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第五話:キャリーに乗って

廣樹と諒が代車の軽トラックで帰るところから始まります。

 大型トラックや高級セダンに、時折クラクションを鳴らされながらも産業道路を走る一台の軽トラックがいた。私をマンションへ送る為、私達が乗った軽トラックだ。運転席では廣樹が煙草を吸いながらステアリングを握っている。

「――ねぇ! 廣樹ってば! 聞いてるの?」

 私は低速で走る廣樹に、イラつきから不満を漏らした。

「うん、ちゃんと聞いてるよ。でもさ、スピードが出ないんだから仕方ないだろ?」

 廣樹はドリンクホルダーに置かれた缶入り珈琲を飲みながら笑って答えた。

「もうっ! 50kmの制限速度を40kmで走るなんて交通妨害じゃないの?」

 気の強い私は後続車にクラクションを鳴らされるのが癪で仕方なかった。

「別に妨害では無いだろ? だって出ないんだから。別に……抜きたい奴に抜かせれば良いじゃん」

 笑いながらマイペースに走る廣樹は楽しそうだった。

「ねぇ? なんでさっきからそんな楽しそうなわけ?」

 遅い車でチンタラ走って楽しそうな廣樹が不思議でならない。踏んでも真面に加速しない車ほど、ストレスが溜る車は無い。

「んー? そうだなぁ……きっと乗ればわかるよ。首都高を疾走する公道競技車輌スポーツカーや乗り心地が良い高級車だけが車じゃないんだってさ」

 そう言った直後、レバーを上に動かし左にウインカーを出すとガソリンスタンドへと入った。

「ハイオク満タン、支払いはカードで」

 店員にそう伝えるとクレジットカードと、給油口を開ける為のエンジンキーを店員に手渡した。

「え? レギュラーガソリンではなく……ハイオクですか?」

 店員はカードと鍵を受け取るなり、不思議そうな表情を浮かべて聞き返してきたが、廣樹は笑顔で頷くだけだった。

「廣樹? 軽トラの燃料って普通はレギュラーでしょ? なんでハイオクを入れるの?」

 私も廣樹の考えを理解出来ずその理由を訊いた。

「きっと、店員は絶対に廣樹コイツは軽トラに乗ったこと無いのかって思っているよ? なんでわざわざハイオク入れるの? それに多分だけど……キャリーにハイオク用のECUマップなんて入ってないと思うよ?」

 まるで廣樹が車に無知みたいで、ツレとしても車を売る者としても恥ずかしかった。

「たまには、車も美味しいモノ食べたいかなぁ? ……なんてのはウソウソ」廣樹はフザケながら話した。

「本当はハイオクには洗浄剤が入っているからそうしたんだ。ガソリン残量も少なかったし、エンジンを無理に回してガス欠になるのが怖くてさ。だから、あんまり無理に飛ばせなかったんだ」

 廣樹は優しい口調で、さっきまで低速で走っていた理由わけを教えてくれた。

「給油が終わったら、諒もちょっと運転してみる? きっと前のオーナーがどんな人だったかわかると思うよ。それに……きっと諒も忘れていた気持ちを思い出すんじゃないかな?」

 廣樹が私を見ながら意味深な事を言ってきた。運転好きな私はそんな台詞を聞いた以上、無性に運転したい気持ちに駆られた。

「そうかな? じゃあ……少しだけ……運転してみよう……かな」

 私は半信半疑の気持ちのままに運転席に座った。しばらくすると店員が、カードとキー、それにレシートを持って小走りでこちらに向かってきた。受け取って、何気なく見たレシートには、ほぼ満タン量のハイオクガソリンの給油量が記入されていた。つまり、燃料タンクは本当に殆ど空だったことになる。

 左足でクラッチを踏み、イグニッションを回すと軽快にエンジンが始動した。クラッチを再び踏み直しギアを入れるとロー、セカンド、サードにスコンッスコンッとギヤチェンジがキマる。つまり、シンクロギアが痛んでいないし、ミッションにも綺麗にアタリがついている証拠だ。その瞬間、廣樹の言っていた言葉の意味が理解出来た。前オーナーはとても大事に乗っていたのだろう。マニュアル車の場合、シンクロが痛むとギアが渋くなるので乗り手が雑だとすぐにわかる。ふと、今の自分に対して心から反省した。廣樹と知り合った頃、私は全ての車を平等に見ていた。車を持っていなかった私は、例えどんな車を運転しても心から楽しいと思えた。仕事も軌道に乗り、名車と呼ばれる車に乗っていく間に、何処かで無意識に軽自動車やコンパクトカーを馬鹿にしていた。きっと、あの頃の自分ならこの軽トラックも大事に乗っていたと思う。

「そっか、トラちゃんはもっともっと走りたいんだね? その願い、私が叶えてあげるからね」

 ステアリングを優しく撫でてみた。私は車を擬人化する癖がある。今も既に軽トラをもじってトラちゃんと命名してしまった。

「やっぱり、廣樹はすごいね。忘れかけていた気持ちを思い出したよ」

 車を運転する楽しさを改めて思い出した私は廣樹に話しかけた。

「どういたしまして。別に俺のおかげでは無いと思うけど……」

 廣樹は助手席で煙草に火を点けると、ハンドルをクルクル回して窓を開けた。

「さてと、あともう少しだし、運転を楽しみますか。ケホッ……あ、コンビニに寄っても良い?」

 運転に夢中になってしまい気づかなかったが、今の自分がかなり喉が渇いていることに気づいた。

「ん、コンビニ? あぁ、別に良いよ」

 廣樹は灰皿を引き出し、煙草を消しながら快諾してくれた。

 コンビニの駐車場に軽トラックを停めると、私達は店内へと向かった。廣樹は一つしかない店舗奥のトイレを私に譲ってくれた後で、トイレを済ませると買う物を持ってレジの列へと並んだ。別に盗み聞きするつもりは無かったが、前のカップルの話が自然と耳に入ってきた。

「ねぇキョウスケ? これからどうするの?」

 そう話した女は、誰もが知るブランドで着飾る金のかかりそうな美人。そんな例えがピッタリだった。きっと、持ち物で人の価値を決める、私が一番嫌いなタイプの女だ。

「オマエはどうしたいんだ? この俺が指名で同伴をしてやってるんだ。飯だけ食って、店に行ってじゃつまらないだろう?」

 高そうで派手なスーツで着飾り、舶来品腕時計を纏い裏社会に生きる独特の雰囲気を発している。こっちの男も私が苦手なまるでヤクザを地で行くような雰囲気の男だった。キョウスケと呼ばれた男が、自分の順番がくるなり真っ先に店員に告げた煙草の銘柄は、偶然にも廣樹が吸う煙草と同じだった。

「…………」

 男を見た店員は、黙ったまま強張った表情を浮かべた。

「ん? どうしたんだ? マールボロライト・メンソールだよ。ロングのボックスが無ければソフトでもショートでも良いんだ」少しイラついた口調で店員に問いかけた。

「…………」

 しばらく黙っていた店員は、まるで男の鋭い眼光に観念するように口を開いた。

「スミマセン、生憎その銘柄は全て在庫を切らしていまして……」

 店員は、まるで廣樹を恨むように目で何かを訴えているようだった。その瞬間、私は大体の経緯を理解した。多分だが、廣樹が先ほど最後の煙草を買ってしまったのだろう。

「なんだそれ? 在庫の管理くらい、しておけ……」

 男はイラついた口調でレジを後にした。

「ねぇ! ちょっと待ってよ! キョウスケってば――」

 女は男の後を追うように慌てて店をあとにした。先程のカップルが去ると、廣樹はレジにペットボトルのお茶と紅茶をそっと置いた。

「支払いは電子マネーで。さっき、俺が最後の煙草を買ったみたいで……すみませんね」

 廣樹が店員に軽く頭を下げると、申し訳無さそうに謝った。

「いえ、私のほうこそすみません。自分はどうもアッチ系の人間は苦手なもので……」

 謝られた店員は自分の身勝手さを反省したようだった。


 店の外では、先程のキョウスケが、女が自分の鞄から出した自分の希望と違う銘柄の煙草を喫煙スペースで吸っていた。

「私の煙草でも良いなら、別の銘柄を買えば良かったじゃない?」

 女は男に優しい口調で諭すように訊いた。

「アホっ! 極道ヤクザが簡単に妥協なんて出来るか」

 女に自分の持論を説明している男は、駐車場に停められた軽トラに視線を向けた。

「……都内で軽トラなんて珍しいな。俺が乗ることは……ま、一生無いだろうな」

 男が半分馬鹿にしたような台詞を吐く。

「そう? 解らないじゃない。目についたって事は将来、この軽トラが貴方を助けてくれることがあるかもしれないわよ?」女は揶揄うように男に話しかけた。

「また、その変な持論か? 人間、自分に関係があるから目についたり出会ったりするっていう、オマエの一期一会論だろ? まったく、ゲームじゃあるまいし、馬鹿々々しい」

 呆れるように左右に軽く首を振ると、地面に捨てた煙草を足で踏み消して、軽トラを横目に歩き出す。女は煙草を拾って灰皿に入れると、小走りで男の名を呼びながら背中を追いかけた。


 二人が去ると、私達は店内から出た。私はトラブルメーカーの廣樹が、二人に関わらないように今まで店内で必死に制止していたのだ。

「――ふぅ、やっと行ったね?」

「別に、そこまで遠慮すること無いだろ? どうしてチンピラ相手にそこまで遠慮するんだ?」

 廣樹は引き留めた理由を訊いてきた。まるで理由を聞かなければ納得しないという表情をしている。

「本物の極道ヤクザは、脅し方と世間との付き合い方ををわきまえている。でも、不良チンピラは違う、相手を脅したりビビらせてナンボだと履き違えている。決して引かない廣樹は自分からそういう人とは関わらないで……お願いだから」

 いつも過ちを恐れない廣樹の性格。それを知っているからこそ、いつか大きな問題になりそうで心配になる。今回は良い機会だから、その事をハッキリと伝えることにした。

「ったく……わかったよ、約束するよ。自分からはヤクザには関わらないよ」

 私の説得が通じたみたいで、渋々だが納得してくれた。

「さ、鍵開けて軽トラに乗りなよ」

 廣樹は参ったなという顔をした後、自分を見透かしたであろう私の頭を優しく撫でた。

「うん、絶対に約束だからね?」

 心から安堵した私は、薄さがわかる軽い音を立ててドアを閉めた。


 夕暮れの帰宅や会社に戻る車で適度に混んだ国道、そんな国道を走る私達は盛り上がっていた。

「よくさ、彼氏の事が好きだから……愛車が軽トラでも構わないよってヤツいるじゃん? それでさ、実際に軽トラで迎えに来ても、気持ちが変わらない女ってどれくらいいると思う?」

 少しふざけた口調で私に訊いてきた。私はその質問自体に驚きを感じた。

「はっ? そんな事を言うひと中々いないよ! 廣樹って、今まで付き合った彼女からそんなこと言われてきたの?」

 正直言ってこの質問には驚いたが、私は少し考えてから真面目に答えてあげることにした。

「うーん……二、いや、一割くらいじゃないかな?」

「う、うん。付き合った彼女に必ずって訳ではないけれど……よく言われたかな? そう言えば、京子には言われた事が無かったな……。話を聞く限り、男と女でこの質問に対する遭遇率エンカウントが違うみたいだな?」

 廣樹の中では当たり前だと思って、軽い気持ちで訊いたのだろう。私からの言葉に逆に驚いているようだった。

「マジで! そんなに言われたの? それってさぁ、社交辞令みたいなノリで廣樹だから言ったんじゃないの? 顔もそこそこ良いし、金持ってるし、優しいし、逃したくないから、よく出来た女アピールしていたんじゃないの?」私は捲し立てるように廣樹にいった。

「私が彼女だったら、廣樹に絶対にそんな事は言わないから大丈夫だよ」私はウインクしながら答えた。

 イマイチ実感は無いが、廣樹に元カノの話をされて感じているこの感情が、俗に言うjealousyヤキモチという感情なのだろう。

「……諒さんは、僕が良い車に乗ってないと……嫌ですか?」

「うん、ヤダ! 廣樹にはいつまでもスポーツカーが似合う男でいて欲しいし、そんな妥協するような男になって欲しくないもん!」

「参ったな……それには俺も反論できないや」

 私の台詞が廣樹にとって有無を言わせぬ説得力があったようだ。

 廣樹自身も生涯スポーツカーに乗っていられる人生を歩みたいと思っている。趣味や維持費の度合いが高いスポーツカー。スポーツカーから降りたり乗らない理由は、結婚や家庭など沢山あるだろう。それでも自分に素直でいたい廣樹はスポーツカーに乗り続けていたかった。年齢でなく「気持ちの若さ」群れない強さ「自分を信じる力」を持てる男であり続けたいと思う。廣樹はそんなような事を私に話してくれて、素直に自分の負けを認めてくれた。

「ウフフ、ちゃんと解れば良し!」

 私は頷きながら、廣樹の素直な態度に納得していた。

「さてと。ところでさ、諒は今晩の晩飯は何が食べたい?」

 前触れも無しにいきなり夕食の事を訊いてきた。

「え、マジで! ごちそうしてくれるの?」

 私は予想外の展開に驚いてしまった。てっきり私を家に送ったら、それで今日はサヨナラだと思っていた。なんだかサプライズみたいでとても嬉しい。

「うーん。別になんでも良いけど……」

「そっか。じゃあ……寿司でも食いに行くか? 別に食べたいモノがあるなら焼肉とかラーメンでも良いけど……」

 その口ぶりから、廣樹は始めから自分の中で答えを決めていたみたいに思えた。

「お肉よりは……私はお寿司が良いかな」

 私は遠慮気味に自分の意見を伝えた。肉も嫌いではないが、出来るなら普段あまり食べない生魚に惹かれた。

「わかった。じゃあ、寿司で決まりだな。もうすぐ諒の部屋マンションに着くけど……どうする? 酒も飲みたいなら、俺がタクシーとかでマンションまで来るし、酒を飲まないならシルビアで俺の部屋まで迎えに来てもらうつもりだったんだけど」

 流石にこのご時世だ。ハイリスクな飲酒運転をするわけにはいかないので、私に酒を飲むか尋ねたのだろう。私は少し考えてみる事にした。

 えー! どうしよう? これって究極の二択だよね。お酒を飲んだらそのまま廣樹と……もあるし、車なら食後にドライブして長く一緒にいることも出来るし……そんな事を頭で考えながら答えを悩んでいた。

「悩んでいるなら俺が決める。よし、今夜は酒も飲もう! じゃあ、後で迎えに来るから」

 廣樹は私の気持ちなど全く知らず、さっさと答えを決めてしまった。マンションに着き、私を降ろすと廣樹は軽トラで軽快に走り去った。

「さてと、廣樹ダーリンが来る前に……シャワーでも浴びて着替えるか。なんてね、廣樹と恋人同士になれたら……普通に「ダーリン」と呼んでも良いのかな? ……やっぱり、廣樹はそういう呼び方は嫌がるかな……」

部屋に戻るエレベーターを待つ私は、そんな独り言を呟きながら、不意のサプライズにハイテンションになり、エントランスで一人で舞い上がっていた。


 半袖の黒いシャツにデニム、スエードのフットリバーを履いた廣樹。煙草を吸いながら道の隅で夜の街に紛れて誰かを待っていた。紫煙を吐きながら、しばらく車道を走る車を目で追って見ていると、目の前に一台のBMWが停車し、チッカッ、チッカッとハザードを出した。

「待たせたな。運転好きな廣樹が俺に送って欲しいと頼むなんて……珍しい事もあるもんだな? 珍しく頼まれたからには……これは今回は絶対に遅刻出来ないって思ったぞ」

 廣樹の親友で、街金をやっているこの青年の名前は葉山純也はやま じゅんや。廣樹とは高校時代からの古い付き合いだ。初めて出会った日から意気投合し、今でも変わらない友情が続いている。

「……そんなに珍しいか? 俺だって助手席に乗ることくらいあるぞ? 電話でも話したけど、行先はデートで月夜見坂駅つくよみざかえきだから……よろしくな」

 廣樹は先程の台詞が納得出来ずにいた。その為、表情に気持ちが表れていた。純也は煙草に火をつけるライターを探しながら改めて説明した。

「ん? 違う違う、廣樹が俺に頼み事をすることが珍しいという意味だよ」

 それを見て廣樹がZIPPOを差し出した。

「あぁ、なるほど。それにしてもオマエは相変わらず良い車に乗ってんな」

 廣樹は純也に車の話を振った。

「ん、そうか? 廣樹おまえだってM3くらい買えるだろう?」

 廣樹が買えないような車ではない為、不思議に思い訊いた。

「……いやいや、車の値段じゃねえよ。左ハンドルの車で迎えに来て、その人間を車道側から乗せるような車って意味だよ。俺なら乗せる相手が恋人カノジョじゃなくても、絶対にやらない芸当だぞ? 後続車やバイクに跳ねられて死んだらどうするんだよ?」

 意味を理解してない純也に丁寧に説明した。

「いや、俺は基本的に人を乗せたりしないからさ。自分が安全に降りるなら左ハンドルみたいな?」

 純也は煙草を口に咥えると、サンルーフを操作しながら答えた。

「……勿体ない、純也にはモテる要素があるのに」廣樹はまるで独り言のように呟いた。

「いや、俺はモテないから……そんな要素は無いよ」

「たぶん、純也はモテないんじゃなくてさ、自分が勝手にモテないと思い込んで行動しないだけだと思うんだよ。アプローチしたって、殆どは断られるのが普通で、成功するパターンより失敗することが圧倒的に多い訳だし……」

 純也は右側を見てその言葉に食いついた。

「えっ? そうな……ものなの?」

「……いや、普通そうだろ?」

 廣樹からすれば、芸能人や余程の美男子イケメンじゃあるまいし、好きになった女が毎回のように一発ロンは無いだろうと思っていた。

「俺の持論だと、年収が低いからとか、学歴がないからとか、目つきが悪いから、どうせダメっていう、その卑屈な表情や態度を女は嫌がるんだと思うんだよ」

「ふーん、そうなんだ。でも俺は……誰かを本気で好きになったことあんまり無いからな」

 純也は咥えていた煙草に火をつけると、天井のサンルーフに向かい紫煙を吐き出した。

「ちなみに……俺のモテる要素って何?」

「あぁ、それは簡単。金と人に流されない生き方だよ」

 廣樹はメールを打ちながら純也を見ずに答えた。

「……いやいや、そのゼニっていうのはちょっと……」

 純也は廣樹のあまりにも露骨な台詞に苦笑いした。

「純也君、自分が幸福しあわせになるのに大した金は要らないけれど、周囲の人を幸せにするには沢山のマネーが要るんだよ。わかるかい?」

 廣樹がデニムのポケットから出したマネークリップを軽く振って見せると、純也にも思うところが在るようで納得したように無言でゆっくりと数回頷いた。

「ところでさ、例え話だけど……ひょんな事から偶然出会った仲の良い女友達がいます。そのとは趣味も話も合います。実はその娘は幼い頃に出会った初恋の女の子でした。さあ純也くんならどうする?」

 廣樹はいきなり話題を変えたが、純也は廣樹をチラリと見ると、すぐに落ち着いた口調で話し始めた。

「ん? そんなの答えは簡単だろ?」

 廣樹はすぐに聞き返した。

「……簡単な答え?」

「そう、簡単。もう離さない愛しい人よ……みたいな?」

 自信あり気に答える純也は、誰が見てもわかるドヤ顔だった。

「あのさ、なんでそんなイケイケ発言をするのに、実際は奥手な訳?」

 廣樹が少し呆れた口調で訊いたが、純也は答えをはぐらかして話題を変えた。

「ところでさ、その彼女ってどんな子なんだよ? やっぱり、京子に似てるのか? それとも――」

 そんな話をしている間に、純也の車は頼まれた月夜見坂駅の前に着いてしまった。


 廣樹はサイドミラーで後方を確認して急いで車を降りると、足早に歩道側に移動して、ドア越しに運転席に座る純也に話しかけた。

「サンキューな。じゃ、その話の続きはまた今度な純也」

「おう、今度はアッシー君ではなく、友として酒でも誘ってくれよ。まさか、お前がこれから諒とデートとは思わなかったよ。てっきり、京子あたりと会うか、新しい女が出来たかと思っていたぜ」

「ふっ、よく言うよ。京子と付き合ってる時にオマエが一番文句を垂れてたじゃんか」

「そうだっけ? じゃあな廣樹」

 純也は笑いながらそう言うと、窓を閉めながらゆっくりと走り去った。廣樹は車が消えた街道をしばらく見ていた。ふと、月夜見坂つくよみざか駅から空を見上げると、駅ビルのネオンと都会らしい明るい夜空があった。

「ふっ……もう、離さない愛しい人よ……か」

 月だけが輝き、星も見えない夜空を見上げると、まるで独り言のようにそう呟いた。月に向かって伸びをすると、人で賑わう夜風が心地良い歩道を、ゆっくりと諒が住むマンションに向かって歩き出した。

自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。

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