第十二話:スタートライン
自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。
読んでくれている方ありがとうございます。自分でも読み返してちょくちょく誤字脱字を内容直します。
「純也とも……出会ってからもう十年か。あの頃から……俺達は似てたのかな」
廣樹はまるで何かを思い出すように天井を見上げた。
「昔さ、仙台駅の連絡路に一枚のポスターが貼ってあったんだ。予備校のポスターで「僕はこの道をどこまで歩いていけるのだろう」ってヤツ。……あれから……十年近く経つのにさ、今でもたまにあのポスターを思い出すんだ」
「へぇ、そんなポスターあったんだ。良い言葉だね。で、廣樹さんはその言葉を聞いてどう思ったのかな?」
「……俺が歩く道ってなんだろう? 夢ってなんだろうって思った。あの頃の俺には……京子みたいにハッキリとした胸を張って言える夢なんて何も無かった。歩むべき道なんて見つからなかった」俯くと独り言のように呟いた。
「そうかな? 廣樹はいつも輝いた顔と目をしていたと思うけど……」
「うーん、それは何も考えないで、毎日をただ必死に生きていたからじゃない?」
京子は不思議そうな顔を浮かべ廣樹に訊いた。
「……必死に生きていた? その割には……随分と上手く世渡りしていたと思うけど」
京子の顔を見ると廣樹は笑いながらいった。
「もし、世紀末の予言が当たっても良いようにね」
「ノストラダムス?」
「そう、ノストラダムスの大予言。アレってみんなは外れたって言うけど、俺は当たってたと思うんだ。九十九年に登場した携帯電話のiモードが出てから携帯電話依存が始まった。今では殆どの人がスマートフォン無しでは生きられない世の中になってる。携帯依存は間違いなく、人の繋がりを弱くしたと思うんだ。四六時中みんながスマートフォンを弄ってるだろ? 弄る必要が無いのに暇さえあれば弄ってる。ネットで神みたいに崇められている人だって、現実には何も出来ない奴が殆どだろ? ただ、面白い動画を作るだけ。そんな奴が再生回数で儲けるから憧れる奴まで現れる始末。挙句の果てには再生回数の為に、犯罪を犯す人間まで現れているだろ? バブルは賢かったり、実力のある奴が成功して大金を得て、それを真似したから景気も社会も上手く回ったけれど、今はそんな奴が成功しているから景気も社会も全然良くならない。たかが、電話とメールとネットするだけの物なのに、皆が最新の機種を追いかけているなんて、そんなの異常だろ?」
「……確かにそうかもしれないね。引きこもってネットの世界に生きている人もいるもんね?」
「人間は誰だってモテたいし、カッコよく、可愛く見られたい。バブルの頃は良いモノ持って良い車乗ってと皆が競う様に生きていた。それが今ではブランド物? 買えません。良い車? 買えません。だから、せめて最新の携帯電話くらい持とうとする。ブランド物や良い車を買った事は、買えるようになった事が自信を与えてくれる。でも携帯電話を買った事は何も与えてくれないだろ?」
「……廣樹? 話を上手く誤魔化したつもりだったりする?」急に廣樹を見るといった。
「……アハハ、バレた? ……やっぱり駄目か」
「もうっ! 私が廣樹と何年の付き合いだと思っているのよ」
「……俺さ、あのポスター見て、京子との一緒の道を何処まで歩けるのかな? って思ったんだ。いつも隣を歩いてる京子をさ、どんどん険しい道に付き合わせてるような気がして怖かった。純也は金貸しっていう、人に恨まれる茨の道を選んだ。俺も京子が居なかったらきっと……水商売を選んだと思う」少し暗い顔になると冷めた口調でいった。
「えっ? 水商売?」
「うん、世の中は金とエロで回っているからさ。良い暮らしをしたいなら、金を稼ぐしかない。金を稼ぐなら……投資とか貸金業みたいに金を仕事にするか、エロを仕事にするのが手っ取り早いって、俺も純也も高校時代から国分町を見てきて知っていたからさ」
京子は黙って廣樹を見ていたが、ため息をつくと口を開いた。
「――はぁ。……そっか、じゃあ私は……廣樹を救えたんだ。少しでも廣樹の人生に影響があって良かった」
ニコリと笑うと廣樹を見ながら伸びをした。
「……そうだな。京子がいなければ、ヤクザな道を歩んでいたかもしれないな」
「ねえ廣樹? 私、やっぱり今日泊まりに来て良かった。今まで知らなかった廣樹を知れたし、廣樹も普通の人間なんだなって思えたから」
笑顔で廣樹に話しかけてきた。いつも上手く器用に生きている廣樹を見て自分とは違う完全人間みたいに思っていた。だが、本当は普通の人間で、人より少しコミュニケーション能力が高くて、人より沢山の苦労をして来ただけ。そして、超がつく程にプラス思考な普通の人間だ。
「俺が人間? 当たり前だろ?」
「……違うよ。廣樹も弱音吐いたり、苦労したりしてるんだなって思ったの。いつも平気な顔してるから、廣樹はそんなの無縁だと思ってた。今度は私が言ってあげるね?」
「ん? 何を?」
「私が警察官になる為に、試験を受けた時に言ってくれた言葉。失敗したって良い、弱音を吐いたって良い、傍で私が支えてあげるから」
廣樹は驚いた表情になり、しばらくするとクスクスと笑いながら京子を見た。
「……それ……俺が言ったの? へぇ、俺って意外に良い彼氏だったんだな」
「うん。廣樹が言ったんだよ? ……それに……廣樹は……今でも良い彼氏だよ」
京子は少し照れながら廣樹を見てそういった。
「いや、もう付き合ってないじゃん」
クスッと鼻で笑うと廣樹がいった。
「私の中で廣樹は私のモノだから。よくさ、恋愛って男はフォルダ保存、女は上書き保存するって言うけれど、あんまり良い彼氏を作っちゃうとさ……なかなか、上書き出来ないんだよね。だから別名保存しちゃうんだ。元カレより優しいとか頼りになるとか言うけれど、廣樹より優しい人も、頼りになる人も……私は出会った事が無いから。無人島に、もし、何か一つだけ持っていくなら、迷わず廣樹を持って行くもん」
京子は楽しそうな笑顔を浮かべて話した。
「普通、釣り竿とか、ライターとか、ナイフって言うんじゃないの? 俺は物なのか?」
「だから、言ったじゃん! 私の中では廣樹は私のモノだって」
「それって同音異義語だろ?」
「そんな難しい言葉は知りません!」
二人は声を出して笑った。お互いに、心からこんなに笑うのはいつ振りだろう? と、思うほどに心から笑った。いっそ酒でも飲もうとなり、再び二人は酒を飲み始めた。
程よく酔って心地良い気分で廣樹は煙草を吸っていた。こんなにも美味しく感じる煙草を吸うのは本当に久しぶりに思えた。きっと、何年も心に刺さっていた棘が取れたからだろう。廣樹は煙草を吸いながら本当に幸せそうな顔をしていた。
「タバコ……美味しそうだね? 廣樹言ってたよね? 煙草が旨い瞬間ベストスリー。寝起きの一服、お酒飲んで吸う煙草……あと一つは何だっけ?」
京子はオデコを指で押しながら考えているようだった。
廣樹はしばらくは横で見守るように様子を窺っていたが、考えている京子を見ると口を開いた。
「……女とヤった後の一服だろ? 京子は女だし、煙草を吸わないんだから、知っても仕方ないじゃん」
「ねぇ、また私と付き合ってよ。そしたら美味しい煙草……たくさん吸えるよ?」
京子は廣樹を見るとバスローブの胸元をパタパタしながらいった。
「つ、付き合ってよって……しかも、たかが旨いタバコだけの為に?」
だが、その時、俯く廣樹の中で再びズルい廣樹が囁いた。彼女が手元に戻るのだから、モノにしてしまえば良い。本当に彼女を二度と傷つけない自信があるのか? 放課後の体育館でバスケットボールと影法師を追っていた頃とは違う、今の大人の立場で彼女と歩む覚悟があるのか? 諒がいるだろう? そんな簡単に答えを出して……二人の絆を引き裂くかもしれない事をする覚悟があるのか? そんな言葉が脳裏でリフレインしていた。
「……今、答えを出さないと駄目か……な?」
廣樹は頭を上げると京子を見ながら訊いた。
「……駄目。……もし、そう言ったら?」真剣な眼差しで廣樹を見ながらいった。
そう言われて、廣樹はテーブルに置かれた自分の腕時計を見ると、日付けが変わる五分前。目を閉じると少し考えた。
「……やっぱり、わからないや。正直に言うなら京子と寄りを戻して抱きたいけど、やっぱり怖いんだよね。愛おしいから簡単に答えを出したくないし……」
「……そっか。じゃあ、少しだけ待つよ。……三十分くらい」
「――はっ? それって、普通は待つって言わないだろ?」
「……だって、私は散々……廣樹を待ったから」
廣樹は煙草に火をつけると深く吸い、すれ違いの数が多すぎたなと思った。
「……そうだよな。……俺は京子を散々待たせたもんな」
京子は目を瞑ると、うんうんと二度頷いた。
「あのさ……訊いても良いかな?」
「ん、どうしたの?」
「……あのさ、俺が……純也に背中押されて……水族館で京子に告白した日……あったじゃん?」
京子は微笑みを浮かべて懐かしそうに頷いた。
「……もし、あの日に俺が付き合って欲しいと言わなかったら……純也と京子が付き合った可能性もあったのかな?」
「え? 私が純也と? ――無い無い! 私が純也なんかと付き合う訳無いじゃん」
「……そっか。……昔、高校二年でクラスが一緒になったばかりの頃、傘を忘れた京子に純也が自分の傘差し出して胸キュンしたって話を思い出したからさ。……俺、純也にならって考えたこともあったからさ」
京子は廣樹を見ると微笑んだ。
「あの頃の私は、恋に恋していたから惚れ易かったんだと思う。ほら? 私って不良娘だったし、気が強いから男が近寄って来なかったじゃん? だから、男に免疫無くてさ、色々な男のふとした優しさにときめいてたんだよね」
廣樹は京子の顔を見ると遠慮気味に訊いた。
「……色々な男の優しさにときめいていた? もしかして……京子って惚れやすいタイプ?」
再び微笑むと京子は頷きながらいった。
「……廣樹に出会って、付き合うまでは少なくともそうだったかもしれないね。……廣樹と付き合って、想いがもっと届いたらって思う度、アイシテル以上の言葉が無いことを恨んだよ。指を絡めても、一つになっても、どんどん追いたくなるし、どんどん惹かれていくの。だって、廣樹といると何も怖くないんだもん。何にも迷わないんだもん」
廣樹はテーブルに置かれた飲みかけのビールを掴むと一気に飲み干した。
「ありがとう。俺って……やっぱり幸せ者だな」
「あ、今頃になって気づいたの? 遅いってっば!」
廣樹は俯くと目を閉じて微笑んだ。顔を上げると煙草の箱に手を伸ばし咥え、テーブルに置かれたライターに手を伸ばそうとすると、京子が先に掴みカチャンと音を立てて火をつけた。
「はい、私……廣樹のハートに……火……つけられたかな?」
廣樹は指でオデコを掻くと、顔を近づけて煙草に火をつけ、深く吸い込むとゆっくりと吹き出した。
「……どう思う?」
「もしも、また廣樹とまた付き合えたら……もう……手を離さないって決めてるから。誰よりも考え込んで、傷付きやすい廣樹のそばに……ずっといたいから」
「つまり?」
「……愛してる。だから、火をつけるまでもう諦めない」
廣樹は左手に持った紫煙を燻くゆらせる煙草を見ながら呟いた。
「……京子は強いな……ま、そんな京子に惚れたのも事実か」
煙草を深く、そして長く吸い込むとゆっくりと吐き出した。
「私ね、諒との友情を全部壊すかもしれないけど……怖くないんだ。少しでも、廣樹との未来が見えるなら……天秤にかけられないくらいに好きだから」
「……そっか。……俺はこれ以上、迷う必要は無いな」
廣樹は煙草を灰皿に優しく押し付けると丁寧に消し、京子は廣樹を覗き込むと訊いた。
「で、廣樹の答えは?」
二人は見つめあったまましばらくの間黙っていた。
「……歯、磨いてくるよ」
廣樹はそう言って立ち上がると、洗面所に向かって歩き出した。扉に手をかけるとゆっくりと振り返り、笑顔になると口を開いた。
「京子……俺も愛してるよ」
そう言ってから洗面所へと消えていった。
「……バカ。……本当に待ち疲れたんだから」
京子はそう呟くと、カバンから出したゴムで髪を結わいた。ふと、テーブルに置かれた廣樹の煙草が目についた。
「……タバコか、廣樹達はみんな美味しそうに吸うけど……そんなに美味しいのかな?」
高校時代からどんなに不良をしても煙草だけは吸わなかった。いつか子供が出来た時に奇形児が生まれる可能性が増える。煙草を吸う女は男にウケが悪い。そんな乙女チックな、京子の見た目や印象からは想像つかない理由で今まで吸わなかった。京子は箱から一本取り出すと、慣れない仕草で咥えた。自分が廣樹にあげたスターリングシルバーのZIPPOを、人差し指と親指で摘まむと手慣れた仕草で煙草に火をつけた。吸い込むとメンソールの爽快感と同時に今まで感じたことがない目眩に襲われた。
「……どこが良いの? 絶対にこんなの体に悪いよ!」
そう言った瞬間、廣樹が扉を開けて戻ってきた。
「おま、お前! 京子、何やってるんだよ!」
廣樹が今まで見せたことも無いくらいに驚いた顔で京子を見ていた。
「……いや、美味しいのかなって思ってさ。私、ちょっとうがいしてくるね?」
京子は足早に消えていった。
「……マジかよ。……俺、そんなに京子を追い詰めていたのかな」
肩を落とす程に深いため息がこぼれた。今まで煙草を吸う彼女は沢山いたし、別に女が煙草を吸うと言っても全く驚かなかった。正確に言うならば、彼女では無いが、諒を含めて京子以外の周りにいる女はみんな吸っていた。気持ちを落ち着かせるように煙草に火をつけると深く吸い込んだ。
違和感を拭うように口をパクパクさせながら京子が戻ってきた。廣樹は隣に座った京子を何度もチラチラと見た。
「……ごめんな。本当にごめんな」
「は? なんでいきなり謝るの? え? まさか、今更になって……」
「ん? 今更になって?」
「い、今更になって……やっぱ無しとか……駄目だからね! 私、絶対に認めないから! 私を返品、キャンセルなんて受け付けないから!」
京子は廣樹を見ると掴みかかる様な勢いでいってきた。
「……ハハハ、そんな事は言わないよ」
廣樹は優しく京子の髪を撫でながらいった。
「……いやさ、ずっと……煙草なんて吸わない、と言っていたじゃん? その京子が煙草を吸いたくなるくらい、追い詰めていたんだと思ったから謝っただけ……ごめんな」
京子は焦った様子で廣樹を見ると、手を顔の前で振りながらいった。
「え? いや、そういう訳じゃなくて……」
「……違うのか?」
「うん。廣樹達が美味しそうに吸うから……好きって言われて気分良くて……試しに吸ってみただけ」
廣樹はそれを聞くと声をあげて笑いだした。
「なんだ。そうだったんだ。俺が考え過ぎだったんだ」
京子もつられて笑顔になった。
「あ、そうだ。廣樹とまた付き合いますって純也にメールしようっと!」
「……え。もう言うの? まだよくない?」
「――何? 今更になって止めますとか駄目だよ? 言われて困る事でもあるの?」
京子は廣樹を睨みつけると訊いてきた。
「……いや、そういうんじゃ無いけど……この年齢になると……なんか、恥ずかしいなって」
それを聞いてクスっと笑うと京子が口を開いた。
「別に良いじゃん。恋愛するのに年齢は関係ないよ」
そう言いながら京子は鞄から出したスマートフォンで既にメールを打っていた。しばらくすると京子のスマートフォンがブルブルと震えた。手に取って画面を見た京子の顔に微笑みが浮かんだ。
廣樹は横に座る京子を見ると不思議そうに訊いた。
「……どうしたの?」
京子はスマートフォンを廣樹に手渡し、受け取った廣樹は画面を見た。
「――そっか、良かったな! これで京子にも一つ貸しだからな! 廣樹の事よろしく頼むよ。おめでとう、廣樹と付き合えて良かったな。追伸:俺が遊びに行ったらさっき言った約束ちゃんと守れよ、絶対だからな!」
スマートフォンのメールの画面には純也の名前と一緒にそう表示されていた。
「さっきの約束? お前達どんな約束したんだよ?」
「ん? もし、廣樹と付き合えたら……今度は純也が部屋に遊びに来ても、邪険にしないって約束をしたの」
それを聞いて廣樹は思わず鼻で笑った。
「なんだそれ? 随分と子供っぽい約束だな?」
「それでも……私と純也にはお互いに大事な不可侵条約なの」
「……不可侵条約なんて大げさな」
「もし、純也に彼女が出来たとして……廣樹が遊びに行った時、その彼女に邪険にされたら嫌じゃない?」
「俺は……気にしないかな。純也の彼女に嫌われても、純也に嫌われた訳では無いしさ」
廣樹は火を点けない煙草を咥えると少し考えたような表情を浮かべていた。
「……気にしないんだ。廣樹って親友の彼女のことは気にしないんだね」
「ああ、気にしないね。いくら親友とはいえ、彼女の好みは俺とは違うかもしれないしさ。俺は煙草吸う女でも気にしないけれど……純也は駄目だろうし、俺はお嬢様苦手だけど、純也は好きそうだしな。恋人の基準なんて人それぞれだよ」
廣樹は咥えていた煙草に火を点けるとゆっくりと吹かすように吸った。
「……そっか。純也は私に気を使ってくれたけど、気を使わない廣樹みたいな男もいるってことか」
「……その言い方……なんかトゲがあるな。別に俺が全く気を使わないって訳ではないんだぞ? 彼女に邪険にされても、別に気にしないって言ってるだけなんだからな?」
廣樹は不満げに京子の顔を見るとそう伝えた。ふと、窓の外を見ると時間が遅いせいもあり、ネオンが一層闇に冴えて光輝いていた。おもむろに立ち上がると窓に向かって歩き出す。窓の横の紐を引くとプラスチックが擦れる音と共にブラインドが一気に下がった。
「廣樹、そろそろ寝る? じゃあ、歯を磨いて来ようかな」
京子は鞄からコンビニで買った歯ブラシを取り出すと立ち上がり、洗面所へ向かい歩き出した。
廣樹は京子と入れ替わるようにソファーに腰かけると灰皿に灰を落とした。リモコンでテレビのスイッチを入れると通販番組が映ったが興味が無いらしく、ポチポチとチャンネルを変えたが興味を引く番組が無く、すぐに消した。扉が閉じられた洗面所を見た後、俯くと小さなため息をついた。
「……こんな簡単に寄りを戻して良かったのかな」
空になった煙草の箱をゴミ箱に捨てると、ゴミ箱に捨てられたラッキーストライクの空き箱が目についた。諒が吸う煙草の銘柄だった。
「……京子と寄りを戻したって言ったら、諒は俺になんて言うだろう? きっと……」
ゆっくりと洗面所のドアが開き京子が出てきた。戻りながら廣樹に声をかけてきた。
「……なんか、心ここにあらずって顔だね? 他の女の事でも考えてたのかな?」
その言葉に驚いて廣樹は京子の顔を見た。女の直感とはこういう時に本当に当たるものだと思った。
「大丈夫だよ。きっと諒ならわかってくれるよ」
「……俺、声に出してた?」
「はっ? 私を誰だと思ってるの?」
「……京子ちゃん?」自信無さげに呟いた。
「私はね、廣樹の事をいつも知ろうとしてるから、廣樹の顔を見れば何を考えてるかなんて直ぐにわかるんだよ」
そう言うとゆっくりと横に腰かけた。
「……そっか。俺って顔に出るタイプなんだな」笑いながら京子に話かけた。
「そうだね。廣樹は子供みたいにわかりやすいよ。さ、寝ようよ」
二人はベッドに入ると微妙な距離をとって寝た。二人はしばらくの間に無言の時間が続いたが、先に口を開いたのは京子だった。背中を向けて寝る廣樹に話かけた。
「……廣樹? 起きてる?」
「……ああ、起きてるよ」背を向けたまま答えた。
「廣樹、寝むれないの?」
「……なんか、少し緊張しちゃってさ」
「……そっか」
仰向けになると、薄暗い天井を見ながら京子が言った。
廣樹も仰向けになると、同じく天井を見ながら口をゆっくりと開いた。
「……うん。なんか……初めて京子とホテル泊まった時にみたいに緊張してる」
京子と初めてホテルに泊まった時、緊張のあまり真面に京子を見れなかった。クスッと横で笑う京子の声が耳元に聞こえた。
「なにそれ? 初めての時にみたいに緊張してるの?」
「……悪いかよ? 俺だって――」
廣樹が全てを言う前に京子が起き上がり唇を塞いだ。
「本当に廣樹は変わらないね? あの時もそうだった。私がキスするまで私に触れもしなかった」
廣樹の鼓動が自分でもわかる程に速くなり、ずっと忘れていた感情が鮮明に蘇った。
「……私、また廣樹に恋してる。もうこのときめく気持ちはきっと隠せない。やっとまた廣樹の横に戻ってこれたんだ。この気持ちはもう冷めないと思う」
廣樹は起き上がり、トランクスを穿くと京子に話しかけた。
「……なんか飲む? 冷たい水でも持ってこようか?」
「……ううん。大丈夫だよ、ありがとう」
京子はタオルケットに包まれたまま答えた。
廣樹は立ち上がり、優しい表情で京子の頭を軽く撫でるとリビングに向かい歩き出した。冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出し、リビングのソファーに座った。煙草を手に取ると火をつけ、一口吸って灰皿に置いた。メンソールの刺激が心地良く身体に残る。テーブルに置かれたミネラルウォーターを見つめていた。
「どう? 身体を重ねた後の一服は美味しい?」
気づくと京子がバスローブを羽織ったまま寝室の入り口に立っていた。
「……ああ、すごく美味しいよ。長い間……忘れていた味がする」
廣樹はミネラルウォーターで渇きを潤しながら、京子をぼんやりと見ていた。最後に京子と身体を重ねたのは、もう何年も前だから記憶も定かでは無かったが、身体が覚えた感覚は全く変わっていなかった。もう二度と二人が恋人同士に戻る事は無いと心で思っていた。自分が想う京子への愛情なんて、本当は些細なモノの積み重ねで成立しているのではないか? また必ず京子を傷つける結果になるのではないか? あの時交わした会話は、あの時交わしたキスは、あの時交わった二人は、恋に溺れていただけではなかったのか? つい数時間前までそんな事を思っていた。そんな気持ちは京子と再び身体を重ね柔らかい感触を感じると跡形も無く消え去った。
京子は廣樹の横に腰かけると、飲みかけのミネラルウォーターに手を伸ばし飲み干した。
「美味しい。沢山汗かいたからかな? まだ廣樹の温もりが身体に残ってる」寄りかかると瞳を閉じて呟いた。
廣樹は灰皿に置かれた煙草の灰を指でトントンして落とすと咥えて深く吸い込み紫煙を天井に吹き付けた。
「……エロい言い方するなよ」
「……だって、えっちぃこと沢山したじゃん」
空っぽのペットボトルを両手に持ったまま廣樹を軽く睨みつけるといった。
「そりゃあ……そうだけどさ」
再び深く煙草を吸うと肺にメンソールの心地良い刺激が染み渡った。諒と身体を重ねても、他の誰と身体を重ねても感じなかった懐かしい感触だった。ふと、自分にとってやっぱり京子は特別なのかな? そんな事を思った。
「……やっぱり、京子は俺にとって特別なのかもしれない」
まるで独り言みたいに呟いた。
「……特別って?」
「この身体を重ねた後に美味しく感じる煙草の味ってさ、京子だけなんだよな」
京子は微笑みながら廣樹を見ると聞いた。
「童貞捨てた時も感じなかったの?」
「……だって、俺は京子が初めてだったから」
京子は軽く睨みつけると廣樹の頬を引っ張りながらいった。
「嘘つきっ!」
「――イテテ、嘘じゃないってば」
「違う! 私と初めてエッチした時に経験あるって言ったじゃん!」
「えっ? えっと……それは、ほら? なんか童貞って言うが恥ずかしい年頃ってヤツだよ」
廣樹は笑いながら誤魔化すようにいった。
「……あのさ、十七歳で童貞が恥ずかしいっていくつなら恥ずかしくないワケ?」
京子は目を細めて訊いてきた。
「歳っていうよりは……彼女に童貞だったと思われる事が恥ずかしいんだよ」
「あっそ、処女のコとヤってそういう事を言うんだ。酷いなぁ……私はあの時、廣樹に童貞じゃないって言われて自分以外の女の子が廣樹と先にエッチしてるって思ってすごく傷ついたのに」
「……ごめんなさい」
京子はクスッと笑うと首を軽く振った。
「いいよ、もう時効だもん。そっか、私が初めてだったんだ。……なんか、嬉しいね。私は全て廣樹が初めてだからなんか嬉しい」
「……そう、ありがとな。……二人目ってどんな男だった?」
京子をチラリと見ながら訊いた。答えを訊きたい探求心から鼓動が速くなっていくのがわかった。
「ん? 気になる?」
「……まぁ、普通は……気になるよね」
本当は知りたいのか、知りたくないのか、廣樹本人にもよくわからなかった。もしかしたら、本当は知らない方が幸せなのかもしれないが、京子の経験を知りたい衝動が今は勝っていた。男は女の経験を知りたがり、女は男の経験を知りたがらない。それは男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる心理に似たモノだろう。
「……廣樹だけだよ。私は廣樹以外と寝たこと無いもん。みんな廣樹が初めてだよ。どう? 嬉しい?」
「……ちょっと嬉しいかも」
「ちょっと? ちょっとだけなの!」
テーブルに置かれた煙草の箱を手に取ると、ゆっくりと火をつけて一服した。
「嬉しい! すごく嬉しいよ! 京子が俺しか知らない事が嬉しいです。これで満足か?」
廣樹は紫煙を吐き出すと京子の方を見て大きな声で叫んだ。
「うん! 満足だよ。でも……本当は初めてエッチした時に言って欲しかったな」
廣樹は視線を逸らし煙草を吸って黙っていた。男のチンケなプライドって本当にくだらないモノだとしみじみと感じていた。昔の自分がとても小さな男に思えてきて思わず笑ってしまった。
「ん? どうしたの? 急にクスッて笑い出したりしてさ」
「いや、男のチンケなプライドって本当にくだらないなって思ってさ、童貞が恥ずかしくて処女の彼女に見栄で嘘ついてさ、それで彼女に嫌な思いさせてるんだから。今になって思うとさ、俺って器の小さな男だったなって思っただけだよ」
「……廣樹はどうなのよ? 何人くらい経験あるの? 私と諒で二人でしょ? 他に何人くらいと経験あるの?」
「気にな――」
京子が無言で廣樹を睨みつけた。目を見ただけで怒りが伝わってきた。目は口ほどにモノを言うとはよく言ったものだ。
「……気になりますよね? そうですよね……気になりますよね」
廣樹は指を見るとイチ、ニ、サンと指を折っていったが、見ていると楽に十人は超えそうだった。
「そんなにいるの! いったい何人の女と寝たのよ!」
廣樹は京子を見ると微笑んだ。
「嘘だよ。五人だけだよ、一番は京子だよ。回数だけで言うなら京子が八割くらいかな」
「……バカ、そんな情報……要らないわよ」
京子は小声で照れながら嬉しそうに俯いていた。
「……もう一回……する? 廣樹がしたいなら……良いよ」
廣樹はそれを聞いて笑いながら京子の頭を撫でた。




