第十二話 兵士の出会い
ブロウズは叫んだり悪態をついたりしたい衝動をこらえ、無言のまま立ち上がって駆け出した。
記憶を頼りに方位を探し、森の外へと。
「はあ、はあ、はあ」
鍛えているはずの心肺がもうリズムを乱し始める。
恐怖のせいだ。
フラッシュライトはすぐにオフにした。
自衛のための発砲もしない。
光、音、本能的に自分の居場所を周囲にアピールするものを避けたのだ。
幸い足を取られるものは生えていなかったから、木にぶつからないようにするだけでよかった。
走る、走る。
しかし、彼はすぐに絶望することにある。
ガシャン……。
それは前から聞こえてきた音だった。
まさか。先回りか、それともさらに外側にもともといたのか。
とにかく逃げ場がない。
ガシャンガシャンガシャン……。
ああ、終わった。
ブロウズ曹長は全身の力が抜けるのを感じた。
認めたくないが自分の隊は一瞬で全滅した。
それをやった相手がそこら中にいる。
ガシャンガシャンガシャン……。
どうすればいい? 命乞いか? 言葉が通じるはずもないのに?
ブロウズ曹長はライトを点けた。
もう破れかぶれだ。
おそらくもう助からないだろう。
だったら戦うまでだ。
勝ち目もないだろうが、ここで諦めたらレンジャー魂が廃る。
来るなら来い。
「ウォアアアアアア!! 来いやぁ!! 来て俺のケツでもファックしやがれ!! 天国見せてやるぜ!!」
その瞬間、ガシャンガシャンという音が収まった。
急にである。
シーンとなった。
これはこれで不気味だ。
はぁはぁと荒い息をついていたブロウズはいきなり暗闇の世界で自分だけが取り残されたような気持ちになって心細くなった。
しかし静寂も長くは続かない。
クックックックックック。
それは笑い声だった。
なんだ。
なんなんだこれは。
ブロウズは自分の意地とプライドさえなければ恐怖で泣きわめきたかった。
しかし堪える。
コンチクショウ。
なんだっていうんだ。
「オラァ! 笑ってんじゃねえぞ!! タマ落としたか!? さっさと来やがれ! 五人十人道連れにしてやるぜ!!」
笑い声はやがてやむ。
ブロウズ曹長の叫びだけが木霊する。
それもやめてしまうと、ガシャン、ガシャン、と近づいてくる音がする。
どうやら一人だけだ。
ガシャンという鎧の音が嫌に大きく聞こえる。
そう、鎧。
まさか、みんながやられたのはその鎧が5.56mmを通さないからではないか?
そんなはずは……。
我が軍最新のボディアーマーを着ていても、戦車か装甲車のように真正面から銃撃を受け止めつつ戦えるなどということはない。
この世のどこにそんな鎧と銃弾の衝撃に耐えられる身体能力のやつがいる?
だがここは別の世界で、相手はどうやら人間ではなさそうだった。
そういうことも十分あり得るのでは?背筋が凍った。
やがて、ブロウズ曹長の持つライトに照らされる範囲に敵が姿を現した。
反射的に撃つ。
嘶くM4。
飛び出る5.56mm弾。
旧東側の7.62mmなどと比べれば威力不足が指摘されるもその攻撃力は本物。
一瞬でも見た所、敵が着込んでいるのは旧式どころではない中世の骨董品。
たとえどのような素材であれ耐えられるはずもない。
発砲音と同時に着弾。
ギィン! 甲高い音。
しかし、相手は仰け反りすらしなかった。
「マジ、かよ」
ブロウズは絶句した。
まさか、こんなことが。
ゲゲゲゲ、という笑い声が辺りから聞こえた。
あざ笑う声だった。
アーマード・ゴブリン。
鎧竜の鱗を使ったスケイルメイルを着込んだ魔王軍の尖兵である。
魔王が地球の軍事力を基準に調整したその鎧は小銃弾程度なら弾いてしまう。
加えて筋力を強化されたゴブリンの肉体は人間をはるかに凌駕する頑強さを誇っているのだ。
「ファーーーーック!!」
何度も何度もセミオートの射撃を加えるブロウズ。
何発着弾しても身じろぎこそすれ倒れたりなど決してしないアーマード・ゴブリン。
それどころか一歩一歩近づいてくる。
弾倉交換。
今度はフルオート。
耳障りな甲高い音を立てて目標に弾が吸い込まれるも、全弾が弾かれ、鎧には傷ひとつない。
なおも迫ってくる。
その顔はニヤケていた。嗜虐心に染まっていた。
ブロウズは深呼吸をして精神を整える。
どうする。
迫る致命的な敵。
効かぬ銃。
周りからは嘲り声。
どうするどうするどうする!
その時、ふと思い出す。
あれはフィリピンでのことだったか……。
二〇一五年七月二十九日時刻1330、
地球、フィリピン、ミンダナオ島、日米特殊部隊有志私的訓練キャンプ
「銃なんてのはヨォ、臆病者の武器なんだ」
現地人の大男は言った。
この男、達人である。
ナイフ一本でライフルで武装した現地ギャングを倒してのける豪傑であった。
とある日本人の伝手でブロウズはここにいた。
この大男を教官として、CQB訓練に臨んでいたのだ。
「いいか?お前ら。青っちょろい奴ら。銃なんてものを使うのは怪我をしたくないからだろう?」
言ってる意味がよくわからなかった。
日本人がそのことを尋ねる。
彼はベテランだった。
ブロウズは彼からも教わった。
今回は一緒に訓練を受ける立場だった。
大男は答える。
「いいか?お前らは死ぬ覚悟はある。それはもうわかった。大したことだ。尊敬するぜ?……だが、怪我をする覚悟はどうかな?いてぇぞ、びっくりするぞ、耐えられないぞ、怪我をするのは。自分がぶっ倒れて永遠に起き上がれないところはお前らも想像できるらしい。だが、腕がナイフで引き裂かれて、血が吹き出て、神経がズタズタになって、骨が見えて、もう二度と自分の意思で動かせなくなるところを想像するのは嫌らしいな。だから相手に近づいたり、近づかれたりする前にケリをつけようとする。そういうところが臆病者だって言ってるんだ」
返す言葉がなかった。その通りだったから。
「ではどうするのが男らしい、臆病者でない戦い方か?」
核心に迫りつつあるのがわかった。
「絶対ゼロ距離に入るしかねえだろ。密着するんだ。相手に。心臓の鼓動が聞こえるほどに。そのやり方に関してはこの日本人のやり方が良かった……」
(なぜ今こんなことを……)
それは臆病を自覚しているからだった。
今彼はビビっている。
だからこそ、「臆病者になるな」との記憶が掘り起こされたのだった。
(臆病者になるな、か。やって、みるか。あの狂気の戦法を……!)
ブロウズは右手で拳銃を抜き、構えた。
同時にライトを左手に持つ。
密着するなら武器は小さい方がいい。
小銃が効かない相手に拳銃?
自分でも不安はあったが、勝算もまたあるのだ。
相手が鎧を着ているだけなら、あるいは……。
照らし出されたゴブリンが両手を前に出した。
構えのつもりらしい。
ど素人だ。
格闘の訓練はやっていないらしい。
(こいつらは鎧に頼りすぎてこっちをなめている)
好都合だ。
相手はどんどん近づいてくる。
ジリジリと距離を詰めてくる。
もっと、もっとだ。
ブロウズは引きつける。
相手が振りかぶった!
それだけでパワーを感じる。
首を狙っている、きっと一振りでもがれるだろう。
そういう確信があった。
それが振り下ろされる直前、ブロウズの体が動いた。
(やるしかない!あの気が狂ったような真似!捨て身だ、コンチクショウ!)
入身。
入る。
敵の間合い、腕の中へ。
抱きしめられるような距離へ。
ブロウズは半身になって一歩、大きく踏み込んだのだ。
そこは絶対ゼロ距離、まさに密着だった。
ゴブリンはうろたえた。
どいつもこいつも、人間は自分の凄まじい膂力を目の当たりにした後は、横に避けるか後ろに逃げるかだった。
その半端な動きを彼は狩ってきた。
それがどうだ?
今回の獲物は。
まるでこちらに致命的な攻撃を食らわせるつもりじゃないか……。
そうだ、その通りだったのだ。
ブロウズはゴブリンを倒すつもりだった。
密着した腕をかちあげる。
拳銃で、敵の顎をアッパーカットのように。
銃口が敵の首と顎の間に刺さった。
(ここだ!)
引きしぼられる引き金!
神速の15連射。
ベレッタM9の弾倉が空になるまで。
差し込まれた銃口は正確に「鎧の隙間」を捉えていた。
ゴブリンの剥き出しの皮膚、首と顎の間から入射した9mmパラベラム弾は頭蓋を下からえぐり、脳髄をかき回した。
ゴブリンはたまらず絶命、その場に崩れ落ちた。
暗闇の中の笑い声が、消えた。
静寂の中マーティンは空になった拳銃を握りしめ、立ち尽くした。
呆然と。
「一矢、報いたなぁ」
ハナから助かるつもりなどなかった。
ただ、仲間の仇を少しでも討ちたかったのだ。
いましたのと同じ戦法が残りの敵全員に通用するか?
無理であった。
だからもう逃げられない。
切り抜けられない。
彼は死を覚悟していた。
「ヨクモヤッタナ」
「ニンゲンゴトキガ……」
「マサカ仲間ガヤラレルトハ」
「コイツハイタメツケテコロス、カンタンニハコロサナイ」
ブロウズはどさり、と膝をついた。
もう抵抗する気力もなかった。
「へっ、もう頭も正常じゃないらしい。英語がきこえらぁ。へへ。へへへ……」
その時だった。暗闇の中に照明弾のような光が灯った。
「な、何だ!?」
「ギエエエエエ」
暗闇も見通すように改良された眼を持つ彼らには耐え難いほどの光だった。
浮かび上がったのは十体ほどの影。
こんなにいたのか、とブロウズは思ったが、激変した状況に対応できずにいる。
そして……。
ズバッ、ズバッ、ズバッ、と、一気に大半の鎧を着た敵が「斬り伏せられた」。
「ギャアアアアア、ヤ、ヤツダ、撤退!撤退ィ!!」
ゴブリンの姿はすぐに見えなくなった……。
「大丈夫かね?」
ゴブリンを斬った剣の主。
老人だった。
不思議な光の中に浮かび上がるその人をブロウズは呆然と見つめている。
その光は妖精の光だった。
ブロウズはあまりのことに呆然としている。
「あんたは、一体……」
老人はもう一度繰り返した。
「大丈夫かね?」
「英……語?なぜ、あんた、英語を話してるんだ?」
ブロウズの抱いた当然の疑問。
こんな、地球ですらない異境の地で聴ける言葉のはずがなかった。
老人は言う。
「お主、何を言っているのじゃ?言葉が通じるのがそんなに不思議か?空気中の魔素が意思を媒介してくれるおかげじゃろうが」
「あんたは、何を言って、何、者だ?」
「ふむ。わしか。お前さん、見たことのない格好をしておるが、どんな辺境出身でもこう言えばわかるじゃろう」
老人は姿勢を正して誇示するようにこう言うのだ。
「わしこそが、かつて勇者と呼ばれた者じゃ」
と。