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第二話:轟木Motors

轟木さんのガレージの話になります。

 私が実の父親のように慕う男、それが轟木翔馬とどろき しょうまだ。翔馬さんが経営する轟木モータースは、パッと見だけならば何処にでもある有り触れた街の中古車屋だ。社長の翔馬さんは五十歳に近く腹が出たメタボな親父で、今の私達よりも若い十代の頃から、翔馬さんは仲間や友人が恋愛や酒に費やす時間を、只管ひたすら車だけに注ぎ込んで生きてきた。仲間が皆、家族を選び去って行くチューニング業界。今でも未婚で恋愛経験も人一倍乏しいが、車だけがあればそれだけで充分満足していた。

 轟木モータースの店先には、ミニバンやステーションワゴンを私が貨物に構造変更したマニアックな4ナンバーや1ナンバーの車。それに私が下取りした型古の高級車をローンも不要で手頃な三十万円程度の価格で数台並べてもらっている。もちろんだが、首都高や峠を駆けるようなチューニングカーは一台も並んでいない。

「自分は車が好きだ。わかるヤツの車だけをいじって生きていきたい」

 我儘に一見さんはお断り、車の登録も車検も私に外注、修理も同業者に外注、普通に考えればいつ潰れても可笑しくない経営方針。それでも店が続いているのは、翔馬さんが親から相続した駅前のコイン洗車場と数ヵ所にあるコインパーキングの経営者だからである。そこからの収入アガリだけでも充分食べてはいける。むしろ、この轟木モータースが良い経費マイナスになって納税額が安くなっているから商売とは面白い。翔馬さんは廣樹と知り合うまでは確定申告なんて不要と言っていた。私と一緒で廣樹に税務署マルサとの付き合い方を教わってからは、毎年ちゃんと自分で確定申告するようになったそうだ。


 轟木は、事務所でテーブルに重ねられた数冊の今月号のチューニング雑誌を見ていた。

「――ったく……最近の若者が車に興味が無いのは時代の流れだからまだ良い。だが、そのせいでパーツメーカーがセコセコ新しい車用の部品ばかり作るのと、毎回決まった新しい車ばかり特集するのはどうなんだ? やっぱり車と言えば黄金の九十年代だよな」

 先程から無造作に置かれたペットボトルのお茶を、時折飲みながらブツブツと独り言を呟いていると、遠くから聞き覚えのあるSR20のエンジン音が聞こえてきた。

「お、来たな……次の交差点でスキール音が鳴ればドライバーは諒だし、鳴らなければ、運転しているのはきっと廣樹だな」

 轟木は、自分が組んだエンジンの排気音エキゾーストは決して忘れない。ひとくちに排気音といっても、実にいろんな音がある。人の容姿や性格と同じで、車にも個体差があるのだ。同じ車に同じ部品パーツを組んだからといって同じ排気音になるとは限らないのだ。

 高回転から一つシフトが下がる度に上がる回転数と排気音。

 5、4、3、2……しばらく無音が続いた。

「……交差点でスキール音が鳴らない、そして排気音が響かないって事は……今日は廣樹が運転してるな。廣樹は車が傷むと言ってドリフトみたいな無理な走行をしないからな。俺はそんな廣樹の車と長く付き合おうとするトコも、諒の車が好きだからこそ全開で走らせたがるトコのどちらも好きだがな。矛盾ダブルスタンダートだが、大事にして全く乗らなかったり、エンジンを全開まで回さなくても車ってヤツは駄目になる。だからと言って、常に限界オーバーレブまで回して乗ってもエンジンは駄目になる。やっぱり、クルマって奴は……アイツ等みたいな人間じゃないと心から愛してくれないんだろうな」

 そんな独り言を語る轟木の口元に思わず笑みがこぼれた。

 

 少しするとシルビアがウインカーを出して敷地へと曲がってきた。HIDヘッドライトによって、事務所の中が一瞬だけ青白い光で明るく照らされた。

 轟木はゆっくりと立ち上がり、灰皿に置かれた紫煙をくゆらせる煙草を摘まむと、トントンと人差し指で灰を落とした。その煙草を咥え事務所の入り口へと向かい歩き出した。引き戸から出ると、照明の消えた店先の防犯灯に照らされ、純正色とは違う独特な紅のボディが妖艶な雰囲気を醸し出していた。逆光に照らされ人物の特定は出来ないが、シルエットはドライバーだけで、助手席は誰も乗っていないようだ。

「よう廣樹! 今日は諒と一緒じゃなかったのか? 諒が一人でシルビア運転させるなんて珍しいな」

 翔馬さんが私の乗るシルビアに向かって話しかけてきた。エンジンを切り、ドアを開け、ガチャという音と共に車から降りた。

「残念、廣樹じゃなくて諒ちゃんでした」

 ニヤリとして大げさなジェスチャーで答えた。

 カン、カンとマフラーなどの車好きには心地よい金属が冷える音がする。

「ん? お前はいつもアノ交差点は全開でスキール音鳴らして曲がって来るだろ? 横断歩道にジジイでも歩いていたか?」

 翔馬さんは、少しふざけた陽気な笑声で私に話しかけてきた。

「違うよ! 交差点で赤色消した警ら中の交機車輌パトカーが先頭にいたの! あそこでスキール鳴らして曲がってきたら……交機がスピンターンかまして追ってきて青切符アオフダを切られちゃうよ」

 私は翔馬さんに大人しく走った理由を事細かに説明した。

「ハハハっ! 警察マッポが居たんじゃ……そりゃあ、大人しく走るしか無いな?」

 翔馬さんは私の話が余程面白かったらしく、夜なのに大声で笑いながら話した。

「笑い事じゃないって! いい歳して今更、警察のお世話になりたくないってばっ!」

 私はまるで他人事だと思って揶揄う翔馬さんに抗議した後、ふと、思い出した、前々から気になっていた事を訊いてみる事にした。

「ねぇ、翔馬さん? このS15って、私が買った時は純正のスーパーレッドみたいな赤だったけど……今は紅みたいなもっと深いロッソだよね? これって何色に全塗装ぜんとしたの?」

「コイツか? ……諒、オーテックバージョンには元から赤系の設定は無いんだよ。純正で選べる色は白と青と銀の三色だけなんだ。このシルビアの原色はパールホワイトだが、スーパーレッドに全塗装されていた。それでな、廣樹が俺んトコに持ってきた時に、どうせ飛び石で傷ついたフロントガラスを交換するなら全塗装しようと言い出してこの色に塗ったんだよ。確か……サザビーレッドっていう色だったな。廣樹がプラモ用の塗料を持ってきてよ、絶対にコレにしてくれって言ったんだよ」

 翔馬さんは咥えた煙草を吹かしながら、自分の記憶を辿るよう私に説明してくれた。

「サザビーレッドぉ? それって、廣樹が好きなロボットアニメに出てくるヤツだよね?」

 翔馬さんの話を聞いて呆れ気味に答えた。

「……私のシルビアって、ロボットの色だったんだ」

 そう思うと、まるで可愛いシルビアが痛車みたいでなんだか泣けてくる。

「……これ、ロボットの色なのか」

 どうやら翔馬さんも同じ意見だったらしく、しばらく言葉を失っていた。

「まぁ……でも、これはこれで綺麗な色じゃないか? 純正チックな雰囲気、バランスの取れた車高に無理の無いチューニング。大体、NAに拘ってSR20VEに乗せ換えて公認で3ナンバー取ってるのだって凄い事だと思うぞ? まぁ、全部俺がやったんだから、当たり前なんだがな。それに絶対的な速さを求めず、環状線を気持ちよく走るだけならNAで充分だしな」

 翔馬さんの持論、それは速く走るならターボだが、楽しく走るならNAだった。翔馬さんも若い頃はターボの出力に夢中になったらしい。だが、エンジンの寿命と引き換えにパワーを出しているだけにエンジンもボディも長くは持たない。ボディ剛性が落ちるのだ。この業界の言葉なら緩くなるという表現だ。補強をしてもあくまで延命であり、NAのような期間じかんは決して走れない。オーバーホールを必要とし、金も湯水の如くかかる。金が原因で車から離れたり、調子が悪いまま乗るようになる。自分が手をかけた車がそうなる過程を見るのが辛くて、翔馬さんは一見さんのチューニングを一切受けなくなったらしい。

「あ、そうだ。翔馬さん、後で廣樹がスープラのエンジンオイル交換してもらうのにココに来るって言ったよ。お土産にドーナツ買ってくるから楽しみにしとけってさ」

 私は翔馬さんにそう伝えると、事務所前にルーズに停めたシルビアを来客用のスペースに綺麗に駐車する為、車に乗り込みエンジンをかけた。車を停め直すと整備場のシャッターを開ける為に歩き出した翔馬さんを追うように小走りで向かった。

「ねぇ? 翔馬さんって、あんなにドーナツが好きなのになんで自分では買いに行かないの?」

 私は翔馬さんの後ろを歩きながら訊いた。実は前からそのことが気になっていたのだ。いつも私や廣樹に、お土産ならドーナツを買って来いと頼む事が不思議で仕方なかった。

「……いやよ、五十近い独身のオッサンがドーナツ屋に行くと……みんなが変な目で見てるような気がして……なんか行きづらいんだわ」

 照れながら話すそれは、今まで女性と縁がなく車と共に生きてきた翔馬さんの本音だろう。

「ふーん、そんなモノかなぁ? 仕方ないなぁ、じゃあ……娘の私と息子の廣樹がこれからも翔馬さんのドーナツを届けてあげますね」

 私は笑いながら翔馬さんに言ったが、なんだか様子がオカシイ。

「ん? どうしたの? 翔馬さ……!」

 翔馬さんを覗き込んで私は絶句した。

「ちょ、ちょっと! なんでいきなり泣いてるのよ」

 私は慌てて理由を訊いた。

「だってよ……俺は結婚どころか、まともな恋愛もしたこともないが……廣樹や諒みたいな車好きな子供がいたらどんなに幸せだったろうっていつも思っていたからよ。お前らが……こんな俺の事を親父みたいに思っていると思ったら……なんだか嬉しくて……」

 翔馬さんはオイルがついた汚いハンカチで涙を拭きながら話した。

「じゃあ、今度からパパって呼んであげようか? でも、こんな御転婆なアラサーの娘を持って嬉しいのかなぁ?」

 私はフザケ半分で翔馬さんに提案してみた。

「そりゃ嬉しいだろ? そして……廣樹とお前が結婚して子供でも生んでくれたら……俺は……」

「――なっ! 結婚って……はい、この話は終わり! しゅーりょー!!」

 私はあまりの恥ずかしさから、赤面したまま話を遮って強制的に終わらせた。

そりゃあ……私だって女だからさ、いつかは……ふと、そんな事を心で思ったがあえて口には出さなかった。

 翔馬さんはそんな私を見て微笑むと、廣樹がいつ来ても良いようにとオイル交換の準備を始めた。私は働く姿を見て、翔馬さんに頼まれていた車の件を思い出した。

「そうだ。パパ、頼まれて構造変更したBE5型のレガシーツーリングワゴンの貨物登録車なんだけど、いつ頃ココに持って来れば良いの? 一応、登録は済んでいるからパパの月極に停めてあるけど……」

 私はワザと「パパ」と呼んでみることにした。もし、嫌がれば次からまた翔馬さんと呼べば良いだけだ。

「……パ、パパ? ……なんて良い響きなんだ。娘を持つってこんな気持ちなのか」

 翔馬はそんな事を心で思い、喜びに浸っていた。

「そうか、登録は済んでいるのか。ところで、今も鍵は持ってるのか?」

 翔馬さんは話しながら振り返ると私に訊いてきた。

「うん。もちろん持ってるよ」

 私は笑顔で答えた。レガシーの鍵はシルビアの中にある為、必要ならばすぐにでも持って来れる。

「じゃあ、ちょっと持って来いよ」

「わかった。少しだけ待ってね」

 そう言った私はシルビアへと小走りで向かった。

 轟木はシルビアに向かう諒の背中を、何かを考えるような表情で優しく見ていた。

 私は足早に戻ると、ハンドバッグサイズのポーチから鍵の束を取り出し、目的の鍵を探した。

「はい、この三本がキーだよ。いつも通りタグにナンバーと車種が書いてあるからすぐにわかると思うよ」

「おお、サンキューな! 明日、いつもの指定口座に三十万振り込んでおくからな」

 翔馬さんは煙草を咥えながら、私に話しかけてきた。

「え? レガシーの代金って……確か二十五万円って約束だよね?」

 自分の勘違いかと焦った私は、慌てて翔馬さんに金額を再度確認した。

「……娘に対する小遣いだからとっとけ! 要らないなら交通遺児にでも寄付しておけば良いさ」

 翔馬さんは、私を見ると少し照れた表情で言った。

「……ありがとう」

 嬉しさから心が暖かくなった。私は今まで人生の大半を、支払いの約束を守らなかったり、人の金にたかったりと、金に汚くだらしない人間の相手ばかりしてきた。その為、廣樹や翔馬さんのように、金の話をスマートにしてくれたり、こういうサプライズをしてもらえることがとても嬉しかった。

「どういたしまして。そんな気にすんな」

 轟木さんは受け取った鍵をツナギのポケットにしまうと、腕を上げガラス面どころか全体が傷だらけのGショックを見て時間を確認していた。私もつられるように、だいぶ前に買った女性用の小洒落た腕時計で時間を確認した。

 ――午後十一時三十二分 

 あと、分針が百八十度も動けば日付が変更し、一周もすれば首都高というルーレットがスピードを増して回り出す。誰かが回り続ける首都高ルーレットで笑い、悔しがり、何か大切なモノを失うかもしれない。だが、もしかしたら……アスファルトを鳴らし走る首都高で、その中の誰かに自分のような人生を変える素晴らしい出会いがあるかもしれない。私は廣樹との出会いを思い出していた。廣樹との出会いから始まった私のブローカー人生。今は心ある人達みんなのお陰で順調に仕事として上手くいっている。

 ――廣樹は自分の事をどう思っているんだろう? 正直、たまに廣樹と恋人同士になれたらなと思う事もある。だが、もし男女の関係を持ってしまったら……二人の間にある何かが床に落としたグラスの如く簡単に砕けてしまいそうで怖い。だから、未だに一歩をなかなか踏み出せない。

 ――それに、今でも私の心にいるあの日公園で出会った初恋の少年がチラつく。……そう、名前さえも聞けないまま別れたあの日の少年。


 遠くから二台の車が、まるで競うようにエンジンを高回転まで回しながら轟木モータースに近づいてくる。一台は直列六気筒エンジン独特の音色を、もう一台はフォーミュラーカーのような甲高いホンダ特有のVテックサウンドを響かせている。その直後、廣樹のスープラと小岩くんのインテRが轟木モータースに入ってきた。

 私と翔馬さんは駐車場へ向かい歩き歩き出した。エンジンをかけたままで廣樹は車から降りると、翔馬さんに話しかけてきた。

「お待たせ轟木さん、ドーナツ買ってきたよ」

 点灯する部分の殆どをHIDやLEDに変えてある為、二人の車からは古さを感じられない。発光部分が純白光になるだけで、車が新しく見えるのは本当に不思議だ。ファッション性もあるが、私達の場合は効率良く走る為でもある。車は基本的にエンジンの回転でダイナモを回し発電するが、ガソリン車もハイブリッド車もそれは例外では無い。消費電力の少ない照明はダイナモの負担抵抗を軽減する。抵抗が少なければその分だけ動力の負担が軽減するからレスポンスも向上する。明るく目立つライトは自分の視界も良く、近くを走行する車からの発見も早くなり安全にも繋がるのだ。

「あ、お久しぶりです。轟木さん、俺のインテRもいい加減にイジって下さいよ」

 小岩くんは軽く会釈しながら翔馬さんに話しかけてきた。チャンピオンシップホワイトのボディには無数の飛び石の傷が付いているが見る者が見ればすぐに解る。それは本気で攻めて走っている証拠だ。

「――ったく、陽平おまえもよ! どれだけ同じ話をすれば理解するんだ? 諒にブローカーとしての教示こだわりがあるように、俺にもチューニング屋の教示ってモノがあって、ホンダのタイプRとスバルのSTIは絶対にやらねーんだよ! どっちも職人技でメーカーが出したチューンドだ。そんな車に手を加えるのは俺のポリシーが許さないんだよ。わかったか? そんなに俺の手を入れた車に乗りたかったらノーマルグレードか違う車に乗り換えろ。そうだな……インテグラに拘るんだったらSIRあたりってトコか? それにお前のインテRはマニアが喉から手が出る程に欲しがる手組エンジンを積んだ伝説の初期ロット、幻の95スペックだろうが!」

 轟木さんはメーカーチューンドエンジンを積んだ車には絶対に手を加えない。私のオーテックバージョンもメーカーチューンエンジンを積んだ車だが、轟木さんが手を加えてくれた理由は二つあった。一つ目は廣樹が頭を下げてどうしても乗せたいヤツがいると言ってくれた熱意。二つ目はボンネットを開けてわかったそうだが、エンジン、コンピューターがスペックSのモノに乗せ換えられていたという事実。本物のオーテックバージョンはヘッドがワインレッドでエキマニは等長ステンレスだが、私のシルビアはヘッドだけ赤に塗装された有り触れたスペックSのエンジン一式が積まれていた。エンジンブローした事も考えられるが、可能性が一番高いのは、金融車という経緯からしても、金になるオーテックエンジンは積み替えられて他に売られたという事だ。つまり、ボディとミッションはオーテックだが、中身は有り触れたスペックSというライオンの皮を被った猫だ。シルビア積まれているノーマルの6速ミッションは耐久性が低くて実は価値が無いのだ。今、私が乗っているシルビアには耐久性があるニスモの6速ミッションが積んである。

「はい、轟木さん大好きなドーナツ」

 廣樹がドーナツが十個は楽に入りそうな箱を翔馬さんの元へと持って来た。

「おいっ廣樹! 轟木のオッサン、マジで糖尿病びょうきになっちまうぞ」

「廣樹、それってドーナツを何個くらい買ってきたのよ!」

 私も続くように言った。廣樹の買ってきたドーナツの箱を見て私が驚いたように、小岩くんも五十歳近いメタボオヤジには流石にヤバイと思ったのだろう。その為、私達は廣樹を止めに入った。

「……陽平達おまえらはわかってないな。だから陽平達は駄目なんだよ。轟木さんはな、これを三日かけて、ちまちまと食べるんだよ」

 廣樹は翔馬さんの家族かと思える程に、生活パターンを熟知していた。

「……マジっすか?」

 陽平は廣樹が適当な事を言っているんではと疑って翔馬さんに訊いた。

「……悪いか? 俺は朝、昼、晩のデザートにドーナツを食べてるんだ」

 少し照れながら翔馬さんは私達に説明してくれた。

「ところでさ、パパが小岩くんの事をなんでよく知ってるの?」

 私はイマイチ、翔馬さんと廣樹達の関係を理解出来ずにいた。

「パ、パパ?」

 そう言うと廣樹達は、まるでハモるように私にツッコんできた。

「この際、パパの経緯はどうでも良いの! だからなんで?」

 私は説明が面倒なので、廣樹達の会話をワザと無視スルーした。

「ま、パパの件はこの際どうでも良いか。それな、俺が配送ドライバーってのは知ってるっけ? 俺が担当する配達先の一つがココなんだよ。ずっと前の話になるけれど、廣樹がココにスープラを取りに行くから俺に送ってくれって言ってさ、あーここなんだ、俺らガキの頃からの知り合いなんすよ。世の中狭いっすねみたいな感じになったんだよ」

 彼は私に対してわかりやすく説明してくれた。

「そうなんだよ。陽平はよくウチでサボってジュースとか飲んだり、煙草吸って車の話をしていたんだが、俺もまさか陽平が廣樹とここまで深いツレとは思わなかったぞ」

 翔馬さんも笑いながら話した。

 それから少しの間、私達はその話で盛り上がり話に華が咲いた。


「さてと、そろそろスープラのオイルを交換をするかな。じゃあ始めるぞ」

 翔馬さんはスープラに乗り込むと、リフトアップする為にリフト前へと車を移動した。手慣れた仕草でリフトアップしてスープラを持ち上げた。アンダーカバーを外し、マグネット付きのドレンコックを外そうとしたその時だった。

「……あ、駄目だ廣樹。エンジンオイルが滲んでるな、まだまだ軽症だがスープラは入院だな。ついでにアライメントと、まぁ、ちょっと早めになるが預かる訳だし、ついでにミッションとデフのオイルも交換しておいてやるよ」

「マジっすか? 今日は陽平と来て本当に良かったよ……じゃあ、帰りは陽平ちゃんに送ってもらうとするか」

 口では明るく言っているが、今夜環状を走るつもりだった廣樹は残念そうな顔をしていた。翔馬さんは症状が出た状態でのスポーツ走行を絶対に許さない。それが車にとってどんな負担をかけるか解らないからだ。劣化して硬くなったプラスチックやゴムは一気に破れてたり割れたりする。外車の数千万する車と国産の四百万する車とでは使ってる部品のクオリティーがまったく違う、メーカーの言い分もあるが片方はアルミで片方は鉄など耐久性も変わってくる。翔馬さんが始めにする事、それは場所にもよるが鉄のネジをすべてチタン又はステンレスへと交換する。これだけで錆をかなり防げるし、少しだけだが軽量化になる。次に補強、闇雲に入れるのではなく必要最低限に入れるのだ。それが轟木流のチューニングの第一歩だ。そして其処から徐々に色が付いてくるのだ。

「まったく、仕方ねーな……家まで送ってやるから、週末にインテのオイル交換に付き合えよな?」

 廣樹の横で少し恩着せがましい口調でいった。

「はぁ? オイル交換に付き合えだぁ? どうせオイル交換するのは、ココか、そこ等のカーショップだろ? なんで俺が?」

 廣樹は彼の言っている意味が理解できず理由を訊いた。

「だってさぁ、ココに廣樹のスープラあるから、オイル交換は他でする事になるだろ? で、カーショップに行けばオイル交換を待ってる時間が暇になるからさ」

 どうやら、待ち時間の話相手として廣樹を誘ったらしい。

「……そんなの却下だ。俺だってそんなくだらない理由なら待ちしたくねーよ」

 廣樹はもっともな回答を返したが、自分がその立場でも全く同じことを言うと思う。

「じゃあ、小岩くんの代わりに私が送ってあげる。廣樹が前に見て良かったって話していた映画のDVDを借りたかったしさ」

 私は彼に続くように話に混ざった。

「マジで? ホントに良いの? そんなに見たいならDVDなんてVシネマだろうが映画だろうが、いくらでも貸してやるよ」

「陽平ちゃん、という訳だから……スープラの修理が済んだら環状に走りに行こうね」

 束縛が嫌いな廣樹は、私の条件を喜んで吞んでくれた。

「はいはい……わかりましたよ」

 そう言って呆れ気味に廣樹に返事を返した。

「それから……諒ちゃんさ、俺の事は小岩か陽平の呼び捨てで良いから」

 普段、人を君付けで呼び慣れてない私がついボロが出た時に助かる。その提案を心から喜んだ。何かの拍子に小岩くんを陽平と呼び捨てにしてしまいそうで、実は心配していたのだ。

「じゃあ、俺は轟木さんと駄弁だべってから帰るわ」

 そういうと、陽平は私達に手を挙げながら轟木の作業してるスープラの方に向かって歩き出した。

「決定ね! じゃあ、私はちょっと用事があるから先にシルビアに乗っててよ」

 私はそう言ってシルビアの鍵を廣樹に手渡した。

「ん? なんだ、まだこの鍵を使っていたのか?」

 廣樹は受け取った鍵を見て訊いてきた。私にシルビアを渡すときに、マスターキー1本だけでは不便だろうと、廣樹なりに気を使いキャラクターキーを鍵屋で作り渡してくれたのだ。

「せっかく作ってくれたし、削れるからマスターキーはやっぱり使いたくないから……」

 本当は可愛いから使ってると言いたかったが、少女みたいと馬鹿にされると思うと、素直に本音は言えなかった。 

「なーんだ、俺が女の子だから選んだカギを可愛いから使ってるとか……乙女チックな回答を期待したけど期待外れか。じゃあ陽平、俺らは先に帰るな」

 そう言うと、廣樹は受け取った鍵を指で回しながらシルビアに向かって歩き出した。

 いつも見透かされているようで、廣樹といると調子が狂うが、その反面、自分をよく理解してくれているようで嬉しくもある。実際、今の「俺が女の子だから選んだカギ」この言葉はかなり嬉しかった。

「ねぇ? 廣樹のスープラって、修理にどれくらい預かりなの?」

 陽平が手伝い、轟木がアンダーパネルをバラシているスープラに近づくと訊いた。

「そうだなぁ……余裕をもって五日から一週間ってところだな」

 そう言いながらも既に何か作業をしていた。翔馬さんはいつも間違いなく終わるように必ず余裕をもって答える。

「了解。それまでアッシーちゃん頼まれてあげっよかなぁ。陽平……くんもヨロシクね」

 普段、私は廣樹にワガママばかり言ってるので、恩返しが出来る絶好のチャンスだった。二人にそう伝えてシルビアに向かって歩き出した。

「――陽平。アイツもアレで可愛いトコあると思うだろ?」

 轟木は作業しながら陽平にそんな事を訊いた。

「そうっすね。あのコは廣樹以外アウトオブ眼中って感じですね。でも……廣樹のヤツもあれで好意寄せてくる相手には鈍いトコも、下手に仲が良いと関係が壊れるの嫌がって奥手なトコもあるからな」

 陽平は手伝いながら深いため息をつくと、リフトから降ろされたスープラのエンジン部分を魅入るように見ていた。

「轟木さん、廣樹のスープラってKいくつなんすか?」

 Kとは改良の意味だ。K7なら0から始まり七回目の改良を施したことになる。

 手を休めた翔馬は、ピット横にある冷蔵庫から二人分の缶入り珈琲を取り出すと、一つを陽平に渡して飲みながら語った。

「コイツか? こいつはK1だよ。廣樹が中古で何処からか見つけてきて、ウチで油脂とアライメントやってから約一ケ月乗った後に言ったは、リミッター解除とヘタったサスを車高調に交換、それにブレーキのオーバーホールとローター交換だけだったぞ。期待を裏切るようだが、俺はスープラを車高とブレーキ以外は何処も改良なんてしていないんだ」

「またまたぁ。轟木さん、俺もコレ何回か運転した事あるけど……ノーマルのリミッター解除ってクルマじゃないっすよ。どう考えてもかなりイジってますって!」

 陽平は始めから疑ったような口調で轟木に言い返した。

「これは俺の勘なんだがな、コイツはメーカー値以上の前後のバランスが実現されているし、シャシダイでもカタログ値を上回る出力を出していた。前にオイル滲みで軽くエンジンをバラしたが、エンジン内部はフルノーマルだった。コイツは俺の勘だが俗に言う奇跡の個体ってヤツじゃないかと思うんだ」

 それを聞いた陽平は笑いながら言った。

「ま、車に愛される廣樹の愛車なら、それも本当に有り得そうですね」


 私は運転席に乗り込むと、シートベルトを付けながら廣樹に話しかけた。

「お待たせ。じゃあ、行きましょうか」

「いや、待ってないよ。で、相棒スープラは何日間の入院ピットインだって?」

 廣樹らしい私に対する回答だった。

「なんでスープラの事……わかったの?」

 廣樹の言葉を聞いて驚いた私は思わずその根拠を訊いた。流石に地獄耳でも、あの距離での会話は普通は聞こえないだろう。

「簡単だよ。諒は車が好きだし、優しいからきっと聞いてくれたんだろうなって思っただけ、だからちゃんと聞いてくれたんだろ?」

「余裕もって五日から一週間って言ってたよ」

 廣樹に「優しいから」と言われて少し照れてしまい、廣樹の顔を見ないように小声で答えた。

「サンキュー」

 廣樹はそう言いながら、携帯でメールを打っているみたいだった。

「……誰かにメール?」

 私は気になって訊いた。好きな異性の行動が気になるのは当たり前だ。

「ん? ああ、忘れないように携帯のスケジュールに入れてただけ」

「あ、なるほどね。じゃあ、動くよ」

 私は廣樹にそう伝えると、サイドブレーキを下ろし、シルビアをゆっくりと発進させた。廣樹は左手を伸ばすとパワーウィンドウのスイッチを押した。

 ウイーンというモーター音と共に外から聞こえる音が大きくなる。廣樹と私は都会の雑踏特有の無機質な途切れることのない騒音、それに弄った車独特な排気ガスの香りを感じていた。

自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。

※DC2、95スペック:初期ロット500台の完全手組エンジンを積んだH7式のインテグラタイプR

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