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第三話:深夜二十五時の月

廣樹と諒が轟木ガレージを出てからの話になります。

 公共交通のすべてが寝静まった深夜二十五時ごぜんいちじの都会は、独特な雰囲気くうきに包まれていた。まるで嘘みたいに昼間のような人々の騒めきも電車やバスの音も聴こえない。定時で走る貨物列車やトラック、そして走り屋のエンジン音が主役になる時間帯。都会まちは、独特の開放的な世界観ふんいきを作り上げていた。

 首都高を駆るチューニングカーの咆哮や、トラックが奏でる排気ブレーキ、少し離れた港湾エリアから聞こえるスキール音、助手席に座る廣樹はシルビアの鼓動エンジンにワクワクするような高揚感を感じていた。

 私がルームミラー越しに廣樹をチラリと見ると、口元に笑みを浮かべているので訊いてみた。

「どうしたの廣樹? そんなニヤニヤしちゃってさ、何か良い事でもあった?」

「ん? あぁ、……なんかさ、十八歳で免許を取って、初めて走った深夜の都会の雰囲気かんじって、免許を取って十年近く経った今でも全く色褪せないモノだなって思ったら……なんか、無性に嬉しくてさ」

 そう言って横に座る廣樹は、吸っていた煙草をシルビアに置かれた携帯灰皿に入れた。車のラジオから聞こえる私の好きなロックの曲も深夜の街の雰囲気に程よく合っていた。

「あ、なんかそれ分かる気がする。……でも、その頃の私は……自分の愛車クルマを持っていなかったから、免許を持っていてもそこまで自由じゃなかった……かな……」

 そう言った私は、少し切ない気持ちになり自然と声も小さくなった。手慣れた仕草でハザードを出し、私は街灯だけに照らされた誰もいないバス停に車を停めた。ふと、車窓から見上げた夜空の海に三日月が美しく光っていた。

「ごめんね……急に変な事を言っちゃって」

 謝ろうとした私を見た廣樹は、首を小さく振るとまるで遮るように助手席のドアを開けた。

「いや、別に良いよ。折角、車を停めたんだしさ、何か飲もうぜ? 俺、ちょっとそこの自販機で珈琲でも買ってくるからさ、たまにはお互いの知らない昔の話でもしよう」

 そう言って少し先にある自販機に向かい歩く廣樹のヘッドライトと街頭に照らされた背中をフロントガラス越しに見つめた。

 再び車内に戻ってきた廣樹の手には、私達が出会ったあの日と同じように無糖と微糖の缶入りの珈琲が握られていた。私に両手を差し出すと、あの日と変わらない優しい口調で訊いてきた。

「で、どっちが良い?」

 廣樹は私が答えを言う前に、まるで独り言のように呟いた。

「……車好きにとって……大好きな車に乗れない事は辛いよな」

 軽く頭を撫でてくれた廣樹に私は黙って微かに頷くと缶入り珈琲を選んだ。

「……うん。じゃあ、こっちにする」そう言って、私は今回も無糖の缶入り珈琲に手を伸ばした。

「廣樹は、いつもそうやって選択肢を与えてくれるよね?」

「そうかな? こんなの男の標準装備じゃない?」

 口元に笑みを浮かべた廣樹は、照れているのか少しフザケて誤魔化したように思えた。

「何それ? そんなの初めて聞いたんだけど? あ、珈琲もらうね」

 笑いながらそう答え、私達は殆ど同時にカチャっという音を立て缶入り珈琲を開けた。

「ねぇ? 廣樹ってさ、どんな街で育ったの? 多分、都会こっちではないよね?」

 珈琲を啜るように飲みながら訊いた。私は廣樹が一体どんな街で育ったのか少しだけ気になった。

「何それ? 俺を東北出とうほくでの田舎者だって馬鹿にしてんの? 一応、これでも小学校に入学するまでは神奈川こっちにいたんだぜ。まぁ、それから親の仕事の都合で引っ越して、それから大学まではずっと仙台で暮らしていたけどさ。で、あっちでみんなに出会ったわけ、そして高校の時に京子と恋に落ちた。それからは腐れ縁みたいな感じの付き合いかな。別にさ、四人で相談して都会こっちに来たわけじゃないけれど……気づいたら四人ともまた同じ街で生きていたな」

 廣樹は外を見ながら、懐かしそうに自分の生い立ちを話してくれた。……四人。廣樹と親友二人、そして元カノの京子。それにしても、廣樹が神奈川出身という事には正直言って驚いた。だが、訛っていないところなど納得できる事も多々ある。

「ウソっ? 廣樹ってこっちの街で育ったの? ……だから、言葉が全然訛ってないんだ。私も神奈川の……」

 その直後、急に周囲が赤色に光り、赤色灯を回転させたパトカーが後方から独特な拡声器の声でバス停に停車した私達に注意を促した。

運転手ドライバーさん! ここはバス停だから駐車が出来ませんよ、速やかに車を移動してください」

 例え違反をしていなくても、パトカーとは殆どの者が関わりたくないものだ。これが俗にいう抑止力というモノだろう。どうやら警ら中のパトカーに見つかってしまったようだ。私達は同調するようにシートベルトを着けた。私は直ぐにエンジンをかけるとウインカーを出し動き出した。運が悪ければ職務質問に遭い無駄に時間をロスしたことだろう。

「あー! ビックリした。まさか……いきなりパトカーに警告されると思わなかった」

 私は未だに鼓動が収まらず、呼吸を整えようと深呼吸した。

「そうだな、流石に俺も驚いた。飲んでた珈琲を吹き出すかと思ったよ」

 こんな状況さえも楽しんで、少し笑いながら楽しむように言うあたり、廣樹はパトカーやトラブルが根っから好きみたいだ。

「ちょっと! それ、冗談に聞こえないから……絶対にやめてね!」

 私はそんな廣樹に対し、大事なシルビアが珈琲でベタベタにならないように強く釘を刺した。

 その後、私達はパトカーの話題であんな事やこんな事もあったという話で盛り上がっていた事もあり、あっと言う間に、廣樹が住むマンションに到着してしまった。本当はもっと一緒に話していたかったが仕方ない。

 私は廣樹が普段スープラを停めている駐車場ばしょに、タイヤをキュルキュルと鳴らしながら数回切り返しをしてシルビアを停めた。シートベルトを外しナビを見ている廣樹。釣られるように画面を見ると小さく一時四十五分と表示されていた。

「サンキュー助かったよ。……もう遅いから気を付けて帰れよ」

 廣樹が車から降り、手慣れた仕草で優しくドアを閉めた直後、何かを思い出したように振り返ると助手席のガラスを軽くノックしてきた。それに気づいた私は、右手でスイッチを押してパワーウィンドウを下げた。すると廣樹は車内に向かって乗り出してきた。

「今日は……本当にありがとな。それじゃオヤスミ」廣樹は笑顔でそう言うと身体を引いた。

「ど、どういたしまして。……って、約束したDVDを貸してよ!」

 今度は私がDVDの事を思い出して、慌てて呼び止めた。もし、このまま帰ったら送って来た意味が半減してしまうところだった。

「あ……すっかり忘れてた。今、持ってくるから少し待っててよ」

 廣樹は車から離れるとエレベーターに向かい歩き出した。私が再びスイッチに手を伸ばすと、ゆっくりとパワーウィンドウが上がっていく。外の音から遮断され、車内はエンジンのアイドリング音だけに支配された。廣樹の後ろ姿を見た私は覚悟を決めてエンジンを切ると車から降りた。そして既に歩き出した廣樹を深夜の為、周囲に気を使い少し小さめの声で再び呼び止めた。

「……ねえ? 珈琲くらいさ……ごちそうしてよ」

「ん? 珈琲? 別に良いよ」

 廣樹は笑顔のなると、私向かって人差し指でクイクイと合図してきた。肌に感じる夜風が心地良い駐車場を、私達は少し離れてエレベーターに向かい歩き出した。お互いが無口になり、何も喋らない静かなフロア。部屋に向かうエレベーターのドアが機械音と共に左右同時に開くと、天井の輝くLED照明に照らした空間が現れた。エレベーターのクレーンが動きはじめ、独特の低い音が聞こえてくる。上昇感覚が止まり、一呼吸すると再びエレベーターのドアが機械音と同時に左右に開いた。

 

 廣樹はデニムから出した鍵で玄関を開けると私を招き入れた。

「俺は着替えてくるから、ソファに座って冷蔵庫の飲み物でも好きに飲んでなよ。何回か来てるし、大体の食料くいもののある場所はわかるだろう? ……美味しい珈琲は俺が着替えたら入れてやるからさ。ホットのブラックで良いんだろ?」

 私にそう伝えると、ドアを開けて寝室へ消えていった。廣樹が消えると冷蔵庫のあるキッチンへと向かった。冷蔵庫を開けると目移りするくらいの飲み物が綺麗に並んでいた。

 喉が渇いた私は、冷えたビールがとても美味しそうに見えて仕方なかった。

「今から帰ってDVD見るくらいなら……いっそココで見た方が早いけど……廣樹泊めてくれるかな? ビール飲んだら運転が出来ないなら……きっと泊めてくれるよね?」

 その為、自分に都合が良い解釈をしてゴクリと飲んだ。その一口目のビールは予想通り格別の味だった。久々に訪れた廣樹の部屋、ソファーでビールを飲みながらぐるりと見渡した。改めて見ても一人で暮らすには広過ぎるように思える。前に聞いた話では、ここは廣樹の祖父がバブル崩壊後に買った投資目的の分譲マンションらしい。学生時代に上京した時に住んでいて、一度違う人に貸し出されたらしいが、祖父の遺言で廣樹の持ち物になったそうだ。当時、身内は学生の廣樹がココに住むことを広すぎると親戚一同が反対したが、持ち主の祖父に一蹴されたそうだ。廣樹に託した祖父おじいさんが、どんな人間でどれくらい成功したかは知らない。だが、廣樹は親戚が思う以上に成功したのだから、私は廣樹に相続させた御祖父おじいさんの目に狂いは無かったと思う。そんな事を考えていると廣樹がトップスだけラフに腕捲りした黒シャツに着替えて戻ってきた。私から少し離れてソファーに座り、デニムのポケットから出したライターで煙草に火をつけるとテーブルに置かれたリモコンでエアコンの温度を調節した。

「では、美味しい珈琲を淹れて来ますか。さて……諒さんは何を吞んでいたのかなぁ?」おもむろに立ち上がり、私を見ながら訊いてきた。

「……ビールみたいな」私は良心が傷み、ぼそりと小さな声で答えた。

「ゲフォっ! ハアハア。……お前さ、なんで車で来たのに酒なんか飲んでいるんだよ?」

 廣樹は不意に吸い込んだ煙草の煙で凄い咳を連呼した。

「……いや、今から帰ってDVD見るくらいなら? 廣樹んで見ていこうかなぁって……でね、お昼くらいまでお邪魔しようかなって……思ったみたいな?」

 私はまるで野良猫が優しさを強請るように、上目遣いで廣樹の様子を伺った。

「はぁー? ……ったく、わかったよ。とりあえずシャワーを浴びて来いよ。映画を見終わってから眠い中シャワーを浴びるのは嫌だろ? それに酒飲んでるなら、もう珈琲は要らないな」

 少し呆れ気味にいった廣樹だが、諦め気味という方が正しいかもしれない。

「はーい。じゃあ、シャワー浴びてくるね」

 私はそういって立ち上がるとバスルームへと向かい歩き出し、ドアの手前で振り返りワザと少し色っぽい声でいってみた。

「……覗かないでね?」

「ん? ああ、大丈夫、覗かないから」

 廣樹はそう落ち着いた口調で答え、私を見もせずに煙草を吹かし、車雑誌をパラパラと飛ばすように見ていた。

「……嘘でもさ、少しは慌てなよ……バーカ!」ついそんな事を思ってしまった。

 バスルームに来ると、浴室乾燥の機能が付いた浴室には洗濯物が干したままだった。

「……洗濯物を干したままの浴室を使えなんて、やっぱり廣樹も男だね。仕方ないから洗濯物くらい畳んであげるか」

 干してあった洗濯物を畳み始めると、なんだか彼女になったような気がして一人で少し照れてしまった。

「……廣樹は相変わらず良い暮らしをしてるなぁ。彼女や奥さんになる人は幸せ者だ。……幸せ者か、私が付き合う訳じゃあるまいし……関係ないか、アハハ」そんな独り言を呟く。

 ふと、廣樹の彼女は幸せだろうなと思ってしまった。廣樹の元彼女と言えば京子だ。なんで二人は別れてしまったのだろう? 普通、別れたカップルは離縁するが、私から見ても二人はとても仲が良いが、二人の事を私が考えても仕方ないので考える事を止めた。

「あ、このポロシャツ後で借りちゃおうっと。……今日、着てきた服じゃ寝るのに窮屈だしね」

 私は浴槽にお湯が溜まるまでの間、身体を洗いながら考え事をしていた。

「廣樹の家に泊まるのって……そう言えばこれで何回目だろう? 初めて泊まった夜からこれだけ泊まってるのに何も無しか。別に何かあって欲しいわけじゃないけど……何もアクション無しって、私ってそんなに魅力が無いのかな? 自分で言うのもアレだけど、京子にも負けてないと思うんだけど……」自分の胸を軽く揉みながら呟いた後、浴槽にお湯が溜まったのでシャワーで身体を流した。

「――それにしても、足を伸ばせる湯船って良いなぁ……たまやー」私は訳のわからない頭に浮かんだ言葉を小さく叫んだ。

 

 廣樹は諒がシャワーを浴びてる間にDVDを見る準備をしていた。準備が終わると自分用に淹れた珈琲を飲みながら、煙草に火をつけ一服した。

「俺もかなり自己中マイペースで、社会的少数派マイノリティーだけど、諒も彼女あのひとに負けないくらい天然記念物レアモンだよなぁ? ま、行動しない他力本願多数者サイレントマジョリティよりはマシか」

 吹かすように煙草を吸いながら、高校時代に出会ったある女性を思い出していた。それからしばらくすると、諒が湯気を帯びて戻ってきた。

「気持ち良かったぁ。干してあったこのポロシャツ借りたよ?」

 私はタオルで頭を拭きながら話しかけた。

 廣樹は初めて見たラフな髪になった諒の素顔を見て、言葉に出来ない記憶の奥底に眠る懐かしさを感じていた。

「あぁ、別に構わないよ」煙草を吸いながら、私に素っ気ない返事をした。

「なんだ? このすごく昔に戻ったような……懐かしいような感情きもち

 廣樹はそんな不思議な感情を抱きながら諒を見ていた。

「廣樹? どうしたの? ……あ、もしかして、私にフェロモン感じて惚れちゃったとか?」

 私は揶揄い半分で道化ふざけて見せた。

「いや、なんだろう? 記憶に無いけど、なんだか懐かしい感じがしてさ。……なんか見惚みとれちゃったみたい。アハハハ。俺もシャワー浴びてくるわ。あ、もうDVDはセットしてあるから、先に見ていて良いからな」

 そう言って廣樹は頭を掻きながらバスルームへと向かった。

「りょーかい」

 私はそう言うとリモコンを操作した。画面が変わると映画の宣伝とお決まりの無断転写禁止の画面が流れ映画が始まった。

「……私が懐かしいねぇ? 変な廣樹」

 ソファーに座ると映画を見始めた。テーブルに置かれた廣樹が飲みかけの珈琲が目に付き、一口もらったが既にぬるく微妙に美味しくない。


 廣樹はバスルームに来ると驚いた。浴室が小奇麗に整理されていて、干してあった洗濯物も綺麗に畳んであった。

「……アイツもやっぱり女なんだな。しばらく彼女がいない生活してるから洗濯物を綺麗に畳むなんてしないし、洗面台も使いっぱなしだもんな。彼女がいるってこんな感じだったっけ……」

 廣樹は浴室に入ると、湯船に抜き忘れたお湯が張ってあった。湯船に浸かるあたりやっぱり女だなと微笑して湯船のお湯を抜き、体を勢いよくシャワーで流した。シャワーで濡れた鏡に、濡れて前髪が下がった自分が映っていた。自分でも実年齢より見た目は若いと自負していた。しかし、マジマジと見た身体は十代に比べて多少増えた脂肪、減少した筋肉に改めて年齢を実感させられ、当たり前だが、京子と出会った十代の頃はもっと筋肉質だったなと思った。

「それにしても、さっきの諒に感じた感情は何だろう? 無性に懐かしいんだよなぁ。諒とは一緒にいて楽しいし、この距離の関係が気持ち良いんだよな。……確かに好きだけど、京子みたいにイマイチ一人の女として見れないんだよな。……いや、違うか。京子に似てるあの初恋の少女が今でも心にいるからか、それとも今でも……」 

 そんな風に考え事をしてシャワーを出したままでいた為、浴室の湿度と温度は上がり、まるでスチームサウナのようになっていた。サウナ好きの廣樹には気持ち良いくらいの汗が溢れ出した。ふと、我に返った廣樹は、いつも違い今日は待ち人がいることを思い出し、軽く身体を洗い流すと慌てて浴室を後にした。


 廣樹は私が呆れる程に長いシャワーを浴びて戻ってきた。

「ただいま。俺も酒を飲もうかな?」

 廣樹はそう言って冷蔵庫からスミノフを持って来ると、私から少し離れてソファーに腰をかけ、手に持っていたスミノフをテーブルに置いた。

「なんだ、まだ再生したばっかじゃんか」

 廣樹はスミノフを再び持つとスクリューキャップを開けながら私にいった。

「そうだよぉ。DVDを一度止めて、なるべく待っていようと思ったから。でも、限界だった」

 私が廣樹に遅いと遠まわしに訴えると、廣樹はスミノフを持ちながらソファーからテーブルと台所の方を見ると笑って口を開いた。

「……違うだろ、つまみ漁って時間を食っただけだろ?」

「ちっ、バレちゃったか。バレちゃーしょうがない」

 どうやら私が食い意地を張ってつまみを物色したことは御見通しだったようだ。ふと、見た壁時計の針はもうすぐ午前三時を示すところだった。


 私達は同じ場面で盛り上がり、雑談しながら映画を鑑賞した。最後のシーンでヒロインが主人公にこう話して終わった。

「子供の頃に描いた夢を、諦めないで生きてこれた人って素敵よね」

 窓の外は既に夜明け前の薄明るい空だった。DVDデッキの時計は午前四時三十九分を指していた。

「ねぇ、廣樹にも子供の頃に描いた夢ってあったりした?」

 私はテーブルの残ったポップコーンをつまみながら、廣樹に何気なく訊いた。

「うん、あるよ。金持ちになること!」廣樹は迷いもせずに即答で私の質問に答えた。

「……はいはい。つーか、廣樹はボンボンでしょ?」

 私はいかにも廣樹らしい回答で逆に呆れてしまった。

「……理由ぐらい聞けって。って言うか、聞いてよ!」

 私が諭すように頷いて聞くよと言うと、廣樹は煙草を深く一服した。再び見るとスミノフの空き瓶に吸い終わった煙草を入れてた。じゅっと音と共に煙草の火が消えるとゆっくりと話始めた。

「ある時、俺は公園近くに停まっていた真っ白なスポーツカーを見たんだ。今では当時の記憶も曖昧で車種もよく覚えてはいないけどさ。覚えているのは、凄く車高が低くて速そうだったことくらい。その日の俺は公園で遊び過ぎてさ、夕方迎えに来た祖母に訊いたんだ。「どうしたらあのクルマに乗れるの?」すると祖母は答えてくれた。「うんと沢山のお金を稼げば乗れるよ」俺は祖母に言った。「わかった。ボク頑張るよ!」祖母はそんな俺の頭を優しく撫でながら言った。「頑張りなさい。だけど、誰にもに頼っちゃいけないよ。男の子は自力で全てを手に入れるんだよ?」それからの俺は人に頼る事も甘える事も殆どしなかった。そんなことを言った祖母も俺がガキの時に病気で他界したけどな……で、スポーツカーを買うには金持ちになる必要があるという訳だから、俺は金持ちになる事が夢なんだ」そう話した廣樹は、自分の話をして満足そうな顔で私を見た。

「……嘘でしょ? ――そんなことってあるの?」

 私は驚きのあまり酔いも醒め、硬直してしまった。

「……その公園の名前は?」私は震えた声を出し、少し詰め寄ると廣樹に訊いた。

 廣樹は煙草を吸いながら、まるで記憶を探るような口調で答えた。

「うーん。確か……神室公園……だったかな? なんか……記憶も曖昧だけど」

「その公園で純白のスポーツカーを見た日……同い年くらいの女の子と会わなかった?」

 私は思わずそう訊くと、廣樹と触れる距離まで詰め寄っていた。

「ん? 次は、その女の子ってポニーテールで、ちょっと鼻にかかる声の可愛い子かって訊くのか? そう、諒みたいな感じのハスキーボイスの女の子だよ。ったく、なんだよ京子のヤツ……誰にも絶対に言わないから、俺の初恋の子を教えてよって言ったのに……思いっきり人に言ってんじゃんか!」

 横を見ると廣樹は目を細めて、やはり騙されたと言わんばかりに不機嫌な顔をしていたが、廣樹と目が合った私はその瞬間に勢いよく首に抱き着いてしまった。

「それ、私だよ私! その女の子が私! そっか、あの時の少年は廣樹だったんだぁ」

 身体が勝手に動くとはこうゆう事を言うのだろう。予想外しなかった私の行動に戸惑った廣樹。胸の鼓動が速くなっていて、その鼓動は私にまで伝わってきた。

 廣樹はついさっきまで、仲の良い女友達という関係だった諒から、不意に異性を感じてしまっていた。

「――諒があのコ?」

 廣樹はそう心で叫びながら驚いた。

 吐息を感じる距離で、私達はしばらくお互いを見つめ合っていた。

「諒さん? ……ところで……なんで抱きついてるの……かな?」

 廣樹が私が何時までも抱きついている理由を訊ねてきた。

「えっ? イヤだ、嬉しくてつい体が反応しちゃった……ごめん」

 そう言って私は廣樹から慌てて距離をとった。

「……そっか」

 廣樹も複雑な心境だった。幼き頃の初恋の少女が目の前にいて、仲の良い友達という現実に「事実は小説よりも奇なり」や「躓く(つまづく)石も縁の端」とはよく言ったものだと感心していた。

「……ねぇ?」と私が廣樹の顔を覗き込むと明らかに戸惑っていた。

「……廣……樹……」

 私はそのままゆっくりとキスをした。

 廣樹は諒の綺麗な瞳に見惚れたまま、しばらく思考が停止していたが、ふと、我に返り叫んだ。

「な、なに考えてるんだよ!」

 そう言うと慌てて私から離れ距離をとった。このままでは成り行きに流されそうで怖い。……それが廣樹の本音だった。普段はチャラい廣樹だが、ここで一線を越えてしまえば、お互いの関係に引き返しが無い事は安易に想像できた。その為、普段よりもずっと早いペースで煙草を吸って気分を落ち着かせた。

「私ね、色々な車を売る人になりたいの。そう言った時……廣樹は馬鹿にせず本気で信じてくれた」私はゆっくりと話を続けた。

「車って夢を与えてくれて、夢は叶えるものだろう? だから、俺は車が大好きなんだ」少し間をおいてゆっくりと話した。

「当時、少年だった廣樹が私に言ってくれた言葉だよ。その言葉に何回助けられ、勇気づけられたか分からないんだ」まるで思い出を話すような口調で話した。

「大人になった廣樹は、私に好きな車を売れるブローカーという仕事ユメを与えてくれた」私はゆっくりと目を閉じると少し唇を噛んだ。

「正直言うとね……少年時代と今の廣樹を天秤にかけていたんだ。幼い私に夢をくれた少年と、今の車が中心の生活をくれた廣樹。私とって……どっちが一番なんだろう? 同一人物と知った以上、もう自分の気持ちが抑えられないよ」

 私は優しい口調で気持ちのすべて話しながら、廣樹の瞳をずっと見つめていた。

 廣樹は諒を今まで女として意識しないようにしてはいたが、改めて見た諒はとても美しかった。初めてみたアップの髪型、いつも澄んだ眼差しをした切れ長な瞳、澄んだ肌にシャープな顎、張りのある胸に細い身体、諒が自分磨きにも頑張っていたことを今更ながらに実感した。そして、一瞬だけ自分が一番愛した彼女の京子と諒がどことなく重なった。

「それはさ……俺が与えたモノではなく、諒が自分で掴み取った夢だよ。俺は……ほんの少しだけ背中を押しただけ。少年時代の俺が言った言葉を信じられたのは諒の心の強さだし、今のブローカー業だって……俺は初めに少し助力しただけだろ? 今の諒にはもう俺の資金は不要なのに……律儀に俺に金を借りて、儲けを分配してくれているじゃん?」

 自分でも何を言えば正解なのか解らない廣樹は、何も考えずに自分の思ったことを素直に口にした。

「ありがとう。やっぱり……今の廣樹が一番好き……かな?」

 優しい気持ちになった私は廣樹をずっと見つめた。しかし、廣樹はその気まずさからか、私から視線を反らし、煙草を吸いながら窓の外を眺めた。気持ちを抑えられない私はそっと廣樹に寄りかかり訊いた。

「……友達でもキスしたり……エッチしたり……するよね?」

 答えを待つ私の鼓動が、自分でもわかる程に速くなる。

「いや、それは流石にしないよ。普通は恋人や夫婦だけで、それ以外は浮気や遊びだよ。それに俺達の関係は……身体が無いと維持できないような薄っぺらいモノじゃないだろ?」

 廣樹が私の頭を優しく撫でながらいった言葉は今の自分が望んだ答えでは無かったが、何故か嬉しく思えた。

「……うん。そうだね。……ねぇ、たまにこうやって甘えても良い?」私の声が部屋に優しく響いた。

「……ああ、いいよ。……ま、たまにならね」

 そう言って廣樹は再び私の頭を優しく撫でてくれた。

「野良猫みたいな少女に夢という餌を与えて、私みたいな女にしたんだから責任とってね?」

 私は優しい気持ちのまま、瞳でずっと廣樹だけを見つめていた。

「……それって、どういう意味だよ?」

 廣樹には意図もせず、反射的に問いかけられた質問だった。

「人が思うままに生きるには、車と一緒で勇気という燃料ガソリンがいるんだよ……女はね、変なスイッチが入ると我を抑えられなくなるの……つまりこういう事だよ」

 私は廣樹の首に腕を回し引き寄せるとそのまま身体を委ねた。


 正午も過ぎた頃、廣樹は諒の残り香を感じるベットで目覚めた。

「……なんか……タバコ吸いたいな」

 体を起こし、ベッド横に置かれた煙草に火をつけると身体に染み渡る煙がとても心地好かった。

「おはよう。沢山……寝たね」廣樹が寝ているベッドの足元に座り優しく声をかけた。

「……うん。実は……なんとなく気づいていたよ、諒が少しづつ……俺を好きになっているかもってこと」廣樹はそう言って煙草を吸うと、ゆっくりと吐き出した。

「ありがとう廣樹。今までで一番に廣樹を感じられたから……ずっとこうなりたかったから……私は何も後悔してないよ」廣樹の横に座り直すと寄りかかり目を瞑った。

「……諒? あのさ……生理じゃないよね?」

 廣樹がシーツのシミを見ながら訊いてきた。デリカシーが無い一言で、桃源郷のような気分から一気に現実に引き戻された。

「悪かったわね! ……この年まで男性経験が無くて!」

 私と廣樹が一つになった時、自分が人生で二度と経験しない、息が止まる程の痛さを少しでも伝えようと廣樹の両頬を思いっきりつねってやった。

「――イテテテ! ……いや、それ自体は……俺も男だからさ……やっぱり嬉しいんだけど……なんか、意外だなって思ってさ」廣樹は優しく落ち着いた表情で話してきた。

「今まで心を許せる男に出会わなかったから。みんな何処か心がすれ違っていた。きっと私、廣樹の事はこれからもずっと好きだと思うの。私……初めてが……廣樹で本当に良かった」

 嬉しそうに話す今の私は「思えば思わるる」という表現がぴったりだろう。

「こんな関係になってから……なんだけど……俺は諒をいきなり彼女とは思えないんだ。……ごめん」廣樹は己に不甲斐無さを感じたのか、申し訳なさそうに私に話しかけてきた。

「知ってる。廣樹は……今のままで良いの! 今は私が廣樹に友情より上の気持ちを持ってるって事を心に留めてくれれば充分……だから……何も気にしないで責任も感じないで」

 笑顔で廣樹に精一杯の強がりを言う自分がいた。本当はもっと廣樹の気持ちを聞きたい自分がいた。だが、その行動は廣樹を失う可能性が見え隠れするもろ刃の剣だった。

 廣樹は笑顔で答えた諒を見て、心から自分の不甲斐無さを実感した。

 女の魅力や可愛さが外見だけでなく内面にもある。そんな事を今更ながらに理解した。自分が情けない、この手を少し伸ばせば……一歩だけ踏み出せば……初恋のに届く……心でそんな事を思った時、廣樹はある事を思いついた。

「諒って今日は暇なの?」廣樹は目を輝かせて訊いてきた。

「別に……用事は無いけど……」

 特に大事な用事が無かった私はそう答えた。

「――そっか。じゃあ、これから俺とデートしようぜ?」

 少年のような満面の笑顔で私に話しかけてきた。

「えっ? デ、デート? ……べ、別に良いわよ」

 私は驚きと嬉しさから、急にモジモジしながら答えた。もし、それが廣樹から少しでも可愛く見えていたら嬉しいと思った。

「じゃあさ、二時くらいには諒の部屋に迎えに行くから準備して待っててよ」

「……うん、わかった」

 私は照れてしまい俯いたまま返事をした。

「……部屋で待ってるね」

 私は廣樹にそう伝えると、急いで身支度を済ませて手を振って部屋を後にした。


 廣樹の部屋を後にした私は、エレベーターを使わず長い階段を軽快に下っていた。

「嬉しいな! 廣樹にデートに誘われちゃったよ、どうしよう! ……なに着て行こうかな」

 自分でも自然と笑みになっているのがわかった。

「帰りは安全運転で帰ろう。調子に乗って事故ったら本末転倒だし……でも、別れ際に頬でも良いから廣樹ともう一度くらいキスしたかったな」

 私は既に廣樹を愛おしく思う気持ちを抑えられずにいた。「恋をすると女は変わる」よく聞く言葉だが今の私はまさにそんな感じだった。

自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。

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