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十年目のシンデレラ

作者: キョン子

 ねえ、あたしのモノになってくれる?


「……は?」

 突発性の難聴にでもなったのかと思ったが、驚きの余り上がった素っ頓狂な自分の声はきちんと耳に届いた。

 太陽がじりじりとアスファルトを焦がす音もシャワシャワとさんざめく蝉の声も聞こえる。おまけにひとつ瞬きをしても世界は変わらない。ということはつまり、僕の耳は正常に機能しているということだ。

 ちらりと右隣を見下ろす。

 隣に腰掛けているのは小さな女の子だ。白い肌に大きな瞳、通った鼻筋につんと上を向いた赤い唇。肩までの柔らかそうな髪はまるで絹糸のようで、まだ幼いながらも、カテゴライズするなら文句なく美少女の部類に入るだろう。

「……えーと、キミと僕は今さっき出会ったばかりだよね?」

「正確に言えば、あなたが休憩していた公園のベンチにあたしがやってきたのが二分三十七秒前ね」

「二分三十七秒前に出会ったキミが、どうして僕に告白なんてするんだい」

「恋愛はスピード勝負だって図書館の本に書いてあったわ」

「成程、間違っちゃいない。でも、それはお互いのことをよく知って好意を持ってからの話だ」

「私はあなたに好意を持ったの」

「たった二分三十七秒で?」

「ええ。正確に言えば二分五十二秒を回った今その気持ちは益々大きくなっている」

「一目惚れ、ということかい?」

「そうだと思ってくれて構わないわ」

 偶然出会った大層な美少女が、うだつも成績も上がらない容姿性格人並みの特筆事項特になしの僕に一目惚れ?

 素直に喜ぶには余りにも出来すぎていて、胡散臭くて、……そして下手をすればお縄になりかねない申し出だ。

「……ありがたいけど、ご期待には添えないよ」

「何故?」

「まず僕はキミの名前を知らない」

「マユコよ。マユでいいわ」

「マユちゃん。じゃあ、次は年齢だ」

「六歳だと思うわ、たぶん」

「自分の年齢に疎くなるのが早いね」

「そうみたい。あんまり興味がないの。次は?」

「えーと、じゃあご趣味は」

「お琴と生け花を少々」

「おうちはどこにあるの」

「遠いところ」

「どのくらい?」

「東京ドーム十個分くらい」

「意外と近い」

「じゃあ百個分にしておく」

「成程、よく分かった」

 ……まともに答える気がないと言うことが。

 半ば諦めたようにため息をつけば、次の質問を促すようにまん丸な薄灰色の瞳が僕を捉える。吸い込まれてしまいそうな、と言えば大袈裟だけどそう言っても罰は当たらない程度に魅力的な眼差しだった。

「……で、誰に頼まれたの?」

「頼まれたって?」

「大方僕のクラスの奴だろう?タナカ?サトウ?それともコバヤシ?」

 どいつもこいつも、この間数学の宿題を見せなかったことを根に持っているのだろう。

 仕方ないじゃないか、見せれば同罪だと担任が脅しを掛けてくるのだ。僕は規則や校則を積極的破るタイプの人間ではないし、いくらトモダチと言えどそれくらいの自己主張は許されるだろうに。わざわざ見知らぬ女の子に頼んでまで僕をからかうとはご苦労なことだ。

「残念だけど」

 しかし、きょろきょろと辺りを見回す僕に彼女は静かに首を振る。

 悪友の姿を探して躍起になっている僕が恥ずかしくなるくらい冷静に、かつ優雅に。

「ここには、あなたとあたししかいないわ」

「え?」

「だって、二人きりになれるチャンスを窺っていたんだもの」

「誰が」

「あたしが」

「どうして」

「あなたと二人きりになりたかったから」

「……キミと僕は、これが初対面じゃ?」

「ええ、そうよ」

「でも、僕と二人きりになれるチャンスを窺っていた?」

「妙だと思う?」

「とてもね」

「どうしてか知りたい?」

「ああ」

「教えてあげない」

 ふふ、と彼女は妖艶に笑う。うっとりとした口調で続けられた言葉は、まるで一遍の詩のようだ。

「うだるような真夏の昼下がり。とある公園の木陰のベンチで、偶然のように必然のように出会った二人」

「……」

「小説の設定としてはありふれていても、現実では奇跡に近い。そうは思わない?

「……どうかな」

「人はね、それを」

 ――運命と呼ぶのよ。

 小さな掌が僕の手を掬う。

 外は四十度近くの炎天下だというのに驚くほど冷えたその手はまるで現実味がなくて、どうしてだか振り払う気にはならなかった。

「ねえ、眼鏡は掛けないの」

「生まれつき視力はいい方でね」

「掛けてみて。きっと似合うから」

「考えておくよ」

「フレームは銀縁ね。流行だからってセルフレームはダメよ。知的でストイックな銀縁がいいわ」

「僕自身知的でもストイックでもないけど、考えておくよ」

「意外と手がおっきいわ」

「男の子だからね」

「この傷は?」

「この間、化学の実験中に火傷した」

「ほっぺの絆創膏は?」

「カミソリ負け」

「ボタンほつれてる」

「裁縫は苦手なんだ」

「ここシミ出来てる」

「昨日のカレーうどんかな」

 彼女との会話はお喋りというより野球の打撃練習に近い。次から次へと質問のボールが飛んできて僕はそれをただ打ち返すだけ。最初こそ僕から彼女に質問したけれど、いつしか立場はすっかり逆転していた。

「あたしね、ずっとあなたとこうして話してみたかったの」

「……」

「だから嬉しい。今日まで生きて来て、一番幸せだわ」

 蝉の鳴く声も砂場で遊ぶ子供の声も先ほどよりずっと遠くに聞こえて周りに薄膜が一枚貼られたように二人の空間は静かで密だ。

 不思議だと思ったし奇妙だと思ったけれど、何故だかまったく不快ではない。むしろ、彼女の隣は居心地が良かった。

 どこから来たのか、どうして僕を知っているのか、一体彼女は何者なのか。

 疑問は尽きない。が、問うてしまえば幻のように彼女が消えてしまうのではないかと思って、ただじっと彼女の言葉に耳を傾けていた。


 ふと気付けば、辺りではヒグラシが鳴いていた。

 吹く風も夕暮れのそれになっていて、砂場で遊んでいた子どもたちの影も消え、ただ沈みかけた西日が二人の影を長く伸ばしている。

 なんとなく現実離れした酩酊状態から現実に引き戻されたのは、甲高い電子音に気付いたからだ。どこからかピーピーと存在を主張するそれに、彼女は悲しげに顔を歪めて嘆息する。

「ああ、鳴っちゃった」

「これ、何の音?」

「シンデレラの十二時の鐘の音よ」

 音の出所は彼女が首からぶら下げたストップウォッチだ。どうしてそんなものを持っているのかは分からないが、これがシンデレラの鐘の音なら、これから彼女がとる行動は一つだけだ。帰るのかい、と尋ねれば小さな頭がこくんと頷く。

「楽しい時間はすぐに過ぎてしまうのね」

「それが世の常だ」

「本当ね」

 反動を付けてぴょんとベンチから飛び降りる小さな体。

 真正面から彼女と向き合う形になって、いつの間にか繋いだ指先は解けていることに気が付いた。柔らかな拘束は、もう感触すら残っていない。

「一人で帰れる?」

「ええ。迎えが来る手筈になっているから」

「そうか。なら安心だ」

「今日は、とっても楽しかった」

「僕も楽しかったよ」

「本当?」

「ああ。キミはお喋りが上手だ」

「ふふ、ありがとう。生まれて初めて言われたわ」

 くるり、と小さな体が一回転。踊るようにステップを踏んだ体が夕焼けに照らされる。絹糸のような髪が陽光の残滓に煌めいていた。

「ねえ、ひとつお願いして良い?」

「なんだい」

「目を閉じて、十数えて」

「どうして」

「その間に、あたしはあなたの前から消える」

「消える?」

「そうよ」

「すごいな、魔法みたいだ」

「そう、あたしだけが使える魔法なの」

 その笑顔を最後に、言われた通り目を閉じた。

 ふわりと風が吹いて、花のような匂いが鼻孔をくすぐる。


 一。

「ありがとう」

 二。

「あなたに会えて嬉しかった」

 三。

「あたしのこと忘れないでね」

 四。

「頑張るから」

 五。

「またいつか会える時が来るまで」

 六。

「あなたが振り向いてくれるような女の子になるから」

 七。

「ねえだから、その時はきっと」

 八。

「あたしのことを見つけてね」

 九。

「さようなら」

 十。

「また、十年後」


 ゆっくりと目を開く。

 夕映えの公園に残っているのはベンチに座った僕の影だけで、当然のように目の前から彼女が消えていた。

 最後に頬を撫でていったのは宵風か彼女の指先か。問いかけても答えてくれる人など勿論居る訳もなく、僕は彼女の最後の言葉をぽつんと繰り返す。

「……また、十年後?」

 約束というには余りに不確かで、未来に期待を掛けるには時間も気持ちも足りていない。

 でも、もし。

 ――もう一度、彼女に会えるなら。

「……帰るか」

 夕飯の支度をしているのだろう、どこからか焼き魚の良い匂いがする。

 タイミング良く腹の虫もきゅうと鳴いて、膝を叩いて立ち上がれば、背中を後押しするように夏の風がふわりと吹いた。







「おはようございまーす」

「せんせー、おはようございます!」

「はい、おはよう」


 真新しい制服に身を包んだ生徒たちの表情は皆晴れやかだ。

 新生活に胸を躍らせる若い背中を見送り、欠伸を一つ。雲一つない青空からは柔らかな陽光が降り注いでいて、入学式へ向かう生徒達を祝福するような素晴らしい天気だった。


 季節は幾度も通り過ぎていつしか十年の月日が過ぎた。

 それなりに勉強してそれなりに恋をして。それなりの青春時代を過ごした僕も、今では一端の社会人となった。

(また十年後)

 ふとした時に耳に蘇る声。

 あの夏の出来事が現実だったのか夢だったのか、もう今では自信がない。もしかして全くすべてが自分の妄想だったのではないかと思い至って、果たして僕の頭は大丈夫だろうかと一人不安になったこともある。

 けれど、彼女の姿も手の冷たさも。白昼夢として片付けてしまうには惜しい程、しっかりと覚えていた。

 十年は長いようで短い。二十八歳になってなにが変わったかと問われれば、なにも変わりはしないと答えるだろう。ただ自分で金を稼げるようになって、自分で飯を食えるようになっただけ。あとは酒を飲んだ次の日に関節が痛かったり風邪の治りが遅くなったくらいで、子供の頃夢見ていたような大人には到底なれなかった。


(ねえ、マユちゃん)

 たまに、心の中で問いかける。

(君はどうだい?夢見ていたような大人になれたかい?)

 振り向いてくれるような女の子になるからと告げた、少しおしゃまで勝ち気な様子を覚えている。

(十年経ったよ。僕は、キミのことを忘れなかった)

 だから、きっと。

(僕は、キミのことを)


「あの、すみません」

ふと背後から掛けられた声。

ようやく我に返った。いけない、ぼんやりしていてはまた教頭にどやされてしまう。慌てて顔に力を入れ、教師の顔で振り返る。

「おはようございます、先生」

「おはよう。急ぎなさい、もうすぐ式が……」

 そこには、セーラー服姿の女の子が一人立っていた。

 何も珍しいことはない。今日は僕が務める女子校の入学式だ。真新しいセーラー服に身を包んだ女子生徒が、校門で出迎えに立つ僕に声を掛けるのはごく自然なことで。

 しかし、目が合った瞬間、時が止まった。

 白い肌に大きな瞳、通った鼻筋につんと上を向いた赤い唇。背中の中程まで伸びた柔らかそうな髪はまるで絹糸のようで。真新しい鞄にはキーホルダー代わりなのかどこかで見たようなストップウォッチが付けられている。

「……え?」

 はじめは偶然の一致だと思った。でも、その顔もその姿も声も香りも、なにもかもが記憶の彼方と重なっていく。

 頭の中の信号がひとつひとつ赤から青へ変わって、それが確信に変わった時、情けないことに手が震えていた。

「キミ、なのかい」

「ええ、あたしよ」

 お久しぶり、と彼女が微笑む。

「十年ぶり、だね」

「ええ、そうね。実を言えばあたしには十年ぶりじゃないんだけど、そんなの些細なことだわ」

「え?それは、どういう…」

「やっぱり、あなたには銀縁眼鏡が似合ってる」

「……」

 真下から薄灰色の瞳に見つめられる。ああ、あの時と同じ瞳だ。

 突然現れた不思議な女の子に捕らえられた、あの夏の日と同じ。

 今も十年前も、僕は。

 触れた指先の温かさが、紛れもなく現実だと証明してくれていた。


「ねえ先生。約束を、守ってくれてありがとう」

 

 ――今度こそ、あたしのモノになってくれますか?

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