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第八話:天秤

諒と廣樹が公園を出る所から始まります。 

 公園から出た私達はタクシーを拾う為に大通りに向かい歩き出した。夜とは本来、月がなければ本当の真っ暗闇なのだが、都会は街灯やネオンが灯って飾り付けるので、路地さえも明るい。しかし、適度な暗さが都会の汚い部分を隠す為、昼間と違って街がこんなにも美しく見える。闇夜の都会独特のマジックだろう。夜の明るいシャッターが閉まった商店街を抜け、その先にある大通りへと向かい歩いていた。

「今更ながら、随分と遠くまで歩いて来てたんだな」廣樹はまるで独り言の様に呟いた。

 随分と遠くまで来たという言葉から、自分にバイクの楽しさを教えてくれた元カノ、京子の事を思い出していた。京子は廣樹の高校時代のガールフレンドで、今は諒の親友でもあった。懐かしさからまるでバイクのアクセルを吹かすように手を動かしてみた。あの初デートの日、京子と水族館に二人乗ニケツりしてバイクで行かなければ、自分はバイクの免許は取らなかっただろう。京子の運転するバイクの後ろに跨り感じた風は今も忘れない。廣樹が免許を取った夏に二人で初めてした遠出ツーリングが青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩龍浜にある、津軽半島の最北端竜飛岬だった。

「廣樹? さっきからまるでバイクのアクセル吹かすみたいな仕草したり、ニヤニヤしたり、どうしたの? 酔いが回ったなら……少し休もうか?」

 私は廣樹が少し心配になって訊いた。よく見ると足元も少しふらついている。

「ん? ああ……大丈夫だよ。ちょっと……昔を思い出しただけだからさ」

 私の心配そうな表情を見て、慌てて答えたようだった。

「昔の事? バイクみたい……ああっ! 京子のことでしょ? 隣に私がいるのに元カノを思い出すなんて! ……ホントに信じられない!」

 私は夢見がちな気分だったが、一気に怒りが込みあげた。

「なっ! 元カノって……別に高校時代を懐かしがったって構わないだろ?」珍しく焦った様子で言い返してきた。

「……プププっ、廣樹かわいい。まぁ、京子のことだから許してあげるか」

 自分と廣樹が今こうして歩いていることや、さっき公園で話した事を京子が知らないように、自分が知らない頃の廣樹と京子にも二人だけの思い出がある。だから、許してあげる事にした。

「その代わり、京子と廣樹が出会った頃の話をしてくれない?」

 廣樹は思い出すように話を始めた。

「俺と京子アイツと出会った頃の話? ううんと……高二の夏休み前だったかな? あ、違う。夏休みに入ってマックに行ったら、アイツが落ち込んでいたんだった。クラスでいつも勝気な京子が、珍しく考え込んでる様子だったから声をかけたんだった。あ、それから純也とは同じクラスで俺と席が近かったんだけど……」

 廣樹の言葉は酔っているからか、なんだか信憑性に欠ける話し方だった。

「いや……純也くんは要らないから」

 私は話が横道に反れない様に釘を刺した。廣樹と純也くんは大親友だけに、話がどれだけ脱線するか知れたものでは無いのではない。

「……そう? ……一応、純也が恋のキューピットなんだけどなぁ」

 肩にぶら下がる私を見ると少し不満げに話した。

「はぁ! 純也くんが恋のキューピット? ……ウソでしょそれ」

 私は信じられず、思わず冷たい視線を送ってしまった。

「うわぁ! ヒデーの! あんないいヤツ中々いないんだけどっ! ……ってかさぁ、前から気になってはいたんだけどさ、なんで純也だけ扱い酷いの?」

 廣樹は純也くんに対する態度が前から気になっていたらしく、私に質問をぶつけてきた。

「だって、本人がタメ年だし、他人行儀はなんかくすぐったいから止めてくれって言うから……」本人に言われたことをそのままに伝えた。

「……そうですか。なんか……アイツらしくて納得しました」

 廣樹は妙に納得した様子だった。

「で、優しい学級委員長の俺は、マックで会った京子が当時付き合っていた年上の彼氏にヤラせろとしつこく言われていると悩んでいたわけ。なので話を付ける為、カラオケボックスにその馬鹿を呼び出して話を付けてあげたと。そのお礼に誘われた水族館でJに会って二人して肩を押されて京子と付き合ったという結末」

 酔いながら話す廣樹は、頷きながら満足げな表情でポケットから煙草を取り出すと、煙草に火をつけて紫煙を空に吹きかけた。

「……優しい学級委員長って誰よ? Jって誰よ? それに……話を端折はしょり過ぎだから」廣樹の方を見ると冷たい視線で話かけた。

「優しい学級委員長は俺。Jは純也。だって、京子と出会って付き合うまでの話をじっくりしたら、太陽が東から2回くらい昇っちゃうよ?」廣樹は少し真面目な顔で言った。

「……廣樹が学級委員長? どこにこんな不良委員長がいるのよ! 番長の間違いじゃないの? それに何もそこまで丁寧に話せとは言ってないし!」

 私は廣樹が学級委員長だったという話を、何度か聞いたことはあったが未だに信じてはいなかった。

「ココにいるじゃん」

 廣樹は自分を指さして言った。

「はいっ? 廣樹が学級委員長になれるって、どれだけヤンキー高なわけ?」

 私は廣樹のあまりに図々しい態度に思わず熱くなってしまった。

「一応、うちの高校って地元で東北の鈴蘭って言われてたんだけど」廣樹は真面目な顔で話した。

 某漫画に出てくる筋金入りのヤンキー高校鈴蘭。

「なっ!」

 私は思わず絶句した。だが、それを聞いて妙に納得してしまった。

「……もう良いよ。これ以上は聞くの止めておくよ」

 私も不良高校出身だったが、想像を絶するとんでもない武勇伝が出てきたり、京子のイメージが崩壊するような凄いスケ番だった話が出てきそうな気がして、正直聞くのが怖かった。そんな廣樹の昔話で盛り上がっている間に、私達二人は大通りまで歩いてきてしまった。深夜の大通りは、大型トラックや夜行バスが走っていた。時折、一般車が走るだけで閑散としたものだった。そんな中で運良くタクシーがすぐに捕まったのは奇跡としか言い様がなかった。

 行き先を告げてタクシーに乗った私達は「いちゃつきゃ踏つく」とはよく言ったもので狭い空間で密着して話していると、私の廣樹への気持ちが再びメラメラと燃え上がってきた。

「ねぇ廣樹? 私の事好きぃ?」横に座る廣樹に声をかけた。 

「いや、うーん。好きかな」

 酔いが醒めてきた廣樹は先ほどの公園とは違い、私との温度差が感じられた。

「廣樹、だーい好き!」

 逆に私は、今まで押さえていた気持ちを解放したように廣樹にベタベタしていた。鞄の中で携帯が鳴ったが間違い電話と決めつけて見もせずに無視した。


 廣樹のマンションに着いた私達は、エレベーターに乗って部屋に向かった。部屋に着くと、冷蔵庫からスミノフを取り出し飲み直そうとする私を尻目に、廣樹はすぐに汗を流したいとバスルームに向かってしまった。

「ずっと諒に隣で笑っていて欲しいんだ。だって! キャーどうしよう!」

 思い出すだけで嬉しくて、私は有頂天モード全開だった。


 廣樹がサッパリしたような表情で戻ってきた。

「まだ飲んでるのかよ? まぁ、最悪二日酔いになったとしても、お互い自営だから良いけどさ」

 廣樹は私の隣にゆっくりと腰を下して煙草に火をつけた。

「だって! 嬉しいんだもん! 廣樹と相思相愛になれるなんて嬉しいんだもん!」

 今度はさっきの廣樹とは逆に、私が出来上がってしまっていた。

「早くシャワー浴びてきなよ。俺のシャツとか貸してやるからさ」

 きっと廣樹は、私がそのまま酔って寝てしまう事を危惧したのだろう。早めにシャワーを浴びる事を勧めてきた。

「はーい。うんとキレイに洗ってくるからね」

 私はそう言うとバスルームに向かった。念入りに身体を洗い、シャワーを浴びているうちも、愛しさと嬉しさと心地好さが抑えられずにいた。いい感じに酔いも醒めて部屋に戻ると廣樹は少し暗い顔で煙草を吸っていた。

「どうしたの? ダーリン」

 私は廣樹の横に勢いよく座ると話しかけた。

「ううん。何でもないよ。少しぼーっとしてただけ」

 私は横に座る廣樹の頬にキスしてみた。

「廣樹を好きな気持ちが止まらない。……止める気無いけど」

 廣樹は私を横目で見ると立ち上がり、冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを二本持って戻ってきた。ソファーに腰かけ、フタを開けると一気に三分の一程を飲み干した。

「付き合って……キスが挨拶みたいになってさ、そのうちに逢う度に身体を重ねるようになる。二人の世界に入ると、いつしか大切に思っていた夢さえも……霞んでしまうことがある」

 そう言われて見た顔は、いつもの冷静な廣樹だった。

「……廣樹、何が言いたいの?」

 私は嫌な胸騒ぎがして怯えながら聞いた。

「諒、俺の夢は金持ちになって周りのヤツを幸せにする事だった。京子の夢は白バイ警官になる事だった。純也の夢は金貸しになって街の伝説になる事だ。陽平の夢は俺と車屋をやって好きな車に乗って楽しく生きる事だと言ってた。そして諒はブローカーになって好きな車を売って、その人に車の楽しさを知ってもらう事、買って良かったと思ってもらう事が夢だろう?」

「……うん。その通りだよ」

 私はまだ廣樹が言いたい事を理解できないでいた。

「俺は自分の夢はそこそこ叶ったと思う。純也にしたって、伝説とまではいかないでも……それなりに名前が通った金貸しになった訳だから大方叶った言っても良い。まぁ、陽平は夢半ばで頑張っているから良しとしよう」

「京子だって夢を叶えたじゃん! ちゃんと白バイ警官になったじゃない?」

 私は京子の事を言わない廣樹に語気を強めた。

「そうだな。確かに白バイ警官になったよな」

 廣樹は煙草に火を点けると深く吸い込んだ。

「……諒。俺がもし、今みたいに車じゃなく大型バイクで首都高の走り屋やるって言ったら……うん、良いじゃないって言うか?」

「……絶対に……言わない」

 私は廣樹が何を言いたいのか、だんだん理解してきた。そして京子と廣樹が別れた理由もなんとく想像できた。

「俺が自分のバイクに乗らないのは、京子と一緒にいない時には二度とバイクには乗らないって約束したからなんだよ。京子は職業柄、俺たち以上に悲惨なバイク事故も見ているし、同僚なかまの殉職も経験してる。車でデートしてる時にバイクの事故現場を通過してさ、アイツ、俺にこう言ったんだよ。バイクの楽しさを教えた私が言えた事じゃないんだけど……出来たら、廣樹にはもう一人で乗って欲しくないな。そして……もし……私が殉職しても相手とか自分を責めないで欲しい。そして私を許して欲しいってさ。俺さ、当時は京子となら本気でいつか結婚しても良いかなぁと思ってたんだ。アイツさ、泣きながら俺が望むなら警官辞めるし、バイクにも一生乗らないって言ってくれたんだぜ? だけど、当時の俺には京子の夢を奪うなんて出来なかったよ。高校ガキの頃から京子を見てきてたから」

 廣樹は煙草を吸いながら、感傷に浸った顔で窓から見える夜景を見ていた。

 その話を聞いて私は思った。

「きっと、廣樹は凄く辛かったんだろう。好きな人が危険な仕事をしている事、好きな人の夢を自分が砕いてしまうかもしれない事、そして自分の希望と現実の違い」

 そして京子も自分の立場が辛かっただろうと思った。

「……そういう事だったんだね。私が夢に満足するまで待つって言った意味」

 私は自分の浅はかさを恨んだ。今は廣樹と付き合って楽しくブローカーが出来るだろう。でも、もっと一緒にいたいと廣樹との時間を優先してしまったら? もし、結婚して子供が出来たら? それが不完全燃焼に終わった夢だった時、私は後悔しないと言い切れるだろうか? 後者は諦められたとしても、前者は自信が無かった。

「俺はいつか家族が出来て……その為に夢を諦めるのは仕方ないと思う。だけど、一時の感情に流されて諦めた夢は……きっといつまでも、消えず燻ぶり続けてしまうと思うんだ」

 まるで自分の気持ちが廣樹に見透かされているようだった。私は廣樹と夢を天秤にかけた。ブローカーの夢は今が一番楽しい時期で、ここから頑張ってこれから一気に伸びるか、それとも中途半端にいきいずれ伸びずに潰えるかの分岐点だと思う。廣樹と付き合えたら、きっと今以上の充実した毎日とかけがえのない宝物が待っていると思う。だけど、廣樹と付き合えば間違いなく……もっと一緒にいたくなるだろう。例え、同棲しても飽き足らずブローカーの仕事の時間まで削ってしまうだろう。現に廣樹と今日会うために数件の仕事は他に振っている。

「……むずかしいね。私、こんなにも仕事と恋の両立が難しいって実感した事が無かった。ま、恋愛に悩む事に関しては廣樹以外とは無いんだけど」

 私は今ならキャリアウーマンが中々結婚できない理由がよく理解できた。性格に問題があるよりも仕事が好き過ぎて、充実感と楽しさから踏ん切りがつかないのだろう。もし、ここで廣樹が私を押し倒してでもしてくれたら簡単に答えが出ると思う。だけど、廣樹がそういうタイプの男では無い事は私がよく知っている。

「……変な話してごめんな。そろそろ寝ようか?」

 首を振りながらそう言って、吸いかけの煙草を灰皿にぐりぐりと押し付けて消した。

「俺はソファーで寝るから、諒は俺のベッドで寝なよ」

「……ヤダ! 私は廣樹と一緒に寝たい」

 もし、ここでそうしてしまったら、きっと私達の関係は元に戻っていく。私はそんな気持ちの焦りから廣樹の提案を拒否した。

 廣樹は髪を掻きながら少し迷っているようだった。

「……わかった。じゃあ、ベッドで一緒に眠ろうか」

 私達は同じベッドで眠ることにした。


「……落ち着かない。廣樹はなんでそんなに簡単に寝れちゃうわけ? 普通、隣に女の子がいたらムンムンしたりドキドキして眠れないものじゃないの?」

 そんな事を考えている私とは違い、廣樹は背中を向けたまま、既に寝てしまったようだ。

「……ねぇ? 廣樹、もう寝ちゃったの?」

 私は廣樹の背中に向かって話しかけた。

「……うん。寝ちゃったよ」

 廣樹は私に背中を向けたまま、少しすると小さな声でそう答えた。

「バカ……起きてるじゃない」思わずそう言ってしまった。

「寝たいけど……なんか眠れないんだ」

 廣樹なりにいろいろ考えているのだろう。恋愛は単純なようで実は凄く複雑だ。

「ねぇ? もし、一度別れた恋人が再び付き合ったなら……上手くいくと思う?」

 例え、それが京子だとしても廣樹を譲る気は元々毛頭も無い。だが、先程の話を思い出したら気になって、思った事を口に出して訊いた。私はそれ程に二人が再び付き合う事を恐れていた。

「……別れた恋人と……再び?」

 廣樹はしばらく沈黙を通したが、ゆっくりと口を開いた。

「別れたという事は、何か原因がある訳だから普通は上手くいかないんじゃないかな? ただ、それが心が離れたのではなく、外的要因なら……もしかしたら上手くいくかもしれない……かな」

「……外的要因って?」

 私は廣樹の背中に額を押し付けると、その背中越しに訊いた。

「男に金が無かったとか、幼かったとか……お互いに浮気の関係だった……とかさ」そういって鼻で笑った。

「廣樹? どうしたの?」

 急に起き上がるとベッドを出て窓を開けた。窓から入る風からは都会特有の香りがした。廣樹は煙草を手に取ると火をつけ吸い込んだ。

「俺さ、京子と今までに……二回別れてるんだ。学生と社会人でちょっと遠距離だったし、すれ違いが多くてさ……俺が大学に入って一度友達に戻ってるんだよ。京子と別れた当時の学生時代だから……だいぶ昔だけど、年上の彼女がいたんだ。ガキの俺に色々な事を教えてくれた。あの頃は思いっきり背伸びして付き合ってた。今じゃ金なんていくら使ったって平気だけど、学生のクセにカッコつけて奢ったりしてさ。その内に俺とケンカした時に仲が良かった友達とその彼女が付き合ってさ、ズルズル三角関係。そんな時にちょうどオヤジが倒れて大学辞めるか迷ってたんだ。丁度良かったからキッパリ諦めて大学も中退した」

 廣樹は煙草を消した灰皿を手に持ってベッドへと戻ってきた。私の隣にゆっくりと腰を下すと新しい煙草に火をつけた。

「廣樹って大学中退してるんだ。てっきり、どっかの良い大学に入って順風満帆な人生を歩んできたのかと思ってた」

 私は意外な廣樹の過去に正直驚きを隠せなかった。

「意外だろ? それにさ、二十代前半でオヤジの億単位の借金も背負ってるんだぜ?」

 廣樹は煙草を深く吸うと窓の方に向かって紫煙を吐き出した。

「お、億?」

 私は思わず声が裏返ってしまい、驚きから目も冴えてしまった。

「そう、億の借金。もう返済も済んでるし、只の親孝行だよ」

 廣樹は笑いながらそういった。

「じゃあ、廣樹って十年程度で億単位のお金稼いだってこと?」

 私は食い入るように聞いてしまった。学歴を言い訳にして不甲斐ない事ばかり言ってきた自分が恥ずかしくて仕方なかった。

「だってほら……俺って金を稼ぐ天才じゃん? 良い大学出て一流企業に入社して、人の下で働いて年収八百万くらい貰える奴がいるんだ。だったら、自分で仕事やって死ぬ気で働けば何とかなるって思ってたから」咥えた煙草を吸いながら笑って答えた。

「普通は何とかならないよ!」私は思わずツッコんだ。

 普通の人間は億の借金と聞いた時、自分が持つ金銭感覚の定規で計り無理と即答するだろう。きっと、廣樹の金銭感覚は常人とは違ったのだろう。つまり、年に三百万稼ぐ者なら約三十三年、年に一千万稼ぐなら十年、年に二千五百万稼ぐなら四年という事だが、廣樹の定規がどのくらいだったかは解らない。

「だって、俺は普通じゃないから。最初に買ったアパート一棟だって二十代で現金一括で買ってるし。出来ないなんてやらない言い訳だよ。今の殆どの若者だってそうだろ? 貧乏で車を持てない現実を認めたくないから、車を持たなくて良い理由を探して車を持たない事を正当化している。みんな言い訳してるんだよ。俺だってそう、友達の彼女とズルズルした関係続けて何回も寝てるのに奪う事も別れる事もしなかった。最後に会ったあの日に、例え友達の彼女だったとしても……好きだから誰にも渡したくないって言っちゃえば良かったのにさ」

 廣樹は大きく一服すると、灰皿に煙草を押し付けて消した。その横顔は何処か寂しそうに見えた。人は人生で沢山の後悔や失敗を重ねてくる。私にも思い当たる事は沢山ある。「今を一生懸命生きろ」と十代の若者が聞いてもピンと来ないだろう。それはきっと、ある一定の年齢としになって初めて実感するからだろう。だから、人は沢山の後悔や失敗をしてしまうのだと思う。今の記憶を持って中学時代に戻れるなら、こんな私でさえも、そこそこ成功する自信がある。

「そうだね。人は後悔するから学習するのかもしれないね」

 廣樹は煙草の空き箱をゴミ箱に弧を描いて投げ捨てると、私の顔を見て口を開いた。

「ごめん。煙草切れたから、コンビニで買ってくるよ」

 そう言うと廣樹は、上着を着替えて寝室を後にした。

 私はしばらく横になっていたが、起き上がると深いため息を吐いた。無性に煙草が吸いたくなってリビングに戻った。

「煙草なら私のがあったけどって……廣樹はマルメンしか吸わないか」

 私は鞄から出した煙草を吸いながら、窓の外に広がる夜景を見て感傷に浸っていた。


 廣樹はエレベーターを降りてコンビニへと向かい歩き出した。ふと、普段スープラを停めている駐車場に目を向けた。空いているはずの駐車場所に、一台の白いRX-7がエンジンをかけたまま停まっていた。見覚えのある車で持ち主も知っている。だが、今夜ここを使いたいと言っていた純也の車ではない。廣樹は車に向かって歩き出し、運転席に立つとドアガラスを軽くノックした。パワーウィンドウが音を立てて下がっていく。

「……京子、何してんだよ? 俺に用事か?」

「――廣樹!」

 京子は廣樹を見て驚きを隠せない表情を浮かべていたが、少しすると運転席から廣樹を見上げながらいった。

「ごめんね、こんな時間に来ちゃって」

「いや、起きてた訳だし、別に構わないけど……」答えに困り、何気ない返事をした。

「俺、煙草を切らしちゃってさ、今からコンビニまで買いに行くんだ。だから、ちょっと待っててよ」

 それを聞いた京子は、グローブボックスを開け、廣樹が吸うマルメンを取り出すと差し出していった。

「はい……コレあげるよ」

 廣樹は煙草を受け取ると、箱を一周させるようによく見てから訊いた。

「……これ、いつ買ったヤツ? 俺と付き合っていた頃のヤツなら……ヴィンテージだろ?」

 京子は運転席から廣樹を見上げ、ゆっくりといった。

「……一時間くらい前かな」

 廣樹は受け取った煙草を開封すると、おもむろにポケットを探ってから京子に話しかけた。

「やっぱ、ライターなかったわ、煙草に火をつけるからシガー使わせてくれない?」

 おもむろに鞄からZIPPOを取り出し、廣樹に差し出した。廣樹は戸惑いながらゆっくりと受け取り、咥えた煙草に火をつけ一服すると訊いた。

「どうしたんだよコレ? 京子は煙草なんて吸わないだろ? 新しいカレシでも出来た?」

 京子は廣樹の目を見た後、首を左右にゆっくりと振ると答えた。

「ううん。……廣樹と別れちゃったから……渡し損ねたヤツ。もしかしたら、廣樹に会えるかなって思ってさ。ライターにオイル入れて、煙草を買って……流すようにドライブしてたんだ」

 廣樹は煙草を吸いながら、京子の言葉を黙って聞いていた。

「……もし、諒がフラれたら……廣樹にまた私と付き合ってって言おうと思ってさ。私ってズルい女でしょ?」

 廣樹は深いため息を吐き、足で煙草を消すとゆっくり口を開いた。

「……俺が京子に良いよって……頷くと思ってたの?」

 京子は無言のまま車から降りると、自販機に向かって歩き出した。そして無糖の缶入り珈琲二本を買って戻ってくると廣樹の前に立ち口を開いた。

「灰皿……必要でしょ?」

 そう言って、廣樹が数回程俯くと京子は話を続けた。

「……わからない。でも、もし私達が運命で結ばれた二人なら……きっと今日会えるかなって思ってた。昔、二人で見た映画に「二人が例え別れても、運命の赤い糸は決して切れない」って台詞あったじゃない?」

 廣樹は再び煙草に火をつけて受け取った缶入り珈琲を飲みながら、無言のまま数回頷くと思い出すように口を開いた。

「……そんな映画あったな。ストーリーはなんとなくだけど、台詞はハッキリ思い出したよ」

 廣樹は珈琲を一気に飲み干す。空き缶に吸っていた煙草を入れるとジュっと音がした。地面に捨てた分もしゃがんで拾うと入れた。

 京子は立ち上がった廣樹に抱き着くとゆっくりといった。

「……廣樹、また私と付き合ってよ」

 そして、廣樹の胸に顔を埋めると語気を強めていった。

「……やっぱり廣樹を諦められないよ!」

 ゆっくりと廣樹から離れると切なそうな表情で続けた。

「……諒から電話きて廣樹とデートするって聞いた時は応援しようと思ってた! だけど、電話を切ってから廣樹との事を思い出したら……やっぱり無理だった。……廣樹、覚えてる? もし、私達が二十七歳になっても、お互いに恋人がいなかったら……」

 廣樹は言葉を遮ると京子の目を見ながらいった。

「もし、俺達が二十七歳になっても、お互いに恋人がいなかったら結婚しようって約束だろ? ちゃんと覚えているよ」

「私達……もう二十七歳になったよ」

 廣樹はZIPPOを見つめていた。スターリングシルバーの裏に製造年の刻印がされたシリアルナンバー入りの非売品ZIPPO、それは当時の廣樹が欲しがっていた物だった。

「これ……探すの大変だったろう?」

 自分でもかなり探した廣樹は、このZIPPOがどれだけ貴重な物かよく解かっていた。

「……うん。毎日ネットオークション見て探した。よく覚えていないけれど……もう、五年くらいかな」

 廣樹は目を瞑り暫く黙っていた。ため息を吐いた後、急に京子を抱き寄せた。

「ごめんな、俺がこの手で京子を守ると約束して未来を伝えたのにな。俺は京子と別れてから、自分の憎むほどの不甲斐なさに人を愛する事が怖くなった。京子に白バイ降りてくれとも言えず、自分の想いも消せなかった。俺って情けない男だよ」

「……昔から委員長はいつも自分で抱えず過ぎなんだよ。私も……純也も陽平くんもいるのに……いつだって恋人や仲間に頼らないんだから。いくら男だって、たまには甘えたって良いんだよ? 彼女や仲間は……それがすごく嬉しいんだから」

 そう言って京子が廣樹の頭を優しく撫でると、廣樹はゆっくりと京子から離れて口を開いた。

「……ごめんな。いきなり抱きしめちゃってさ」

「うん、……別に嫌じゃないし……良いよ」

 廣樹が煙草を咥えると、京子は掌を広げて廣樹の前に差し出してきた。

「ライター貸して」

 廣樹が差し出すと、京子は手慣れた仕草で火をつけて廣樹の煙草に火を灯した。

「覚えてる? 私が廣樹の煙草に初めて火をつけた日の事」

「……覚えてるよ。竜飛岬に行った帰りに突然の雨に降られて濡れた身体を乾かす為に入ったホテルだろ? 初めて京子を抱いた夜……俺の方が余裕……無かったな」

「そうだね。やっぱり廣樹も男の子だなぁって思ったもん」

「今になって思えば、同じ青春の中で同じ時間を過ごしたけど……京子を傷つけてばかりだったな。深夜の電話で離れている距離が辛いと言った京子に……俺は何もしてあげられなかった」

 視線を逸らし、道を走る長距離トラックを見ながら紫煙を吐いた。

「……でも、ちゃんと来てくれたじゃん。東京から仙台までスカイライン飛ばして来てくれたじゃん」京子は廣樹の肩を軽く叩きながらいった。

 自分が警察官になって廣樹と離れると、会える日が少なくて不満を毎晩のように言った時期があった。ある日の電話で翌日が休みだけれど、やる事も無いから一日寝てようかなと廣樹に電話で言った事があった。廣樹が電話を充電器に繋げるから一度切ると言った後、十分くらいしてから廣樹が電話をかけ直して来た。そこから高校時代の話で盛り上がり約五時間くらい電話をした。夜中の二時くらいに電話を切り、寂しさを感じたその直後に廣樹が訪ねてきた。

「なんか、電話先の京子が寂しそうだから……来ちゃった」

 廣樹が笑顔で京子の住むアパートの玄関に現れ、そう言った時、涙を流して心から喜んだ。京子がもっと廣樹の近くに居たくて、警視庁の採用試験を受験する事を決めたのはこの時だった。もし、その事を廣樹に言ったら折角警察官になる夢が叶ったのに、一時期の感情に流され、受かるか解らない試験を受けるなんて、やめておけと反対されると当時は思っていた。その為、廣樹に警視庁を受験することは最後まで廣樹に黙っていた。結果的には警視庁に採用はされたが、その事が原因で二人は大きな喧嘩をしてしまい、京子が都内に引っ越してくる前に二人は別れてしまった。それは未だに京子が心から後悔をしている事だった。

「あ、あぁ、……アレね。京子が寂しそうな声で会いたいなって言うし、買ったばかりのR32に沢山乗りたかったしさ」頭を掻きながら視線を逸らしていった。

「でも、嬉しかったよ。四百キロも私だけの為に走って来てくれたこと……本当に……本当に嬉しかったんだよ」

「まぁ、なんて言うか……若気の至りってヤツ? なんか、懐かしいな」

 廣樹は懐かしそうに笑って話した。祖父に買ってもらって納車した翌日の事だった。どうせ初めて助手席に人を乗せるならやっぱり彼女の京子だと思った。丁度良く電話が来て、京子に寂しいと言われて、ここでやるしかないと決意し、都内から仙台まで首都高から東北自動車道に乗って一気に行ったのだ。廣樹がこんな事をするのは、きっと後にも先にも京子だけだろう。それなのに、自分に黙って警視庁を受けたことが許せずに別れてしまったのだ。元々、仲が良かった二人は再び付き合うまでズルズルと友達関係が続いた。社会人になってシングルクリスマスに二人で酒を飲んでいる時「いっそ、また付き合っちゃおうか?」と酔った勢いで京子が言った事がきっかけで二人は再び付き合いだした。廣樹は京子と違い、別れてから誰とも付き合わなかった訳では無かった。ただ、廣樹が自由過ぎて誰ともあまり長続きしなかった。

「……バカ。そういう事は心に留めておくもんだよ? 廣樹は相変わらず女心が解ってないな」

「……別に良いだろ? カッコつけて言った訳ではないんだからさ」

「それでも……黙ってるものなの!」

 二人は目が合うと同時に笑った。その直後に廣樹の携帯電話が、この空気を変えるように鳴り、静かな駐車場に鳴り響いた。

自分が好きな車を題材にしました。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。



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