね廣樹」

 バカみたいだけど、まるで本当に廣樹の彼女になったみたいで……なんだか嬉しかった。廣樹の運転するシルビアの助手席に座って月夜見坂の渋滞に並んでいると、窓から月がとても綺麗に見えた。神様っているのかな? ……もし、いるなら「ありがとうございます」ってお礼を言いたい。お洒落して助手席に座っていると、なんだか本当に彼女になった気がする。自分の車の助手席に座ってこんな事を思うのもなんだか変だが、たまには女らしく助手席に座ってみるのも良いものだと思った。

「なんだか大人しいな? やっぱり、諒ちゃんは運転席が良いかな?」

 助手席で大人しく街を見ていると、不意に廣樹が訊いてきた。

「ううん、違う。たまには助手席も新鮮で良いなぁって思っただけよ」

 私は少しだけ、意識して普段より女性らしい口調で答えてみた。

「そっか。俺もこんな目立つ車だし、ドライブを楽しもうかな」 

「……そう? 目立つかなぁ?」

「いや、赤い車はどれも目立つだろ? ま、スポーツカーは目立ってナンボだから良いと思うけどさ」

 今までは全く気にしていなかったが、廣樹に言われて気にして周囲を見ると確かにこちらを見ている人が多い気がする。都会は目立つ車が多い。地方では殆どの者が一生乗ることも無いと思われるメルセデスやBMWにアウディはもちろん。フェラーリ、ポルシェ、ランボルギーニ、マセラティでさえも一日走っていれば出会う事が出来るだろう。都会には車好きでも名前も解らないようなエキゾティックカーさえも普通に走っている。金持ちの絶対数が多い都会では最新の車でさえもよく目にする。昔の私と同じようにどれだけ車が好きでも、好きな時に車に乗る事が叶わない者も多い。派手な排気音を奏でて何か煩い車が後方から、自分の前を走る車を蹴散らすように走ってきた。私達の車を抜く機会があっても、ワザと抜かずに後ろに着くあたり、ドライバーがイヤラシイ性格をしていると容易に想像が出来る。信号でゼロ発進をする度に無駄に大排気量のエンジンを吹かす。簡単に言うと自分が抜くのではなく、相手を退かせることに意義があると思っているのだ。

「後ろのドライバーは余程、虫を自慢したいんだな?」

 廣樹はルームミラーをチラ見すると、まるで独り言みたいに笑って話した。私は身体を起こすとサイドミラーで確認した。後ろで煽るように吹かす車、それはランボルギーニ・ガヤルドだった。

「む、虫? ……虫ってそれはちょっと失礼じゃない? ……まぁ確かに、カメムシみたいなデザインしていると私も思うけどさ……」

 私は以前から思っていた事を、つい声に出してしまった。ランボルギーニ・ガヤルドはカッコ悪い車ではないが、どうもランボルギーニは自己主張が強烈で全般的に好きになれない。

「カメムシ? いやいや、流石にそれは思っていても口に出しちゃ駄目だろ? 俺はランボルギーニ目カネ食い虫科って言う意味で言ったんだけどな」

 にやける様に言うあたり、明らかに確信犯だ。廣樹はたまにこの手の意地悪をする。発音から人に想像させるあたりが実にイヤラシイ。

「あ、ズルい! 廣樹も絶対にそう思っていたでしょ?」

「さあ、どうでしょうね? ほら、ランボってやつはさ、俺みたいな一般人にはオシャレ過ぎて理解が出来ないブっ飛んだセンスのクルマだからさ」

 その台詞からは、とてもランボルギーニを褒めているようには思えなかった。

「ふーん。じゃあさ、廣樹ってフェラーリとポルシェの事はどう思ってるの?」

 私はお返しに、少し意地悪な質問をしてみることにした。

「あ、そう来たか、どっちも良い車だと思うよ。フェラーリってヤツは……ほら? 修理も維持費も高いのが当たり前、壊れるのもメンテナンス性が悪いのも当たり前、だってフェラーリだもん。貧乏人はお断りでゼニが無いなら乗るなってね。それもでも人の気持ちと下心を魅了するのがフェラーリだからさ。ポルシェは……ノーマルで世界最速のスポーツカーってところかな? GT-Rとかコルベットとか限られた車種でチューニングすれば、ポルシェの看板背負った911よりも速い車は沢山あるけど、ノーマルでどのセグメントもポルシェより速い車を作るメーカーは何処にも無いと思うんだ」

 なかなか面白い考え方だと思った。

「へぇ。じゃあ、ランボルギーニはどうなの?」

 私は続けて廣樹にもっと意地悪な質問を投げかけた。

「ランボルギーニか……俺の独断と偏見で言うけど、ランボルギーニ乗ってる奴ってさ、詐欺師とか霊感商法とか、人の不幸や願望に付け込んで生きてるような人間が多い気がするんだよね? 例えば、自分と同じこのブレスレットを付ければ金持ちになれますよ。ってランボルギーニ乗ってる奴が言えば信憑性が出るだろ? 例え、それが霊感商法の効果も無いモノでボタックリな金額でもね。それが売れてそいつがもっと金を持てば信憑性が増す。いつも車は悪くない、悪いのは車のオーナーだからさ」

「ふーん。廣樹ってたまにそういう面白いこと言うよね?」

 私は廣樹のこういう考え方がとても好きだ。後ろのガヤルドは、まったく退かない廣樹にかなりイライラしているらしく、先程から少し蛇行気味にエンジンを吹かしながら走行してる。歩道の信号が点滅すると、廣樹は口元に笑みを浮かべ微かにアクセルオフで減速した。交差点に近づくと軽くブレーキを踏み、同時に信号が黄色になった。後ろを走っていたガヤルドはイエローカットをしてこちら側が赤になり、交差する道が青になったばかりの信号を無視して加速する。次の瞬間、まるで阿吽の呼吸みたいに交差点に停まった大型トラックの陰から赤色灯を回しながらパトカーが現れ、街の騒音さえ掻き消すサイレンを鳴らし走り出した。それは例えるならば、まるでカタパルトを加速する戦闘機のような速さだった。獲物を見つけたパトカーはまるで水を得た魚のようだ。イエローカットとは、はみ出しや追い越し禁止を表す黄線の標示を割って走行すること。何の障害も無く簡単にカットしやすい所ほど、解り易い事もあり取り締まりで狙われる。私が知る範囲で本州ならば、関東一円が最も取り締まりが厳しい。

「私のシルビアを煽るからバチが当たったんだ」気分よく廣樹を見ながら言った。

 ガヤルドは数百メーター先で、左に寄せ赤色灯を回転させたパトカーの前で停車している。

 交差点に停車していた大型トラックが走り出すと、軽くクラクションが二度鳴った。続けて廣樹もシルビアのクラクションを軽く鳴らした。トラックの側面に書かれた景虎運送という文字を見て、私は全てを理解した。あのトラックのドライバーはきっと雅春だろう。雅春は運送会社の社長でありながら、ドライバーと同じ視点にいたいと言って、自分もたまにドライバーをしている。

「まー君が中央の直進車線で右ウインカーを不規則に出して、パトカーいるって教えてくれたからさ」

 私を見ると解り易く説明してくれた。確かにトラックが右ウインカーを出しても、左横のパトカーは気づかない。ガヤルドに限っては、違反をしたくらいだから、気にもしなかっただろう。

「ねぇ廣樹、聞きたいんだけど……その合図ってどういう意味か知っていたの?」

 気になって思わずその事を訊いてしまった。

「もちろん! 俺と雅春だぜ? それに俺に路上を走る礼儀作法うらルール禁止行為タブー、それにプロドライバーとの走り方を教えてくれたのは雅春だもん」得意げに雅春の自慢話をした。

「ふーん、あの雅春がねぇ……」

 あのめんどくさがりな雅春が、誰かに教え事をするなんて……俄かに信じがたい。だが、廣樹と雅春の友情を考えれば、やはり廣樹だけは特別なのだろう。

「他にはどんなのがあるの?」

 私は探求心から思わず他に無いのか訊いた。

「トラックが高速とかで譲ってくれたら必ずハザードを出す。暗い高速でトラック抜くときは手際よく必ずパッシング2回とか、合流で先頭に割り込む一般車は輩だけど、トラックは急ぎの可能性があるから譲ってあげるとか? あぁ、あとは地元でそれをやってるとプロドライバーは周回コースだから、自分の車を覚えて良くしてくれるとかあるね。俗にいうペイフォワードだよ」

 廣樹は笑顔で楽しそうに説明してくれた。

「ペイフォワード? なんかそれ、言葉だけは聞いた事があるんだけど……」

 恥ずかしい話だが、私はペイフォワードの意味をよく知らなかった。

「ペイフォワードって言うのは、簡単に言えば恩送りだよ。親切をしてくれた人へ親切を返そうにも適切な方法が無い時、別の第三者へと恩を送る。恩を返す相手が限定されないから、比較的短い期間で善意を具体化することが出来て、社会に正の連鎖が起きるってワケ。例えば、諒が誰かに助けてもらったとするじゃん? そしたら諒は困った二人以上を助ける。もし、みんながやれば、ネズミ講みたいに正の連鎖が起こるって事だよ。渋滞で一台に譲ってもらったら、自分は二台譲る。もしかしたら渋滞緩和に繋がるかもしれない。どう? わかったかな?」

「それって……まんま廣樹の生き方だよね?」

 私はまるで廣樹の生活スタイルを聞いているように思った。

「うん。よくわかった」

 ペイフォワードの意味を理解出来た私はそう答えた。

「さ、もうすぐ俺のマンションに着くし、何処かに車を停めてタクシーを拾おうか?」

「ん? 廣樹の駐車場は? あ、キャリーがあるか」

 私は軽トラの存在を忘れて馬鹿な質問をしてしまった。

「いや、キャリーは別な場所に停めたから空いてるんだけど、純也が後で駐車場使いたいって言うから空けてあるんだよ」

「ふーん。そうなんだ」

「うん、そうなの」

 廣樹が笑顔でそう答えると廣樹のマンションが見えてきた。何処か駐車場がタイミング良く空いていると良いなと思いながら、少し倒した座面を戻した。

自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。

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