第十一話:IF
自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。
「まだ廣樹の中に私がどれだけ居るのか試してみたいの」
それを聞いた廣樹は大きなため息をついた。そんな事を出来る訳がない。別に都会に何か未練があったり、住まないといけない理由がある訳ではない。だが、今の生活を捨てて仙台に戻ってどうするというんだ。
「今、言い訳考えてたでしょ? 別に廣樹は少年のままで良いんだよ。ダメな理由を考えたり、変に大人ぶったりしないで、自分が思ったように生きる……自由な廣樹で良いだよ。そうじゃないと……私が廣樹と別れた意味が無いじゃん。私の夢の為に悩む廣樹を見ているのが辛いから、私はあの時に身を引いたんだよ」
「……アハハ。言い訳考えてた」
まるで京子に自分が考えていたことを、見透かされたみたいで思わず笑ってしまった。
「……なんてね。この街には廣樹を必要とする人がいるから、そんなワガママ言わないよ。でも、あの時の約束は今……聞かせて欲しい」
真っすぐな視線で廣樹を見る京子は、言い訳なんて通用しない真面目な表情をしていた。
「……約束? 二十七歳になって、お互いに恋人がいなかったら結婚するって話のこと?」
「違う! あの時に私に言えなかった廣樹の夢の話だよ!」
京子は口を尖らせると、廣樹の胸を人差し指で突いた。
「……あぁ、その話ね。俺の亡くなった爺さんがさ、俺の子供の顔を死ぬ前に見たかったって言ってたんだよ。でも、その時は京子と結婚してなかったじゃん?」
「今もしてないでしょ?」
「……最後まで聞けよ。そんなこと言うなら、もう言わないぞ」
不服そうな廣樹を見ると、京子は指で自分の口元をチャックしたようなジェスチャーをして見せた。
「ったく、あの頃の俺には……京子に白バイを降りて……俺と結婚して、子供を作ってくれって言えなかったから。俺に良くしてくれて、色々教えてくれた爺さんに曾孫の顔を見せるのが俺の夢だったからさ」
「……そっか、あの時の子が生まれていたら……夢……叶っていたんだね」
そう言うと京子は自分の臍の辺りを優しく擦った。
「……あぁ、そうかもしれないな」
廣樹は煙草を深く吸って吐き出すとソファーに深く腰かけた。
京子は何度か頷きながら、まるで何かを考えているような表情で廣樹を横で見ていたが、思いついたように廣樹の肩を軽く叩いた。
「ねぇ廣樹? あのさ、この際だから……変な事を訊いても良い?」
「ん? どうした?」
「……もし、私達の間に……子供が生まれていたら……なんて名前にしたと思う?」
京子は廣樹の顔をチラリと見た。
「って、いきなり聞かれてもわからないか……ごめんね、なんか変な事を訊いちゃってさ」
「……名前? 男の子限定ならキョウイチだよ。京子の京に、一番の一で京一。京子みたいな強い意志を持って、京つまり首都で一番の伝説になるような男になって欲しいから」
「――マジで! 男だったら名前決まっての? ふーん、京一か……京一ねぇ。京介とかじゃ駄目なの?」
「その名前だけは……死んでも付けない」廣樹は恨みすらも感じられる強い口調でいった。
「ふーん……そうなんだ。でも、廣樹って氷室とか好きじゃん」
「……ベ、別になんだって良いだろ!」
ふて腐れた態度で短くなった煙草を吸うと灰皿に押し付けた。新しい煙草に火をつけて咥えると京子が顔を覗き込むようにして訊いてきた。
「……もしかして、元カノの彼氏の名前とか?」
その言葉を聞いた廣樹は凄い勢いで咳き込んだ。
「え? 何、まさか図星なの!」
呼吸を整えると、廣樹は視線を逸らし、京子を見ないでいった。
「ち、違うよ。京子が俺と付き合う前に少しだけつるんでいたカスみたいなヤンキーの名前だよ」
「あ、そういう事ね。てっきり、廣樹の元カノとか、私と付き合ってる時に浮気した相手の彼氏の名前かと思った」
それを聞いた廣樹は驚きのあまり、まるでフ時間が止まった様に京子の顔を見たままで目を見開いたまま固まった。
「そんな驚いた顔しないでよ。例え話で言っただけじゃない」
女の直感恐るべし。煙草をゆっくりと吸いながらそんな事を考えていた。高校時代の香菜の事がバレていたのかと思い、内心穏やかではなかった。
京子は珈琲の入ったグラスを両手で持ちながら、まるで独り言のように口を開いた。
「……人生ってなかなか上手くいかないね? ……私があの時、一人で悩まないで廣樹に妊娠した事を伝えていたら……あの子は流産しないで元気に生まれてきていたかもしれない……そしたら、廣樹もお爺さんに子供の顔を見せられたから……廣樹は夢が叶ったんだもん。すれ違いが産んだ皮肉ってヤツかな」
「……そうだな。そうかもしれない……な」
廣樹は窓から果てのわからない夜景を見ながら呟いた。
「……ごめんね。あの時……廣樹の赤ちゃん産んであげられなくて」
「気にするなよ。元を辿れば結婚しなかった俺が悪いんだよ。……もし、謝るなら……俺が爺さんに謝るべきだよ。あんなによくしてくれた爺さんに……俺の子供の顔を見せられなかったのは……京子との気持ちいい距離感に甘えた俺のせいなんだから」
そう言って廣樹は天井を見上げると笑顔をした祖父の顔が浮かんだ。
「京子……あのさ、あの頃に乗っていたスカイラインってさ、あれ爺さんが買ってくれたんだ。廣樹は車が好きだし、彼女と遠距離だから、いつでも会いに行けるようにワシが欲しい車買ってやるって言ってさ、ガキの免許取ったばかりの俺に、何も言わないで中古なのに三百万もするR32買ってくれたんだ。でさ、笑えるのが親父が甘やかし過ぎだって爺さんに文句言ったんだよ。そしたら、お前なんて彼女が出来ないからって、S30Zを新車で買わせただろ? 忘れたとは言わせんぞ! だってさ……笑えるだろ?」
「アハハ、やっぱり親子だね」
「はっ? 俺は親父と違って爺さんにちゃんと三百万円を返したぜ。……まぁ、時間は掛かったけどさ」
「……廣樹は律儀だね。そういう所……私は好きだよ」少し照れながら廣樹にいった。
「ありがとう。さてと、時間も時間だし……ピザでも注文して酒でも飲むか?」
「……うん。あのさ、ピザを注文したら、私ちょっと買い忘れた物あるからコンビニ行ってくるね? ついでに煙草とか買ってこようか?」
「あぁ、サンキュー。じゃあ二個くらい頼むよ」
そう言うと廣樹はキッチンに貼られたピザのチラシを取りに立ち上がった。チラシを持って戻ると、テーブルに広げてどのピザにするのかを京子に訊いた。
「あ、私はこれにする。廣樹はどれにするの? どうせお互いにシェアするんでしょ?」
京子が期間限定のメニューを指さしながら訊いた。
「そうだな。お互いにシェアした方が色々食べられるからな……。じゃあ……俺もクワトロ系にしようかな」
そう言いながらメニューを一通り見ると、人気ナンバーワンと書かれた定番メニューに決めた。
「廣樹が好きそうなトッピングだったから……きっとそれにすると思った」
京子はそんな何気ない会話をしながら、いくら言葉で打ち明けても、自分の廣樹に対する想いはきっと半分も伝わらないだろうな、と思った。
「どうしたの? なんか、優しい顔になってるけど……ピザそんなに好きだっけ?」
京子はゆっくりと首を振ると、一段と柔らかい口調でいった。
「……ピザじゃない。廣樹と過ごす、この何気ない時間が好きなの」
よく人は好きな人を見て優しい気持ちになると言うが、今の二人が感じた感情がそれにあたるのだろう。廣樹は言葉にならない、この照れくさい感情をなんとか伝えようと頭の中で必死に考えた。
「じゃあ……私、コンビニに行くね。ピザ注文しておいてね」
表現しがたい廣樹の顔を見た京子は、このままあと少しの時間過ごしたならば、この胸の高鳴りはもう自分では抑えられなくなると思った。例え、それが親友との間に修復の効かない亀裂を入れることになったとしても、きっと今の自分なら後悔はしないだろうとも思った。
廣樹が鞄を持って部屋を出ようとする京子を呼び止めた。
「これ、煙草代」
廣樹はマネークリップから千円札を一枚抜き取ると差し出した。
「本当……廣樹は律儀だね」
そう言って笑顔で受け取ると部屋を後にした。
廣樹は独りきりになった静かな部屋で何を考えるでもなく、テーブルに置かれたマールボロの箱を手にとると一本抜きとった。口に咥え火をつけるとゆっくりと吸い、手に持った煙草を見つめていた。紫煙を燻らせた煙草は先っぽが微かに点滅するように燃えていた。微かに濡れた灰皿に灰を落とすと心地良い音をたて……消えた。
「何処かに……自分でも気づかない未練があったのかな……京子といるとまるで純也達とバカをやってた高校時代に戻ったみたいでなんだか……楽しいやアハハ」
そんな独り言を呟いていると、ピーンポーンと数回ドアフォンが鳴った。
「あれ……京子のヤツ、何か忘れものか?」
廣樹は立ち上がると、ドアフォンの液晶を確認もせずに玄関へと向かった。
「――よっ! 暇だったから……廣樹くんと酒でも飲もうと遊びに来ちゃいました!」
玄関を開けるなり、純也が満面の笑顔で話しかけてきた。手には酒とツマミらしきモノがぎっしりと詰まった袋を持っていた。
「いや……遊びに来たって」
「何言ってんだよ? 俺とお前の仲だろ。あ、もしかして諒が居るの?」
「いや、諒は居ないけどさ。でも……」
廣樹が話し終わる前に純也が言葉を遮った。
「じゃあ――お邪魔します」
純也はそういうと廣樹をすり抜けるように足早に部屋へとあがりこんだ。
「……純也……ま、いっか、京子もよく知る仲だし、今夜はプチ同窓会を楽しむか」振り返ると純也を見ながら呟いた。
これでピザを追加注文することが決まった。
「純也、ピザを頼むけど……何が良い?」
「ああ、任せるから適当に決めてくれ」
「――でさ、俺から金借りて……」
純也はビールを片手にピザを摘み、楽しそうに仕事の笑い話を語っていた。
「――ただいま」
玄関から京子の明るい声が響いた瞬間、玄関を見た純也が勢いよくビールを吹き出した。
「ちょっと、汚い! って、いうか、なんでアンタがココにいるのよ!」
純也を指さすと強い口調で言い放った。意外な来訪者に驚きを隠せない様子だったが、徐々に変わっていく吊り上がった目つきと表情から、純也に対する怒りが自然と伝わってくる。
「あ、お邪魔してます……ああ、京子さんが居たんですか」純也は下手に出て京子に会釈した。
「で、純也はそろそろ帰るんでしょ? 私達はこれから二人でご飯だし」
京子はまるで、違反者に向けるような笑顔の仮面を貼り付けて純也にいった。
「お、俺がいたら――いけないのかよ!」
「はっ? そんなの駄目に決まってるでしょ……アンタ付き合いが長いんだからそれくらいのこと察しなさいよ」
「――なっ! 俺が親友の部屋にいることの何処が可笑しいんだよ。京子こそ、なんで廣樹の部屋に来てるんだよ。おまえが廣樹と同棲してる間……俺がどれだけ門前払い喰らって枕濡らしたと思ってるんだよ!」
「……そうなんだ。だから、急に遊びに来なくなったんだな」廣樹は純也を見ると呟いた。
「そうだよ? 俺が廣樹が帰るまで待ってると言えば、今から風呂入るからとか、着替えるからと言って追い返すし、外で待ってると言えば、警察を呼ぶとか言うしさ……酷いだろ?」
純也は積年の愚痴を廣樹にぶつけていた。純也にとって廣樹は仕事の愚痴や話を損得感情無しで包み隠さず何でも話せる大切な親友だった。ここまで頑張れたのは廣樹がいたからと言っても、決して過言ではなかった。
「俺と廣樹には血より濃い絆があるんだよ。そこに今から入りますのウインカーも出さないで、ヤクザのベンツみたいに強引に割り込んで来やがって!」
「血よりも濃い? 血よりも濃い絆ですか……へぇ、すごい絆ですね……男同士でベタな」冷めた口調で純也にいった。
「純也がそう言うなら……私なんて、同棲してる時にお互いの血が混ざった廣樹の赤ちゃんを孕んだことあるけどね……まぁ、流産しちゃったけどさ」
純也が再び飲んでいるビールを吹き出した。
「――だから汚い! さっきからアンタねえ、ちゃんと自分で綺麗に掃除しなさいよ」
純也は切実な表情を浮かべながら廣樹を見て話しだした。
「廣樹……こんな鬼嫁貰ったら、俺……一生遊びに来れないじゃん」
「お、お、鬼嫁ですって! 純也いい加減にしなさいよ! ぶっ飛ばされたいの!」
「……別にさ、今日が最後って訳じゃあるまいし、昔みたいに三人で飯食べようよ」二人の間に入ると優しい口調で言った。
廣樹は二人には仲良くしてもらいたいが、普段はそこそこ仲が良くても、お互いB型という事もあり、どうしてもこういう時に二人は激しくぶつかるのだ。
「……そうだな。大人げなかったな。今日は三人で朝まで昔話で盛り上がろうな」
純也はそう言うと、笑顔で京子に仲直りの握手を求めた。
「……うん。私も悪かったわよ。ごめん」
京子はどこか納得いかない様子だったが、軽く握手すると直ぐに手を離した。
それから三人は高校時代の話と仙台の話に華を咲かせた。同郷、そして同じ母校の元クラスメイトと言うだけあって、すぐに話は華が咲いた。
廣樹が煙草を吸おうと箱を開けると空になっていた。程よく酔っていて先程吸った煙草がラスト一本だと気づかなかったようだ。
「あれ……煙草切れちゃった。京子、頼んでた煙草ちょうだい」
「……あ、ごめん。買ってくるの忘れてた」
申し訳無さそうに謝ると、テーブルに置かれたマネークリップを持って廣樹が立ち上がった。
「いや、良いよ。ちょっとコンビニまで買いに行ってくるよ」
「あ、じゃあ……俺も切れそうだし、一緒に買いに行こうかな……どうする? 京子も来るか?」
純也も立ち上がろうとしたが、酔いのせいか少しよろよろと揺らいだ。
「――ったく、あぶねーな、ついでに買ってくるから休んでろよ」
廣樹はそう言うとそのまま部屋を後にした。
廣樹が部屋を後にすると何とも言えぬ静寂が続いた。
「ねぇ純也……廣樹を独占してごめんね。私ってさ、気が強いじゃん? でも、廣樹といると……いつも素直な自分でいられるから心地良いんだ。家族以上に甘えられる人って廣樹しかいないからさ……なんか独占したくなっちゃうんだよね」
「……うん。まぁな、俺もその気持ち何となくわかるわ。……実を言うとさ……俺も京子にヤキモチ妬いていたからさ。俺らは男同士だから、京子みたいに別れたとか、付き合ったとか、距離が変わる事は無いけれど、お互いを必要とする恋人や家族までの深い関係になれないし、男ってチンケなプライドあるから、いざって時に甘えられないしさ」
純也は煙草に火をつけると紫煙を吐いた。自分も廣樹みたいに誰かにこんなにも愛されたら変わるのだろうか? ふと、そんな事を思った。別に女が嫌いではないが、言い寄ってくる水商売の女にはイマイチ心を許せない。自分にこの道を教えてくれた、一人の女性だけが特別な存在だったがその人との恋は無いだろうと思っていた。
「……なんか、考え事してる顔だね? 純也はさ……私と諒ならどっちの肩を持つ?」
「は? そんなの……お前に決まってるだろ。何だかんだ言っても、俺は諒の事はよく知らないしさ。でも、お前等は二人は本当によく似てるよ。同じ男に惚れて、気が強くて、廣樹の胸に素直に飛び込めば良いのに変に意地っ張りでさ。そして……ツンデレだもん」
鼻で笑うと煙草を深く吸った。
「意地……張り……か……」
「そうだよ、廣樹はそこに居るんだから、素直に飛び込んじゃえば良いのによ。後の事なんて何も考えないで紐無しバンジーするくらいにピョーンってさ」
京子は何か考えているようだった。
「……そっか、ありがとう。実を言うと……私、純也の事……少し好きだったんだよね」
純也は酔い覚ましに飲んでいたミネラルウォーターを吹き出した。
「だから、汚い! 純也いい加減にしなさいよ。さっきから何回吹き出してるのよ」
「お前が変な事ばっかり次々に言うからだろ! 俺が折角、良い話すれば……す、好きってなんだよ! 好きって! お前には廣樹がいるだろ!」
「ウフフ、昔の話だよ。今は廣樹だけを好きだから安心して」
「へ? そ、そう、そっか……そうだよな? アハハ」
それを聞いてまるで胸を撫で下ろすようにホッとした表情になった。
「私が純也を好きだったのは、高校二年でクラスが一緒になったばかりの頃。傘を忘れた私に自分の傘差し出してさ、女が濡れたらシャツが透けるだろって言ってくれた時……ちょっと胸キュンしちゃったんだよね」
「……あ、アレね……うん、もう綺麗に忘れてくれよ」
再び煙草に火をつけるとあの日の事を思い出した。間違って持ってきてしまった他人の傘をちょうど雨で困っていた京子に押し付けた事実が記憶の奥底から蘇った。この事実だけは記憶の奥底に戻して墓場まで持って行こうと心に決めた。
「……照れてるの? 廣樹も知ってるから大丈夫だよ」
「なら安心だ……良かった」
「……ねぇ? 人ってさ、どうしてこんなにも誰かを好きになっちゃうんだろうね」
純也は煙草を深く吸うと天井を見ながら考えた。
「……俺もさ、ある人に教えられたんだ。諦めない、何度だって挑戦しよう、自分自身を信じようってさ、だから……金貸しになる夢だけは諦めなかったよ。俺の場合は恋じゃないから……ちょっと違うかもしれないけど、そういう特別な感情が誰かを好きになるってことじゃないか」
「……へぇ、純也がねぇ……。ねえ? その人ってどんな人だったの?」
「いつか、気が向いたら話してやるよ」
「そっか……じゃあ楽しみにしてる。純也ありがとう、なんだか凄くスッキリした」
「……俺……やっぱり今日は帰るわ。なんか、京子の話を聞いたら、このまま廣樹と京子が付き合ってくれた方が俺も気が楽だしさ。十年前は京子と廣樹が付き合うきっかけを作って廣樹に恩を売ったし、今日は京子に恩を売れそうだしな」
「……純也……ありがとう」少し照れながら純也を見てお礼をいった。
「廣樹を束縛したいって思っても……アイツの翼はへし折るなよ? あいつは自分が懐いた人間からは離れたりしないんだからさ。廣樹が帰ってきたらさ、俺は急に明日の大事な用事を思い出したから急いで帰ったって伝えておいてくれよ」
そういって立ち上がり、玄関へと向かう純也を京子は改まった声で呼び止めた。
「純也……次からは遊びに来ても追い返さないから」
それを聞いて純也はクスっと背中で笑い立ち止まると、振り返らずにゆっくりと手を上げ数回だけ振り玄関に向かい歩き出した。
それから十分程度した頃、廣樹は部屋に戻ってきた。
京子が純也の件を伝えると最初は残念がったが最後は笑いながらいった。
「まぁ、あれで純也も忙しいからな。京子と仲直り出来たみたいだし、今日の二人はそれで良いんじゃない?」
「うん。……そうだね。純也と仲直り出来たし、それで良しとしておく」
それから二人は純也の話で盛り上がった。
その頃、純也はバーで飲んでいた。マスターの藤田と愛花に気分よく先程の話をしていた。バーに客は一人もおらず、三人で固まって話していた。
「こんな日に、純也くんが一人で来るなんて珍しいと思ったら……ええ事したんやな」
藤田は煙草に火をつけると笑顔で紫煙を吹き出しながらいった。
「そうっすか? 別にそんなつもりは無かったんだけどな……」
「ま、ええやないか、廣樹と京子ちゃんのキューピット再びやで」
純也は微笑むと紫煙を飲みかけのグラスに吹きかけた。
「……なんや、愛花ちゃんは廣樹に彼女が出来て面白うないんか」
「――違います! ……廣樹さんには諒さんがいるのに……よりによって元カノなんて……」
その言葉に純也が反応した。
「そっか、諒の事を知ってるんだ。……でも、俺は諒の事は応援出来ない……かな」
「諒? 誰やその娘……可愛いんか?」
二人は「あ、出た」まるでそんな顔をした。
「いや、廣樹の友達ですよ。その内ココにやけ酒しに来るんじゃないですか」
「――酷い! 純也さんでもそれは酷いです!」
「そう? ほら、俺って廣樹には自分にとって都合が良い女に付き合ってもらいたい……酷い男だからさ」
純也は煙草を手に持って笑いながら話した。愛花の顔を改めて見て口元に笑みを浮かべると話し出した。
「あ、諒と女の友情でも芽生えたかな?」
「――! なんで知ってるんですか?」
「アハハ、若いな……可愛いね愛花ちゃんは。諒は女受けするタイプだからさ」
「もうっ! 純也さんなんて嫌いです!」
「そっか、そっか、ごめんよ。可愛いからつい揶揄いたくなるんだよね」
「純也、うちにはアフターサービスなんて無いで」
「……藤田さん、それ親父ギャグですか? 愛花ちゃんをお持ち帰りなんてしたら……俺、もう気軽に飲みに来れないですよ」
「純也さん、アフターしても……いつもお酒奢ってタクシー代くれて終わりじゃないですか」
「――愛花ちゃん、何回もアフターしたことあるんかい!」
二人で盛り上がり、ビールを二本空けた頃、廣樹は欠伸をすると伸びをした。
「さて、そろそろ寝る準備をするかな。京子が先に風呂を使いなよ」
「欠伸してるじゃん、廣樹が先に入ったら? ……それとも……昔みたいに一緒に――」
「入りません! ったく、酒飲み過ぎなんじゃないか?」
廣樹は煙草に火をつけると一服した。京子にはそんな事を言ったが、不意に言われた一言に内心はドキっとしていた。
「はーい。じゃあ、先に入ってきます。……やっぱり、昔みたいに私と一緒に入りたかったら……来ても良いよ?」
揶揄うように言うと、立ち上がってバスルームに向かって歩き出した。振り返りニコリと笑顔を向けるとバスルームに消えていった。
「……なんか、調子狂うな」
灰皿に置かれた紫煙を燻くゆらせる煙草を見ながらぼそりといった。
しばらくすると京子がバスローブを羽織って戻ってきた。
「……京子、それって……」
まるで当たり前のようにバスローブを着ている京子に訊いた。
「ん? それって?」キョトンとした顔で廣樹に訊き返した。
「なんで当たり前みたいに……バスローブ着てるんだよ」
「だって、同棲してた頃と同じ場所に置いてあるから……使って良いのかなって……」
「……いや、そういう意味じゃなくてさ、なんでバスローブで戻って来るんだって意味で言ってるんだよ。お前さ、ちゃんと下着を着けてるんだろうな」
「エッチ! 見たいならガバってしようか?」揶揄う様にいった。
「……もう、いいよ。俺も風呂入ってくる」
廣樹は立ち上がると足早にバスルームに向かった。バスルームに入ると洗濯機の上にバスタオルが畳んで置いてあった。
「……なんだか同棲していた頃を思い出すな。俺……京子にはあの頃から甘えていたんだな」
ふと、同棲していた短い期間をアルバムをめくるのように思い出した。
廣樹が部屋でTシャツとハーフパンツに着替えて戻ってくると、京子はバスローブを着たままだった。
「まだ着てたのかよ……あ、着替えが無いなら俺のシャツとか貸すけど……」
「下着とかはさっきお泊り用の買ってきたから大丈夫だよ。なんだか、バスローブなんて普段はあんまり着ないから新鮮でさ」
汗っかきの廣樹は普段からたまに着ているが、よく考えればホテルにでも泊まらない限りは着ないなと思った。
「そっか、そうだよな。普通は着ないもんな。前に使っていた部屋はベッドとかそのままだし、パソコンも置いてあるから使って良いからな、今晩はそこで寝なよ」
「随分と用意が良いけど、誰かよく泊まる人でもいるの?」
「うん。純也とか陽平が泊まった時によく使ってるんだ」
「……私に他の男が寝たベッドで寝ろって言うんだ」廣樹を見ると不満そうにいった。
「……そういう言い方どうかと思うぞ? じゃあ、俺がその部屋で寝るから俺の部屋を使えよ」
廣樹は少し呆れ気味にいった。あの日は純也が泊まったままだから、諒には使わせなかったが、既に片づけは済んでいるので自分が客室で寝る事にした。
「……諒は泊まった日に何処で寝てるの?」
「いつも、そこの客室か……飲んだままそのソファで寝てるけど……」
「前回……泊まった日も?」
「……いや、あの日は……」
「あの日は?」
「……一緒に寝たけどさ」
しばらく無言が続いたが京子は先に口を開いた。
「じゃあ、私もそうする」
「――はっ? いやいや、別々に寝ようよ!」慌てて京子にいった。
こんな状況で寝たら間違いが起きても何ら変ではない。それにバスローブを着た京子と寝たら理性を保つ自信が廣樹には少しだけ無かった。
「ふーん、考えておく。もう寝るの? それともまだ起きてる?」
廣樹は壁の時計を見ると少し考えた様子で答えた。
「もう少しだけ……起きてようかな」
それから二人は冷えたサイダーを飲みながら何気ない日常会話に華を咲かせた。
「同棲した頃は、京子とよくこんな何でもないような話をしてたっけな。……白バイ警官になってバイクの楽しさを教える……か。……ん? 教える?」
そんな事を考えていたら、一つの考えが脳裏を過った。
「あのさ、京子。今、ふと思った事なんだけどさ……バイクの楽しさを教えるなら、別に白バイでなくて教習所の教官でも良かったんじゃないかなって」
まるで京子の顔色を窺うように覗き込んだ。
「駄目だよ。教習所の教官ってさ、意外と警察のOBが多いんだよ。自動車学校の校長って殆どが元警察官だし「道路交通に関する業務における管理的、又は監督的地位に三年以上あった者、その他自動車教習所の管理について必要な知識及び経験を有する者」って決まりがあるからさ。……教習指導員って簡単にはなれないんだよ?」
「へぇ、そうなんだ。それは知らなかったな」
俗に言う天下りってヤツかと廣樹は思ったが、よく考えたら教習所って交通ルールを教える場所なのだから、交通ルールのプロフェッショナルとなれば、自然と警察官が多いのも頷ける。
「付き合っていた頃の俺らって……普通なら有り得ないカップルだったな。走り屋の彼女が警察官でしかも交通機動隊員って……普通は水と油だもんな」
煙草を吹かしながら微笑を浮かべて京子を見た。
「廣樹が走り屋? ふーん、確かに車好きなのは認めるけれど、どっちかって言うとドライブ屋だよね? 交通ルールはそこそこ守るし、街中では飛ばさないしさ。私は走り屋って自己中で他人を巻き込む事を考えない、もっとワルな人間だと思う」
「走り屋ってさ、ようは世間からすれば暴走族の一種だろ。自らを暴走族と認めることを嫌って都合の良い走り屋を自称して言い逃れをしているだけじゃん。違法競走型暴走しているか、共同危険型暴走してるかって違いで、世間からすればどっちも暴走族だろ」
「まぁ、それはそうだけど……」
京子は廣樹の言い分が正しいと思いながらも、心の何処かで違う気がしていた。どちらも決して許される事ではないが、目立ちなくて爆音を轟かす暴走族と、自己満足で走りを追求する走り屋を同じようには思えなかった。
「でも……走り屋って本当に減ったよね……ヘルメット被って信号止まる暴走族は減ってないのにね。私達が十代の頃、暴走族といえば、ノーヘル、無免許、信号無視、交通妨害とやりたい放題だったのにね」
「そりゃあ、俺らの世代は気合が入った不良がやっていたんだもん。今のバイクが好きで目立ちたいだけの若者とは根本的に違うだろ。免許持って運転している分だけ、あの頃の奴らよりはマシなんじゃないの? でも、走り屋が減ったのは仕方ないよ。新車価格も上がったし、さらに、平成十二年排ガス規制で走り屋に人気があったスポーツカーが次々と生産中止になって、中古スポーツカーの値崩れに歯止めがかかったことで更に走り屋の衰退を加速させたんだから。走り屋が乗りたがるような車は金が掛かるし、スポーツカーは今では金持ちのステータスみたいなモノだしさ。普段使う車持ってて、他にスポーツカー維持するなんて金無いと出来ないでしょ? 若者が欲しがる最新の携帯電話だって、走り屋のタイヤ代程度の金額にしかならないんだからさ」
「……そっか、そうだよね。私のFDだって未だに良い値段するもんね」
昔、廣樹が買ってくれたRXー7。廣樹は好きに売っても良いと言ってくれたが未だに売ってない。バイクほどではないが、人馬一体を感じられる良い車だ。知らない事が幸せというのもあるのかもしれない。美味しい寿司を知らなければ、安い回転寿司で満足が出来る。良い靴を知らなければ、靴なんて何でも良いと思える。走る楽しさを知らなければ、大衆車でも充分に満足出来るだろう。もしかしたら、移動をするだけなら満員電車やバスで満足出来るかもしれない。人は一度、贅沢を知ると中々戻れないように、一度走る楽しさを知ると中々止められない。
「まぁ、車は乗れるヤツが乗っていれば良いんじゃないの? 車離れって言うけどさ、時代の流れもあるけど……突き詰めたら貧富が原因だろ。金が無いから車を買えない、維持ができない。金があるから出来る。ただ、それだけの簡単な事だろ?」
「……なんか、毒吐くね」廣樹を見るとポソリといった。
「俺さ、今の世間の流れって好きじゃないんだよね。良いモノ持つにも、快適に過ごすにも金は要るのに、それを認めようとしない。携帯だって俺らの頃に比べたらスーパープライスだろ? たった一万でこれだけの機能とサービスが受けられるのに値段が高いと言う。なんでもかんでも安く提供しろなんて、まるで社会のクレーマーみたいに思えてくるんだよ」
それから廣樹はしばらくの間、今の社会について語っていた。京子は常に上を目指す廣樹にとって今の社会が面白くないのは理解できた。そう言えば、前に廣樹と純也と三人で食事をした時に純也が言っていた。貧乏人ほど楽な金ズルはいない。金が無いヤツほど、金に執着して投資してくれると……京子は廣樹を見ると深いため息をついた。
「はぁ、廣樹の話はタメになるし、嫌いじゃない。だけど、せっかく二人でいるんだから……もっと他の話をしようよ」
「――あ、ごめんごめん、つい、熱くなって熱弁しちゃったな」
廣樹は京子に言われて我に返った。つい、熱くなると熱弁してしまう。自分でも解っている悪い癖だ。謝ろうと京子を見ると、今まで気づかなかった首元のチェーンに気づいた。
「……京子、その首元のチェーンって何?」
「ん? コレの事?」
京子は首元のチェーンを引き上げた。ヘッドの代わりに見覚えのある指輪がぶら下がっていた。
「……あ、まだ持っていたんだ」
京子と別れた日、京子はその指輪を廣樹に返そうとした。それは廣樹が昔プレゼントしたものだった。誕生日に何が欲しいと訊いた時「そうね、誕生日プレゼントなら指輪かな」そう言われて高校の時にプレゼントしたシルバーのリング。
「……うん。廣樹は返すくらいなら捨ててくれと言ったけど、お守り代わりにずっと着けてたんだ。私が生まれて異性から初めて貰った指輪だったから」照れて俯くと小声でいった。
高校時代によくデートした仙台の街で廣樹が買ってくれた。高校時代の三万円は大金だった。廣樹はどうせプレゼントするならと、水色の箱に入った有名なシルバーリングをプレゼントしてくれたのだ。
「……そっか」
そう呟くと煙草に火をつけて吸い込み、勢いよく吐くと口を開いた。
「京子、今でもその指輪ってつけられるの?」
「……試してみたら?」
そういうと首からチェーンを外して解くと、指輪を廣樹に手渡した。
受け取った廣樹はしばらく指輪を見つめていたが、京子の指に順番にはめようとした。
「――入るわけ無いでしょ! なんで親指から嵌めるのよ」
「やっぱり? でも、お決まりだろ?」
そういうと左手の薬指にはめてみた。少しきつかったがぴったりとはまった。
「高校の授業をサボって二人で見に行った映画館で……もしも、京子が描く未来……隣に俺がいるならば……その時はプラチナのリング……プレゼントさせてくれないかな……って言ったんだよな」懐かしそうな口調で独り言の様に呟いた。
「……廣樹、私は隣にいるよ」
廣樹はテーブルに置かれたライターを手に取り、握りしめると目を閉じ考えるように俯いた。
「フィール・ザ・ファイア……俺には心に火をを灯してくれる、京子が必要なのかもな」
心でそう囁き思った。初めて京子に出会った時、こんな彼女がいたら楽しいだろうなと思った。京子と付き合い始めた頃は、自分と違って強いから何があっても大丈夫だと思っていた。でも、しばらく付き合うと本当の京子は寂しがり屋で、いつも強がっていただけなんだと思った。生まれて初めて誰かを守りたいと心から思った。愛しい人を守れる、そんな強い男になろうと誓った。
「京子、ちょっとだけ……弱音を吐いても良い……かな?」
京子は黙ってゆっくりと頷いた。
「俺さ、大学辞めて仙台に戻る時……本当は……京子についてきて欲しかったんだ。だけど、親父の借金を背負う以上は絶対に苦労をかけるのは間違いなかった。そんな苦労をするのは自分だけで良い……そう思って強がっちゃったんだ」
廣樹は自分を鼻で笑ったが、京子は真剣な眼差しで廣樹を見つめていた。
「それから借金を返す為に本当に我武者羅に働いた。借金が終わった時さ、京子に言われた「またね」って言葉を思い出してさ、まるで忘れ物を取りに行くみたいに東京駅に行ったんだ。本当は京子に会いたかったけど「今更……会っても仕方ないよな」って思ってさ、折角だしって純也に電話したら、少し話したらすぐに自覚した……俺は強がっていたなって。東京に戻った頃の京子を幸せに出来るのは自分じゃない。きっと……他の誰かだって勝手に決めつけていた。これからは自分みたいな思いを周りの人がしないように……俺が大きく強くあろうと思ったんだ。……俺みたいな思いを周りの誰かにさせたくないからさ」
京子は廣樹を優しく抱きしめると耳元で優しく囁いた。
「……廣樹、よく頑張ったね」
京子の優しい言葉を聞いた廣樹は、気づくと数滴の涙を落としていた。
「もしも……こんなズルい自分を許せたら……素直になれるのかな? 一度、逃げたクセに京子と付き合うってなった時だって、嬉しい気持ちとズルい自分がずっと戦っていた。京子にFDをあげたのだって、京子を喜ばせられなかった奪われた時間を必死に埋めたくて……買ったようなモノだし。……未だにあの時の事を夢に見るんだ。あの時、京子について来て欲しいと伝えられたなら……こんな気持ちは、知らないままでいられたのかなって。それに今でもさ、たまに誰もいない部屋にいると、俺が知らない時間、京子は何を見ていたんだろう……この街で何を思っていたんだろう……って考えることがあるんだ。な? 俺ってさ、ズルい男だろ? 軽蔑したか」
京子は廣樹を抱きしめたまま、ゆっくりと首を左右に振った。
「ううん、そんなこと無いよ」
廣樹の頬を両手で抱えると、笑顔を浮かべて正面から目を見ていった。
「だから……昔から委員長はいつも自分で独り抱えず過ぎなんだよ。私も……純也もいるのに……いつだって恋人や仲間に頼らないんだから。いくら男だからっていつも強がらないでたまには甘えたって良いんだよ? 今度からは私に少しは頼りなよ。今まで廣樹がしてくれた分、利子付けて返してあげるからさ」
「……ありがとう……な」
廣樹はゆっくりと心の籠った言葉でいった。
「……それにさ、確信は無いけど……きっと純也なら、当時でも力になってくれたと思うよ?」
「あ、それは無理。俺のチンケなプライドあるから絶対に無理だったと思う」
「――はぁ」京子は深いため息をついた。
「――もうっ! 二人とも本当に似てるんだから」
「……俺らが似てる?」
そう訊くと、京子は笑顔を浮かべてウンウンと頷いた。
「うん、廣樹達は本当に似てるよ。本当に良いコンビ」
読んでくれている方ありがとうございます。自分でも読み返してちょくちょく誤字脱字内容直します。




