第三十九話 講和
二〇一七年七月三十一日時刻0900
米国、ホワイトハウス、大統領執務室
X+九十日
イーグルバーグ大統領は窓に向かって立ち、執務室の机の前に立つモアランド国防長官に背を向けている。
「……ですから、もう私はお役御免だということです。戦後処理はもう十分やりましたし、ここが潮時です。職を辞させていただきます」
「ああ、好きにしたまえ。後任人事はもう決まったんだしな。あまり改まった挨拶はいらんよ、スコット」
ホワイトハウスの窓の外、遠くに見えるのは集まった市民たち。
皆プラカードを持っている。
とても書いてあることが読める距離ではないが、報道で内容は知っている。
曰く、「講和など拒否しろ! 魔王とやらに罰を受けさせろ!」
イーグルバーグは怒りの群れから目を離せないでいた。
自分は国民との約束を破ったのだろうか?
だが何ができるというのだろう。
向こうに何を送り込んでも、何の効果もなかったというのに。
「やれやれ。私はいたずらに兵士を死なせ、国民を満足させられなかった無能大統領だな」
「大統領、そんなことはありませんぞ。史上最大の国難を乗り切ったではありませんか。魔王が講和を申し出たのはあの陸軍部隊が刺し違えたお陰です」
イーグルバーグは振り返った。
その目線は雄弁だった。
本気で言っているのか、と。
スコット。妄想も大概にしろよ。魔王が引いたのはあの勇者が頑張ったからだろう?
……と、怒鳴りそうになったが、大統領は溢れそうな感情を飲み込む。
モアランドの言うこともわかるのだ。
マスコミ向け発表でこちらの軍隊が主要な役割を果たしたと言わなければ、確実に政権は倒れる。
それは避けなければならない。
政治家としても、国難を乗り切る愛国者としても。
「では、さようならです。大統領」
モアランドは義足の独特の足音を立てて執務室を後にした。
残された大統領はこれからどうすればいいだろう? また、向こう側のアクション次第だというのか?
と、思い悩むのだった。
二〇一七年七月三十一日時刻1200
米国、ネヴァダ州、グルーム・レイク空軍基地から数キロ、スクウェア地球側入口
X+九十日
「ついに完成したわね」
メーリルは見上げる。
超スピードの突貫工事、米国の工業力の本気が成し得た成果物を。
長辺が数百メートルに及ぶスクウェアをコンクリで覆うなど、並大抵のことではない。
それが二ヶ月強で実現するとは……。
流石米国といったところか。
近づき、石棺を撫でる。
子供の頃に見た野球場ドームより、はるかに大きかった。
野球場ドーム……一つの思い出。
彼女の記憶。
いや、今は関係ない。
とにかく喜ばねば。
これで魔素の流入は止まる。
ネヴァダ州全域で起こっている、英語母語話者とヒスパニックの間のコミュニケーション成立現象……それも拡大を止めるだろう。
それが良いことなのかはわからないが。
ふと気配を感じ、振り向くとギャレット大尉が向かってくるのが見えた。
「またスクウェアの前におられたのですか、博士」
歩きながら話しかけるギャレット。
メーリルはスクウェアの方、もとい、スクウェアを覆う石棺の方に向き直って、
「ええ、もうしばらく見ることはないでしょうから」
メーリルとギャレットは石棺に唯一用意されたゲートを見る。
十メートルの厚さのコンクリ壁を貫くそれは大型トラックが通れるほどの大きさ。
異世界との最後に残されたチャンネル。
しかし、これが開くことももうそうそうないだろう。
さて、魔素の研究を進めねば。
肉片については生物学者のチームにも指示を出さねばならないな。
そう思って石棺に背を向けた瞬間、メーリルは巨大な破壊音に身を飛び上がらせた。
「な、なに!?」
「博士!! 伏せて!!」
破壊されたのは石棺のゲート部分。
濛々たる煙をあげるコンクリのトンネルから姿を現したのは、二本角のゴスロリ服と、それから燕尾服の美女……。
「は〜い!! キューピちゃん、ふっかーつ!」
「ここが、地球……」
そして、金色の鎧……。
魔王だ。
彼は石棺から出て仁王立ちになった後、あたりをよく見回す。
そして手を挙げた。
(諸君)
メーリルは頭を抑える。
頭の中で声がしたような気がしたからだ。
強制遠隔魔素通信だった。
(余は諸君ら皆の魂に直接話しかけている。敵対の意思はない。ひとまず、歓待の用意を要求する)
二〇一七年八月二日時刻1700
地球、米国、カリフォルニア州、ロサンゼルス都市郊外、某町
X+九十二日
瓦礫の山はすっかり片付けられ、ブロウズ邸の敷地には跡形もない。
ただの更地だ。
呆然と立ち尽くすマーティン・ブロウズ曹長。
思い出はたくさんある。
あった。
アンナとの生活や、シェリーがすくすく育っていく様子など。
だが、今はそれを思い出すのも辛い。
自分は今思い出に浸っていていい訳ではないのだから。
「必ず助けるぜ、シェリー」
振り返り、帰るべき場所、だった、過去の住処を後にする。
車にたどり着き、運転席のドアを開ける。
助手席には、Tシャツ姿の勇者アルゥールがいた。
「もう、いいのか?」
と、アルゥール。
「ああ、もう二度と帰らない場所に、ちょっとお別れをしただけさ」
「そう、か」
アルゥールはたどたどしい英語を喋っている。
他の言語を習うというのは彼にとっては初めての体験だったが、生来の聡明さが、二ヶ月の修練である程度の会話を可能にしていた。
車はハイウェイを走る。
孤独な男二人を乗せて。
「寂しい、か? ブロウズ」
ブロウズは勇者の横顔をちらりと見て、
「そりゃあな。だがそんな場合でもねえ。さっさと娘を助けださないと……。そういうあんたはどうなんだ? 仲間の葬儀は済ませたんだろ?」
「まあ、な」
もはや存在しない冒険者ギルドが守ってきた民は、ネヴァダの砂漠の難民キャンプで日々を過ごし、徐々に米国の暮らしに慣れてきている。
彼らの面倒を見る必要がなくなる日もそう遠くないだろう。
そうしたら勇者はどうするのだろう?
講和とともに異世界への行き来も自由にできなくなり、彼は魔王討伐という大きな大義を失った。
望めば彼一人で魔界へ遠征に出られるだろうか?
米国政府が許さないだろう。
魔王に対する最終兵器でもあるアルゥールは、今や極めて微妙な政治的立ち位置の存在となったのだ。
ブロウズが世話役という名の監視役に任命されて、こうして行動をともにしなければ外出もろくにできない。
次に魔王と敵対したときのための切り札として、彼は政府に管理されていた。
無言。
車内は暗い雰囲気である。
色々と二人、思いつめているのだ。
これまでののこと、これからのこと。
ブロウズはカーラジオをかけた。
そういう空気を紛らわせたかった。
本人にとってみれば特に意味はなかったが、結果的に、それは大きな衝撃をもたらすことになった。
「……ではここでもう一度魔王氏のコメントを紹介しましょう」
ブロウズとアルゥールはハッとして顔を見合わせた。
もはや機械の操作を完全に覚えてしまったアルゥールがつまみをいじり、ボリュームを大きくする。
「人間諸君よ。余は魔王ぜナビリアス・オムニポーテンス」
間違いない。
あのときの声だ。
ブロウズは急ブレーキを踏んでまるで飛び出してきた人を避けるように路肩に車を止めると、スマホを取り出して動画サイトにアクセスした。
果たして、魔王の姿が、声明発表の様子がはっきり映し出されていた。
「……余はここにこれまでの不幸な両勢力の衝突を悔い、我々の敵対的態度を改めることにする。……(中略)であるからして、魔術系技術の提供や新資源の提供も惜しまない」
「一体、これは……」
ブロウズとアルゥールは、小さなスマホの画面を覗きながら驚愕するのだった。
二〇一七年八月三日時刻1100
米国、ネヴァダ州、グルーム・レイク空軍基地から数キロ、スクウェア地球側入口(石棺で被覆済み)
X+九十三日
魔王たちの壊したゲートの修理が始まろうとしている。
特別に用意されたテントの中、マウラー国務長官と魔王が、折りたたみの机を挟んで相対していた。
姿勢を正して椅子についているマウラーが問う。
「では、これまでの被害に対する賠償をしていただけると?」
「いかにも」
魔王の背後には執事、サビナアルナ。
ゲートをこじ開けるだけの役目だったキューピディダシアはすでに帰還している。
マウラー国務長官はごくりと唾を飲み込み、目の前の金色の鎧の大男を見つめる。
角は兜から生えているし、体格が並外れていることを除けば中身が自分たちと変わらぬ人間でも不思議はない。
傍から片時も離れず、十何時間も微動だにしない美女も見た目は人間そのものだ。
特殊部隊突入時に見た、背の高い化け物もいない。
たとえこのままメディアに出ても大きな混乱はないはずだ。
その判断が軍の簡易カメラによるビデオ撮影、全米公開がすぐに決まった理由の一つでもある。
なによりも急いで情報公開すべし、それが魔王の意思でもあった。
マウラー国務長官は問う。
踏み込んだ内容を。
「……市民感情にはどう対応するのです? 全米各地でデモが行われています。あなた方の攻撃で生活に影響が出た市民は大勢いますし、かつてないほどの数、最愛の人をなくした遺族がいる」
「謝罪の用意がある」
マウラーは自分が感じている驚愕をどう処理していいものか悩んだ。
これはなんだ?
全面降伏か?
いや、異世界側への進駐や魔王自身の裁判への出廷までもがなされるはずもなく、これはあくまで対等な立場の講和なのだ。
マウラーは認識を新たにした。
「で」
と、マウラー。
「……あなた方の目的は、なんでしょう? 正直なところあまりに唐突な申し出で、その、すぐには理解し難いのですが」
言ってしまえば不信であるが、直接は言わない。
魔王はゆっくりと答えた。
「謝罪と、賠償だ。他に目的はない」
マウラーは申し出を受け入れる他なかった。




