第六話 魔王の盾、サビナアルナ・物理学者、メーリル・アッカーソン
直撃は四発だった。
いくら最強を自負する魔王軍幹部とは言え、魔法防御力を一切失った体に航空爆弾を喰らえばどうなるかは明らかだった。
魔王に抱きついて庇おうとしたカダヴェラの細い背中が抉れた。
オグンの腕がちぎれた。
ダルマの肉が爆圧でシェイクされた。
デメンの鎖が四散した。
キューピが宙に舞った。
サビナが必死で防護魔法を唱えたが無意味だった。
大打撃だった。
カダヴェラの腕の中、爆煙を浴びながら魔王は思う。
これでいい、と。
「取り返しのつかない損害が出なかったのは救いだった」
魔王軍の拠点、魔王城の最奥、玉座の間。
普段なら威容を誇って幹部たちが立ち並ぶはずのそこで、無傷でいるのは魔王だけだった。
「魔王様……」
ダルマが傷だらけの体を引きずりながら玉座に近寄る。
「この結果を予想しておいでだったのですか?魔法が使えなくなることも含めて……。なら何故あちらの世界に侵攻など……」
魔王はすぐさまに答える。
まるで道でも訊かれたかのようにあっさりと。
「そうだ」
幹部たちは絶句する。
みな、瀕死とまでは行かないまでも、再生にひどく時間のかかる傷を負っている。
この事態が織り込み済みだと、彼らが主君はそう言ったのか?
「す、素晴らしい……」
左肩の、腕のちぎれた傷口を抑えながらオグンが言う。
「我らのことなど一顧だにせず、ただただお一人のお考えの元に行動なさるとは……さすがは我らが主君」
幹部たちは皆、大なり小なりこう言う認識であった。
彼らは自分たちが顧みられることよりも、彼らの魔王が魔王らしい性質を備えていることを好んだ。
すなわち、自分の部下など手駒程度にしか思わない主君を理想としたのだ。
そう、魔王は、田中祐一は誰のことも気にかけない。
慈悲も、気配りも、とうの昔に乾きひび割れ、かさついている。
しかし、全くケアをしないわけにもいかない。
魔王は両手を広げて、こう唱えた。
「『時間逆行』」
幹部たちの傷がみるみるうちにふさがっていく。
いや、ちぎれたはずの腕までもが生えていくから、尋常の回復ではない。
まさに、時間が戻っているのだ。
魔王の施しにかたじけなくも嬉しく思う幹部たち。
魔王は腕を下ろすとため息を一つ。
「しかしこんなものか。魔法がないというだけでこんなにも脆いとはな……。まあ、その前の重火器少ない雑魚どもとの戦闘も、はかばかしくはなかったのだが」
幹部たちは俯く。
敬愛する魔王様が自分たちの活躍に満足していらっしゃらない。
後悔に堪えないことだった。
オグンが歩み出て、犬が伏せるようにひざまづいた。
「我ですな!?割れが最も不甲斐ない……空から降る爆裂魔法とは別の、人間たちの手持ちの武器にまで手傷を負わされる不甲斐なさをお見せしたから……」
彼の頭にあるのは処刑される未来だけだった。
そしてそれを当然のこととして受け入れるプライドがあった。
こうべを垂れる。
背中の炎がみるみるうちに弱くなった。
魔王は金色の籠手を差し伸べて、よい、と言った。
「よい。良いのだ。全ては不問だ。今回の戦闘は、お前たちに奴らの強さを認識してもらうための、いわば訓練のようなもの」
「クンレンって、なーに?」
キューピの言葉だ。
魔王以外の皆が咎めるような視線を彼女に送る。
一番傷の深かったはずの彼女は舌を出してばつの悪そうな笑みを浮かべた。
魔王は何も言わずに先を続ける。
「これでわかっただろう。奴らの力が。そして向こうへの侵攻が容易ならざるということが」
「魔王様はあっちへ行きたいんで?」
と、デメン。
魔王はうなづく。
「当然だ。向こうの世界の人間こそ余の最も憎むところ……。滅ぼさねばならぬ。そのためには、是非とも向こうに行かねばならぬ。侵攻がなされねばならぬ……サビナ」
「ハッ」
「向こうで魔法が使えないのは何故だ?」
黒い燕尾服の女執事は打てば響く鐘のようにすぐさま答える。
「魔素がないせいであります」
「ほう。まあそうだろうな。余が生きて暮らしたあの世界で、魔法はおとぎ話の中の存在だった。何故か?魔法を成立させる前提がないからだ。当然の話……。ではどうするか?」
そこまで言うと、魔王はちらりと皆の様子を伺う。
退屈そうにしているキューピとカダヴェラ以外、話についてきているようだ。
「我々のとるべき方針とは何か、それは……」
魔王はグッと肘掛を握る手に力を込める。
「敵にこちら側に来ざるを得ない理由を与えること。まずはそれだけ」
幹部たちに異論のあろうはずもなかった。
魔王が吐くのが正論であろうとも、理不尽な命令であろうとも、従うのが魔族の掟だからだ。
何故なら、儀式で呼び出された魂は、絶対に最も魔族らしい性質を持っているのだから。
つまり、人間への憎しみ。
「魔王様」
発言はダルマのものだった。
「絶対に、向こうには侵攻できないのですかな?方策があれば探りましょう、見つけましょう。その任、このダルマにお任せしていただけませんか?」
魔王は肥満の老人の方を向く。うなづいた。ダルマはニコリと笑って、ありがたき幸せ、とだけ答えた。魔王が言う。
「無論余もゆくゆくはあちらに攻め込みたいと思っている。だが今は不可能だ。それだけの話。ダルマよ。必ず方法を見出すのだぞ……」
こうして、魔族の方針は定まった。
頭を下げた幹部たちを尻目に、自室へ下がる魔王。
この体は人間らしい生理的営みを一切必要としないから、自室と言っても、ベッドすらない。
ただの石造りの空間だ。
壁も床も積まれた石組みのまま。
彼は金色の鎧を脱ぐことすらない。
二本角の兜すら外さない。
ただ、部屋の真ん中の玉座に腰を下ろし、物思いに沈むだけ。
考えるのは、自分の憎しみ。
自分を散々コケにした人間社会への復讐と、米国という存在への闘争心だけが心にあった。
「今日の戦闘、まるでシミュレーション・ゲームだな」
生前、大好きだった戦争ゲーム。
相手がいないから一人だけで何度もプレイした。
それと同じように、強力なコマを使って最強の軍隊と戦えるなんて。
魔王は、いや、田中祐一は嬉しかった。
これからの戦いを思うだけでゾクゾクした。
そう、これからなのだ。
この戦いは。
一人、ほくそ笑む。
戦争ができる、憎い憎い人間が殺せる。
いいことづくめではないか、魔王という人生は。
と、ここで少々物語の時間軸を戻さなければならない。初めてスクウェアが出現した時の米国の反応まで。
スクウェア発生日をXとする。
二〇一七年五月八日1000、
米国のとある州、とある大学
X+六日
その日も理論物理学者メーリル・アッカーソンは大学の講義に励んでいた。
アメリカの地方のなんということのない大学。
彼女の聴講生に秀才はいない。
今日も、彼女が一人でしゃべって、まともな答えの帰って来ない質問をし、時間になれば研究室に帰るだけ。
正直退屈な時間だった。
それでもメーリルは淀みなく語り続ける。
扇状に広がる講義室全体に聞こえるように声を張って。
黒板の前を行ったり来たりせわしなく歩きながら。
「そう、私独自の試算では、ある程度以上の大きさの惑星には、付き従う影のように暗黒物質で出来た暗黒惑星がくっついているという事実が導き出されるわ。それは我々の世界に重なるように相互作用することなく存在している。『異世界』と言ってもいいでしょうね。お互いに相互作用しない物質でできているからお互いを観測することも、ましてや行き来なんてできないけれども、可能性としては極度に高いエネルギーを一点に集中することで……」
その時、先程からその場の全員の耳に届いていたヘリのエンジン音が急激に大きくなり始めた。
何事かと目をやるメーリル。
学生たちは窓外の庭に向けてスマホを掲げてしきりに映像をメモリに収めている。
ドコドコバタバタというエンジンと羽の音を立てて芝生の上に降りたったのはUH-60ブラックホークだった。
メーリルは、学生たちが群がった窓ガラスへと、みんなを掻き分けながら歩み寄る。
目線はヘリに釘付けだ。
ヘリのスライドドアが開き、迷彩服姿の男が降り立った。
簡素な格好だったが、彼女にはすぐにその軍人がそれなりの地位にいる人物だとわかった。
そのとき、講義室に大学職員が駆け込んできた。
曰く、軍が用があるのはメーリルなのだという。
急いで庭に出る彼女。
ヘリに近づいていく。
軍人はメインローターが巻き起こす突風の中、飛ばされないように気をつけながら懐から写真を取り出し、メーリルの顔と見比べている。
「メーリル・アッカーソン博士ですね!?」
「そうよ!」
爆音の中だから両者ともに大声だ。
「合衆国陸軍大尉、ジョージ・ギャレットと言います!どうかご協力ください!博士!あなたの力が必要なんです!」
「学会の異端児に向けて何のジョーク!?ドッキリでしょこれ!はい、大正解!さあ、早くケーキを頂戴!」
「博士、真剣に聞いてください!」
そう言われても現実味というものがない。
メーリルはお手上げのポーズをした。
どうやら相手は詳細の説明なしにとにかく自分を連れて行きたくてたまらないらしい。
ふうとため息。
従うしかなさそうだ。
講義もほっぽり出して。
少なくとも相手が軍を騙る誘拐犯でないことは確かだろう。
ブラックホークを購入できるほど裕福なら、閑職に追いやられた「頭のイカれた」理論物理学者から身代金をせしめようなどとは考えないはずだ。
メーリルは躊躇なく軍人とともに機内に乗り込んだ。
「近くの飛行場まで飛んで、軍用機に乗り換えます!」
「その後の行き先は!?」
「ネヴァダ、エリア51付近、とだけ今は!」
どうやらこれは未曾有の事態らしい、と、メーリルは確信した。
ヘリは爆音を立てて大学を後にし、青空の彼方に消え去った。