第十六話 惨劇の始まり、米国の受難
二〇一七年五月十一日時刻0900、
米国、ネヴァダ州、グルーム・レイク空軍基地(エリア51)から数キロ、スクウェア地球側入口
X+九日
「大体ここでできる調査は終わったわ」
魔王たちを追い返すことに成功した爆撃。
その跡地に立ってメーリルは言った。
この一件があるまでにベリアルの死体や異世界の大気組成に関する調査は完了していた。
結果--大気組成、地球と全く同じ。
未確認の生物の死体は、装飾品などから知的生命体と思われる、重量から考えてどうして飛行できたか不明、その表皮は厚みや自由に曲げ伸ばしが出来る割に破壊に対する抵抗や強度は鋼板やセラミックを凌駕する。
あとは死体を地球側に移して研究施設に運んでそれ以上の調査、という時にあの襲撃だ。
航空爆弾で撃退できたのが幸いだった。
もしこちら側で暴れられていたら死傷者は千人で済んだかどうか。
メーリルはその時異世界側からタイミングよく戻ったところで、襲撃にも爆撃にも巻き込まれずに済んだ。
しかしもし次があった時に無事かどうかはわからない。
「だからって大学に戻れるわけないわ」
独り言。
そう、自分は最高機密を知ってしまったのだ。
素直に戻してくれるわけがない。
しかしそんなことはどうでもいい。
知的好奇心と、目の前の未知の扉をこじ開けてやるぞという気合いの方が勝っていたのだ。
危険だからだとか、元の生活に戻れだとか、そういうセリフを言われてももう彼女は戻るつもりはない。
死んでも調査研究を続ける心算だった。
「そこにいると危のうございますぞ」
ギャレット大尉が近づいてきた。
爆撃のクレーターの中にいたメーリルは縁から見下ろす彼の方を振り向く。
「すぐ仮設ラボに戻るわ。そのあとで一旦基地の研究施設に行く。あっちで腰を据えて調べないとね、あの千切れた腕を」
そう言いながらクレーターを登る。
ギャレット大尉が手を貸した。
上がりきると、パンパンと膝の砂を手で払う。
「負傷者はどうしてるの?」
ギャレット大佐にとっては意外な質問だった。
負傷者・生存者は昨日の内に収容が終わっている。
……「死体」も、なんとか制圧出来たものを死体袋に押し込んだ。
異世界からの一時的撤収は済んでいるのだ。
この、見るからに自分の研究のことしか頭になさそうな女性が気にするとは思えなかった。
「全員、なんとか助けるつもりです、全力で」
「そう……」
メーリルは担架で次々とスクウェアを越えて出てくる負傷兵の姿を思い起こした。
あまりに酷い、熱で戦闘服が皮膚と溶け合った姿の兵士たちの姿を。
恐れなのか?
哀れみなのか?
自分の感じる感覚の正体がわからないメーリル。
すうっと深呼吸。
しかし今はそれを考えている時ではない。
「腕」の研究だ。
--腕。
それはオグンマカーハの千切れた左腕だった。
爆撃跡に残された貴重なサンプル。
米国側にあるのは今の所これとベリアルの死体だけ。
ここから研究を始めなければ。
新たにスクウェアの警備をすることになった第75レンジャー連隊の残りの大隊、それに所属するRSOVにギャレット大尉と乗り込み、彼女はエリア51のラボへと向かう。
天蓋がない車両だから風が髪をなびかせる。
頭を抑えながら遠ざかるスクウェアを眺める。
500人の兵士の命を飲み込み、新生物のサンプルを代わりによこした存在。
神か、悪魔か、今の所どちらかといえば悪魔なのだろう。
メーリルにも、とても釣り合いが取れる取引をしてくれたとは思えなかった。
ふと、スクウェアに小さな影が見えた気がした。
目を凝らすメーリル。
それは血染めの空を横切っていた。
よく見てみると、それは一つではないようで、ポツポツといくつか見受けられる。
「ねえ」
彼女は隣のギャレット大尉に声をかける。
「あれ、何かしら?」
ギャレットもスクウェアの方を向く。
黒い点々。
それはどんどん数を増している。
やがて四角い赤い空を覆わんばかりになったそれはこちらの青空に溢れ出してきた。
「なっ!?」
ギャレット大尉が思わず叫ぶ。
黒い霧のようなものはどんどんこちらに染み出してくる。
それはまるでカラスの大群だった。
いや、遠目にはそのものに見える。
「鳥……?」
「わかりません、博士。とにかく今は逃げましょう。危険かもしれません……。おい!」
ギャレット大佐はRSOVの運転手に急ぐよう言った。
メーリルは頬を叩く風が増す間もあの大群から目を離すことができなかった。
と、それまで明確な意思を感じない、ぼうっとした広がるような動きしかしていなかった黒い群れが、わっと地表に向けて高度を落とした。
そこにいるのは、メーリルたちの国の軍隊だ。
移動型ライトや車両やテントを展開させている彼らは、いかにももろそうに見えた。
「ああ、襲われる……」
メーリルは思わず呟く。
パパパン、パパパン、小銃の射撃音が聞こえてくる。
空を飛ぶあの大群に向けて撃たれているのだろう……。
「撃て!!」
視界を黒い大群が覆っている。
空を満たすほどの量が群れ飛んでおる。
いや、急降下してきて……。
「うわあああ!」
先ほどまでM4を撃っていた兵士が吊り上げられた。
他の兵士は危機に陥った仲間を気にかける暇もなく、必死に小銃をぶっ放している。
ワイバーンベイビーはブロウズたちの小隊と戦ったものとほとんど同じだ。
しかし数はくらべものにならない。
一人の兵士に対して数体が当たってもお釣りが来るほどの量だ。
唸る小銃弾。
ワイバーンベイビーの羽に穴を開ける。
胴体にヒット。
頭部をえぐる。
落ちる個体、
怯む個体、
絶命する個体。
しかし、次々と新しいワイバーンベイビーが兵士に向かっていく。
足で釣り上げられ落とされる、
大きな顎で食いつかれる、
単純に羽根で体当たりされる。
様々な方法で米軍兵士たちは数を減らしていく。
「走れ走れ走れ!!」
ギャレット大尉が叫ぶ。
メーリルが頭を抱えて前に屈む。
運転手がぐっとアクセルを踏み込む。
RSOVがネヴァダの荒野の上で限界まで加速した。
あとを追うのはワイバーンベイビー。
一匹だけだが、何度も顎による噛みつき攻撃を仕掛けてきていて、その度にギャレット大尉は運転手に右! 左! と指示を出して避けさせる。
ここまで無傷で走れているのは奇跡的だった。
「ねえ!なんとかならないの!?このままじゃいつか……」
「わかってます!博士!」
メーリルの言葉にイラつきつつ言葉を返すギャレット。
座席から立ち上がる。
もうこうなったら応戦するしかない。
振り落とされる危険はあるが……。
RSOV備え付けのM2重機関銃を握った。
「これでも喰らえ!」
発砲音と部品が立てる金属音。
12.7mmの弾丸が空を穿つ。
こちらを追ってきているワイバーンベイビーはひらりひらりと右へ左へランダムに飛んでかわす。
(銃の避け方を知っているのか!?)
魔王がデメンに対し、魔王軍の使役する魔物に調教を施すよう命じたのは数年前のことだ。
爆裂魔法の音が響いたら左右に回避運動を取るように、と。
デメンはわけもわからずそのような措置を施したが、それがここで生きた形だ。
「くっ、避けられる!」
ギャレット大佐は必死でM2重機を撃ち続ける。
槍のような銃身が熱を持って真っ赤になった。
しかしなかなか当たらない。
ワイバーンベイビーが近づく!
「ぐう!?」
ギャレット大佐はとっさに座席の影に身をかがめる。
ギャギャっという鉄のへし曲がる音がした。
身を起こしてみると、重機関銃を取り付けていたアームが根元から折れ曲がって使い物にならなくなっていた。
「なんてこった……」
大佐もメーリルも、この状況に絶望を感じていた。
「どう、するの?」
メーリルがか細い声で訊く。
ギャレットは答えない。
高速で脳髄を回す。
どうするべきか……。
(あれをやるか……)
運転席の方を向く。
「手榴弾!」
運転に集中している兵士は、
「え!?どうするんです!?」
若い彼の頭を一瞬自決に使うのではないかという考えがよぎるが、振り返ってギャレット大尉を見ると、その表情は運命を切り開くような決意に満ちていた。
「早くしろ!!」
兵士は片手をハンドルから離すと腰からM67破片手榴弾を取り外し、ギャレットに渡す。
実戦経験もない、訓練だけの軍人であるギャレットには全くの無謀な挑戦かもしれない。
まるで聞きかじっただけの知識だ。
しかしやるしかない。
「何する気なの!?大佐!見て!翼竜が向かって来る!」
メーリルが喚くように言った。
その言葉通り、ワイバーンベイビーが急降下の体制に入っている。
数秒後にはこちらに到達しているだろう。
「こうするんです!」
ギャレットの手の中でピンが抜かれ、手榴弾の発火装置の点火レバーが座席シートへと滑り落ちる。
しかしギャレットはすぐには投げない。
そうは言っても一秒半のことであったが、メーリルは一瞬本当に自決するのかと頭が真っ白になった。
しかし、投擲、M67手榴弾の点火ヒューズは約五秒。
つまり、レバーが取れてから五秒後に爆発するのだ。
ギャレット大尉の手を離れた時点で、すでにレバーが外されてから1.5秒が経っている……。
それはワイバーンベイビーが降下する瞬間とジャストで合っていた。
「座席の影に隠れるんです!」
ギャレット大佐が呼びかけた。
ドン!
ワイバーンベイビーの顔面のすぐそばで、それは炸裂した。
ギャレット大尉やメーリルが助かろうが助かるまいが、兵士達の損害がどれくらいだろうが、そんなことはお構いなく、ワイバーンベイビー達はスクウェアから方々に散り始める。
民間人のいる場所、人口密集地に。
標的は、ラスベガスとロサンゼルスだった。