NUKI! NUKI! DEADHEAT!
「足があれば全ては満ち足りる」俺は常にそのように思う。女一人に強い思いを抱くのにそんな深い理由なんて全然必要ではなくて、ようは足が美しければそれでいい。その意味で英語でいうところのenoughという意味が、日本語においては「足りる」という文字で表現されていることに俺は深い感慨を覚える。何故「足」という漢字がenoughの意味で用いられているのか、その本当の歴史背景については正直全然知らないし進んで調べたいという気持ちなんかこれっぽっちもないけれども、とにかく昔の偉い人はかなりグッジョブである。
しかしながら、これまた困ったことに俺は女という生物そのものが好きではない。むしろ嫌悪していると言っても良い。なんだかこんなことを言うと俺がまた偏屈で捻じ曲がった人間かのように思われてしまうかもしれないけども(そしてそれはもしかしたら当たっている部分が多分にあるのかもしれないけれども)、世の中の男は多かれ少なかれ俺のような気持ちを持っていることを俺は確信している。別に俺は女性経験の欠如からこのような感情を持つように至ったわけではない。別に経験が多いわけではまったくなく、せいぜい大学生のうちに2人だか3人だかと付き合ったことがある程度だけど、そういう経験を踏まえてもやっぱり俺は女という生物が嫌いなのだなあと思う。
大体日本では女がちょっとのさばりすぎていると思う。多分俺のこの思いも、男性のうちの何割かはきちんと同意してくれるのではないだろうか。特に電車に乗るたびに俺はそのことを思い知る。通勤時間帯の電車の中は人で満ち溢れていて一両あたりの暴飲暴食も甚だしいくらいだが、女性専用車などというものが出来上がって以後、俺はこの国には女性特権というものがあるのだということを明確に意識するようになった。何故どうして俺がこんなクソ暑い中を我慢しているのに、女というだけであんながらっがらのスペースを利用することが出来るのだろうか…もしかしたら女性専用車の出来る理由となった痴漢犯罪者諸君の方を憎むべきなのかもしれないが、しかし眼前でくつろいでいるやつらは痴漢犯罪者ではなく勿論女どもなのであって、やはり怒りをぶつける相手として女というのは適当な相手のようにも思える。
これだけで話が終わるようならまだいい。問題は俺が利用している車両の中にも存在しているのだ。女どもの数割は、女性専用車のほうが空いているというのになぜかこちら側の車両で押し競饅頭を繰り広げている。ここのところがどうにも理解できない。こっちの車両のほうが目的駅にある階段の方に近いのか、それとも女性専用車について批判的な意見を持っているのか、それについては謎である。ともかく、ただでさえ男だけでも人口が多いというのに、そこに女の人口をを加えてしまったら総数が増えてしまうというのはもう幼稚園児でもわかる理屈なのであって、彼女らの思考というのがまったくわからない。男性の一部諸君の間には、男ばっかでむさくるしい中よりも華やかな女性がいたほうがいいとする意見を持つものもいるかもしれないが、私の意見は逆である。下手に近くにでも寄られたら最後、最近の根性が腐りきった女どもに痴漢男として仕立て上げられる可能性がまったくないとは言い切れず、しかも痴漢の有罪率はほど100%だとか言うから恐ろしい。痴漢の証明なんて極めて難しいにも関わらず、大した捜査もないうちにたちまち犯罪者にされてしまう。これが恐怖といわずになんと言おうか。平穏な毎日が第一と考えている俺にとって、そのようなアクシデントは悪夢以外の何物でもない。日常は非常にデリケートなもので、きちんと意識を働きかけていても壊れてしまうことがあるくらいだ。故に俺が神経質になってしまうこともおかしくないということが言えるわけで、聡明な紳士淑女の方々にはその俺の思いのたけを理解していただくことが出来ると思う。
それだけではない。女が男に及ぼす影響は、破裂寸前の車両を圧迫し、人を犯罪者に仕立て上げるだけでは足りないのだ。これはまさに俺の出勤時刻が丁度高校生の登校時間とぶつかってしまっていることに起因している。皆さんもご存知だと思われるが、女子高生という人種はとにかくよく喋る。もう喋るという行動しか出来ないのではないかというくらい喋る。朝の電車では皆の暗黙の了解の下、沈黙を守ることが義務付けられているはずなのだが彼女らにはそれが全然伝わっていない。多分学校の授業でも教師の言葉など右の耳から入って左の耳から抜けていってしまっているのだろう。誰も喋られない蒸れた車内の中で、群れた女子高生は大きな声で人目をはばかることなく大声をかき鳴らす。しかも内容がまともならまだいいが、残念ながら女子高生にそのようなことは不可能である。教養という存在が疎かに扱われているこの国では(他の国でもどうか怪しいものだが)彼女らを何かについて雄弁に語らせることは不可能であり、ただ単に駄弁るだけである。別にこちらとしてはお前らの彼氏がどうだとか、クラスのあいつがキモいだとか、そういうことはどうでもいいただのノイズなのであって、どうしてそのような無価値な情報を発信することに全力を注いでいるのかがわからない。家から駅まで近い俺の出勤は事実上電車に乗ったところからスタートすることになるのだが、このようにそれは最悪な形で幕を開けるのである。
しかし、物事とはなかなかにシンプルにはいかない。RPGゲームで装備品に武器しか買わないだとか盾しか買わないということがないように、常に人は矛盾を装備していたりするものである。電車から降りると変化することが主に二つある。一つは圧迫感からの開放であり、これは俺にわかりやすい喜びをもたらしてくれる。電車から降りた後は駆け足気味のおっさんどもに押されながらも、やっとのことで開放されたという強い思いから少しだけ幸せな気分に浸ることが出来るのである。しかし俺にとってもう一つの変化がより重要なのであって、それは電車から出ることにより女の足が目の前で露になるということである。電車の中では人のゴミに囲まれて下方向を見ることは軽く不可能に近いのだけれども、開放された途端嫌でもそれが目についてくる。おっさんの中で短パンなんぞ穿いている人間なんぞほとんどいるわけもないので、余計それが目立った形で目の中に飛び込んでくる。こうなるともうお手上げである。俺の目線は先ほどまで心の中で悪態をついていた女子高生たちの足に全神経を持って固定され、余計なことを言わせていただければ俺の息子が胴体を持ち上げ始めるのである。
これは危険な兆候であると自分でも思う。俺は自分の中で相反する感情と欲求を上手く満たせずにいる。俺は女という人種、とりわけいかにも「ザ・私はバカです」みたいな風貌の女子高生には明確なる敵意を持ってはいるけれど、皮肉なことに俺が肉体的に好みを感じるのはまさにその「ザ・私はバカです」の足なのである。何故あのような馬鹿どもに限って、肉感的で非常においしそうな足を供えているのだろうか。そのことがとにかく俺をいらつかせる。所詮若いだけが取り得のようなやつらの癖に、何故俺の精神面をここまで揺さぶってくるのだろうか。女の足は害悪にしか過ぎない。いっそどこかの風俗にでも行けばいいのかもしれないが、俺は個人的に風俗というものを毛嫌いしているからそれは出来ない。そもそもあれはオヤジどもの行く場所であって、俺はやつらと一緒にはなりたくはない。女の足を見つめるときも、俺は自分がそいつらと同じようなメンタリティを備えてしまっているのではないかという思いに駆られ自己嫌悪に浸る。たまに見かける女の足を凝視することしか脳がないようなおっさん-----そいつらを見ると軽蔑の目を向けるのとともに、自分もそいつらと大して変わらない存在なのだと思うと自分が信じられないような気持ちになる。
そのようなわけで、俺は最近出来るだけ女の足を見ないようにしている。見ないようにしているといってもただ単に目をそむけるだけでは効果は不十分で、特に俺好みの足が視界に入ってしまったときは何度もそちらを見たくなってしまうという欲求に駆られることになるから、もう自分が女の目を視界に捉えることのないよう抜きさるのである。抜き差ってしまえば、さすがに俺も振り返ってまで足を見ようとはしない。問題はいかに自然に彼女らを抜かすかについてだが、幸いにして女ども、特に集団で歩いている女子高生の歩行スピードは亀よりも遅い。おそらくナメクジよりも遅いだろう。何故そこまで遅いのだろうか?学校に行きたくないのか、着くまでに何文字喋らなければならないという制約がありそのためスピードを落としているのか、思わず勘ぐりたくなる程に遅い。その遅さは朝のラッシュ時には非常に邪魔なものでそれも俺をいらいらさせるのだが、こと抜かすということに関しては好都合である。駅に降り立った瞬間、変に見えない程度の速度で彼女らを追い越し、会社へと向かうことが出来るわけだ。会社へ向かう道は先ほども述べたとおり結構な歩行距離になり、しかも同方向に高校があるためそこでもまた油断は出来ないが、まあ大体は抜き去ることで対処が可能な問題となっている。
しかしその日は違った。いつものように満員電車の中から飛び出るように出た俺は、人の壁に阻まれ直行で階段を上ることは叶わずも、なかなかの順位で改札口まで出ることに成功したのであるが、そこに一人の女子高生が立っていたのである。
集団の女子高生を抜くことは造作もないことではあるが、一人でいる女子高生を抜くことは場合によっては難しいことがある。というのも、普通女の歩くスピードは遅いと相場が決まっているはずなのに、どういうわけか歩くのが男並、時には男以上に速い女が存在するからだ。彼女らもおそらく二人以上であればそれほどのスピードは出さないのであろうが、誰にも邪魔されずに歩ける一人であるときは別だ。彼女らは時として自然に抜くことが出来ないほどのスピードを発揮してしまったりする。
彼女もそのような健脚の持ち主であった。ホームを出て残るは会社へ向かう一本道となったところで俺は彼女の足の速さ、そして足の美しさに気づく。顔のほうは正直よく見えなかったが、野暮ったいほどでもなく、かといってあからさまに尻の軽そうな風貌でもない。髪はそれほど長くなく黒髪で、スカートの長さは膝上15cmくらいで少し足を出しているが、それほど下品なようには見えない。とはいっても日本においては見た目が多少真面目に見えても平気で体を売っている女子高生がいっぱいいるらしいとTVでもよく報じられているし、実際の彼女の性生活について予想することは難しい。一つその中で言えるのは彼女の後ろ姿は俺にとって物凄い好みだということくらいだろう。
こういう足の速い相手を抜く際に、俺が普通取っている手段は会社に急いで向かっているという振りをすることである。しかし人がわざわざ学校が始まるかなり前に合わせて会社に通っているというのに、何故この女はそこまで急いでいるのだろうか。いや確かに学校においては登校時間という制約を受けずとも、それより前に行かなければならない用事というのは山ほどあるだろう。もし彼女が何かの部活に所属していたのだとしたら朝に練習があっても全然不自然ではないし、もしかしたら行事の準備のようなことがあるのかもしれない。それにしても彼女の速度は以上である。徒歩でそれほどのスピードを出すのであれば少しくらい走ったっていいように思うが、彼女はあくまでも徒歩で足を進めようとする。
まあそういう俺自身走ることはあまり好まない。というのも、俺の通勤路はかなりの割合を一本道で占めており、途中まで走ったところでふがいなく体力が切れて止まってしまう姿を相手に見せたくはないからだ。かといって会社までずっと走り続けるというのは忍びない。そろそろ涼しくはなってきたとはいえ、まだまだ灼熱が横たわっているわけでシャツを汗ビチャさせるのは全くもってよろしくない事態だ。と無駄な思考を巡らしている間にも俺の目は半ば本能的に彼女の足に注がれる。これはかなりの上玉というか、ここ最近で見た足の中ではナンバーワンと言っても全然良いかもしれない。どうして今まで彼女を目撃しなかったのだろう?(普段は自転車にでも乗っていたのだろうか)ほどよくついた肉に、スラリと伸びる足。細すぎず、足が長すぎず、まるで俺のために作られた、つまるところオーダーメイドされた足のように思えるぐらいだ。あの足を俺のものにしたいという欲求は当然のように付きまとうけれども、所詮俺はしがない社会人であり、それほど性的魅力にあふれている男とは言えない。所詮はただただちらちらと視線に入れては外すということしか出来ないわけである。尤もおそらく俺が性的魅力にあふれていた場合、自分の欲求の開放なんて出来て当然だったわけで、そうだった場合こんなにも足にこだわるようなこともなかっただろう。様々な執着心にいえるように、俺のこの足に対する思いも自身のコンプレックスから来ていると以前推測したことを思い出す。俺はそれほど足が長くなく、また美しく細くもない。
また彼女の足に視線が行く。誰も俺の視線なんぞ見てはいないとは思いつつも、こんなにもちらちら足のほうに目が行ってしまうとなんとなく罪悪感を感じてしまいそこが俺をうんざりさせる。なるべく彼女と出来るだけ距離をとるように彼女が歩いている直線から少しずれた位置に行くけれども、同時に何故俺の行動が彼女にコントロールされなければならないのかとちょっとした憤りを感じてみたりもする。自分自身に設定した戒めと自分自身の欲が相反するということはまことに辛いことだ。故に俺は一刻も早く彼女を抜き去ることをしなければならないわけだが、なかなか彼女との距離が埋まる傾向にない。さらに俺の彼女の足へ視線を移す行動は秒単位ごとにその長さを増していき、このままだと彼女の足をずっと凝視するようなことにもなりかねないわけで、それは避けなければならない。凝視するような事態になったら俺はきっとどんどんと欲望を増していって、最終的には彼女の真後ろ、つまり特等席から彼女の足を見つめることになるだろう。
出来る限り自然なスピードでは彼女のことを抜けないとそろそろ悟ってきた俺は、自分でもうんざりするような小芝居を心の中で演じるようにした。俺は会社で朝一でやらなければならないことがあり、それが遅れたら大変なことになりかねない。腕時計は持っていなかったので、代わりに携帯電話で時刻をちらちら見るようにしながらやや不自然なすばやさで彼女のことを抜くことにした。やや歩き方が競歩のそれに似ており、それを通勤時間中に披露する自分にほんのちょっとの滑稽感を感じたけれども背に腹は代えられない。これ以上一介の女子高生の足を見つめることによって俺の人間的な品位を落としたくはなかったし、欲望に執着するようになることに対しての恐怖もある。このままのスピードで歩いていけばいずれ彼女を抜くであろう。段々決意も固まってきて、彼女の足に視線を落とさないようになってくる。大丈夫。俺はいつものように抜ける。あと数メートル。
しかしながら現実はそれほど甘くはない。欲望はキャンディーであり、一度その甘さを知ってしまったものが口からそれを離すのは困難を極める。俺は突如自分でも信じられないくらいに、無意識的に無作為に、自分の歩行スピードを緩めてしまったのだ。自分でもまったく何故だかはわからないが、おそらく俺の本能が最近まれに見る美しい足の持ち主をもっと観賞していたいという決議案を脳の中で提出しそれが受理されてしまったのだろう。いったい俺の頭の中の野党は何をしているのか。現実のそれとなんら変わりがないではないか-----俺は動揺のあまり、普段はろくに考えもしない政治家のことを引き合いに出し、自分を責める代わりに彼らのことを責めだした。これは非常にまずいことだ。一度抜くことをためらってしまったら、今後この先も同じようなことをしかねない。たとえそれが今俺が抜こうとしている女よりレベルの数段劣るやつ相手だとしてもだ。一度甘さを知ってしまった人間はなかなかその活動を止めはしない。
さて、しかし俺には抜くことも出来なかったが、かといって速度を緩めることは出来なかった。今ここで立ち止まるというのは他人、しかも女子高生風情に俺の行動をとめられるという侮辱で繋がるということにもなりえるし、正直なことを言えば既に彼女の足のトリコになってしまってもう止まっている場合では全然なかったのである。俺はまた彼女との間隔をやや広げながら、今度はさっきよりあからさまに彼女の足を凝視している自分自身を発見した。もはや女の足は俺にとって芸術観賞の域に近く、見ているだけで恍惚とした気分になってくる。これほど美しい足を持っているのだから相当もてるのだろうな−−そう考えた瞬間に、今まで抑えられていた何かが一斉に吹き出したような感覚がした。おそらく処女でこれだけの妖艶さは発揮できないだろうから、彼女もまた開通済みなのだろう。自分にとっての芸術的存在がもはや誰かに手をつけられているというのは非常に侮辱的な感覚を受けるが、しかしもはやそれを超えたところに彼女の足が存在しているのだ。その段階においては他の男の手にかかっていることなどもはや単なるスパイスでしかないような気すらしてくる。
そうこう俺が思考を重ねて足を凝視しているうち、それなりの時間が過ぎてしまった。学校も近くなってきたのだからいい加減誰かに会えよと彼女に心の中で毒づく。俺はこの思考が自分の行動を正当化させるためのものだとは知っているがもはや止まることは出来ない。もし彼女が誰かと会えばそれは必然的に挨拶をしなければならないということになるわけだからスピードは落ちるし、彼女が喋るという日常的なことを行ってくれれば俺が彼女に抱いている幻想もその画質を落とすはずだ。偶像は何も喋らないからこそ偶像でいることが出来るし、それを壊すためには何かものを喋らせればいい。しかし彼女は特に誰と会う様子もなくたんたんと素晴らしいスピードで足を進めていく。
もう頭がおかしくなってしまいそうだ。俺の目はもはや一秒たりとも彼女の足から視線を外すことをしなくなってしまったし、今は瞬きすらするのが惜しい。最初考えていた他人の視線が気になるうんぬんというのももはやどうでもよくなってしまったことも末期的な心的状況をうかがわせる。ようするに俺の頭の中にはもはや彼女しか入っていない。より正確にいえば彼女の足ということになるが。
もはや体面など気にすることもなく、自分でもびっくりするくらい突然に俺は再度走り出した。今度は途中で止まることが出来なくなるくらいのスピードだ。これは意図してそうしたというより暴発的に動いてしまったというほうが正しい。何人かの生徒や会社員が突然走り出した俺の姿にびびってそれを視界に捕らえようとしたのを感じたが、その時の俺にそんなことを気にしている余裕は1mmたりともなかった。その結果、自分でもびっくりするくらい簡単に、彼女を抜くことが出来たのである。
その後どうなったのかを端的に申し上げると、一度彼女を抜くことが出来た俺はしばらく走ったのちに完全に気力を失い徐々にスピードを落としながらついに立ち止まることになった。俺は何やっているんだという気持ちが頭をもたげてきたからである。そりゃそうだ。女の子の足を見つめ続けている自分が嫌だからって急激に走りだす奴は常識的に考えて軽く異常である。まさか自分の中の欲求がここまで強いものだとはまったく掌握していなかったものの、しかしながら一度彼女を抜くことが出来たということで俺は一定の満足感を得ていた。つい先ほどまではほとんど無理と思われていた事柄を突破したのである。俺はその意味で欲望に打ち勝った男と賞賛されてもいいくらいだ。ふらふらの体をなんとか一定に保ちつつ、そろそろ近くなってきた会社のことを考え始め自分の気持ちを落ち着かせようと奮起していた。その頃には足にかなりの疲労が溜まっていたが、結構な距離を走ったものだからよもや彼女に抜かされることはないと高をくくったのである。
しかし現実というのは残酷にして意外さに満ち溢れている。俺がこれで大丈夫だろうと思った瞬間、現実は待ってましたと言わんばかりに予想外の演出を施してくれる。一体俺を困惑させて何が楽しいのかはわからないが、実際そういうような力がこの星にはあるということを俺は認めなくてはならない事態が突如降りかかってきた。というのも先ほどの彼女が俺の後を追うように急激に駆け出してきたのである。
最初のうちは一体何が起きたのかもわからなかった。なんとなく誰かが走ってくるような気がしただけで別に問題はないと思ったし、俺は普通に歩き続けていた。しかしここで俺の天啓は冴えに冴えた。「もしかしたら、俺を追ってきたのは先ほどの彼女なのかもしれない」まるで気狂いのような発想だが、人間ある程度の境地に達すると異常に直感が敏感になるものである。俺は一応後ろを振り返ってみた。そしてまさに、俺が予想したことがそのまま俺の後ろで起こっていることを確認した。
すなわち彼女は追ってきていた。彼女のことは後ろ姿しか見たことはなかったが、その端整な顔立ち、髪、そして何より足から先ほどの彼女であるということは即座に見破ることが出来た。走っているので正確にその姿を見ることは叶わなかったが、やはり良いものは良いというあたり前の事実を俺は目の当たりにする。ちなみに俺は「追ってきた」と表現したが、実際別に彼女は俺を追ってきていたわけではないだろう。何かよくわからないが学校か何かに目的があり、故に彼女はその(美しいとしか形容する言葉がない)足を迅速に動かしているわけで俺に飛び込むために走っているわけではない。しかし何故彼女がこのタイミングで走り出すのか。先ほども述べたが別に今は登校時間ギリギリというわけでもないし、現に彼女以外の生徒はのほほんと友達とくっちゃべったり音楽を聴きながら自転車に轢かれそうになりながら思い思いにのんびりと歩いている。何故ここで走るという行動を彼女はとったのだろう。
一番現実的に考えられるのは、彼女が俺の走りにつられたということである。これは心理学的に考えても大いに納得の出来る理由で、誰かが急いでいると自分も急がなければならないのではないかという気持ちにさせられるというあれだ。大学生時代に俺は心理学を勉強していたので何かそれに関連することを習ったような気がするが詳しくは覚えていないし、それについていたはずの名称も今は思い出せない。しかし重要なのは今この場で繰り広げられている現実そのものであり、彼女がものすごい勢いで俺に迫ってきているということである。しかも壊滅的にピンチなことに、俺の足は今ふらふらのふらお君状態で足に鞭打って急速に運動させるということにとても抵抗がある。しかしだからといってこのままではまた彼女に抜かれてしまうかもしれないし…
ここまで悩みぬいた俺だったが、しかしその時俺の脳みその中に存在すると思われる神は大変いいことを気付かさせてくれた。彼女は今ものすごいスピードで追ってきているのだから、そのまま放置しておけば彼女はすぐさま俺の見えないところまで、すなわち学校まで走り去っていってくれるのではないかという期待がこのときに生まれる。メイド・イン・マイ・ブレイン。俺の脳みその中でおぎゃあおぎゃあと産声をあげたその考えは俺になるほどという感銘を授け、であるならば彼女が俺のことを抜くくらい別に大したことはないのだと思うことにした。抜かれるが故にまた彼女の足を見ざるをえなくなるかもしれないが、所詮彼女の走っている姿である。歩いている姿ならばいざしれず、走っていてはすぐさま映像はぶれてしまってその美しさを捕らえることは難しくなるだろう。問題は全く何もないように見えた。
そしてその時が来た。彼女の足音がどんどんと近づいてきて、ついに俺の後ろ数mというところまで来たのである。ここでまた彼女の全体像を確認したい欲に駆られ、俺の頭の中ではほんの少しばかり作戦会議が行われた。歩いている際に後ろを振り向くというのは若干イレギュラーな行為かもしれないが、後ろから走ってきている人間がいたら「なんだ?」と思い振り向くのが人間の常であろう。脳内会議は初めから後ろの振り向き隊の意見が優勢を占め、結局現実時間に一秒をかけることもなく俺は後ろを振り向いたのである。 ゆっさゆっさと制服の中にパッケージングされた彼女の体がゆれ、彼女の美しい足が緊張と緩和を繰り返すのを数瞬確認した。確かに美しいが、やはり走っているときの彼女からは歩いているときほどの魅力を感じない。より正鵠を期すと、走っているが故に妄想を広げる時間がないといったほうがいいのかもしれないが。やがて彼女の体は俺の体に遂に並び、やがては抜き去っていったのである。彼女の後ろ姿はやはり美しく、俺に止めることの出来ない劣情が襲ったが、その後数秒もしないうちに彼女の背中はどんどんと小さくなっていき、やがては星のように小さくなっていくであろう。俺は彼女の走る足を呆然とみながらそのように思っていたのである。しかしながら次の瞬間、呆けていた俺の足はまた再び急速に加速していかざるを得なくなった。彼女が振り返り、はっきりと俺の方を向いたのだ。少なくとも俺にはそう見えた。まるで「抜かしてやったわよ雑魚野郎」と言わんばかりに。
俺の理性のフューズがその時にはじけとんでしまったのも無理はないだろう。俺はそれを見た瞬間に再び駆け出し、一瞬にして彼女を抜くことに成功した。しかし俺はどういうわけか一回彼女を抜くたびにふらふらと達成感からか気力を失ってしまい、その隙を見計らって彼女が再び俺を抜いた。抜いて抜かれての繰り返し。もはや何故このような事態に陥ったのかはわからないが、おそらく神にすらわかるまい。俺はただもう何かに操られたかのように彼女を抜かし、そこで力を抜いた俺はまた彼女に抜かされるという痴態を演じたのである。
どうして彼女があれほどむきになって俺のことを抜かそうとしていたのかは今となってはわからない。今の俺がわからないのだから、抜くことだけに必死になっていたあの時の俺にはなおさらわからなかった。走っている彼女の顔でも確認すればその一端を知ることくらい出来たのかもしれないが、しかしながら俺がデッドヒートを演じていたときに見ていたものはせいぜい足くらいで、あとは彼女を抜くことくらいしか考えてはいなかった。 今考えられる仮説としては、もともと彼女は速く歩く自分に幾らばかしのプライドを持っており、それを抜かされたが故にむきになって俺のことを追い抜こうとしていたのではないかというものだ。一般的にそのようなことは起こりそうにもないし、さすがにそこまで考える人間はいないのかもしれないけども、事実俺は彼女を抜く前に一度抜くのをためらってしまっていたわけで、もしかしたらあれが彼女に対する宣戦布告のように捉えられたのかもしれない。先走り汁みたいな。
とにかく、かくして俺は彼女とのデッドヒートにのめりこむことになった。何度抜き、何度抜かれたのかは既によく覚えていない。体はぐったりふらふらになって、頭の中身がぐらぐらになった状態で学校と会社の分岐点にたどりついたことだけをなんとか記憶しているだけだ。結局俺が勝ったのか、彼女が勝ったのかははっきりしていない。もはや一歩も歩けなくなった状態で道路にへたりこんでいた俺はその時はっきりと静止された彼女の全体像を見ることが出来た。それは相も変わらず美しい足をしていたが、しかしその時既に俺の中の欲望はすっかりと放出されつくしてしまい、目の前には偶像が剥がれた一介の女子高生がいただけという結末がぽつんとあっただけであった。
こちらのサイトでは二つ目の投稿作品ということになります。感想・批評いただけたらとても嬉しいです。
前回感想をいただいた方々に万来の拍手を。