第三話 死を司る屍姫、カダヴェライルヴィーヴム
黒煙に覆われた丘の下の光景を他の幹部とともに眺める魔王の盾、サビナアルナ。
結った金髪に燕尾服の彼女はメガネを直しつつ困惑して問うた。
「魔王様。カダヴェラの攻撃を受けてなお生命の波動が500以上確認出来ます。敵は瘴気に耐えられるほどの生命力か魔法力を持っているのでしょうか」
「確かに、カダヴェラの魔法で即死しない生物は限られている」
魔王が答える。
目は今も黒煙を吐き出し続けるカダヴァラに向けられたままだ。
「だが、お前たち、よく覚えておけ。奴らの世界には科学力という大いなる武器があることを」
幹部たちは目を見合わせた。
この5年、幾度となく魔王自ら語ってきたことだ。
魔法以外の力。
人間だけが獲得できた力。
そんなものをかつて魔王の魂があった世界の者は手にしていると。
魔王は語る。
「瘴気を構成する粒子は粉塵マスクで防げる程度であるし、皮膚からの侵食もない。通常の装備品、マスク一つで防御されてしまうだろうと思ったが……予想通りだな」
ここでカダヴェラが黒煙を吐き終えた。
予定していた魔素量を消費しきったのだ。
これ以上使えば後の作戦に支障をきたす。
彼女もまた生命の波動を検知する能力を持っている。
しかも、死の匂いに敏感であるがゆえに特別精緻なものを。
それを使って精査したところ、人間たちの生き残りは523人とわかった。
こんなに生き残ってしまうとは自分の不手際だ。
そう思うと、魔王の方を振り返り、不安げな表情を晒す。
「まお……さ……あ、あたし…………なにか…………しっぱい…………しちゃっ………た?」
魔王は首を横に振った。
「いいや、カダヴェラよ。お前の一撃は十分に効果があったぞ。よくやった」
カダヴェラは少女のように顔を綻ばせる。
「え………へ…………へ………ちゃんと…………で……きた…………まお……さま…………なでて…………」
と言ってお辞儀するように首を下げて頭を魔王に差し出す。
異常なほどに背が高いから、2mある魔王の背でも伸び上がらないとカダヴェラの頭を撫でることができなかった。
金色の籠手に包まれた手がカダヴェラの黒い長髪をわしわしとかき乱した。
「よしよし」
「うふ………えへ」
この光景を他の幹部たちはため息をつきつつ眺めていた。
カダヴェラの精神年齢や、それが決して成長しないことなど皆知っている。
酷薄で狭量な魔王軍幹部たちだったが、彼女を保護者の目線で見る優しさは持ち合わせていた。
「では次だ」
魔王が言った。
カダヴェラは身を起こすと背をただした。
4mの身長はドラゴンや一部の魔物を除けば魔王軍の中でも抜きん出ている。
「今度も頼むぞ、カダヴェラよ。手筈通りにな」
満面の笑みで頷くカダヴェラ。
振り返って丘の下の人間たちを見る。
ここから見ると麦粒のように小さいが、彼女の視力ならありありと様子がわかる。
瘴気の煙はすっかり晴れて、倒れた者を顔に不思議な仮面をつけた者たちが救護していた。
(むだ………なの………に……)
彼女の魔法は即死系が殆どだ。
弱者がまともに喰らえば絶対に助からない。
助けられるはずもない者を必死で助けようとする姿はカダヴェラには理解できなかった。
(じゃあ…………これ………くらい…………したら………あ……きらめる………かな?)
カダヴェラは兼ねてからの作戦通りの、新たなる魔法を唱えた。
「『寝た子は起き出す|』」
「周囲を警戒!毒ガス攻撃の後は突撃が来ると相場が決まってる!救護より警戒を優先しろ!」
自分の声が顔を完全に覆うマスクの中で反響するのを聞きながら、スミス大佐は檄を飛ばす。
頭にあるのは第一次大戦時の戦術だ。
彼の部下たちが死傷者をテントに運び込もうとしていた手を止める。
仲間の命の保全を第一とするレンジャー部隊ではあったが、指揮官の指示とあれば仕方ない。
気持ちを切り替えると、他の者との距離を確かめながら周囲に向かって走り、適当な位置で膝立ちになったり腹ばいになったりして銃を構えた。
「よし、これで敵の奇襲効果はなんとか減衰できそうだ」
スミス大佐は額に手をやるが、マスクのせいで汗は拭えなかった。
そんな彼の肩に手を置く者がいた。
「どうした?副官か?」
振り返った彼は肝を冷やすことになる。
そこにいたのは口から黒い液体を垂れ流す自分の部下だったのだから。
一瞬、冷静さを失いそうになる大佐だったが、すぐに気を取り直し、その者が先ほど目の前でガスを吸ってしまった兵士だと気づく。
その表情を見るに正気を失っているようにも思えた。
まだ助かるのか、すぐに助けねば。
彼の肩を掴んで揺さぶりながら、
「おい大丈夫か!?」
と問う。しかし……。
「ぐああああああ!?」
スミス大佐は叫んだ。
突然、目の前の部下が自分の首に噛み付いてきたのだ!
「ぐう、やめろ!?」
しかし離さない、ものすごい力だった。
彼は決断した。背に腹は変えられない。
部下も大事だが、自分が今ここで死ぬほうが問題だ。
拳銃、使い慣れたベレッタM9を引き抜くと、掴みかかってきているその腹に3発ぶち込んだ。
パン、パン、パン、と乾いた音がした。
噛み付いてくる力が緩んだ。
その隙にスミス大佐は男を突き飛ばす。
あっけなく地面に倒れたところに膝を乗せ、そのまま全体重をかけて抑え込む。
抵抗はなかったから、無力化したようだ。
(痛ぇ……)
自分の首に手をやると、血が出ているのがわかった。
幸い重い怪我ではないようだった。
「おい誰か!誰かいな……」
と周りを見ながら叫んだが、途中で声が出なくなる。
傷のせいではない。それだけ、彼の目に写った光景が衝撃的だったのだ。
「やめろ!ケニー!やめてくれ……うわあああ!!」
「ああああ!!どうしたんだ!!正気に戻ってくれ、戻れって、ぎゃあああ!!」
「来るな!来るなあああ!!」
地獄か、悪夢か、狂気か。
先ほどまで倒れていた兵士たちが、仲間のはずの他の兵士に襲いかかっている。
緩慢な速度で。
ゾンビのように。
襲われるのはマスクでガスの脅威から逃れた幸運な兵士たち。
彼らは死んだはずの仲間たちにつかみかかられ、喉笛を噛みちぎられて死んでいった。
「これは……これは……」
スミス大佐は夢なら覚めてくれ、と、目を閉じて強く願った。
数秒経って目を開けるも、地獄の光景は変わらない。
死んでいく部下たち、死んだはずの部下たち。
スミス大佐は雄叫びをあげ立ち上がると、死んだはずの者たちを拳銃で撃ちまくった。
満足であった。
魔王はカダヴェラの魔法のもたらした効果に満足していた。
「ふむ。やはり余のいた世界の者にも魔法は効くのか」
効かなかったらどうしようかと考えあぐねていたところだ。
魔法の有無。
それがあの世界とこの世界の最も大きな違いだ。
5年の歳月をかけても結局魔王には魔法の原理すら分からなかった。
ただ使い方だけを知るのみだ。
太った老人、ダルマグルンブルンが腹と白いあごひげを一緒に撫でながら言った。
「カカカ……いいものですな。人間たちが恐怖と混沌に沈むのを見るのは……。これぞ魔族の嗜みというもの」
魔王は答えない。
そんな感情は一切感じないからだ。
歴代の魔王なら感じたのだろうか?
興味がない。
彼の望みはただ一つ。
さっさと人間に消えてもらうこと。
それは自分の恥ずべき有様を見られたことが耐えがたいがゆえに、それを見たものの死を願うような身勝手なものだった。
だが、それこそがかつて田中祐一だった魔王の、魔王としての力の源泉だった。
「オグンマカーハ」
「はっ」
そして彼はさらなる腹心の名を呼ぶ。
炎を操る、獣神の姿の魔族だった。
炎のたてがみが大猿のような体の背中を彩っている。
白色の体毛と炎は境目をゆらゆらと波打たせながら混じり合う。
こうべを垂れてひざまづいた魔獣。
その獅子の顔が歪んで牙を見せた。
「手筈通りでございますな?」
魔王は頷く。
「そうだ、オグン。混乱の極みにあるやつらの元へ行って焼き尽くせ。だが全員を殺してしまうな。適度に、苦しませるのだ」
獅子の顔はさらに醜く歪んだ。
これがオグンと呼ばれる魔獣の笑顔なのだ。
「さすがは魔王様。魔族の長。我々のやり方をよくご存知で」
「ふん」
魔王は白けた様子でそっぽを向く。
彼としては本心の発露だったが、オグンは謙遜と受け取ったようだ。
彼の魔王への評価がさらに上がった。
スックと4本足で立ち上がる。
「では、参ります」
遠ざかっていく炎の背中を見守る魔王。何事かを思う。彼が米兵全員を殺めさせない理由。それはもちろん、魔族流の趣味などではないのだ。
「クソっ!クソッ!クソッ!」
とうに弾は切れているが、引き金を引き続けるスミス大佐。
冷静さを失っている。
無理もない。
ドラマか映画の中の光景が現実化しているのだから。
『寝た子は起き出す|』の効果は広範囲に及ぶ。
その効果半径実に数キロ。
その範囲内にある生命を失った亡骸であればどんなものでも、カダヴェラの支配下となるのだ。
今現在動く死体たちに与えられた指令はただ一つ。
人間を喰い殺せ、だ。
「うおおおおおおおおお」
拳銃の弾倉の持ち合わせはない。
スミス大佐は役立たずとなったベレッタを放り出すと司令部のテントに駆け込む。
淡い緑のライトの下、二人の兵士が倒れていた。
マスクをつけた副官と、それに覆いかぶさる兵卒。
長年連れ添った女房役の副官のマスクが血で赤黒く汚れていた。
首を抉られて死んでいる。
ゾンビ……と言い切ってしまうのは憚られたが、襲われて相打ちになったのだろう。
スミス大佐は思わず自分の首に手をやる。
ねっとりとした血の感触。
まだ出血は止まっていないらしい。
しかし気にしてもいられない。
無線機まで転びそうになりながら歩いて行き、とにかく情報を得ようとする。
血まみれの手が何度も滑りながらもつまみをいじる。
そこから聞こえてきたのは、絶望の声だった。




