第二十六話 デメンの場、ダルマの場
二〇一七年五月二十八日時刻1500、
異世界、魔界、デメンサヴァリテータの守護するワイバーンベイビーの巣付近、谷間の道
X+二十六日
ジャララ、ジャラ……。
鎖が歌を奏でる。
デメンは鎖の体を大の字の地面に横たわらせて鎖で編まれた手足から一本ずつ、計四本の鎖を四方に伸ばしていた。
それぞれの鎖は数十メートル地点で地面へと消え去っている。
その地面は突き刺さった鎖を中心に水面のように波紋を生じさせており、地面が一時的に「転移門」と化しているのがわかる。
「さあ、出てこい。俺のかわいいかわいい召喚獣よ」
右手の鎖がジャラララ、と巻き取られていく。
鎖に引かれて現れたのは、巨大不定形の魔法使い。
城ほどもある大きさのドロッとした黒い固まりから一本、粘菌のような腕が生え、それが豪華な錫杖を掴んでいる。
超大型不定形生物にして大魔法使いであるこのモンスターは、この世界の人間の騎馬の軍勢1000人を一撃で屠ったこともある。
さらにもう一本の鎖。
現れたのは、八枚翼のドラゴン。
全長二十メートル、金色に輝く、ドラゴン系の魔物の最上位種である。
加えて、身長30メートルの一つ目一角巨人が二体。
計四体の魔物が産み出された。
「さあ、行け。奴等を蹴散らしてこい!」
米軍威力偵察部隊は最上位の魔物の襲撃を受けた。
巨大不定形の魔法使いの降らす雨のような魔力光弾、空爆かと勘違いした車列はバラバラに離散した。
八枚翼のドラゴンが乱れた隊列に空から『限界濃縮魔力奔流』を浴びせかけ、魔素の作用でストライカー装甲車が溶けた。
一つ目一角巨人が怪力でもってM1戦車をひっくり返した。
|巨大な不定形の魔法使い《ヒュージスライム・メイジ》に戦車砲が打ち込まれたが物理攻撃は無効であった。
CIWSが唸り、20mm機関砲が火を吹いたが、八枚翼のドラゴンの鱗を貫くには20mmではあまりに非力。
すべては谷間に部隊が入り込んでろくに動けないときに行われた、奇襲であった。
ドローンを飛ばしていた彼らも、事前にこの襲撃を察知することはできなかった。
なにせ、デメンが魔物を召喚したのは、部隊が谷に進入した後だったのだから。
まさしく、何もないところから最大の脅威が現れたのだ。
デメンの守るワイバーンベイビーの巣に向かった3000名が全員虐殺され終わるまで大した時間はかからなかった。
デメン側の損害はM1の主砲、徹甲弾の直撃を何発も食らった一つ目一角巨人が一体だけ。
しかしそれも、魔素さえあればすぐに回復できる損害であった。
こうしてデメンもまた勝利をおさめた。
二〇一七年五月二十八日時刻1500、
異世界、魔界、ダルマグルンブルンの守護するワイバーンベイビーの巣付近
X+二十六日
デレク大佐は巡航速度で走るストライカーのハッチを開け、赤い空を見つつ踏ん反り返っていた。
彼はそうとは知らないが、いまや彼の率いる第四特殊任務部隊はダルマグルンブルンの領域に入り込んでいる。
森であった。
枯れ木の森。
不気味な赤い空の下、車列は枯れ木の間を縫う。
幸い人工的と思われる道があったので、それを使い森を突っ切る形で目標であるワイバーンベイビーの巣へ向かっている。
「殺風景ですねえ。人がいた形跡があるのに、まるで数年で世界が枯れてしまったような、そんな気がします」
「俺もそう思うねえ」
デレク大佐は運転手にそう答える。
そう、この世界は異様だった。
短い期間で緑と青空がどす黒い血の赤に染まってしまったような……。
一体この世界に何があったのか……。
不気味で仕方がなかった。
「あーあ、冒険気分もすっかり萎えちまった。何もねーんだもんよ。ネヴァダの砂漠を走るよりつまらんとか思いもしなかったぜ」
ハッチの縁に乗せた足を揺らしながらそうこぼす大佐であった。
ぼーっと景色を見る。
代わり映えのしない、枯れ木と地面と赤い空。
そんな中に、光るものが見えた気がした。
「うん?」
大佐は右手に見えたそれを目で追う。
しかしすぐに枯れ木の陰に消えてしまった。
「ストップ!」
彼は車列に停止を命じる。
先頭のストライカー装甲車からM1戦車を運ぶトレーラー、燃料車まで、全車両が停止する。
「歩兵下車! 周囲を調査!」
大佐の下命の下、指示通りにストライカー装甲車の後部ハッチから歩兵小隊が次々と降りてくる。
M4小銃を構えつつ周囲を警戒。
調査に当たる。
車列が見えなくならない範囲で右手側を捜索するも、大佐が見たという光の正体は発見できなかった。
「一体なんだっていうんだ」
下車した小隊指揮官からの報告を聞くに不機嫌そうなデレク大佐。
「まあ、『異世界』だからな。何があっても仕方ねえ。やっとこさ冒険の匂いがしてきた……あ?」
デレク大佐が気づいた時には、周りの木々は色とりどりの花をつけていた。
今しがたまで枯れ木だった木々が、である。
「こりゃ一体、どういう……」
(ウフフフフ……)
「何だ!?」
大佐や歩兵、のみならず、密閉されて外の音声が聞こえないはずの乗員にまで、まるで耳元でささやくような笑い声が聞こえてきた。
「何だこりゃ、どうなってやがる!? あ、ありゃあ……」
花盛る木々の木陰に、美しい女が現れた。
薄衣一枚纏った扇情的な格好をした、極上の美人だった。
それも一人ではない。
次から次へと、何十人も、どこから現れたのか、姿を見せ始めた。
「なっ、っく!?」
デレク大佐は自分の頭の中に夢を見るときのフワッとした感触が充満してくるのがわかった。
慌てて意識をしっかり保つ。
危うく気を失うところだった……。
そう思っていると、周りの歩兵たちが誘われるように森の奥、女たちの方へと向かっていく。
デレク大佐は呆然とそれを見て、慌てて我に返って、
「お前ら! 行くな!」
大声で呼びかけたが誰も聞かない。
吸い寄せられるように美女の方に……。
「正気をうしなっとるのか!? ええい、クソ!」
少将は腰の拳銃を抜いて天に向けて撃ち放った。
パン、パンという、乾いた音。
しかし誰もそちらを見もしない。
完全に意識が女の方に向かっている。
「こりゃいよいよだな……おい!まだ降りてない奴ら! 正気か!? あいつらをぶん殴って止めろ!」
しかし、正気なのはほんの数名だけだった。
デレクの乗るストライカー装甲車のすぐ後ろ、トレーラーの上でM1戦車が砲塔を回し始める。
ガダタッと60tの鉄塊が地面に降りるすごい音を立ててトレーラーから無理やり地面に降りると、主砲をデレク大佐の方に向けた。
顔面蒼白となる彼だった。
車内に引っ込むと、運転手に、
「おい! トチ狂ったバカがいやがった! すぐに降りるぞ!」
と言った。
しかし運転手は、
「え? なぜです? 大佐が悪いんでしょう? ノリが悪いから……」
「ファーーーーーーーーーーック!!」
デレクは彼のことを叫びながらぶん殴る。
しかしダメだった。
口からよだれを垂らすばかりだ。
断腸の思いで諦めると、全力のスピードで上部ハッチから外へ出た。
彼が地面に伏せた瞬間、轟音とともにストライカーがひしゃげた。
徹甲弾だった。
乗っていた人間は誰も生きてはいないはず。
榴弾なら彼も助からなかっただろう。
なんとか、戦車砲の狂った同士討ちの射撃にはギリギリ巻き込まれずに済んだようだ。
(ウフフフフ……)
「ファック」
もう一度悪態を吐くと起き上がる。
(ウフフフフ……)
そして周りで起こっていることを目の当たりにするのだ。
「こいつは……」
彼の麾下の兵士は誰もがみな薄衣の美女に抱きとめられ、恍惚の表情を浮かべている。
絶対にもう誰にも邪魔されたくない。
そんな顔をしていた。
「おめえらっ! 正気に戻りやがれ!」
しかしそんなデレク大佐にも、美女が向かってくる。
幾人も、束になって。
いつの間にやら美女たちは彼の部隊の人数をうわまわらん勢いで増えていた。
群衆と化した美女の群れが森の奥からどんどん湧いていたのだ。
「っく、ぐう……」
デレク大佐は頭を抱える。
全身の力が抜けて行くえもいわれぬ恍惚の感覚。
もう、全てそれに委ねてしまいたかった。
「あ……あ……あ」
いつの間にかデレク大佐の体には白い女たちがまとわりついていた。
彼はすでに、考えるのをやめていた。
「…………」
少将は赤い唇から耳元に何事か囁かれる。
よだれをたらさんばかりに緩んだ顔をしている彼はうんうんとうなづく。
そしてこう言うのだ。
「お前ら! 全員! 銃を抜けぇい!」
兵士は誰もがなんの疑いもなくその指示に従う。
腰の拳銃を抜いてぼーっと手の中のそれを見つめている。
デレク大佐は焦点の定まらぬ目で叫んだ。
「銃口を自分の頭に向けろ! 構え! 狙え! 撃て!」
兵士たちはヘルメットを脱ぐと、言われた通りに目標を撃った。
無論、大量の殉職者が出る。
いつの間にやら装甲車やトラックもまたM1戦車に狙われていて、少将の号令のもと、それらもまた戦車砲の射撃によって処理された。
爆音を上げて部隊が崩壊していった。
「はははははははは! 撃て! 撃て! 撃てぇい! はははははは!!」
戦車同士も撃ち合う。
至近距離で。
しかし戦車砲ではお互い装甲を貫けず、内部機器をガタガタにすることしかできなかったから、乗員たちは車体上部に出て、M2重機関銃で自分たちを処理した。
やがて、同士討ちにあぶれた兵士たちがぞろぞろと大佐の周りに集まってくる。
何もない空中にデブ老人の姿が突如現れ、宙に浮かんだままあぐらをかいた。
それとともに美女も森の緑も消失し、後に残るのは燃え盛る車両の残骸と兵士の死体、正気を失った少数の生きた兵士。
「ホッホッホ、人間など脆いもの。魔力を持たぬとあらばなおさらよ」
ダルマは高らかに笑った。




