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5年前、約400km離れた街で…。

作者: 寛 忠
掲載日:2016/03/18

 5年前、全国規模の販売店に勤務していた私は、2年前の異動で伊豆半島にある店舗での勤務を始めた。これまで勤務してきた都市圏の店舗と違い、山の中にあって人口も少ないからか、非常に小ぢんまりとしている。

 有名な観光地である伊豆には中学校の修学旅行で訪れた以来であり、こうして生活するとは思いもしなかった。移動に車は必需で、その間に山を登ったり下ったりする。平地で生まれ育った私は初めこそ戸惑ったが、慣れてしまえば快適だった。まぁ、東京・横浜といった首都圏へ在来線で気軽に行けるのも含まれているかもしれない。伊豆は昔から東京キー局のテレビやラジオを視聴していることや関東からの観光客も多いことから、静岡県にあるけれど、なぜだからそんな感じがしない(ひょっとして神奈川県?)ようにも思えてしまう。という冗談はさて置き、あの日も店舗で仕事に追われていた。


 2011年3月11日。私は顧客から注文を受けた商品が届き、お渡しができるようにレジカウンターへ持っていき、レジ担当へ引き継ごうとしていた。ちょうどその時、足元が横に揺れ出したのである。

 普通なら10秒足らずで収まる。しかも、その揺れは長く続いた。揺れが収まった後、売り場の中は何が起こったのか分からずにいただろう。


「おい!なんだこれは」


 お客たちが売り場のテレビ画面に釘付けとなっていた。そこには地震が発生し、被害を受けた街の様子が映されている。


(これは、16年前の再来か…)


 この日から16年前の1995年1月17日には、兵庫県を中心とした「阪神淡路大震災」が発生した。あの時もテレビに神戸の街が被災した様子が映し出されている。もしかしたらあの時と同じ映像を流しているのではないかと思ってしまったが、もちろんそんなことはない。紛れもなく、地震直後の様子を映した東北地方の今の様子が映っていたのである。

 それから店舗内とバックヤードにある商品に崩れがないか見回ったが、被害がなかったことで何事もなく営業を続けた。しかし、電話はしばらく使えず、店の状況を確認するお客からの連絡が絶えなかった。混乱は閉店直前まで続いたのである。その間に、東北にある店舗の被災状況が伝わってきた。


 勤務終了後に帰宅し、家のテレビをつけると、時間の経過と共に被害状況が刻々と明らかになる。沿岸部では防潮堤を越えた津波によって街が壊滅していた。関東地方でも交通網がマヒで道路は渋滞し、電車も動かず、歩いて帰る人や帰れずに道路に滞留する人が出たらしい。もし自分がその場にいたとしたら、考えただけでもゾッとする。その夜はあまり眠れなかった。

 

 翌日、伊豆半島でも震災後の影響が出ていた。海岸沿いは津波の影響を考え、立ち入り禁止となっている。東京と伊豆を結ぶ特急「踊り子」号が通るJR伊東線と伊豆急行線は終日運休すると発表があった。更に、東伊豆沿岸部を結ぶ国道135号も通行止めになっている。関東方面との行き来は事実上できなくなっていた。

 店舗へ出勤してみると、入口の前には長蛇の列ができていた。何も特売日ではないのに、なぜ並んでいるか分からぬまま、開店準備を進めた。従業員の会話は昨日の地震のことで持ち切りになっていた。この日の朝礼では、東北にある店舗が震災で倒壊したり、津波に飲み込まれたりして営業ができない所が出ていることが伝えられた。本部や近隣の店舗からの応援要員を送り、復旧に向けて作業しているらしい。

 開店時間を迎え、自動ドアのスイッチを入れると、長蛇の列を作っていたお客が開店と同時に我先にとある場所へ向かっていた。お客が押し寄せたのは乾電池コーナー。皆迷うことなく単一電池を手にしてレジに向かっていく。それと合わせて懐中電灯を買っていく人もいる。すぐに在庫を補充するも、瞬く間になくなってしまった。

 その他の商品も生活必需品を中心に在庫が消えていく。お客からは“今度はいつ入荷するのか”と聞かれるが、そんなことは分からない。なぜなら、関東方面からの流通網が止まり、大半の商品の入荷がいつになるか確認が取れないからだ。更に、本社や生産工場が東北にあるものは更に遅れが見込まれる。震災の影響が品不足という形で現れたのだ。その後も同じ対応の繰り返しで、あっという間に勤務時間が終わった。販売店に勤務して長いこと経つが、こんなことは初めてだった。


 しかし、震災の影響は更に続いた。ある時、街中に設置されている防災無線の放送が入り、間延びする口調でこんなことを告げたのである。


“本日、午後6時30分より、停電を行います…。”


 私は我が耳を疑った。なぜ意図的に停電させなければならないのか。それもそのはず、ここ伊豆半島は東京電力管轄の50Hz地帯。その東京電力が持つ福島の原子力発電所が震災で被災したのだ。以前から事故が起きたらどうするんだと思っていたが、放射能が周囲に漏れ出す最悪な事態が発生してしまった。その原発の被災で電力の需要と供給が保てなくなる恐れがあり、部分的に停電を実施することとなった。地域ごとに区分化し、随時実施されていたのである。そして、私が住む伊豆でも実施される日が来たのだ。実際は何度か直前になって中止すると言われてきたので、やっと来たかと言った感じだった。


 6時30分、5分前に防災無線から放送があり、その時を迎えた。店内は暗くなり、緊急用の発電機が稼働して電球の明かりが点灯したが、それだけでは不充分だった。当然、電気を使用する機器は使用できず不便を強いられた。特にレジは全くの手計算なので苦労したに違いない。それ以前に、この時間帯はお客の姿はまばらであり、大きなトラブルはなかった。

 勤務が終わって外に出ると、外灯が消えて月明かりに照らされた街はどこか不気味に見えた。24時間営業のコンビニや牛丼屋も真っ暗だ。信号機も消え、そこには警官が交差点中央で誘導していた。だが、全部とはいかず、事故に気を付けながら家に帰った。

 帰宅後、電気を入れようとするが、もちろん点灯するはずもない。懐中電灯を頼りに部屋を移動する。まだ3月で寒い時期であり、暖を取ろうにもカーボンヒーターの電源が入らない。風呂に入ろうにもお湯もガスがあっても電気がないと沸かせないので入れず、仕方なく布団に篭って自分の体温で暖まりながら再度電気が入るのを待つしかなかった。予定より前の8時30分に停電が終わるまで、どうすることもできずにいた。短い時間とはいえ、我々が普段どれだけ電気に頼ってきたか、それがなければどれだけ無力か分かった気がした。(なぜ停電の実施が夜だったのか未だに理解できない……)


 地震発生から二週間程度でほぼ正常な生活が送れるようになっていった。しかし、震災によって電車の本数削減を余儀なくされ、旅行を自粛する人が相次ぎ、伊豆を訪れる人が激減した。その結果、売り上げが減少し、そこで働く従業員の解雇が発生する事態に陥っていると聞いた。東日本大震災は400km離れた伊豆半島にも影響を及ぼし、無関係とは言えなかったのだ。

 伊豆半島は以前から大地震が発生する地帯としても知られている。実は、私が伊豆に転勤してきた2009年の12月17日と18日には最大深度5弱の揺れが発生した。前から小さな揺れが断続的に発生していたが、この日は突然の激しい揺れに翻弄され、その間、動くことができずにいた。部屋は家具の倒壊などは発生しなかったが、店舗は商品が棚から落ち、その修復に追われたのを覚えている。伊豆に住んでいる人は、常日頃から地震と向き合って生活しているのである。


 翌年、私は異動で伊豆を離れ、実家へ戻った。それ以後の伊豆の様子は分からない。あれから5年が経ち、震災からの復興が進んでいないように感じるが、いつどこで同様の…いや、あれを超える地震が発生してもおかしくない。私が住んでいる東海地方も1970年代から“東海・東南海・南海大地震”の発生が叫ばれている。その為にも普段から防災の意識を持ち、備えを万全にしていきたいと思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 寛忠さん、お疲れ様でした。 当時、行われた計画停電の事はよく覚えています。 福島の原発が日本中にこれほど大きな影響を与えるとは想像もしていませんでしたから。 震災が凄かったのは言うまでも…
[一言] そうですね、ありました輪番停電。 当時の切迫した状況が詳細に描かれていて、改めて身が引き締まる思いです。
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