3. 巨体
「こっちの世界」ってなんだ?「危機」とは一体?
アニマの答えは、麓矢のを更に質問の渦に引き込んだ。これじゃあクエスチョン・スパイラルだよ。気の利いた台詞の一つでも言いたかったが、これはあまりにもセンスがないからやめた。
「確かにセンスないわねぇ」
少女は鼻で笑った。麓矢が「思考を読むな」と突っ込むと、
「それは無理な話ね。わたしたちは一心同体なんだから」
アニマははっきり言った。クルミの姿でそんなことを言うものだから、麓矢は何だか気恥ずかしくなってしまった。
「本題に戻るわね。こっちの世界っていうのは、夢幻世界のこと。夢幻世界は人間たちの集合的無意識によって保たれている空間で、人間の夢や想像の世界で生まれたあらゆるイメージを内包してるの。それで危機っていうのは、この世界を司る『女神さま』が存在を保てなくなっちゃって、夢幻世界そのものが崩壊し始めてるってことなの」
そこまで言うと、アニマは分かるかしら?とでもいうように、麓矢の顔を覗き込んだ。
「俺が分かってないってこともお見通しなんだろ?」
麓矢は呟く。
「全部理解して、とまでは言わないわ。でもこれだけは分かって欲しいの。今この世界は、アンタたち子供の力が必要ってこと」
アニマの声は、今までになく真剣だった。彼女の麓矢を見つめる眼差しはまっすぐで、その言葉に偽りがあるようには微塵も感じられなかった。
麓矢は、ずるいよなと思った。初恋の人の顔で、声で、貴方の力が必要だなんていわれて、断れる中学生がいるはずがない。麓矢はふーっと息を吐くと、応えた。
「分かった。シュウゴウテキムイシキが何なのか知らないけど、アニマに協力するよ」
「ありがとう、ミロ」
初めてだ。アンタじゃなく、名前を呼ばれたのは。麓矢はアニマが自分を認めてくれたように感じて、嬉しかった。正直に言えば、クルミの声でロクヤと呼んでほしい気持ちもあったが。
二人はつかの間、目の前に広がる海を言葉を交わすことなく眺めていた。
それでさ、と麓矢が質問を続けようとした次の瞬間、水面が揺らぎ大きな黒い影が映った。影はさらに大きくなって、すぐさま間欠泉が噴出したかのような爆発が起こった。
水しぶきがスコールのように降り注ぐ。たちのぼった水蒸気が消え、かわりに海上に現れたのは巨大なタコのような何かだった。
なんだよこれ、なんだよコレ、何だよこれ!
眼前のそれは、麓矢の視界を完全に覆ってしまっていた。
(どんだけデカいんだよ、コイツは!)
30メートルは超えるであろう黒い巨体。壷をひっくり返したような形の、膨らんだ頭部。飛び出した二つの眼球は、じっとこちらを睨みつけている。麓矢はこれを完全にタコだと考えていたが、よく見ると8本の足には吸盤がなく、つるっとした感じがある。もしかしてイカかも?などと思った麓矢であったが、彼がイカにもちゃんと吸盤があることを知るのは、かなり後のことである。
「立てっ、ミロ!」
威勢のいいアニマの声に、麓矢はハッとする。今の自分のおかれた状況は、絶体絶命とでもいうべきか。しかし、どうやら麓矢は腰を抜かしてしまったらしく、上手く立ち上がることができない。
そんな様子を見たアニマは軽く舌打ちして、麓矢の身体に手を伸ばした。そうして麓矢の背中と膝裏に腕をまわすと、ひょいと持ち上げてしまった。俗に言う、お姫様だっこというヤツだ。
アニマは麓矢を抱えたまま、走り出す。麓矢の体重は決して軽いわけではないのに、ものすごいスピードだ。クルミの華奢な身体のどこにそんな筋力があるというのか。
白い砂浜を、美少女が男の子を抱えて走る。配役が逆だったら、二人の後ろで存在感を放つ巨大ダコがいなかったら、まるでドラマのワンシーンだなと麓矢は思った。
「そんな想像をしている余裕はないぞっ!」
アニマは叫ぶ。それと同時に、麓矢の身体は宙に投げ出された。
空中で翻る身体、視界に映るアニマ。
―――瞬間、ズシンという音と共に、彼女は黒いタコの足に叩きつけられた。
「アニマッ!!!」
麓矢の叫び声に、アニマは答える。
「・・・大丈夫、だ。たいした傷じゃない・・・」
よろよろと立ち上がろうとする彼女の元に、麓矢が駆け寄る。アニマの整った綺麗な顔は、砂で汚れ苦痛に歪んでいた。離れたところに飛ばされた麦わら帽子は、無残にもぺちゃんこだ。
「どうしたらいい。アイツとどうやったら闘える?」
麓矢は今にも折れそうな心を、アニマの手を握って押さえつける。
「・・・防衛機制を使って」
アニマは声を絞り出すようにして言った。
「メカニズム?」
「そう。魔法、みたいなもの・・・私と一緒に、逃避と叫んで」
そう言ってアニマは、麓矢の手を握り返した。
やるしかない。黒いアイツの八本足は、今にも俺たちを叩き潰そうと振りかぶっている。
(アニマ、行くぞ!)
「「 逃避!!! 」」
麓矢の視界が、白色に塗り替えられていく。まばゆい光の波が押し寄せてきて、麓矢は思わず目を瞑ってしまった。潮の香りのかわりに、あたたかな光が麓矢を包んだ。
―――気が付けば麓矢は、大羽神社の境内のど真ん中に立っていた。