朝ほど夢から覚めたくない時はない。
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朝は寝起きが悪い。
毎朝が最悪な気分で瞼を開ける。
ピーッ、ピーッと出来過ぎたデジタル時計をやや上からたたくように押す。
長年使っているせいででこぼことした感覚が手のひらに伝わると同時に、冷めた鉄の温度も伝わる。
ゆっくりとベッドを滑り落ちると、狙いすましたように携帯がなった。
「……」
寝ぼけまなこを擦りつつ時計の傍の端末をとり、電話を朝特有の低い声で受ける。
「…もしもし、」
「ぐっもーにん瑛!元気か!?」
キィィン、と頭にこだまする声が僕の耳を貫いた。
一気に目が覚めた。そこらのデジタル時計よりも抜群に。
「…おぅ、元気。だからまず声を小さくしてくれないか」
「お前がいっつも元気ないから、いつものモーニングコールだ!」
「うんわかってる、毎日だよな。僕もうそんな歳じゃないんだけどさ」
「おうわかってる、毎日それ言われてる」
「だよな。んで学習してくれないんだよな」
「俺の日課だ!ついでに今日の準備も聞くつもりなんだけど瑛、今日の」
ツーツーツーツー、と無機質な音で声は途切れた。
っていうか僕が切った。
うるせえよ。
朝から馬鹿丸出しにしてるんじゃねえよ。
とはいえそこまで怒ってる訳じゃないのはお互いわかっているんだが。
大体、僕の寝起きが悪い時は突然電話を切られることをわかっているあいつ、勇実は電話を掛け直さない。
今までことごとく二回目からの電話は通じていないので、流石の馬鹿もそこまで通話料金を上乗せするつもりはないようだった。
昨日は夜までパソコンでチャットやらネットサーフィンやらで画面を見続けていたから目が痛い。
そのうえ勇実のせいで耳までやられたらたまらないのだが。
のそのそと着替えを済ませて適当にうすっぺらい鞄に物を詰め込む。
携帯は母さんが怒るのでとりあえずポケットへ突っ込んだ。
月曜日、また一週間の始まりである。
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フローリングできっちりと汚れも見えない廊下を歩く。
リビングからは典型的な味噌汁の匂いが漂ってくる。
はて、今日は和食の日だったっけか、と頭の隅で考えながらリビングのドアを開けた。
「起きたの。おはよう、瑛」
「…おはよう」
リビングのテーブルには既に思った通りの味噌汁とごはん。
更にリビングには目玉焼きを食器へ移している母さんの姿と、
「むぐ、やっぱ瑛のママさんの味噌汁最高っす!俺何杯でもいけるっす!」
「あら、ありがとう。たくさん食べて頑張ってね」
「うっす!」
…さっき電話で聞いた声が聞こえる気がするんだが。
「なんでお前がいるんだよ勇実いいいいい!!」
「あ、瑛。ぐっもーにん☆」
危惧した通りに僕が座っているはずの椅子に勇実がいた。
ぐっもーにん☆ってなんだよ、そこ僕の席だよ。
母さんも自分の子のように頑張ってねとか言わないで寝坊してる子供起こしてくれよ。
「…いつからいたんだよ」
半ば諦めながら勇実に問う。
「さっき」
「アバウトすぎるわ」
「電話したあとすぐだよ、だって隣だろ?お前が着替えるより早いぜ!」
そういってご飯を頬張る勇実。
このままでは勇実におくれをとってしまう。
僕も仕方なく椅子に座って横に置いてあった新聞を掴んだ。
「瑛、新聞を読むのはいいけどこぼさないでね」
「わかってるよ」
ずるる、と味噌汁をすする。
勇実はほぼ食べ終わっていて、なぜか僕のところにはないみかんを食べていた。
勇実は僕の部屋のお隣さん。
マンションの隣といえどこのご時世、関わりなんてないはずなのだが、母さんは違う。
同い年の子供が生まれたと聞いて真っ先にお隣さんと仲良くなったという。
子供とは180度違う性格、今では考えられない自由奔放さがまだ信じられない。
絶えず出入りを繰り返していたので、僕の家は勇実の家も同然。
たまにこういうこともよくある。
たまにって言ったけどよくある。
手元の新聞を広げて、ざっと見出しだけ目を通す。
もっぱら最近のニュースは「仮想化技術空間」の話だ。
メインはアトラクションなどのエンターテインメント要素たっぷりの技術だが、
実はその他さまざまな用途に応用出来るのではないかという期待と議論が盛んになっている。
そんな漫画みたいなのが出来てトラブルかなんかがないはずがない。
だから皆そこまで現実視はしていないようだった。
基本的にそういううまい話は被害と夢の跡だけ残していくのだから。
「……おーい、瑛?えーい、瑛!」
「うわっ、なに?」
はっと顔を上げれば、勇実がもうテーブルの横に立っていた。
食べ終わっていたのにも気付かないくらい見てたらしい?
慌てて一気に牛乳を飲み干して食器を片付ける。
「早くしろよ、もう遅刻しちまうぜ?」
早く早く、と勇実が手招きしていた。
歯磨きを済ませ、ドアノブをひねる。
母さんが台所から声をかけてきた。
「いってらっしゃい」
変わらない言葉。
僕も変わらない。
「いってきます」
勇実はもう外で待っているのだった。
また、一日が始まる。
特に望んでいた一日ではないけれど。