第十三話:友情のクロスロード
自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。
「廣樹、そろそろ起きなさいよ。いつまで寝ているつもり?」
ベッドで寝てる廣樹を激しく揺すりながら京子が話しかける。
「……京子は元気だな。疲労感とかないの? 俺は疲れて……回復中なんだけど……」
「あのね、この程度でへばってたらとても警察官なんて務まらないわよ。警察官はスタミナと気力が無いと出来ない仕事なんだから!」
廣樹はそれを聞いて同棲していた頃を思い出した。確かにそうだった。京子はどんなに激しく求め合った次の日もケロッとして普通に出勤して行った。廣樹が足腰に疲労がきている日でさえも、普通に起き、廣樹に朝食を作って出勤していた。二十代前半なら未だしも、アラサーになっても変わらない京子を廣樹は布団の中で改めて尊敬した。京子は元祖肉食系女子といった感じだ。
「一緒に寝ない? 俺もうちょっと京子と寝てたい……」
京子は深いため息を吐くと、呆れた口調で廣樹に話しかけてきた。
「ったく、何、馬鹿なこと言ってるのよ? 今、いったい何時だと思っているの?」
「……いったい、何時でしょうか?」
「午後一時三十五分。夜行性のニートじゃあるまいし、いい加減に起きなさいよ!」
「マジで! 俺、そんなに寝ちゃったの?」
廣樹は慌てて飛び起きた。今日は翔馬のところに愛車のスープラを取りに行くつもりだった。このままだと、電車で行くので翔馬のところに到着するのは間違いなく夕方になってしまう。
「俺、今日は車取りに行く予定だったんだよ。ちょっとシャワー浴びて来る」
「車? 車って廣樹のスープラの事?」
「そう、スープラの事。知り合いの修理工場に今日取りに行くって約束なんだよ。電車だし、急がないと遅くなっちゃうだろ?」
「……なんで電車で行くの? 私が乗せて行けば良いじゃん?」
京子の予想外の提案に廣樹は焦って完璧に目が覚めた。寝ぼけた廣樹の思考でもすぐにわかった。流石に翔馬のところに京子を連れて行くのはマズい。諒との事を知ってる翔馬に京子との関係がバレたら、きっとスパナで引っ叩かれるだろう。下手したら臍を曲げてしばらくスープラは弄らないと言い出しかねない。
「いや……京子の気持ちは嬉しいんだけどさ……」
廣樹は京子に翔馬の事を正直に話し、送ってもらう訳にいかない理由も伝えた。
「……そうなんだね。でもさ、いずれバレるなら早い方が良くない? だって、諒が父親みたいに慕ってるんでしょ? もう、知ってるかもしれないじゃん。もし、知ってたら私が居なくても結果は変わらないんじゃないの?」
確かに京子の意見には一理ある。だからと言って、自分から早々に悪い結果になるかもしれない方向に飛び込む気にはなれなかった。
「確かにそうかもしれないけどさ、なんでいきなりトラブルに向かって行動しなきゃいけないんだよ?」
「だって、男でしょ? ……自分に降りかかる火の粉は自分で払いなさいよ」
「……京子? なんかさ、今日の京子って冷たくないか?」
「そう? 気のせいじゃない?」
京子は視線を逸らして廣樹に話しかけた。それを見て廣樹はピンっときた。京子がこの態度をとる時は何かを根に持ってる時だ。
「京子……俺が何か悪いことした?」
「……別に。廣樹はモテるんだから、女の子の事で揉めるのは仕方ないんじゃない?」
「もしかして……俺の女性経験にヤキモチ妬いてくれてるの?」口角を上げ嬉しそうに訊いた。
「や、妬いてないわよ! なんで私が廣樹にヤキモチを妬くのよ?」
「そう? 京子は俺の今の彼女なんだから、別に過去の女に妬く必要ないんじゃないのかなって思ったからさ」
そう言われて京子は廣樹をチラリと見た。
「……今の彼女……そ、そうかな?」廣樹に言われて京子は急に笑顔になった。
単純だ。本当に京子は分かり易い性格しているなと廣樹は思った。そう言えば、高校時代にクラスの女子が俺の彼女に立候補しようかなって言った時、勢いよく机を叩いて、俺に手を出したら、タダじゃおかないからねって睨みつけたことがあったな。昔を思い出して思わず笑ってしまう。
「……さっきから何ニヤニヤしてるのよ?」
「いや、京子ちゃんはやっぱり可愛いなぁって思ったからさ」
「……バカ。褒めたって何も出ないわよ」
「何も出なくても、京子の笑顔が見れるじゃん」
京子はその言葉を聞いて耳まで赤くなると廣樹の肩を叩きながらいった。
「ちょ、ちょっと! からかうのはやめてよ!」
「そんなに照れるなって。俺は京子が喜んでくれればそれで良いんだからさ」
そんな何気ない会話をしてる内に、廣樹は本当の親友や恋人にとって時間のブランクなんて存在しないものだと思った。その証拠に、今の京子と自分はまるでお互いの気持ちに空白の時間が無かったように会話が出来ている。
廣樹はシャワーを浴びて、翔馬の店にスープラを受け取りに行く身支度が整うと、部屋でスマホを弄りながら紅茶を飲んで寛ぐ京子に向かって話しかけた。
「じゃあ、俺ちょっと行ってくるよ。部屋の合鍵は昔と同じ場所にあるから。もし、出掛ける時は勝手に持って行って良いからさ」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
「じゃあ、行ってきます」
廣樹が部屋を後にしようとすると京子が突然呼び止めた。
「あ、廣樹……もしも、赤ちゃん出来たら……今度はちゃんと言うから責任取ってね!」
それを聞いて廣樹が激しく咳き込んだ。
「……あのさ、すごく大事な話を挨拶みたいにサラッと言うなよな。そんなの当たり前だろ。そん時はオジサンさんとオバサンさんにちゃんと自分から挨拶に行かせてもらうよ」
「きっと、パパもママも喜ぶと思う。二人とも廣樹みたいな息子を欲しがってたから。特にママは廣樹の事が大好きだしさ。でも、今回は安全日だから大丈夫だから安心してね」
京子は廣樹を見て笑顔になると片目でウインクした。
「……そっか、わかった」
マンションのエレベーターを待つ間、廣樹は京子の両親の事を思い出していた。そう言えば、京子の親父さんも俺と一緒で車が大好きだったな。京子が車よりバイクが好きだって嘆いていたっけ。……結婚か、俺も子供出来たら人生の主役から、子供が主役の脇役になっちゃうのかな? 純也が言ってたな、誰だってある程度の年齢になって……結婚して子供が出来たら、もう主役の座は譲って脇役になるものだって。アイツはたまに本当に格言みたいな良い事を言うんだよな。頷いているとエレベーターのドアが開いた。
マンションから駅までの道を軽快に歩いていると携帯電話が鳴った。サブディスプレイに表示された純也の名前を確認すると通話ボタンを押して出た。
「もしもし? 今さっき純也の事を思い出してたよ」
「――俺の事? 俺に感謝してるって話か?」
「……確かに色々と感謝はしているけれどさ……今回は違うよ。結婚して子供が出来たら、もう主役の座は譲って脇役になるものって前にお前が話してた事を思い出してさ。俺もいつかそうなるのかなって感傷に浸ってたんだ」
「――へえ、いつもオンリーワン思考の廣樹がそんな謙虚な事を考えるなんて珍しいな。まあ、良いや。電話の用件なんだけどさ、俺のBMWなんだけどさ、どこに修理に出しても直らないんだよな。ディーラーに出しても診断機にエラー拾ってないし、原因がわからないって言われたんだよ。前に直せない車は一台も無かったって聞いたからさ、諒に車の修理を頼みたいから連絡を取りたいんだけどさ、さっきから何回電話しても全然繋がらないんだ」
廣樹は純也の言ってる意味が理解出来ずに思わず訊き返した。
「……アイツが繋がらない? 珍しいな、アイツが電話出ないのなんて滅多に無いのにな」
基本的には電話に出て、出れなくてもすぐに折り返しの電話をする諒が珍しいと思った。
「――だろ? だから、電話に出ない原因のお前に電話したわけ」
「――それってどういう意味だよ?」廣樹が食いつき気味にいった。
「――あのコさ、お前と酒飲んでる時とか、一緒にいる時は殆ど電話に出ないぞ」
「……そ、そうか? 諒は普通に酒飲んでいても席を外して電話している気がするぞ? 純也が普通に嫌われてるんじゃないの?」
「――なっ! なんてこと言うんだよ! それは俺にとても失礼だろ!」
「まあまあ、諒が入れてる工場を教えてあげるから俺の部屋まで迎えに来てよ」
「――わかった、廣樹のマンションだな? 十五分から三十分くらい着くから下で待ってろ」
廣樹は電話を切るとアドレス帳から諒の電話番号を探し、片手で操作出来るガラケはやはり電話するには便利だなと思いながら発信した。数回の呼び出し音が鳴った後、電話が繋がった。ちゃんと一回で出るじゃないか、やっぱり純也が嫌われるんじゃないかと廣樹は考えていた。
今日はなんだか仕事をする気になれない。一応、雅春のアリスト用の車庫証明は取りに行ったけれど、他に何もしていない。珈琲でも買おうと、車庫証明を受け取った警察署近くのコンビニに車を停めてからもう二時間になる。店員も怪しがって間隔を空けて何度か見に来ている。
「はぁ……自分が京子の恋心に再び火をつけることになるとは考えてもいなかった。どうしよう……京子と恋で張り合うなんて……自信無いよ」車内で独り言をブツブツ呟く。
廣樹に貰った腕時計を見ると無情に時計の針が進んでいた。鞄から煙草を出すと口に咥えた。火をつけようとライターを擦るが火が付かない。他にライターが無いかと鞄を探すと廣樹のZIPPOが出てきた。
「……あれ? これって……廣樹のZIPPOだよね? 廣樹の部屋に泊まった時に間違って持って来ちゃったのかな?」
火をつけて一服すると改めてZIPPOを見た。ラッキーストライクって、これじゃ違う意味のストライクだよ。そんなくだらないこと思いため息が出る。鞄の中でまた電話が鳴っている。取り出して画面を見ると今回は廣樹からだった。私は自分でも鼓動が早くなるのがわかった。深呼吸をしてから電話に出た。
「――もしもし? 俺だけど……今しても電話大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
本当は全然大丈夫じゃない。誰かに恋して声が掠れるくらい泣くなんて思いもしなかった。
「――純也がさ、BMWの修理頼みたいんだって。だから、翔馬さんの所に直入れしても良いか?」
「良いよ。私から翔馬さんには言っておくから」
そんなのどうでも良い。でも、翔馬さんには電話しておかないといけないな。
「――そっか、サンキュー。……あのさ、声が掠れているみたいだけど……大丈夫?」
全然……大丈夫じゃない。
「……廣樹……あのさ、京子とは付き合う気持ち……あったりするの?」
「――それなんだけどさ……大事な事だし、諒に直接会った時にちゃんと話すよ」
優しい声が痛い、私は廣樹のその声に期待をしているのがよくわかった。
「……うん、わかった。じゃあさ、アリストの慣らし運転の時にでも話してよ。あ、それと廣樹のラッキーストライクのZIPPO間違って持って来ちゃったんだけど……どうすれば良い?」
「――わかった。それは諒にやるよ、前にカッコイイって言ってじゃん」
「……ありがとう。じゃあ、またね」
私は電話を切ると廣樹から貰ったばかりZIPPOを見つめていた。異性にZIPPOをプレゼントする願掛け「自分への愛の灯を絶やさないでね」きっと廣樹はこんな意味なんて知らないんだろうなと思った。廣樹の声を聞いて少し元気になった。アリストの件とBMWの件があるので、電話ではなく、直接翔馬さんの店に行く事にした。
廣樹と純也は翔馬のガレージに向かい車を走らせていた。
「ところで純也、故障ってどんな感じなの? さっきから助手席で感じる限り快調に走ってるみたいだけどさ」
「こんな感じかな」
そういうと純也は空いた道路で急加速した。背中を押し付ける加速をした後、一瞬ふわっとなり更に加速した。エンジンブレーキをかけるとエンジンが高回転になり減速が始まる。
「……確かにターボラグとか車の癖って感じではないな。俺には原因もさっぱりだし、予想もつかないや」笑って答えた。
「……廣樹にすぐわかるくらいならディーラーで直ってると思うぞ?」呆れ気味にいった。
「ですよね。ま、翔馬さんなら何とかしてくれるよ」
「……そうあって欲しい」純也が元気なくいった。
「ところで純也さ、やっぱり諒は電話に出たぞ? お前が普通に嫌われてるんじゃないの?」
「……それは違うだろ。廣樹が好きだから出ただけだろ?」
「そんなモノかねぇ、出たくない時は誰がかけても出ないんじゃないの?」
廣樹はポケットから煙草を出すと火をつけてゆっくりと吸った。純也も信号に捕まり車を停めるとつられるように煙草を咥えた。
「廣樹、ライター貸してくれ」
ライターを受け取ると火をつけたライターを何気なく見た。
「あれ? ラッキーのライターどうしたの? これ違うZIPPOじゃん」
「ああ、このライターを京子から貰ったから、あのライターは諒にあげたんだ」
「――あ、あげたって! しかも諒に? 廣樹オマエさ、異性にライターあげる意味わかってるのか?」
「ん? ライターのプレゼントに何か特別な意味なんてあるの?」
「……マジか……異性にライタープレゼントするって、自分への愛の灯を絶やさないでねって願掛けの意味なんだそ?」
「……マジで! 早く言ってよ純也くん……あげちゃったじゃん!」
「ったく、そんなの知らねえよ! ……ところで廣樹さ、京子とどうなったの?」
「……なんでいきなりココで京子の話が出てくるんだよ?」目を細めながら純也をチラリと見た。
廣樹は煙草の灰を携帯灰皿に落としながら改めて純也を見てた。
「だって、このライターって多分京子からのプレゼントだろ? 京子は廣樹にハートの火を灯せたのかなって思ったから」
「……ヒミツです。男がそうゆう事に興味持つのは良くないぞ?」
「そうですか。廣樹、京子と過ごした後の煙草は旨かった?」
「……ちょっと、何を言ってるかわからないんですけど? 煙草は旨かったよ」
クスッと笑い、面白い事を訊くなと思いながらも、廣樹は純也が何を言いたいのか理解できずにいた。
「……そっか。……俺が帰った後で京子とヤったろ?」煙草を深く吸い込むとワザとらしく吹いた。
「はいっ? なんでそうなるの? おかしいでしょ?」
「じゃあ、京子に訊いてみても良いか?」
「ああ、良いよ! あの京子にお前が下世話な話を訊けるもんなら訊いてみろよ!」
廣樹は内心とは裏腹に出来る限りの平静を装ってみせた。ただ、付き合いが長い親友だけに目を見られた見透かされると思い、窓の外の街並みに視線を移すことにした。
急にハンズフリーによる訊き慣れた呼び出し音が、車内のスピーカーから流れたと思うとガチャっという音と共に電話が繋がった。
「もしもし? 俺だけど」
「――どうしたの純也? なんか私に用事でもあった?」
電話の主は紛れもなく京子だった。それに廣樹も変な汗が出る程に焦ったが、今更になって慌てても仕方ないと腹を括り見守る事に決めた。
「京子さ、俺が帰った後で廣樹とヤったの?」まるで廣樹に話すような軽いノリで京子に訊いた。
「――純也? あんまりふざけた事を言うと私だって怒るからね? いくら純也が友達だからって訊いて良い事と悪い事ってあるよね? いくら純也が廣樹の親友だからって私達のことに口出すのはおかしいよね?」
廣樹が想像した通り、京子は電話先からでもわかる程に声が怒っていた。ほら、見た事かと廣樹は内心ホッとしていた。
「……でもさ、俺はお前たちがさ……昔みたいに付き合って上手くいって欲しいんだよ。俺が折角気を使ったのに、廣樹は京子と何も無かったって言うしさ。廣樹が京子にライタープレゼントされたって言うからさ、京子は廣樹にハートの火を灯せたのかって訊いたら知らねーよとか言うしさ。……やっぱり……親友として心配なんだよ」
廣樹からすれば「ふざけんな」と言いたくなるような迫真の演技を純也は車内で演じてみせた。
「――純也……ありがとう。うん、いっぱい仲良くしたよ。ちゃんと廣樹とは上手くいってるから心配しないで大丈夫。心配してくれてありがとうね……純也」
「そっか、良かった。じゃあ、また連絡するわ」
そう言うと目にも留まらぬ早さでナビ画面を押し電話を切った。
「廣樹君……嘘はイケないよ、嘘は!」ワザとらしいドスの効いた声で廣樹を見ながら純也は笑顔でいった。
「……お前さ、いつからそんなに演技が上手くなったワケ? 高校時代は帰宅部で演劇部とかじゃなかったよな?」
「あれれ? 言ってなかったけ? 俺、大学の時は演劇部だったんだよね。いやぁ、あの頃は部員が足りないからって頼まれて渋々引き受けたけど、人生何処で何が役に立つかわからないね? 芸は身を助ける、人生万事塞翁が馬、災いと思っていたことも、何かの拍子に福と転じることがあるとはよく言ったものだわ」
上機嫌の純也と裏腹に、廣樹はヤラレタと、とても深いため息をついていた。
「でも、良いじゃんか? 京子はイイ女だと思うぜ! 美人だし、スタイル良いし、芯もしっかりしてるしさ。京子みたいな女は探したって中々見つからないぞ」煙草を咥えながら純也は京子の事をベタ褒めしていた。
「……お前さ、少し前までクソアマとか、こんな鬼嫁貰ったら、一生遊びに来れないって言ってたのに急にどうした? 俺がコンビニ行ってる間にお前らの間にどんなイリュージョンが起きたんだよ?」
少し前までお互いを認めてはいたが、犬猿の仲だった二人に何が起きたかは知らないが、廣樹は今の純也の言動が信じられずにいた。
純也は煙草に火をつけると紫煙を吐いた。
「ま、京子も俺もお互いに腹割ってぶっちゃけ話したんだよ。それで京子がお前を純粋に愛してるなって思ったらさ、なんか応援したくなったんだ。俺も廣樹みたいに、誰かにこんなにも愛されたら変わるのかなって、ふと、そんな事を考えたよ」
「……そっか……なぁ、純也、彼女を作りたくなった?」首を傾げながら訊いた。
「お前たちを見ていたら……正直、かなり作りたくなった」
車内の二人は大声で笑うと翔馬の店までの間、京子の話で盛り上がった。
私は翔馬さんのガレージ着いたが純也のBMWはまだ来てなかったが、頼んだ雅春のアリストの整備は完了していた。待ってる間に時間を潰すには丁度良いなと思い、純也達が到着するまでの間、アリストをチェックする事にした。翔馬さんの整備は完璧でアイドリングも安定し、走らせなくても車がシャキッとしたことを感じられた。あとは試乗がてらに慣らし運転をしてブレーキ等のアタリを付けるだけだ。
「翔馬さんありがとう。廣樹のスープラも終わってるんでしょ?」
「ああ、勿論だ。スープラは俺が試乗して慣らしまで済ませてキッチリ整備したから、今から環状を全開走行しても大丈夫だ」翔馬は高らかに笑い声を上げながら自分の胸を叩いた。
「……なんだ? 元気ないな諒……廣樹と喧嘩でもしたのか?」
イマイチ元気が無い諒を見て翔馬は心配そうに声をかけた。
「……うん……まぁ……そんな感じ……かな」
話の少し先が見えて私は声に詰まった。恋バナで人に色々と言われるのは、私だって知ってはいたけれど、まさか翔馬さんから訊かれるとは思いもしなかった。
「……まぁ、俺の少ない経験から学んだ個人的な忠告だが、とにかく、喧嘩ってモノは小さい内に手を打っておかないと、取り返しがつかないことになるぞ。気づいたら大事なモノまで失ったりするものなんだ」
翔馬はつなぎのポケットから煙草を出すと、指でトントンしてから火をつけて、ゆっくりと吸い込みゆっくりと吐き出した。
「俺はな……それで一生の友と好きだった人を失ったんだ」
「……翔馬さんが……一生の友達と愛する人を失ったの?」
正直、十代の頃から仲間や友人が恋愛や酒に費やす時間を車だけに注ぎ込む生き方をしてきたと言っていた翔馬さんの口から、まさかそんな話が出て来るとは夢にも思っていなかった。
「ああ、そうだ。こんなところで立ち話する話じゃないから事務所に入れよ」
私は翔馬さんの後を追う様に事務所に向かった。
事務所に着くと、翔馬さんはペットボトルの冷たいお茶を出してくれた。
「時間ならあるんだ。とりあえず、一服しろよ」
そう翔馬さんに言われた私は、いつもなら廣樹達と車話に華を咲かせるソファーとテーブルに置かれたお茶をグイッと飲んだ。喉に染み渡る冷たさが心地よかった。続いて、鞄から愛煙するマイルドセブンを取り出し火をつけると、深く一服して紫煙を吐き出した。
「じゃあ、そろそろ話を始めようか? 俺にはな、当時親友と呼べる一人の男とガキの頃から仲が良かった一人の女友達……いや、生涯であのコだけだから違うか。生涯でたった一人だけ仲が良かった女友達がいたんだ」
翔馬はつなぎのポケットから煙草を出すと、火をつけてゆっくりと吸い込み天井に向かい吐き出した。
「当時、車馬鹿だった俺は――」
「今もでしょ?」私はクスッと笑ってしまった。
すると翔馬もつらて笑った。
「……確かにそうだな。車馬鹿な俺は、自分がチューニングした車で夜な夜な峠だ、首都高だって気がつけば走りに行っていた。その女友達も速い車が好きでよく助手席に乗せては走りに行っていたよ。だが、男友達は少し違っていた。車をイジるのも運転するのも好きだが、俺みたいに飛ばすのが好きなわけではなくてただ運転することが好きだったんだ。ある時、三人で首都高に行った時にとても大きな事故の瞬間を目撃したんだ。ブラインドコーナーを自分達より先に攻めて行った車がいてな、その車が視界から消えた瞬間、凄い衝撃音がしたんだ。諒なら……この意味がわかるだろ?」
私はその話を聞いて無言で頷いた。ブラインドコーナー、つまり先が見えないカーブにノーブレーキで進入したという事は、その先で何かに追突した以外に他ならない。
「俺は慌ててブレーキを踏んで減速したよ。その先に遭ったのはトラックの下に後部座席付近までめり込んだ車だった。ドライバーは間違いなく……即死だったろう。今のトラックには乗用車が下に潜り込まないようにごっついアンダーガードがバンパーの下に隠されてるが、当時のトラックにはそんなモノ無かったんだ。勿論、そんな事故を見たんだ、走る気なんて失せちまう。だから、その日は大人しく安全運転で帰ったよ。だが、車好きの愚かな血っていうのは質が悪くてよ。しばらくするとそんな事故に遭遇してるのに、また走りに行ってしまうんだ。俺は良い気になって女友達を連れてまた走り出した。そしたら男友達がよ、いつまでそんな愚かな行為を続けるつもりだ? 最悪、お前が自分で運転して死ぬのは構わない。だが、彼女まで巻き沿いにする事は許さないって言い出してよ。諒たちは完成された走り屋世代だからわかるだろ? だが、当時の俺はそれが理解出来なかった。走りたいヤツが走って、乗りたいヤツは乗るんだ。それで死んだなら自己責任って思っていたんだよ」
確かに私達の走り屋世代には暗黙のルールというモノが存在する。本気で走る時、攻めた走りをする時には人は乗せない。任意保険には必ず入る。走りに迷いが生まれた時、それが引退する潮時。ご当地ルールが多々あるにせよ、全国共通でそんな不可侵条約が走り屋達には存在している。
「その内、男友達とそれが原因で小さな喧嘩をしちまってよ。……俺も頭ではわかっていたんだが、変なプライドが邪魔してちゃんと謝れない内に、気づいたら俺達三人に大きな亀裂が出来ちまってさ。二人は俺を置いて違う街に引っ越しちまった。風の噂ではその後、二人は結婚して女の子が生まれたって言ってたな。その子は……今頃は廣樹とか諒くらいの歳になってるんじゃないかな。……だから、余計にお前等が可愛く思えるのかもしれないな……」
翔馬さんにそんな過去があるなんて全然知らなかった。誰にだって青春や若い頃があるのだから、別に可笑しな話では無いがそれでも意外だった。後悔して消えた夢の面影を私達に重ねたりしていたのだろうか。
「……なんか珍しく、しんみりとした話をしたから疲れちまった。俺が言いたいのは、俺みたいな大きな亀裂が入る前に……廣樹と仲直りしろって事だ」
「……ありがとう。翔馬さん、なんか少し楽になったよ」
でも、私は別に廣樹と喧嘩した訳では無い。私の親友が廣樹に再び恋してしまい、ライバルになってしまったんだ。私と京子の間には、まだ何も亀裂は無いけれど……廣樹が亀裂の原因になる可能性は高いと思う。少し前の私は親友と呼べる京子を裏切れる程、廣樹の気持ちを欲しがっていた。でも、翔馬さんの話を聞いた今なら……それがどんなに愚かな事かよくわかる。そんな事を考えていたら、廣樹達がタイミングよく店に着いた。
「初めまして、葉山純也と申します」
自己紹介をすると、純也は外に停めた愛車の前で翔馬とエンジンルームやらメーターやらを見ながら何やら話しているようだった。
「いきなりですけど……僕のM3直りますかね?」
「そうだな、症状を聞く限りではアンタの感性的な部分もあるからやってみないと何とも言えないが……まあ……なんとかなるだろ。二週間くらい預かっても平気かい?」
「いやいや、元通りになるなら、三週間でも一か月でも構いませんから」自分の顔の前で手を振りながら何度も頷いた。
「……なあ、純也。お前がそんなに一台の車に執着するなんて珍しいな? 女と一緒で色々な車に乗りたいって、普段から言っている純也が綺麗に直してまで乗るなんて……信じられないんだけど」
「変な言い回しするなよ。俺が女たらしみたいに聞こえるだろ! 良いからこの車の車体番号見て見ろって」
純也はそう言うと、車検証を廣樹に手渡した。
「ん? 車体番号……下四桁が7777。そういう事か、確かにここまで縁起が良い車は中々お目にかかれないな」
車体番号とは車一台毎に違う刻印された番号だ。車検では必ず確認されるし、業者オークションやディーラー、整備工場などで、この番号で走行距離や修復歴など色々な情報が管理されている。私も数多の車を扱っては来たが、流石にここまで語呂が良い番号は見たことが無い。
「だろ? だから暫くは乗ろうと思っているんだ」
「……ところでよ純也、車を預けてる間の車どうするの? 翔馬さんトコにはお前のスキルで乗れるAT車は無いよ? 翔馬さんの常連用の代車は殆どがチューニングしたマニュアル車だからさ」
「――おいっ! 俺だってな、マニュアル免許くらい持ってるわ! 人をそこ等のAT限定みたいに言いやがって!」
「へえ……じゃあ、そこに停まってる俺のスープラをココの駐車スペースまで転がしてみろよ?」
廣樹は笑顔になると純也にスープラに鍵を差し出した。
私は廣樹がどんな意図で言ったのか、よく解かる。よりによって廣樹のスープラは酷いと思う。純也の運転技術をバカにする訳では無いが……多分、無理だろう。ロータイプのレカロシートで全く前が見えない低い座席、普通の角度で調整するとミラーの半分を占めるリアのブリスターフェンダー、それに重い強化クラッチ、死角が多いルームミラー、とてもじゃないがここまで廣樹仕様にカスタマイズされていて乗り手を本当に選ぶ車を……純也がサラッと運転して車庫入れ出来るとは到底思えない。純也は廣樹から鍵を受け取ると自信有り気にスープラに向かって行ったが、座席に座るなり期待を裏切らずに叫んだ。
「なんだこれ! 前も後ろも横も全く見えねえだろ!」
私の予想が見事に的中した。
「な、だから言っただろ? スポーツカーは乗り手選ぶんだよ。お前の快適チキチキマシーンとは違うんだよ。それでだな、優しい俺が轟木モータースで、唯一純也レベルでも運転出来る代車を貸してやろう」
「……唯一? そんな代車……有ったっけ?」
廣樹は私を見ると不気味な程にニヤリと笑った。
「……あるじゃないか、マニュアルでフェラーリと同じミッドシップエンジン、ツーシーターの車が!」
フェラーリと同じと聞いて純也の目が少し輝いた。
フェラーリと同じパッケージングと聞いて私と翔馬さんは首を傾げた。私が知る限り、ミッドシップレイアウト、ツーシーターの車なんてフェラーリは勿論の事、MR2すら置いてないと思う。
「マジで! そんな車あるの? 楽しみだな」
廣樹の話を聞いて、純也はまるで初めてのオモチャを与えれた子供の様に燥いでいるが、私達には嫌な予感しかしなかった。
「おい廣樹! いったい何処にそんな車あるんだよ?」
純也が早く車を見たくて仕方ないのがすぐにわかった。
「慌てなさんなって! 今、鍵持ってくるからよ。翔馬さん事務所に置いてある車の鍵借りるね」
廣樹はそう言うと事務所に向かって歩き出した。翔馬さんは慌てて廣樹を追いかけて事務所に向かった。二人が事務所に消えて暫くすると、翔馬さんの大笑いする声が事務所から聞こえてきた。それを聞いて私は益々嫌な予感がしてきた。
「いやさ、陽平に此処に車を戻してくれって頼んだら……あのバカ、何を勘違いしたか車は月極駐車場に置きっぱで鍵だけ戻しやがってさ」
廣樹は戻ってくると翔馬さんと二人で悪そうな顔して何やら訳のわからない話を始めた。
「よし、純也。スープラの横に乗れ、俺が案内してやるから。翔馬さん、とりあえずスープラの修理代に十万円は置いてくから足りなかった請求して、もし余ったらいつもみたいに次の支払いから引いておいてね」
そう言うと廣樹は見慣れたコンビニの封筒を翔馬に手渡した。純也をスープラに乗せると軽快に店を後にした。
「……パパ? 廣樹が言っていたマニュアルでフェラーリと同じミッドシップエンジン、ツーシーターの車っていったい何だったの?」
「例のお前達が乗って行ったあのキャリーだよ」
「キャ、キャリー! キャリーってあの軽トラのキャリー?」
確かに、マニュアルでフェラーリと同じミッドシップエンジン、ツーシーターの車だ。ウソは一つも言ってないし、廣樹らしいと言えば廣樹らしいが、車を見たらきっと純也は怒るだろうなと心底思った。
「廣樹と諒って本当に喧嘩したのか? さっきから二人を見ていても、俺には全くそんな風に見えなかったんだが……」
「……うん。実はね、廣樹と喧嘩したんじゃなくて――」
私は翔馬さんに、私と京子の経緯と関係を事細かに説明した。
「……そうか、確かにそれは厄介だな。廣樹も根は良いヤツだし、悪気は無いんだろうが優柔不断で誰にでも優しいトコあるからな。廣樹の元カノっていう、京子ってコを俺は知らないが、諒がそこまで言うんだから良い子なんだろうな。俺は諒を応援するから頑張れよ! 最悪、寝取って既成事実作っちゃえば良いじゃなないか?」
翔馬さんまで軽い考えで母親みたいな事を言わないで欲しい。
「もうっ! 生まれてくる子供はおもちゃじゃないんだから! 翔馬さんまで母さんみたいな事を言わないでよ!」
「悪い、悪い、ちょっと言い過ぎだったな。ただ、会ったことは無いけれど……オマエの母さんとは話が合いそうだ」
「どうかな? 母さんってあれで結構考え方が変わってるからね。普通、娘が走り屋なんかやったら反対するのに、車に関しては何も言わないし、昔はヤンチャしていたみたいだしね」
「そうか、そうか、なんだかアキちゃんみたいだな?」
「……アキちゃん? 誰それ?」
「秋山冴子。さっき話した俺の生涯たった一人の女友達だ」
「……嘘でしょ。秋山冴子って私の母さんの旧姓の名前だよ? 別れた父さんの名前は芹沢京一郎。私が親の都合で離婚して苗字が変わるのは可哀相だからって、母さんは旧姓に戻さなかったの。……こんな偶然ってあるの?」
聞いた自分でも信じられなかった。翔馬さんが母さんの昔の友達だなんて。じゃあ、母さんが前に言っていた「本当は凄く好きな人がいた。だけど、その人とは結ばれなかった」って翔馬さんって事? 頭が真っ白になって思考もろくに回らない私の肩を掴むと、凄い剣幕で翔馬さんが叫んだ。
「諒! 諒! 秋ちゃんは! お前の母さんはちゃんと生活は出来てるのか? 今、どうやって食べてるんだ?」
「痛いってば! 翔馬さん離してよ!」
「……すまん、取り乱して悪かった」
翔馬さんは私の肩から手を離すと落ち着いたようでいつもの翔馬さんに戻っていた。
「……翔馬さん、それを知ってどうするつもり? 母さんに会いに来る? それとも廣樹が私にしたみたいにお金の援助でもするの? 確かに母さんはパート暮らしだし、決して裕福な暮らしはしてない。でもね、何かあれば私がいる! 廣樹や純也みたいにいくらでもって訳では無いけれど……多少の援助は私だって出来るんだよ? 今更になって会いに来られたって嬉しいかどうかなんてわからないじゃない!」
私は翔馬さんにキツイ事を言ってしまったが、自分でもどうして良いか、何が正しくて、何が間違っているのかわからなかった。
「……そう……だよな。今更……俺が行ったって……迷惑なだけだよな? アリストは完成してる……持って行ってくれ」
そう言うと翔馬さんは、事務所の方へ肩を落としたまま力なく歩いて行った。私はそんな翔馬さんの背中を見つめたまま、しばらく立ち尽くしていた。
アリストに乗り込みエンジンをかけたが、これからどうしたら良いのかわからず、シートに腰かけたまま何も動かないアリストの真っ暗なメーターをただ見つめていた。しばらくすると聞き覚えがあるエンジン音が聞こえてきた。それは純也が乗るキャリーだった。駐車場に停めて車から降りると私に気づき近づいてきた。
「ちょっとコレ酷くない? どこがフェラーリなの? 只の軽トラじゃん! 流石にコレで銀行周りや集金には防犯上行けないから返しに来たよ。こんな簡単に鍵が開きそうでトランクが荷台の車、本当に悪いけど怖くて鞄とか置けないよ」
私は悪いなと思いながらも、思わず必死な純也を見て笑ってしまった。おかげで少しだけ気が楽になった。
「廣樹は……なんて言っていたの?」
「……お前は普段から楽してるから、たまには社会の底辺を見て社会勉強したほうが良いってさ。俺さ、思わず本気で廣樹の事を殴ろうとしちゃったよ。そしたらアイツさっきの――いや、何でもない。とりあえず、車は返すからさ。鍵どうすれば良い?」
「ん? ああ、挿したままで良いよ。流石にキャリーを盗む物好きな人なんていないと思うし……」
「そう? じゃあ、そうさせてもらうよ。悪いんだけどさ、駅まで送ってくれないかな? タクシー代くらいは払うからさ」
「あ、いいよいいよ。私に修理入れてくれたんだからそんなの要らないよ。とりあえず助手席に乗って。純也の行きたいところまで送るから」
私はそう言うと純也を乗せて轟木モータースを後にした。
読んでくれている方ありがとうございます。自分でも読み返してちょくちょく誤字脱字内容直します。




